126 我はヴァニラアビス、集いし呪いを支配する闇の管理者なり
リューカ視点
深淵の遺跡、その入り口に差し掛かった辺りで一度足を止めた。
遺跡の奥へ続く長い一本道の通路を弱い風が吹き抜けている。
ここから先は、日常から切り離された神秘の世界。
生半可な気持ちで足を踏み入れるわけにはいかない。
いかないんだけど……。
「作戦を発表するわ。
あんたがあたしを抱きかかえて超速で遺跡を下っていく、以上よ」
「分かりやすくて良いな」
「ま、心配はいらないわ。
何年も前にエリゼとその仲間が制覇してるんだから。
エリゼより強いあんたなら楽勝過ぎて居眠りしてもクリアできるわ。
だって、戦わなくていいんですもの」
今回の目的はあくまで遺跡の最下層到達。
階層ごとに姿を現す守護者共を、一々倒していく必要は無い。
走り抜けることだけに集中すればいい。
「そうね、作戦名を名付けるとするなら……『オペレーションフォトンフォーミュラ』ね」
あたしは前髪をかき上げながらそう言った。
タイミング良く吹いた風があたしのコートを揺蕩わせる。
「じゃあ行くぞ」
「え?」
あたしの体を綿菓子のように抱えると、ミュエルはゆるやかに加速し始めた。
足音を打つ速度が絶え間なく高まり続ける。
「ちょ、まっ、心の準備がああああああああああ」
あたしを抱えて走ること数秒で、ミュエルは人類の限界速度を悠に超える。
ぎゅっと目を瞑って、再び開けた時にはもう一階層の守護者である自立人形が待ち構える大きな空間の手前だった。
何が精神的に駄目なのよ。
それとも、怪物基準じゃ今のあんたを弱いと評するのかしら。
来訪者と守護者が戦闘を行う大きな空間に足を踏み入れる。
瞬く間に自立人形の隣を通過した。
あれだけ俊敏に動いて『テンペスト』を追い詰めていた凶暴な姿は、もうそこにはない。
横切るあたし達を察知こともなく隅の方で座り込んでいた。
同時に、以前破壊した床の穴が無くなっていることに気付く。
この遺跡は時間の経過と共に傷が修復されるんだったわね。
だから、あの時エリゼが破壊した自立人形も復活を成し遂げている。
どういう原理かは不明、とても不気味だ。
でも、そうか。穴か。
試してみる価値はありそうね。
あたしが狡猾な策を思いついた頃には既に一階層の最奥が見え始めた地点だった。
「と、止まって! 止まりなさいよこのメイド!!」
肩をわりと強めに叩いた途端、その手の甲があたしの顔面めがけて勢いよく跳ね返ってきた。
「ごああっ!?」
そういえばこのメイド、聖騎士の加護持ちだった。
今のは多分、自分より弱い者の攻撃を反射するとかそういうのね。
などと分析しているが、あたしの鼻はもしかするとひん曲がっているかもしれない。
痛い。
程なくして、あたしのドジに気付いたメイドは足を止めてくれた。
「すまないリューカ、泣かしてしまって」
「泣いてないわよ!
ねぇ、ミュエル。あんた、ここの地面壊せたりする?」
不思議そうな顔をしながら、ミュエルはブーツの先でコンコンと地面を何度か叩く。
そうやって足元に広がる硬質の硬さを確かめた彼女は、抱えているあたしをみて頷いた。
「いけると思う」
否定を見越した質問だったんだけど、なんとこのメイドはいけてしまうらしい。
あたしの経験と記憶から言わせてもらうと、床の下は分厚い層が詰まっている。
それを容易くただ一言、『いけると思う』で済ませてしまう程度にミュエルは怪物だった。
「この遺跡、律儀に通路の下に通路が作られてるみたいなの。
だからさ、もうショートカットしちゃいましょ」
「なるほど。それなら危険を避けられるな」
表情は崩さなかったが、どこか満足げに見えた。
案外、こういう脳筋戦術がお好みなのかもしれない。
ミュエルはブーツとタイツを脱ぎ始める。
「これ、持っててくれ」
そう言って脱ぎたて産地直送の衣類をあたしに手渡す。
……生暖かい。
こういうの、エリゼだったら喜ぶんでしょうけど、あたしはどう反応すれば良いのよ。
「え、なんで?」
「傷付いちゃうとメイド長に怒られるから」
「あー、そっか。あんた、趣味じゃなくて雇われメイドだったわね」
ミュエルはあたしを抱えたままその場で軽くステップを踏み始める。
軽く飛び上がり膝を腹の上まで上げたところで、思い切り両足を床に突き刺した。
一本道の通路に轟音が鳴り響く。
噴水のように石片が吹き上がると、硬質な床は円柱状に崩壊していった。
足元には大きな穴が出現し、その深さは目視でギリギリ二階層の地面が見える程度。
そして、落ちていく。
あたしはまた落ちていく。
「ひっ……」
絶叫は口から出ずに体内を這い回る。
思わずミュエルの上体に抱きついてしまった。
当の彼女は微妙な顔をしている。
どうしてこう、あたしの周りには高所からの落下に耐性持ってる危うい女しかいないのよ。
提案したあたしが言うのもなんだけど、やっぱり怖すぎる。
自然と全身に力が入り、歯を思い切り食いしばっていた。
そして、目を瞑る暇もなく二階層へ降り立つと、ミュエルは再び床を蹴り飛ばして崩壊させる。
もはや流れ作業だった。
床を崩して落下。
着地して床を崩す。
それをもう一度だけ繰り返して四階層に着地したところで、あたし達の周囲に音が発生した。
砂嵐のど真ん中に迷い込んでしまったのかと錯覚するぐらいのノイズが鳴り響く。
咳払いのような何かが聞こえた直後。
『コラコラコラコラコラコラコラコラーーーーッ!
