046 御礼参りのお誘い
リューカ視点
都心部の外側に属する閑静な住宅街、さらにその向こう。
街外れにある森の奥。
そこには、木々に囲まれそびえ立つ大きな屋敷がある。
以前は、シルゼリアとかいう大司祭の補佐をしている女が所持していた別荘と噂されていたその建物。
「うわぁ……でっか……」
思わず声が出てしまった。
童話に出てくるような館を目にして驚かない訳がない。
っと、いけないいけない。
呆気に取られている暇は無い、急がないと。
訪問を知らせる来客用の鐘を鳴らした。
綺麗な金属音が世界に響き渡る。
高級な扉の前で待っていると、中から足音が聞こえて来た。
ドタドタと床を蹴る音が聞こえてくる。
扉が開かれると、そこには一人の少女がいた。
お下げに髪を結っているエリゼが。
「あれ、リューカちゃんだ。どしたの?」
「こんばんわ、ちょっとあんたに用事が……できた、んだけど……」
会話の尻にいく連れ、あたしの声量は小さくなってしまった。
エリゼの顔色がとても悪そうに見えたから。
目の下に薄く隈ができている。
少し前に見た時に比べて、顔がやつれている。
こんなエリゼ、初めて見た気がする。
いつもいつもヘラヘラしていて、疲れる素振りなんて一度もしたことが無かったから、衝撃的だった。
一切弱音を吐かないタフな女だと勝手に思っていたけど、あんたもしっかり人間なのね。
「用事?なんだろ?」
何故エリゼに会いに来たのか、さっさと話さなければいけないってのに、こんな病弱っぷり見せられたら気が引けるじゃないの。
あんたを利用しに来た、そんなことを伝えられるはずが無い。
「……あんた、とんでもない豪邸に住んでるわね」
「あー、貯金を犠牲にしたらなんか買えちゃった」
貯金ねぇ。
いくらテンペストで稼いでたと言え、エリゼの収入は限られていたはず。
あたしが入ってからは、あたしの分の報酬をその懐から出していた訳だし。
……いつか、お金返さないと。
とにかく、こんな屋敷を購入できるほどのお金がエリゼにあっなんて驚きね。
「あんた、こんなでかい家に住んでるんなら招待しなさいよね」
「うーん、ここは何ていうか、まだそういう時期じゃないというかなんというか。
今はまだ素敵なメイドと二人で暮らしていたいお年頃な訳で、誰かを招き入れるのはまだ早くて……。
それにわたし、家に招待できるような友達がいないし」
歯切れの悪い回答だった。
とりあえず、あまり人を招き入れたく無いのは分かった。
あの元聖騎士メイドが住み込みで働いているのも分かった。
そして、あたしが友達認定されていないことも分かった。
胸が痛い。
当たり前か、あたしはエリゼに酷いことをしてきた。
友達になれる方がおかしいんだ。
ここ最近は、少しだけ距離を縮めることができたんじゃないかと勝手に喜んでいたんだけどな。
「聖女様ぐらいは呼んであげてもよかったんじゃない」
「いやいや、セレナちゃんを招くのは気が引けるよ。
聖女としてのお仕事が忙しいのに、わたし個人の頼みでセレナちゃんを独占するのはちょっとね」
言いたいことは理解できる。
彼女は聖女として数々の命を救っている。
今も教会で患者を治療しているはずだ。
けどね、あんたが人間のように、セレナも人間なのよ。
きっとエリゼのお誘いなら喜んで受けるわ。
あんたぐらいはあの子を、一人の少女として扱ってあげるべきなんだけど。
これはあたしの口からじゃ言えないな。
セレナが自分で口にしないと、言葉の価値がなくなってしまうような気がする。
「そうね……あたしは、その、ともだ」
「ご主人様、病み上がりなのに来客の対応させてしまって申し訳ない。
私が代わろう……ふん、いつぞやの魔術師か」
「あ、ミュエルさん」
あたしがエリゼに友達であると宣言する前に、邪魔が入ってしまった。
高身長金髪筋肉騎士メイド、ミュエル・ドットハグラ。
彼女は早足でエリゼの後方から現れると、あたしの前に立ちはだかった。
圧が凄い。
それに、なんだかムカつくことを言ったわね、この女。
「そうよ、いつぞやのメイド。残念だけど、用があるのはエリゼなのよ。あんたは引っ込んでて」
ふふふ、舐めないでもらいたい。
あたしはコミュニケーション能力が欠乏しているけど、こういう口喧嘩は上手いわよ。
なんてったって、コミュニケーション能力が欠乏しているのだから。
「ふーん、ところで、どうしてこの場所が分かったんだ。私もご主人様も貴様には伝えていないはずだが」
「あ、本当だ。よくうちが分かったね」
口喧嘩は完敗に終わりそうだ。
とんでもなく痛いところを突かれてしまった。
この元聖騎士、物理的な戦いだけでなく、言葉の戦いも強いのか。
「……誰に聞いても教えてくれないから、街中探したわよ」
ギルドの受付嬢やら教会でエリゼをお世話していた修道女やら、エリゼに関わっていそうな人間にはあらかた聞き込みをしたが、誰も口を割らなかった。
そして、最近噂の占い師にエリゼの住所を占ってもらおうと思ったところ、『うちは胡散臭い感じでやってるんだけど、犯罪に加担する気はさらさら無いのでお帰りあそばせ!!』と追い出されてしまった。
いや、そりゃそうでしょ。
「えぇ、ヤバヤバのヤバだよそれは。
多分一個ぐらい法を犯している気がするな。
ストーカーなんとか法みたいなやつ」
「うっ、確かにキモいわね、あたし」
