149 逃げて来た道を折り返してみようかな
リューカ視点
ミュエルが戦場にやってきた後、あたし達は隕石跡地の外周まで必死に逃げて来ていた。
あの二人、周りのことなんてお構いなしで神話級の大喧嘩始めちゃうから危うく巻き込まれて大怪我を負うところだったわ。
跡地の付近も窪みの内側同様に、大地の表層がめくれてデコボコとした岩が露出している。
あたし達はその内の一つを椅子代わりにして腰を掛けていた。
見上げる視線の先にある空間には、窪みのおよそ中心地で座り込んでいる二人の少女が映像として映し出されている。
空間上に映像を投影するそれは、あたしが展開した遠距離観測魔術。
効果範囲内ならば、どこでも観測することができる優れもの。
欠点は映像のみが出力されるということぐらいか。
残念ながら音声を聞くことはできない。
ちなみに、この国では極秘魔術に指定されている禁術だったりする。
この術を教えてくれた魔女曰く、プライベート空間の覗き見ぐらいしか使い道がないらしい。
流石にもっと有効活用できるとは思うけど……。
ちなみにその魔女は、付き合っている彼女を監視するためにこの魔術を使っていた。
大変いかがわしい変態行為を存分に味わえる最低な魔術だけど、燃費が悪すぎて魔力がゴリゴリ削られる。
魔族店員の力を貸してもらえているから展開できているけど、常人なら十秒も保たないだろう。
空間に映し出された二人の女は、地面に積もった雪をベッドのようにしてへたり込んでいる。
「やっと終わったのね」
エリゼが背負わされていた業は砕け散った。
根本にある御伽大剣の呪いが消えたのかは分からないけど、今回の事件は一件落着と言ってもいでしょう。
足にしがみ付いて離れてくれなかった長い長い一週間はようやくあたしを解き放ってくれた。
「違いますよリューカさん。始まったんです」
おすまし顔を曝け出した魔族は黒髪をゆらしながらあたしを見つめる。
「何が?」
「それはあれですよ。運命とか、未来とか、とにかくラブな感じです」
「もう適当に返事しないでね」
エリゼは最愛の憧れである女に救われた。
国が崩壊しかねないレベルの大喧嘩が始まった時は流石に肝を冷やしたけど、まさか深めのキスをして一件落着に落とし込んでしまうとはね。
かと思えば、エリゼはどこからともなく現れた刀でおもむろに腹を掻っ捌いて失神状態。
見てるこっちの心臓まで止まるところだったけど、不可解にも黒いドレスの少女は無傷のまますぐに再起した。
大きな出来事が凝縮されていて理解が追いついていないけど、一つ明らかなのは、二人が結ばれたということ。
エリゼが抱えていた問題の解決方法としては最善の答えね。
季節外れな桜色の雰囲気を漂わせ始めたところで、あたしは盗撮系犯罪スレスレ抵触魔術を解いた。
「わお、凄いもの見ちゃいましたね。まるで情事の如く絡み合ってましたよ」
「まさかここまで獣とはね……。
ったく、人間様の知性と理性を何処に捨てて来たのやら」
「リューカさん、みかけによらずえっちな話イケるんですね」
「……あの二人の間に挟まって浄化されてきなさいよ、この無粋極め妖怪」
ふざけたことを抜かしている服飾店員の魔族を葬る魔術、そんな物騒な術式を探りながらあたしは移動を開始した。
向かうは数十分前まで惑星の中でも最上位の危険地帯だった場所。
つまりはあの怪物二人がいちゃついている地点。
せっかく出来た二人きりの時間を壊すのは気が引けるけど、続きは屋敷でお願いしたい。
斜面を降り窪みの内側に到着すると、底に溜まっていた冷気が足をよじ登って全身を覆っていく感覚に見舞われた。
肌寒さが肉体をぶるっと震わせる。
白い吐息が空へ登っていく、青く澄み渡った秋の空へ。
「ほんと、綺麗な青空ね」
「青いだけで綺麗だなんて、空を甘やかし過ぎですよ」
