048 好きな女一人守れない女に成り下がるなよ
姉喫茶『抱き』の真横にある路地裏。
闇に飲まれた夜の中でもより一層薄暗い建物同士の隙間。
そこであたしは息を潜めていた。
もう少しで、アランが店から出てくる。
緊張している自覚はある。
あんなにベタベタしにいっていた相手に別れを告げるんですもの。
平常心を保っていられるはずがない。
でも、一つだけ、あたしに勇気をくれているものがある。
瞼を閉じて、意識を集中させるとそれを感じられる。
体内に魔力を感じられる。
失せていた力が戻って来ているのを実感する。
セレナ曰く、エリゼの願いを叶える力は親密な関係でないと恩恵が得られないらしい。
……魔力が戻って来たんだから、そういうことよね。
あたし達はそういう関係なのよね。
信じて良いんだよね。
「ははは、いや至高の戯れだったよ。じゃあね、僕のプリンセス」
「ふふっ、また甘えに来てくださいね、アラン様」
通りの方から、喫茶の前からそんな会話が聞こえて来た。
一人は姉喫茶の店員だとして、もう一人は確実にあいつね。
こんなコテコテのキザ台詞が許されるのはあの女だけだ。
店員に別れを告げた人物が、あたしの方へと歩き出す。
路地に隠れているあたしを通り過ぎるタイミングで腕を伸ばして、そのまま強引に引っ張った。
目の前に顔の良い女が現れる。
バランスを崩しながらも転倒することのないその人は、かつてあたしが恋していた剣士アラン。
「こんばんは、王子様。埃まみれの女はお嫌いかしら」
「え、あ、ああ。生きていたんだねリューカ。喜ばしい限りだよ」
馬鹿なあたしでも分かる。
今、目の前にいる女は動揺している。
面白いほどに相手の感情が読み取れる。
というか、生きていたんだねってどういうことよ。
仲間であるあたしの安否も分からずに、こんな店に入り浸ってたわけ。
信じられない。
「ええ、それはもう必死に都まで帰って来たわよ。
犠牲になってくれなんて言われた時は悲しかったな」
「違うんだ。君を殺そうと思っていたわけではなくてだな。
ほら、あのあと増援を呼んで遺跡へ戻ったんだよ?
残念ながら君たちを見つけることはできなかったんだが」
「知ってるわよ。体裁を気にする貴方らしいわね」
「あ、そ、そうだ、セレナも一緒なんだろう?
彼女はどこかで休憩中かい?あぁ、教会本部辺りかな?
彼女が不在だと思うように依頼がこなせなくてね。
一刻も早く見つけ出さなければと思っていたんだよ。
よし、明日はセレナと君のお帰りなさいパーティでも開こうじゃ無いか」
なによ、それ。
分かってたわよ、そんなこと。
あたしが必要とされてなかったってこと。
どうしてこの状況でセレナの名前を出せるの。
どうしてあたしは心配されていないの。
やっぱり、見てくれていなかったんだ。
「……あたしのことは?」
「え?」
「あたしは必要じゃないの?」
「あ、あはは。何言ってるんだよ、そりゃ君のような魔術師もパーティにはいた方が良いと思うよ?
けどね、セレナは特別なんだ。テンペストに必須人材なんだよ。
あの子無しではテンペストも僕も生きていけないぐらいだよ」
ああ、そうか。
こいつは不要のカテゴリに選別される者の心情を察したことが無いんだ。
いつもいつも選ばれて来た人間だから。
ずっと日の目を浴びて来た人間だから。
だから、他人の気持ちが分からない。
気持ちが分からないという点に関しては、あたしもそうか。
エリゼの気持ちを考えられなかった。
同類ね。
「そうね、確かに彼女は特別だわ。
……ねぇ、どうしてあたしを迎えに来てくれたの。
あの日、あの場所で、ただ魔術を学ぶことしかできないあたしを、どうして迎えに来てくれたの?」
エリゼには問いただした問い。
あんたにも同じ問いかけをしようか。
真実の裏付けに付き合ってもらうわよ。
「それは、君が魔術師になりたがっていたからその願いを叶えるために、っていう感じかな
こんなつまらない話、今じゃなくてもできたと思うけど」
平然と嘘がつけるのは才能かしら。
その話術で女をモノにして来たんだろうな。
ただ、あたしを救った理由にしては作りが甘すぎるわね。
それに、真相を知った今じゃ笑い話としても聞けない。
最悪な返事だ。
……つまらない、話じゃないのに。
「本当はエリゼに対する嫌がらせなくせに。
エリゼを慕う女ができるのが嫌だったんでしょ」
「何を言っているのかな?僕がそんな器の小さい人間だとでも?」
とぼける余地なんてないでしょ。
エリゼがどれだけ悪人かを教え込んできたのはあんたでしょ。
おかげであたしは、罪悪感を背負って生きなければいけなくなってしまった。
ほんと、最悪だわ。
「あんたとエリゼの間に何があったかなんて全く知らないけどね、それにあたしを巻き込まないでよ……。
あたしの感情を利用しないでよ……」
「違うよリューカ。君を利用しようなんて思っていないさ。
君は魔術師になりたかった、僕は魔術師を探していた。
それが噛み合っただけだよ。
君も魔術師になれた上に、僕みたいな美しい人間と出会えたんだ。
最高だっただろう?」
どうしてあたしにはキザな台詞を吐いてくれないんだろう。
ずっとデリカシーが含まれていない言葉だけを向けてくる。
これまでのあたしは、それを許容して来た。
アランに恋をしていたから。
「……あんたって、あたしに対してだけは話術が下手くそなのよね。
そうだ、質問して良いかしら」
「も、もちろん、なんでも聞いてあげるよ」
「あんたって女だったのね」
ここまで終始愛想を宿していたアランの表情が固まった。
次第に眉間にしわが寄り、あたしを睨みつける様な目つきを見せる。
とても不服そうな顔。
ようやくあんたの厚い面を歪ませることができたわ。
「は?どこからどう見ても僕は女だろ?何抜かしてるのかな君は?
