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152 ただいま

エリゼ視点


 幼馴染二人と別れた後、わたしは帰路についていた。

 住宅街から屋敷へと続く林道を歩いている。


 地面に群れる落ち葉には数人の足跡が残っていた。


 屋敷へと向かうリューカちゃんと店員さんのもの。

 そして、大股どころか跳躍の痕跡を見せるのはきっとわたしを救いに来てくれたみゅんみゅんのもの。


 時折現れる進行方向と真逆へ向かうその大きな足跡に、わたしは足を重ねるようにして道を進んだ。


 抱えている大きな枕には、聖騎士仕様の鎧をはだけさせているみゅんみゅんが描かれている。

 購入当時は何も思わなかったけど、鎧がはだけるなんてシチュエーションは謎でしかない。


 だけど、これはこれで全然ありというか、とにかく過去のわたしには感謝しないといけない。

 ありがとうわたし。


 ただ、等身大と名を打つだけあって、モデルにしているみゅんみゅんと同じ大きさを誇っている。

 それはつまり、どう足掻いても目立つということ。


 これをどう隠し通すか、わたしの脳内はそんなしょうもないことで一杯だった。


 もうみゅんみゅんに嘘は吐きたくないけど、今のわたしにこれを打ち明ける勇気はない。

 でも、もしかしたら引かれることもなく嫌われることもなく受け入れられる可能性もあったり……流石に無いか。


 木漏れ日が影を撃ち抜く細道は終わり、目の前にはどこか神秘的な世界が広がっていた。


 自然に囲まれた大きな土地。

 そのど真ん中に建てられたお屋敷と庭園。


 二人で住むには広過ぎる家に、わたしはようやく帰って来た。


 自暴自棄のわたしも、絶望に堕ちたわたしももういない。

 今ここに立っているのは何もかもを脱ぎ捨てた丸裸のわたし。


 行く末には明るい世界が待っていて、隣にはメイドがいる。

 わたしの夢である元聖騎士メイドが。


 ……。


 ……最愛の恋人が描かれている抱き枕さえ持ち帰っていなければ完璧だったんだけど。


 改めて抱き枕に目を向ける。


 大きなクッションには、とてつもない量の色気が込められている。

 身近な者であればそれが一目見ただけで虚像だと判断できる色気が。

 

 作り物だと理解しているにも関わらず、わたしは腹の底で蠢く底知れない劣情に負けてしまった。

 自己嫌悪と癒しが同時に襲ってくる不可解な状態に陥り、情緒はぐちゃぐちゃだ。


 屋敷入り口の門を通り越して、玄関まで伸びた石畳を進む。

 足音と気配を極限まで抑えながら、誰にも気付かれないようこっそりと屋敷の中へ侵入した。


 侵入っていうか、帰宅なんだけど。


 幸いにも、広々としたエントランスには誰の気配も感じられない。

 きっと三人はリビングで疲れを取っているんだろう。


 お菓子でも食べながら談笑しているに違いない。

 であればわたしの奇行も難なく達成できるんだけど。


 目的地は二階にあるわたしの部屋。

 速攻で方を付ける。


 足音を立てるのは厳禁。

 道のりを往復する間も呼吸を止めておかないと。


 少しでも気配を露出すればみゅんみゅんは瞬時にそれを勘づくだろう。

 それだけはなんとしても防がないといけない。


 エリゼ・グランデ、これより状況を開始しちゃいます。


 決意し一歩踏み込んだところで、左手にあるお手洗いから水道を使う音が聞こえて来た。


 マズイと思った時にはもう手遅れで……いいや、この抱き枕を持って帰ろうなんて煩悩に負けた時点で終わっていたんだ。


 走れば気配を悟られるこの状況で、上手く逃げられる最適解をわたしは知らない。

 かくして、用を済ました誰かがすぐ側の個室から出てきたのだった。



「あれーっ! エリゼさん帰って来たんですね!!

 お手洗い借りちゃいましたっ!!!!」



 ニコニコと薄ら笑いを浮かべて登場したのは、大声ではしゃぐブティック店員だった。



「そんな声帯マッチョなキャラじゃなかったよね!?」


「ええそうですね。

 ですけど、そんな忍び足を披露されていると大声を出したくなるのが知的生命の性分というもの。

 で、その抱き枕は一体?