「空は偉大でしょ。
星空を魔術に組み込めるのは有名過ぎて知らない人の方が少ないわよ。
それに天候の移り変わりは魔術への影響がモロに出るし、後は太陽と月の位置関係によって使える術式の種類も変わってくるわね。
こんなの魔術基礎の序の口なんだけど、どう、空がどれだけ魔術に影響を与えているか理解してくれた?」
「な、なげぇー……適当に返事しなきゃよかった……」
一度逃げ帰って来た道を戻り続ける。
恐れているものから逃げたとしてもまた戻ってもいいんだ、そんな哲学的なことを考えながら歩く。
ある程度進んだところで、大地に雪が薄く積もっているのが視認できた。
エリゼが降らしたその雪は、およそ二キロメートルの円状に広がっている。
たった数ヶ月前まではただの怠け者だと思っていたってのに、まさか人の範疇を超える規格外を引き起こしてしまうなんてね。
つくづくあたしは人を見ていなかったんだと思い知らされる。
ズキズキと痛む胸を無視して進むと、雪の上に座っている二人の人影が見えた。
この距離からでも分かる程にイチャついているのはどうかと思う。
エリゼの目が覚めてから既に数十分経過しているのに、二人はまだ立ち上がりもせずに戯れあっている。
そんなメルヘンな空間に場違いなあたしはズケズケ踏み込んでいく。
「人騒がせな馬鹿二人、ここで凍死心中する気かしら?」
強靭な体を持つこの二人が寒さ如きで死ぬだなんて微塵も思っちゃいないけど、流石に長時間こうしていられると心配になってくる。
それに、そろそろ騎士団の連中が勘づいてやって来てもおかしくない頃合いだ。
厄介なことになる前にここを離れたい。
あたしが声を掛けた途端に冷静さを取り戻して慌て出す定番のお約束には至らず、二人は体を寄せ合いながらこちらを覗いてきた。
あまりのラブに眼球が焼き切れそうだわ。
「あれ……私、寒くないかも」
今初めてそれに気付いたミュエルは、首やほっぺたに手を当てて体温を確認していく。
そして、あたしの隣にいるブティック店員は瞳に煌めきと慢心を宿して力説を始めるのだった。
「それは、私が仕立て上げた特性メイド服のもとい……無償愛揚羽式決戦給仕魔装以下割愛のおかげですね!!
氷漬けにされた時は流石に焦りましたけど、なんとか無事みたいでよかったです。
本音を言うならもう少し使いこなして欲しかったですね。
例えばそのエプロンの腰部分にぶら下がってる懐中電灯。
それ、魔力を光に変換する魔道具なんですけど、出力次第では高熱のブレードにもなるんですよ。
後は、背中から六枚の羽を出現させることも可能です!!」
「うわ、なっげぇわね」
いくら本職の血が騒ぐとは言え、素人相手にこうも熱く語られると一歩足を戻しちゃいそうになる。
万が一も無いけど、あたしも気を付けないとな。
「……わたし結構寒いかも」
ミュエルに体重を預けているエリゼは体を震わせる。
コートまで着込んでいる私達や万能な給仕服を纏っているミュエルと違って、エリゼは下着の上に外見重視機能性皆無のドレスを身につけているだけだった。
「そりゃそんな薄いドレスじゃ寒さも防げないでしょうよ」
「たしかに……ていうか、このドレス誰のだろ」
そんな疑問を意にも介さず、隣から歯を軋ませる音が聞こえて来た。
ぐるるると喉を鳴らすその女は嫉妬に塗れた服飾魔族。
エリゼではなく少女が纏っているドレスを睨みつけている。
「エリゼさんはウチの服以外全く似合わないです。
その布切れ、今すぐ脱ぎ捨ててください」
「えっ!?」
「パンツとブラだけ着けてれば街中疾走できる人なんですから平気ですよね。
さあ、早くそんな粗末なものは脱いでください。
ドレスが欲しいのなら私がいくらでも仕立て上げるので、ほら早く」
「ちょっ、ちょっと! 来ないで、引っ張ろうとしないで!!