足も長くて小顔で美しい顔面、細く長い魅惑の指、筋肉が付いていながらもどこか柔らかくきめ細やかな肉体、おまけに話も面白いと来た。
ほら、良い匂いもするだろ。
残念だけど、センスの無い君以外の人間は皆僕のことを美少女と答えるよ」
若干体を回転運動させながら、華麗にそのプロポーションを自慢している彼女は、狙えば誰だって堕とすことができるんだろうな。
それにしても分かりやすいわね。
ここまで怒りを露わにしてくれると、嫌味を言ったあたし口も自慢しがいがあるっての。
「ごめんなさい、ずっと誤解してたわ。
余りにもあたしへのコミュニケーションがガサツすぎたせいかしら。
繊細さが全く感じられなかったからかな。
いや、胸が平らだからかしら」
「何を言ってるんだ君は。
とても気持ち悪いことを言っているよ。
まるで、バストの有無で性別を判断しているかのような口ぶりじゃないか」
そうね、あんたの意見には概ね同意よ。
胸の大きさなんて正直どうでもいい、それの有無を基準にして性別を判断している輩が存在しているとしたら、それはあんた以上の屑よ。
それに、あたしも体型を弄るのは嫌いだわ。
あたしはね、あんたが嫌がるからそれを口にしているだけ。
言葉の意味なんてどうでも良い。
あたしを騙していたあんたが傷付けばそれで良いのよ。
とりあえず、あんたの弱点は胸部ってことね。
そんな可愛らしい悩みを持ってるなんて、所詮は王子様も人間か。
「ごめんなさい、気を悪くさせてしまったかしら」
「ああ、最悪の気分だよ。
……どうしたんだいリューカ、君はこんなことを言う人間じゃないだろ?」
よく分かってるじゃない、嬉しいわね。
あたしは、他人の悪口なんて最も価値の無いことだと考えてる。
相手を言い負かすことはてても気持ち良いのに、少しだけ気持ち悪い。
「……もう一つ聞いて良い?」
「もう良いよ、さっさと帰ろう」
帰らないよ、あんたの下には。
もう二度と、あの宿には戻らない。
「セレナのことは、好きなの?」
「もちろんじゃないか。あんな人類の母を体現している人間はなかなかいないよ。
僕も一目惚れしてしまったクチでね、外見も良ければ中身も良いと来た。
凄く好きだ、愛している。
ふふっ、こんな話をしてると会いたくなるな。
そうだ、これからセレナのとこまで案内してくれないか?」
「そっか……そっか……。
じゃあどうして、あの遺跡でセレナも置いていくことができたの?」
「え、いや、それは……。
ラスカとメイリーを守るために仕方なく。
決してセレナまで犠牲にするつもりは無かったんだ。
でもまさか、彼女が君を追うとは思ってなくて……あ」
セレナまで、ねぇ。
……。
……。
むかつく。
むかつく、むかつく、むかつく。
イライラする、腹立たしい、不快、憎い、嫌い、気持ち悪い、鬱陶しい。
抜群の好意を寄せていたあたしを腫れ物扱いしていたことはどうでもいい。
誰だって好きでもない人間から言い寄られれば気味悪がるだろうし。
そこに関してはショックだけど折り合いが付いている。
アランは好きな女に対してはとんでもない執着を見せる。
絶対に傷付けさせないように、後ろにいる仲間を守ってきた。
実際、あの遺跡に行くまでは誰一人として怪我を負うことは無かった。
全員を守り切ることができる、それがどれほど凄いことかなんて誰でも分かる。
あたしはそんなアランが好きだった。
その果てしなく過酷な道を選んだあんたが好きだった。
それなのに、どうしてセレナを置いて遺跡から逃げることができたの。
いくらあたしを始末できるからって、好きな女を諦めるなんてこと、あんたは絶対許さないと思ってた。
そんなあんたがセレナを愛しているだなんて、笑わせるなよ。
あんたの言う好きがその程度なら、あんたに誰かを好きになる資格は毛頭無い。
……。
ねぇアラン、気の迷いで脇へ逸れるとどこまでも弱くなるわよ。
これまで好きでもないあたしを仲間にしていてくれていた感謝とか、エリゼとあたしの間に存在していたはずの信頼を隠していたことへの憎悪とか、セレナを置いて逃げていったことへの呆れとか、そういうのが全部体の中で混ざり合ってドロドロと腹の内側を駆け巡っている。