 あなたを慕う健気で狂気に満ちた女が描かれているように見えますが」


「うっ、これは見なかったことにして欲しいな……」


「了解です、趣味趣向は人それぞれですから。

 とは言え、ほんの数時間前まで突き放そうとしていた相手の抱き枕持ち帰ってくるとか、正気の沙汰とは思えませんね」


「だ、だって……こんな格好ミュエルさんにさせるわけにもいかないし、だからせめて作り物の中だけでもって……」



 言い訳をすればするほど、わたしの評価が滝のように落ちていっているのを痛感する。

 こんなことなら黙秘した方がマシだった。



「あの人、エリゼさんの頼みなら喜んで鎧を半脱ぎしてくれると思いますけど」


「ちょっと変なこと言わないでくれるかな……」



 ただでさえ限界の体を酷使してるというのに、ここに来て極上の餌をぶら下げられると本当に壊れてしまう。


 わたしだってみゅんみゅんのお願いなら何もかも叶えちゃう程永遠に続く限りのない恋をしている。

 みゅんみゅんもそれと同じ灼熱を生んでいると考えると、それはもう宇宙を超える何かだ。



「ほら、恋人が待ってるんですからそんな紛い物は置いてきてください」



 クスクスと笑いながらブティック店員はリビングへと向かって行った。


 彼女にはかなりマズイ姿を見られた気がするけど、今は何も考えないでおこう。

 考えれば悶え苦しんで朽ち果てそうだから。


 この刹那、危機的状況に見えたけどそれは風のように去っていった。


 胸を撫で下ろしながらこっそりと二階へ上がり、忍ぶように自室へと入る。

 久しぶりに踏み入った自分好みの世界はわたしの心を昂らせていく。


 好きに染まった部屋。

 この間までは住みやすいとしか思っていなかった空間だけど、呪いが消えた今なら分かる。


 わたしってばわたしのこと理解し過ぎだって。


 隅から隅までエリゼ色。

 少し離れてしまったからこそより深く感動が胸に刺さる。


 わたし、この部屋で一生過ごしたい。


 これから続く未来の中でその願いは果たされるんだろうな。

 そんな当たり前を思いながら部屋の奥へと進む。


 外の景色が一望できる窓。

 そのすぐ側にある大きなベッドの上へ『等身大ミュエル様抱き枕非公式』を寝かせてそっと毛布を掛けた。


 一人で寝るには大き過ぎた寝床に蜜が落ちた。

 ……そんな表現で留めておこう。


 枕元に置かれた白猫のぬいぐるみに目をやる。

 みゅんみゅんとはまた違って愛しくて堪らない存在の君。


 辛い時も嬉しかった時もずっとわたしを支えて来てくれたその頭を撫でながら、家出から帰って来たことを報告する。



「ただいま、えるにゃ」



 気のせいとは分かっていても、えるにゃはどこか嬉しそうに見えた。

 可愛らしい手足を数回弄ってから部屋を出る。


 廊下に出てわたしを迎え入れるのはガラス張りの大きな窓の列と幻想的な日差し。


 そこから覗く青空を見上げながら心の中で拳を上げておいた。

 これで任務は遂行ってところかな。


 入念に気配を殺して来た道を辿る。

 注意を払いながら一階の地へ降り立ち、人の気配がする部屋の前でわたしは止まった。


 殺していた気配を蘇生させて呼吸も再開させる。

 なるべく自然体であることを意識しながら扉を開けた。


 すると、香ばしい匂いの乗った緩い風が室内から溢れ出て来た。


 中に入ると、魔術師とブティック店員がテーブルの前で椅子に座っていた。

 机上にはお菓子の盛られたお皿が並べられている。


 そちらに目を向けていると、星形のバタークッキーを咥えたリューカちゃんと目が合った。

 軽く手を振ってみると、少女はどこか照れ臭そうに振り返してくれた。


 そのまま人差し指を立てると、キッチンの方を指差し『あんたのお目当てはあっち』とアイコンタクトを図る。

 その先には今わたしが一番会いたいと思っている人がいるのだろう。


 リューカちゃんの隣では、ニヤニヤと不敵で不気味な笑みを浮かべる悪魔のようなブティック店員がこちらを見つめていた。


 まるで人外を思わすオーラを纏うその表情は、いとも容易くわたしの背筋を凍らせる。

 わたしの弱点と対面したというのに、商売人の彼女が取引らしきものを何も要求してこないのがより気持ち悪さを引き立てている。


 顔が引き攣りそうになるのを抑えて、わたしはリビングに併設されたキッチンの方へと進んだ。


 一歩進むごとに正面から希望に満ちた風が舞い上がっている、気がする。

 ほんの一時間ほど離れていただけなのに、一言目は何を話さそうかなんて考え始めている。


 何を話すか、そんなのはもうとっくの前に決まっているのに。


 リビングの方を向きながら料理ができるように作られたキッチンの裏側へと回り込む。


 その調理スペースには、金色を纏う神々しい超絶究極の美女がいた。

 キッチンを向いた時点である程度見えていたんだけど。


 先ほどまで着用していた特別な装備は既に脱がれていて、会社から配布されたいつも通りの給仕服を身につけている。