って何でそれ知ってるのぉ!?」
迫り来るおいはぎ魔族から逃れる為に、エリゼはメイドのお腹を離れて周囲を駆け回る。
そんな露出女誕生を賭けた争いを脇見しながらあたしは優しく微笑むメイドへと寄っていった。
「それにしてもよく迷わずに来れたわね。
あんた、方向音痴だって聞いてたから心配してたのよ?」
完全無欠で森羅万象をそつなくこなすイメージで塗り固められていた女はもうどこにもいない。
目の前で地面に座っているメイドは想像とかけ離れたドジっ子だ。
そんなミュエルを焚きつけたはいいけど、心のどこかで目的地へ辿り着くことはできないんじゃないかってずっと不安を感じていた。
「ここ、私の土地だから」
欠片も想像していなかった返事だったけど、元聖騎士ならそれぐらいの資産を持っていてもおかしくないか。
「あー……そうなんだ。なんか、御愁傷様って感じね。
自分の土地に隕石落ちるなんて考えたくもないわ」
隕石跡地。
実際に隕石が落ちたかは不明だけど、ここまで雑に耕されてしまうと後処理の段取りも付かないんでしょうね。
これ、あたしからしたら実家に隕石が衝突したみたいなことでしょ。
そんな不幸な確率事故当てたくもないわね。
「いや、私が抉ったんだ」
「へぇそうなんだ……え、は……?」
「聖騎士時代に、興味本位で力を引き出したらこうなった。
だから私がここら一帯を買い取ったんだ」
まるで幼少期に見てしまったお色気エピソードを語るが如く頬を染めたと思うと、ミュエル・ドットハグラが生物として格上であることを証明するじゃじゃ馬武勇伝を聞かされてしまった。
都市伝説やら伝承話って元を辿ると案外くだらなかったりするんだけど、まさかそんなドジで出来た窪みだなんて誰が想像できるんだ。
責任を取るために無駄な土地を買うことになる、そう言うところはミュエルらしいかもしれない。
フィクションよりホラーなノンフィクション。
エリゼ、メイドの手綱はちゃんと握っておきなさいよ。
いや、エリゼもエリゼで少し不安ね。
最悪二人で暴れかねない。
そうなったら、今度こそ誰も止められなくなるわね。
「ねぇミュエル、あんたなんで攻撃を避けようとしなかったのよ。
避けるどころか、守りも固めないで自分から受けにいってたでしょ」
大剣の斬撃や槍の刺突は銀天の剣でいなしてはいたけど、乱雑で強力な格闘は全て体で受け止めていた。
力の語源のような女であるミュエルは、絶望に呑まれてヤケになったエリゼの打撃を悉く受けていた。
それも、腹や頭や首といった急所を差し出して。
変に回避を入れるよりも、あらかじめ被弾する箇所に力を込めて打撃を受ければダメージを軽減できるみたいな玄人の考えなのかもしれない。
「……ご主人様がくれるものは避けたくないから」
「え……痛くなかったの……?」
「痛かったけど、痛ければ痛い程ご主人様を感じられると思ったから」
あたしの考察は惚気気味の浅い思考で踏み潰されてしまった。
呆れた。
まさかここまで予想できない会話があるなんて。
コミュニケーション経験が浅いあたしには……ちょっと面白過ぎる。
「ああ、そう……」
ただ、会話を学ぶっていう点だけを見ればミュエルは最悪の相手ね。
だって、こういう時なんて返せばいいか分からないから。
「あれ……? 二人とも、わたし達のこと見てたの?」
馬鹿にドレスを引っ張られているエリゼは肩をはだけさせてそう言った。
そんなの分かりきっていて聞くまでもないでしょ。
「ええ、そりゃ観戦するでしょ。
あんたらの殴り合いなんて人生に二度あるかどうかのビッグイベントなんだから」
「……ど、どこまで見てたの?」
「なんかいい雰囲気になる前ぐらいかな」
「えっと、チューするところは見てないよね?」
「安心しなさい。見てないわよ」
濃厚なキスシーンからあんたが腹に刀突き立てたところまで、ばっちり見させてもらいましたけど。
ていうか……キスのことをチューって言うタイプなんだ。
エリゼは微量な安堵の吐息を出すと、黒色のドレスに付着した雪を払いながらあたしの方へやって来た。
空気を察した魔族はいつの間にか彼女のドレスから離れ始める。
苦手だな、こういう雰囲気は。
「リューカちゃん、店員さん。
ごめんなさい、わたしせっかく助けに来てくれた二人に最低なことしちゃった……。
それと……ありがとう、わたしを止めにきてくれて」
「べ、別に止めに来たわけじゃないし、なんか散歩しててらたまたま目に入ったから来てやっただけだし。
ま、まぁ感謝は受け取ってやるわ」
「私もくしゃみの反動で吹っ飛んで気が付いたらここに居ただけですけど。
とりあえず感謝はもらっておきますね」
「ふふっ、そんな理由なら感謝もらわないで欲しいなぁ。
……二人とも本当にありがと」
顔が熱くなるのを感じる。
これはまずいな。
あたしの信念がここで照れるのはダサいと叫んでいる。
足元に広がる雪を拾い上げて顔面に押し付けた。
物理的にも精神的にもこれで冷静さを取り戻せるはずだ。
過ちを忘れてはいけない、そう戒める為に凍土を押し付けた。
「えええええええ!? 何してるのリューカちゃん!?」
「何って、雪を食べてるんだけど?