焼けるような胸がもう我慢できそうに無い。
肺を満たしていた空気が溢れる。
口が、喉が、舌が、勝手に動きはじめていた。
体も顔も目も、何もかもが熱い。
堪えられない。
もう……我慢できない。
「不慮の事故に便乗して、不要な足枷を切るのは構わないわ。
けどね、そのためとはいえ……好きな女残して尻尾巻きながら来た道引き返す間抜けになってんじゃねぇぞ!ド貧乳女!!」
叫びながら振りかぶったあたしの拳を見て、アランはすかさず防御態勢を取った。
流石剣士様。あたしがどれだけ本気で殴っても、アンタにはかすり傷にもならないでしょうね。
だから、あたしは得意分野の魔術を行使させてもらうわよ。
「スカイコール」
単語詠唱。
詠唱の最終節を呟くだけの簡単な術式展開。
ただし、工程を省いた分魔術的価値は下がってしまい、それに比例して威力も弱くなる。
だけど、今回はそれで十分だ。
カフェでこちらを心配そうに見ているエリゼに、力を貸してもらっているのだから。
風を操る魔術『スカイコール』。
術の放たれた方向へと対象者を吹き飛ばし、一定の距離を進むと今度は進行方向の反対側から衝撃が発生し、慣性エネルギーをそのまま対象者へとぶつける魔術。
要は、アランを吹っ飛ばして、吹っ飛んできたアランを思いっきり押し返す術式。
頭上に振り上げた右手はフェイク。
拳を見上げているアランの死角、腰の下方から左の掌でそっと彼女の腹を撫で上げた。
見たことのないぐらい目を見開いて驚いている。傑作だわ、自己中女。
アランの鳩尾付近に風が溜まる。
どう対応すればいいかを考えているのかもしれないけど、あんたにはもう何も出来ないわよ。
「なっ!?リューカっこれは、どうして!?」
慌てて防御を解いたアランは、両手で風の在処を追い払おうともがいている。
あたしはガラ空きになった頭上から、振り上げている右手をアランの頂点へごちんと叩きつけた。
感謝とか憎しみとか、夥しいほどの感情をその拳に乗せて。
あたしの弱い鉄槌を受けた頭は軽く項垂れる。
直後、美形のたらし女は上空へ打ち上げられた。
立ち並ぶ建物の屋根を優に超えて、空高く飛んでいく。
「花火みたい」
空を直線上に突き進む彼女を眺める。
思い返してみると、あたしはこの女に守られていたことは無かったのかもしれない。
恋の盲目と軽蔑の思い込みで気づかなかったけど、いつもあたしの前に立っていたのはエリゼだった。
罪悪感に耐えきれず超新星爆発してしまいそうだ。
高度が上限に達したところで、アランは天からの衝撃波を受けて地上へと叩き落とされる。
そのまま綺麗に元いた場所、あたしの目の前に墜落した。
土埃が舞い、地面が少し割れているが、アラン自身に目立った傷は無かった。
はぁ、腐ってもテンペストのリーダーは伊達じゃないわね。
……あ、やば。
あたしから手出しちゃった。
ま、もうどうでも良いわ。
地面に叩きつけられた女の胸ぐらを掴み上げる。
呆然としている彼女の額に、あたしのおでこを勢いよく打ちつけた。
零距離で目にするアランの顔は、それはもうとても美してくて、もはや嫉妬すら湧かない。
顔を突き合わせたまま、あたしは言葉を続ける。
「ねぇ、アラン。あんた、ずっとあたしに好意を抱かれている前提で話してたわよね。
あはっ、笑える。とんだ自惚れ女じゃん。
もうお互い嫌いの両思いなんだから、心の声ぶちまけてくれても良かったのに」
「……両思いか、どうやらそうみたいだね」
その綺麗な顔で、芸術品のような瞳であたしを睨みつけている。
堪んないな、ほんと。
「セレナはあたしが貰ってくわ。
欲に正直なあんたに占有させる訳にはいかないの。
あいつの夢を邪魔するな、聖女は聖女のために存在している。
あんたを喜ばす有象無象の一人じゃないんだ。
……じゃあね、アラン。せいぜい悔い改めなよ」
何か言いたげにしていたが、あたしは掴み上げていた胸ぐらをそっと手放した。
力なく座り込むアランに背を向けて、通りの方へと抜けていく。
あんたに恋していた時間は紛れもなく本物だったわ。
今思い返すと反吐が出そうになるけど、あの時のあたしはそれが全てだった。
さようなら、穢れきったあたしの初恋。