 そんな彼女とわたしは見つめ合う。

 瞳の奥にある何かまで見透かされていそう。


 同じ寝具で添い寝をした仲だし、なんならっさき口付けまで交わしたわたし達。

 いまさらこんなありきたりで何か起きることはない。


 そう思っていたのにわたしの顔は嬉々を宿していた。



「ただいま、みゅんみゅん」


「おかえり、ご主人様」


「幼馴染と会ってたからちょっと遅くなっちゃった」


「だと思った」



 それはそれは、この世界で最も美しい笑みだった。

 視覚を通してやってくる衝撃は、脳みそをドロドロに溶かしていく。


 幸せで全てが満たされていく。

 呪いが掛かってから解けるまでの間ブランクが空いていたその感情は、わたしを構成する組織を例外なくあなた色に染めていった。


 満ちる、満ちる、どこまでも満ちていく。

 果ての存在しない幸福が流星群に乗って駆け回っている。


 ただ、わたしの中で一つだけ疑問が芽生え始めていた。



「わたしってそんなに分かりやすいかなぁ?」



 みゅんみゅんだけじゃない、シャウラちゃんやリューカちゃんにだってわたしの考えが読まれていた気がする。


 そうなってくると、今まで精巧に作り上げていたと自負していた嘘も実はバレバレだったのか。

 そんな不安がわたしの頬を平手打ちしてくる。



「さあどうだろ。

 ご主人様のことを心の底から理解したいと思っている私だから分かるんじゃないか?」


「ひゅっ……」



 呼吸が止まる。

 わたしの肺は照れの極みで止まってしまった。


 喧嘩の熱が冷めきった今、はっきりとした意識の中で熱を感じ取ることができている。

 その焔は恋が成就した後もずっと続いていくんだろう。


 これは覚めることのない現実の夢。

 冷めることのない永遠の愛。


 破られることのない約束と繋がり。


 それはあなたも同じなんでしょう。



「わたしだってみゅんみゅんのことなら何でも知ってるよ」


「それは残念だな。私もご主人様に何か教えたかったのに」


「何でもは言い過ぎたかも、知ってることだけ知ってるよ」



 吹き出すようにしてわたし達は笑った。


 本当は知らないことの方が多いんだろうな。

 聖騎士になる前の少女時代とか、ナルルカさん以外の交友関係とか。


 わたしが見てきたあなたはきっと一粒に過ぎない。


 全部を理解するなんてことは不可能で面白くもないこと。

 でも、せめて知ることのできる情報は全部知っていたい。


 全身の細胞一粒一粒まで入念に把握しておきたいし、一挙手一投足に至るまで視覚情報として押さえておきたい。


 重いと言われたとしても、わたしはそれを願い続けるし諦めることもないと思う。

 そもそも、好きな人の全てを知りたいのって普通な気がする。



「私のこと、もっと知って欲しい。

 だからご主人様ももっと私に教えて」



 好きで仕方のない顔が近づいてくる。


 これまで触れ合って来たメイドとしての顔じゃなくて、わたしの夢の中でだけ存在していた騎士の顔がそこにある。

 みゅんみゅんも抱えていた悩みを解消したってことなのかな。


 一番好きな顔はわたしの目の前で止まった。

 綺麗な瞳にわたしの顔が反射している。

 どこか困ったような顔をしてるのに、その内側には期待の文字しか存在していないわたしがいる。


 あっ、これちゅーする流れだ。

 人生で一度しか経験したことないけど、そういう雰囲気だってことは理解できる。


 好きな人との口付けってこんなに頻繁にしてもいいのかな。

 そんな知性ぶった悩みを無視して、わたしは瞼を閉じていく。



「へくちゅっ!!」



 視界が闇に包まれる直前、馬鹿でかいくしゃみが屋敷を揺らした。


 顔を接近させていたわたし達は二人して騒音の主へ向く。


 そのくしゃみは、リビングの方で軽い間食を摂っていた二人の内、浮世離れした容姿を持つ黒髪の女が起こしたものだった。

 隣にいる魔術師の顔面には、咀嚼している最中であろうクッキーの破片が飛び散っている。



「……最悪」


「リューカさん、貸してあげた魔力三割減量するので許してくれませんか」


「わお、コスパ良過ぎ。

 後四回くしゃみ受けたら余分の二割は魔力くれるってことよね?

 さっさと口の中ぶちまけてくれるかしら」


「なんですか……この化け物は……」



 かなりぶっ飛んだ話が聞こえてくる。

 それと同時に、一瞬にしてどこか遠くへ飛んでいった理性も帰って来た。



「さっ、流石にちゅーはやめとこうか」


「……あの、ご主人様?

 私はただ顔を見たかっただけなんだけど」



 煩悩に支配されたこの体を塵も残さず消し去りたい。



ブクマや評価を入れてくれたり、いいねをくれる方々には感謝しかないです。

誤字脱字の報告も凄く助かっています。

ありがとうございます!

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