あんたが降らした雪なんて食べてみたくなるでしょ?」
「えー……ちょっと恥ずかしいよ」
雰囲気ぶち壊しの照れ隠しだけど、これでいいんだ。
あたしはあんたに褒められていい人間じゃないんだから。
ちなみに、エリゼの後ろでミュエルもこっそり雪を口にしていた。
「そろそろ帰るわよ。お腹も空いて来たし」
「あ、うん。そうだね」
そう言いながらエリゼは足を進めると、顔面から雪の中へ転んでいった。
ミュエルは立ちあがろうとして中腰のまま固まり足をガクガクと震わせている。
「何してんの、あんた達」
「筋肉痛で動けない」
「えっと、わたしも……」
思わず魔族店員と顔を見合わせてしまった。
ここで先手を打たなければハズレを引くことになる。
ハズレという名の重量を。
多分、あたしは光を超える速度で脳みそを回転させていたと思う。
気付いた時には高速で導き出された言葉を口にしていた。
「あんたがミュエルね、あたしはエリゼ背負ってくから」
包み隠さず述べるなら、ミュエル・ドットハグラは色んな部分が重い。
☆
魔術師はドレスの少女を背負い雪の上を歩いていく。
聞こえるのはシャクシャクと踏み均される純白の音と、四人の呼吸音。
先程までの騒がしさはどこかへ消え失せ、静けさだけが残響していた。
雪と地面の境目が見えてくると、黒色のドレスの少女は軽い言葉を魔術師へ投げかけた。
「ねぇ、リューカちゃん。今何時ぐらいだろ?」
「朝一でおっ始めてくれたおかげでまだ昼前よ」
「なんか得した気分だね」
「そうね、帰ったら何しようかな」
「暇なら泊まっていきなよ、お礼もしたいし」
「馬鹿ね、今日ぐらいはミュエルと二人で過ごしなさいよ。
一週間ぐらいゆっくり休んだら泊まってあげてもいいわ」
「ふふっ、そうだね。ありがと、リューカちゃん」
「っ……もう……何度も言わなくていいのよ。
あたしだって、そんな感謝される人間じゃないんだから」
「ううん、リューカちゃんはわたしに元気をくれた人だよ。
全然感謝し足りないよ」
「あんたが……あんたが勝手に勇気付けられてただけでしょ……」
「うん、夢を諦めないリューカちゃんを見て勝手に元気になってただけだよ。
だから勝手に感謝するね。ありがと」
「……もう……やめてよ……あたし……あたし、あんたに最低なことばっかやって来たのよ。
なんで……なんでそんなクズにありがとうなんて言えるのよ。
さっき、あんただって言ってたじゃない……。
どうして酷いことばっかするのって。
分かってるんでしょ……あたしが最低な人間だってこと……」
「うっ、確かに言っちゃてたね……。
ごめんなさい、八つ当たりで最悪なこと言っちゃって」
「……事実よ」
「でも、知ってるよ。
わたし、リューカちゃんがもうそんな人じゃないって知ってるから。
賢くて可愛くて優しい、それで誰よりも強いのが今のリューカちゃんだよ」
「……」
「あ、あれ、ご、ごめん、何か変なこと言っちゃたかも……」
「……」
「リューカちゃん?」
「……」
「……」
「……ねぇ」
「うん」
「……」
「……」
「……エリゼ」
「うん」
「……ご……ん」
「……うん」
「……エリゼ……ごめんね……ごめんなさい……
何回も酷いこと言って、酷いことして……それでもあたしはエリゼと一緒に居たい。
だから……ごめんなさい……」
それは、意地っ張りな少女の口から溢れるように紡がれた勇気の言葉。
流れる時間の狭間でずっと言えずにいた後悔の証。
消えないように、消さないように、忘れることをやめた感情。
過ちに向き合ったことでようやく完成した贖罪だった。
ここで涙を流すのは卑怯だと感じているのに魔術師の顔は濡れていた。
止めなきゃ、そう思えば思う程に雫は溢れてくる。
ようやく言葉にできたことで、溜まりに溜まっていた自己否定が絶え間なく流れていた。
少女を背負うことで両手が塞がり拭うことができない涙を、光沢を宿す黒い布が掻っ攫っていく。
そのまま魔術師の顔を撫でる手があった。
優しく温かく、それは春風のように頬を伝っていく。
「いいよ」
彼女におぶられている少女の顔は、堪えきれなくなった涙を流しながらも浅く微笑んでいた。
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