153 憧れでいて、メイドでいて、恋人である人
エリゼ視点
みゅんみゅんの大きな体越しに見える調理台には、いくつかのお菓子が並べられていた。
「お料理してるの?」
わたしの言葉に対して、メイドは少し悲しそうな表情を浮かべた。
首が仰反りそうになる。
まるで心臓へ釘を打ち込まれたが如く体が縛り付けられている。
まさか、わたしは選択を間違えたのか。
そんなことは万に一つもないはず。
「これは買い置きのお菓子。こういう物はまだ自分では作れないから」
もう情緒なんて気にしていられなかった。
健気、天使、可愛い、少女、騎士、メイド、最高。
単語は次々と出てくるけど、今胸の内側で巻き起こっている感情をうまく言葉にできない。
とにかく愛しくてたまらない。
「じゃあ今度わたしと一緒に練習しよう。
次に友達が来た時、みゅんみゅんのお菓子でもてなせるように」
「ありがとう、ご主人様」
もう何ヶ月も一緒に料理をしていない。
それはメイドという仕事をこなせるようになったみゅんみゅんの成果なんだけど、でもやっぱり共同作業というのは心の底から沸るものがある。
なんなら今すぐにでもお料理教室を始めたいぐらい。
そんな熱が暴走しそうになるのを抑えて、わたし達は動き出す。
小皿に乗せられたお菓子やデザートの大群を乗せて客人の待つテーブルへと向かった。
リューカちゃん達の前へ着くと、初めに用意されていたであろうクッキーはほとんど平らげられていた。
二人とも、朝ごはんも食べずに動いてくれていたのかな。
普段はわたしとみゅんみゅんしか使わないこの場所も、今だけは友達が介在している。
少しだけ賑やかなテーブルの上に、メイドは食器を並べていった。
「召し上がれ」
メイドの一声を合図に、魔術師とブティック店員は瞳を煌めかせながら手を付け始める。
フィナンシェ、バナナチップス、チョコレート類。
多種多様なそれらは、どれも大通りで購入できる一級品ばかり。
わたしが家出をする前一緒に購入したものだけど、その辺りの記憶は少し曖昧だった。
「脳が潤うわ〜」
「お疲れ様ですリューカさん。
今日は相当頭使ったんじゃないですか?」
「そうね……脳が沸騰しそうになったのは初めてかも」
「ごめんね二人とも、迷惑事に巻き込んじゃって」
「いつまで謝ってんのよ。気持ちは分かるけどそろそろ面倒臭いわよ」
「そうですよエリゼさん。事が終わった後も許しを乞われたら悪戯したくなりますから」
……ほんの数時間前、わたしはここでくつろぐ三人と本気の殺し合いをしてたんだよな。
そう思うと、この光景が異様に思えて仕方ない。
どうしてわたしが受け入れられているのか。
わたしはその答えを知っている。
みんながわたしは大事に思ってくれているから。
照れ臭いし自意識過剰だけど、そう思っていいんだよね。
「エリゼ食べないの?」
リューカちゃんはフォークで突き刺した生チョコ片手に問う。
「んー……今はいいかな」
「そう、なら全部貰うわね」
「ちょっとリューカさん!?
そのチョコまだ食べてないんですから私の分残しといてくださいよ!」
本気の戦闘を繰り広げた後とは思えないほど平和で穏便な時間が過ぎていく。
祭りの片付けが終わった後のような余韻に似ている。
どこか朧げで現実味の無い現実。
友達を家に招いてこうやって過ごすの、想像以上に楽しいな。
そして、そんな濃密な時間は普段の何倍も早く消費されていく。
少しだけ前倒しのおやつを食べ終わる頃、部屋の時計は昼過ぎを示していた。
テーブルに置かれたお皿の上からは、何もかもが綺麗に消えている。
頃合いを見計らい、魔術師の少女は立ち上がり言った。
「そろそろ帰ろうかしら」
「そうですね〜、私もちょっと眠たいです」
「あ、じゃあ見送るね」
「玄関まででいいわよ、あんたらもさっさと休みなさい」
「ん、じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」
四人で屋敷の中を移動する。
メイドと魔術師とブティック店員、改めて訳の分からない組み合わせだと思う。
エントランスに到着し、そのまま二人が外へ出たところで胸を締め付けられるような感覚が起きた。
懐かしいな。
友達と別れる時って、すごく寂しくなるんだった。
会おうと思えば明日にでも会いに行けるのに、このかけがえのない平穏を手放したくないと思ってしまう。
大きな杖を抱え直している魔術師と、上着を羽織ろうとしているブティック店員に向かってわたしは精一杯を込めた。
「二人とも、ありがとう」
「はいはい、どういたしまして。今度はセレナも連れてくるわね」
「うん、セレナちゃんにも心配かけた分のお返しをしないとね」
今日は会うことができなかったけど、セレナちゃんもわたしのことを気にかけいてくれたらしい。
聖女であるセレナちゃんは見返りやお礼を求めない。
だけど、それは施されて当たり前と同義ではない。
セレナちゃんが本心から感謝を必要としていなくても、わたしはそれを忘れちゃいけないんだ。
ただ、あの子の喜んでくれることが全く見当付かない。
何かを望むことすらしない彼女に贈るとするなら、一体どういうものがいいんだろう。
「エリゼさん、メイドのお方。
ウィンターシーズンの商品が入荷してるのでぜひうちに足を運んでくださいね」
「ミュエルさんのコート欲しいと思ってたんだ〜。
給仕服の上に羽織れるやつ」
「なら可愛いものを用意しておきますね!