何してくれてんのキミ達!
不法侵入及び器物破損の罪で極刑あるいは極刑だぞ!』
甲高い幼女のような声で怒号がどこからともなく飛んできた。
まるで空間自体が言葉を発しているみたい。
突然のことで呆気に取られてしまったが、あたしは固まったミュエルにお願いする。
「ミュエル、続けて」
「分かった」
元聖騎士は再びステップを踏み始めた。
『待て待て待て待て待て待て待て待てーーーー!!
止まれ止まれ止まれーー!
我の城を壊すな!
我を壊すなああああああ!』
姿の無い誰かは頭蓋に響く大音量で叫ぶ。
このまま聴覚を刺激され続けられると頭痛に発展しそうだ。
「誰か分からないけどさぁ、あたしら今急いでんのよ。
耳障りな念話術式解除してさっさと寝てくれないかしら?」
『ううー!! 何の用なんだ!
ここにはお宝とか囚われの天使とかはいないぞ!』
「でも、呪いに関する何かがあるんでしょ」
『……な、ないけどぉ?』
あるわね。
明らかに言葉を濁しているし、嘘が下手すぎて逆に疑ってしまう。
「そう、だったらこのまま進んで確認させてもらうわ」
『ぐぅ、高所恐怖症な癖になんで得体の知れない我には強気なんだ……。
はぁ……分かった。
キミたちがいる場所から最下層に続く階段を用意するから、床は壊さないでね。
修理が大変なんだから』
「そんな自由自在な感じなんだ……この遺跡」
レンガ同士を摩擦させるような音が地面の奥深くから駆け上がってくる。
ミュエルに抱き抱えられたあたしですら揺れを感じてしまうほどに、何かが蠢いている。
そして、声の言葉通りにあたしらの目の前へ螺旋状に伸びた階段が出現した。
下の方を覗いてみると、いくつもの階層を跨いで造られたものだと理解できた。
大きな槍でくり抜いたみたい。
「凄いな」
ミュエルは感嘆を漏らしていたけど、凄いなんてもんじゃないわよ。
魔術でもなければ結界の類でもない。
どうやってこの遺跡を操っているんだ。
『足元に気を付けるんだぞ』
声は大きいけど、親切に注意をしてくれるところに優しさと愛嬌を感じる。
この可愛らしい声の主はこの下にいるのだろうか。
ミュエルはあたしを抱えながら素足で階段を降りていく。
「って、いやいやいや。ミュエル、もう降ろしなさいよ。
あとタイツとブーツも履きなさい」
「ああ、そうだな」
気を取り直して、脚の露出を完璧に消したメイドの後ろに続いて螺旋階段を降りる。
似通った通路を横見しながら何層も下降していく。
ブーツの底面で階段を踏み鳴らす音だけが静かな上下トンネルに響いていた。
「結構降ってきたな」
「ざっと見た感じだと、ここは地下十二階辺りね」
「……何層まであるんだ?」
「ちゃんと下を見なさい。次で最後よ」
十三層目。
そこがこの遺跡の最深部だった。
ミュエルはあたしを守るようにして少し前を歩く。
騎士っぽい部分がまだ抜けていないのかしら、ちょっと頼もしいわね。
階段を降りきったその先には。一際大きな空間が広がっていた。
これまで進んできた薄暗い通路と打って変わって、眩しい程の純白で造られたその大部屋。
中央付近に豪華な玉座が見える。
その大きな椅子に小さな女の子が座っていた。
肘置きに委ねた右肩。
だらしなく開いた両足は宙ぶらりん。
そんな幼女が太ももの間に手を突いてあたし達を見据えていた。
「キミたち!! 地下何階っていうのやめてくれないかな!?
ダサすぎて鼓膜が萎んじゃうから!!
ここは『ヴァニラアビス』深界十三層だ!!」
「う、うるさっ!!」
「キミも十分うるさいよ!!」
座っているとは思えない程に声が大きすぎる。
肺活量の調整もできないのか、こいつ。
ということは、この声量爆音幼女が念話術式を仕掛けてきた声の主だろう。
一目見て理解できることと言えば、人間じゃないことぐらいか。
そもそも、こんな場所で人が生活しているはずがないんですけど。
「ていうか、またキミたちかよ。
メイドのキミはとんでもない腕輪を自立人形ちゃんにプレゼントした腰抜け腑抜け女。
で、魔術師のキミは一階層と二階層に縦断トンネルを作った馬鹿。
……普通に出禁だぞ!!」
どうやらこの子は、あたし達二人の恥ずかしい過去を見てきた生き証人らしい。
人の姿をした何か。
その何者かによる言動の雰囲気からは善人臭しかしない。
嘘もまともにつけないお人好し。
でも、それがブラフの可能性も十分にある。
なにせ、エリゼ達『シャイニーハニー』は今あたしが立っているこの場所で呪いに掛かっているんだ。
油断はできない。
冷静を装って得体の知れない何者かに近づく。
「あんたは、なんなの?」
よくぞ聞いてくれましたと言わんばかりのドヤ顔で玉座から降りると、幼女は次々と珍妙なポーズを決めていく。
そして、片手で顔を覆ったところで動きを止めた。
「我はヴァニラアビス。集いし呪いを支配する闇の管理者なり」
幼女は前髪をかき上げながらそう言った。
ああ、そっか。
側から見るとこんな感じなんだ。
若干顔が熱くなった。
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更新頻度が若干落ち気味で申し訳ないです。