顔色が優れていないのに、こういう皮肉を言う気力は残ってるのね……。
「冗談だよ、リューカちゃん。それで、用事っていうのは?」
ほっ、と安心すると共に冷や汗が出て来た。
普通に会話をこなしているが、エリゼの顔色は依然悪いままだ。
果たして、あたしがこれから起こそうとしている行動に、病み上がりらしいエリゼを巻き込んで良いのだろうか。
でも、これはエリゼにも多少は関係ある話だし。
……うん、伝えよう。
せっかくここまで来たんだ、もう今夜はあんたを連れていくわよ。
「エリゼについて来て欲しい場所があるの」
「えっ、今から?」
「そうよ、こんな夜更けから街へ出掛けるの。
悪な感じして楽しそうでしょ?」
「えー、今からお風呂なんだけど」
「一日ぐらい入んなくても大丈夫よ、多分。
それに美味しいご飯ぐらいなら全然奢るわよ?」
「さっきミュエルさんの美味しい料理食べたばっかりなんだよなぁ」
ぐぬぬ、全く食いついてくれない。
そう言えばこいつ、怠け癖に怠け癖を重ねたような人間だったわね。
「じゃあ、あれよ。ほら、そこのメイドの分も奢ってあげるから。
あんたもメイドに美味しいご飯食べて欲しいでしょ?」
これでどうだ。
エリゼがメイドにゾッコンなのは知っている。
自分じゃなくて、メイドのためなら来てくれるでしょ。
「必死だな、魔術師。さっさと要件を言ったらどうだ」
メイドの彼女は冷ややかにそう言った。
ぐうの音も出ない。
あたしは随分嫌われているらしい。
それもそっか、あたしがエリゼに何をしてきたのか。
全部あの病室で聞いちゃったもんね。
「そうね……あたしはこれからアランに会いに行く。
セレナを解放しろって伝えるために。
そこにあんたも付いて来て欲しいのよ」
そこであたしはアランにどぎつい一撃をかましてやるつもりだ。
死なない程度の強力な魔術を叩き込む。
そのためには、エリゼの願いを叶える力が必須だ。
あたしは、エリゼの側にいないと魔術師にはなれない。
だから今夜、あたしはここに来た。
エリゼを拐いにやって来た。
「どうして、わたしが行かなきゃいけないの?」
「ほら、あたしって魔術以外ダメダメじゃない。
だから、アランが逆上して襲ってきたらボコボコにされるでしょ?
エリゼにはそうなった時にアタシを守って欲しいのよ」
セレナからは、願いを叶える特異能力をエリゼ自身にバラすなと強く言い聞かせられている。
だから、あたしはエリゼが口にしそうなことを想定して、どう返すかを考え込んできた。
今あたしが言ったことも、考えて来た返信文の一つ。
ちょっとだけ演技がクサかった気がするけど、多分バレてないわよね。
「いや、わたしアランに勝てるかなんて分かんないよ」
「無理よ、もうネタは上がってんの。
たった一人で自立人形を倒してたじゃない。
それに、無理に戦う必要もないわよ。
もしもの時は、あたしを抱えて逃げてくれれば良いし」
とんでもなく自己中な台詞ね。
自分で言ってて恥ずかしくなるわ。
「駄目だ」
そう強く否定したのは、メイドのミュエルだった。
メイドの目が鋭すぎる。
元聖騎士とは思えないほど敵意の籠った険悪な視線を向けられている。
「ご主人様に危険が被る可能性があるのなら私が許可しない。
魔術師、貴様もご主人様には傷ついて欲しく無いはずだが」
そうよ、だからエリゼには戦わせない。
あたしの側に居るだけで良いんだ。
けど、それをどう伝えるべきか。
エリゼとの会話はシミュレーションして来たけど、メイドとの会話なんて予想すらしていなかった。
うぅ、世の中の人間ってみんなこんな高度な予測戦を日常的に行っているんでしょ。
信じられないわ。
「心配ありがと、ミュエルさん。超嬉しいよ。
けどね、わたし行きたいな。セレナちゃんとリューカちゃんを助けたい」
お人好し。
そんなふうに思うのは失礼か。
「はぁ、分かった。……最悪の場合は私が魔術師を抱えて逃げる。ご主人様は、そのアランとやらを足止めしてくれるだけで良い」
メイドはエリゼがそう言うと分かっていたらしい。
少しだけ、この関係性が羨ましいと思ってしまった。
信頼し合っているこの関係が。
「ま、安心して、最悪の事態にはならない。それはあたしが保証する」
「当たり前だ。絶対にヘマをするなよ」
なんだか、エリゼがどう言う人間なのか少しだけ理解してきた。
こいつは自分を犠牲にする。
……頼んでる身だからあんまり言いたく無いけど、あたしはそれが一番嫌いだ。
自己犠牲、あたしには到底理解できない。
理解できなくなった、って言う方が正しいか。
誰かに尽くして自分が犠牲にされる、そんなのはもう嫌だ。
……。
「よし、そうと決まれば早速出かけよう!」
悪かった顔色が少しだけ晴れている気がする。
上手く言えないけど、それは逃避に見えた。
苦しみから逃れるための口実を見つけた、みたいな。
……考えすぎか。
「ミュエルさんに美味しいご飯食べてもらうの楽しみだな、リューカちゃんの奢りで」
「え、あんたこんな豪邸に住んでる癖にあたしに奢らせる気!?」
エリゼはニコニコしながらこっちを見てくる。
マジで奢らせる気だ。
いや、確かに奢るとは言ったけど、あれは言葉のあや的なやつなのに。
おろおろしていると、メイドがあたしの肩をポンと叩いた。
「パンケーキが食べたい」
何だこのメイド……危うく人の従者に萌えるところだった。