では失礼させていただきます」
何か言いたげなみゅんみゅんをよそに、わたしの恩人二人は帰っていく。
その背中はあっという間に小さくなっていった。
彼女達はこれからもずっと大切にしていかないといけない二人。
それは、セレナちゃん、シャウラちゃん、カトレアちゃんも同じで、もちろん隣にいるミュエルさんも。
客人の姿が完全に見えなくなり肌寒さを感じてくると、わたし達はようやく屋敷の中へ戻っていく。
暖かなリビングへ向かう廊下の中、みゅんみゅんはわたしに問いかけた。
「夕ご飯、どうしようか。
ご主人様の食欲が戻ってないのなら食べやすいスープにしようと思うんだが」
「ううん、実はすっごくお腹空いてるから結構食べたいかも」
「そうなのか? 菓子に手を付けなかったから調子が悪いんだと思ってた」
「多分、味覚が戻ってると思うんだ。
だから、最初はみゅんみゅんの作る料理が食べたいなって」
舌を下唇に乗せてみゅんみゅんへ見せつける。
主観では確認できないけど、小悪魔的で可愛い感じの仕草なはずだ。
「えぁ?」
その間抜けな声がまさか自分のお腹から出たものだとは思わなかった。
二人きりのこの世界で、そんな弱々しい声を出すとしたらわたし以外いないというのに。
舌の先に人差し指が置かれていた。
裏側にはわたしのよりもずっと長い中指が添えられて、その二本の指は湿った舌を優しく挟んで軽く引っ張る。
手入れが行き届いている綺麗な指がわたしの汚い舌を摘んでいる。
え……わたしのベロ、触れられてる?
非日常というかもはやフィクションの領域のイベントだからか、わたしの脳はそれが現実であるということをすぐには理解できなかった。
驚くことすらできないわたしは、彼女の顔を見上げることが精一杯。
そこには悪戯めいたメイドの顔があった。
「最初に味わうのは私の指になってしまったな、エリゼ」
肉体が爆発して木っ端微塵になってもおかしくなかった。
今のわたしを表現するなら、即死って言葉が一番相応しいと思う。
この人はわたしを殺そうとしているに違いない。
ずるい、こんな使い分けは卑怯だ。
名前で呼ばれただけなのにお腹の底が煮えたぎるよう熱くなる。
ご主人様って呼ばれ方もそれはもう毎度幸福度を高めてくれているけど、やっぱり名前で呼ばれると対等な恋人だと感じられる。
ただ、残念なことに指の味はよく分からなかった。
脳がオーバーヒートしてそれどころじゃないっていうのもあったし、そもそも指自体に味は無いと思うんだ。
まあ……行為自体は最高だったけど……。
わたしの舌に絡んだ指が離れるまでの数秒間、それは人生で最も濃密な瞬間だと思えた。
「みんなが帰ったからって……大胆になり過ぎだよ……」
目にかかる前髪の束を摘みながら辿々しく口にする。
ああ、暑い。
汗と期待が噴き出ている。
視線を交わすことすらできずに目をキョロキョロと動かしていると、身だしなみをチェックする為に置いておいた姿見が目に入った。
鏡面に映るわたしは恋する乙女そのもの。
そりゃ好きな人に舌を摘まれれば誰でもこうなる。
そもそもそんな展開が発生するのを見越して身構えている人間なんて存在するわけがない。
改めてデレデレな自分を見せられると、どれだけこの人に心酔しているかがよく分かる。
わたしはみゅんみゅんに攻められると、こうもキャラが崩れてしまうのか。
ずっとクールな感じを装って生きてきたつもりなんだけどな。
「私だって、これでも我慢してる方なんだぞ」
メイドは切羽詰まってそうな顔でそう囁いた。
そんなわたし特攻の言い回し、一体どこで覚えたのだろう。
もしかすると、わたしは死の間際に立っているのかもしれない。
恋愛小説でしかお目にかかれない最高のシチュエーションをわたし自身が体験している。
命燃え尽きる直前に脳が幻視する絶頂の夢だと言われても、受け入れてしまうほどにこの瞬きが眩い。
昔のわたしが妄想していたミュエル様像を、まさかこの現実世界で披露されるとは思ってなかった。
「はぅ、そ、その、我慢なんてしな」
我慢なんてしなくてもいい。
そう言い終わる前に、わたしのお腹が『ぐぅ』と鳴いてしまった。
さっきから絶好のタイミングで邪魔が入ってくるのは思い過ごしだろうか。
とは言え、実のところ今朝の戦闘でわたしはカロリーを消費しきっていた。
体力を補う魔力ももう残っていないこの体は食事を欲している。
そろそろ体力の限界も近くなってきた。
これは早急にメイドの食事が必要かも。
みゅんみゅんは小さく笑いながらわたしを見つめる。
「ご主人様、食べたいもの教えてよ」
なかなか落ち着かない心臓を無視して、わたしはあくまで冷静沈着を纏って願いを口にする。
「お夕飯はあれ食べたいな。わたしの大好きな料理。
お願いしてもいいかな、みゅ、ミュエル」
呼び捨てをするだけでも喉が干上がってしまいそうだった。
憧れの人を名前で呼ぶ、どの行為がどこか背徳的だと感じている。
わたしは、今でもあなたを神聖視してしまっているんだ。
隣に並ぶことを決めた以上、精神に刻まれたその印を削っていかないといけない。
でもきっと、憧れの対象であることはいつまでも残り続けるんだろうな。
だから、それ以上に恋人であることを体に覚えさせないと。
……そっか、ミュエルさんと恋人なんだ、わたし。
精神が爆発しそう。
ううん、爆発した。
「ふふっ、もちろん。
卵もトマトもまだ残ってたはずだから、私のとっておきをご馳走しよう」
メイドはエプロンの紐を固く結び直すと、わたしの手を取って歩き出した。
あたたかい。
足の先から頭のてっぺんまで、全身があたたかい。
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