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121 私達はまだ、言葉を交わしていなかった

ミュエル視点


 ご主人様が私の前から姿を消して一晩が経過した。


 私はエントランスの玄関扉の前で、ただただ帰りを待っている。


 追うこともせず、待っているだけ。

 それは何もしていないことと同じで、役立たずで期待に応えられない無能なんだ。


 追いかけなきゃいけないのに、私の体は重く自由が利かない。

 足が思うように動いてくれない。


 仮に追いついたとしても、その時に何て声を掛ければいいのか分からないから。


 秋の終わりかけだからか、動物の鳴き声も聞こえない。


 ご主人様のいない屋敷はとても広く感じる。


 まるで、私の心の内側をそのまま表しているよう。


 ……。


 遠くで音が聞こえた。


 カツカツと鳴るそれは、門から玄関口までを繋ぐ敷石を踏み歩める足音。


 ブーツを鳴らす音がゆっくりとこちらへ近づいてくる。


 息をするのも忘れて、私はその音に集中していた。


 足音は扉の前で止まる。


 そして、コンコンと扉が軽く叩かれた。


 若干の期待を込めて扉を開けると、そこには二つ結びの少女がいた。


 ご主人様ではなく、魔術師リューカ・ノインシェリアが立っている。



「リューカ……」


「おはよう、ミュエル。

 朝っぱらから悪いんだけど、エリゼ呼んでくれるかしら?」


「ご主人様は昨日出掛けてから帰っていない」


「そう」


「……もう帰って来ないかもしれない」



 私が余計な言葉を吐いたせいで、もう戻ってきてくれないかもしれない。


 そう思うと、胸の辺りの痛みが増した。

 いくら鍛えても抗えない心の痛み。



「弱気になってるとこ申し訳ないんだけど、中に入れてもらえるかしら?

 寒くて太ももが凍りそう」


「あ、ああ、分かった」



 白い息をしきりに吐き出す少女を屋敷へ招き入れる。


 主人の断り無しに客人を上げてしまったが、多分あの人は許してくれるはず。


 キョロキョロと屋敷の中を見回しながら魔術師は言う。



「ぬっくいわねー。

 前来た時も思ったけど、屋敷自体に室温調節の術式が組み込まれてるのか。

 ねぇメイドさん、ちょっと解体してみてもいいかしら?」


「駄目だ。客間へ案内するから付いてきてくれ」


「ん、必要ないわ。そこを椅子代わりにしましょう。

 掃除も隅々まで行き届いているみたいだし」



 そう言ってリューカが指定したのは、二階へ続く階段だった。


 私は別に構わないが、ご主人様やメイド長に知られたら叱られてしまいそう。


 そもそも、この魔術師はどういう用でやって来たんだ。



「で、何があったか聞かせなさいよ」



 先に言われてしまった。


 私はリューカと共に階段に腰を下ろす。


 無言の時間が少しだけ続く。

 舌が思うように動かない躊躇いの時間。


 そして、覚悟を決めた私は腹の底に沈めていた懺悔を吐き出した。



「ご主人様に嘘を付かれていたんだ……ずっと前から。

 でもそれは、私に心配を抱かせないように付いた優しい嘘だって、なんとなく分かってた。

 なのに、私はそれ以上の物を求めてしまったんだ。

 頼って欲しいって……頼られる程の力も持っていないくせに……。

 そのせいで、ご主人様は出て行ってしまった。

 これ以上私を悲しませたくないからって」



 ご主人様が私に見せないように努力して隠してきたそれを暴いた。

 加えて、その甘美な嘘まで否定してしまった。


 傷を付けてしまったんだ……。


 リューカは背中の階段に肘を置きながら、私の独白を頷きながら聞いている。

 茶化すこともなく、甘やかすこともなく、真剣な眼差しを向けて。



「そんなつもりじゃなかったんだ。

 騙していたことを謝って欲しかったわけじゃない。

 ただ、一言言ってくれれば、そう思ってしまったから。

 私が言及しなければ……ご主人様を傷つけなくてすんだのに」



 私が吐いた言い訳塗れのその言の葉を、魔術師は噛み砕いて飲み込んでいく。


 二人だけの屋敷に、再び静寂が迷い込んだ。


 それも束の間、魔術師は私の目を見ると小さく息を吐く。



(いびつ)ね、あんた達。

 謝って欲しいと思ってもいい、頼ってもらいたいと思ってもいい。

 そんなことも言えない程細い糸で結ばれているわけでもないでしょうに。

 もしかして、ミュエルとエリゼは一度も話し合ったことがないんじゃないかしら」


「それはどういう……?」



 私はご主人様ともう何千回と会話をしている。


 家事も教えて貰ったし、食事も共にした。

 そんな私達が一度も話し合っていないなんて、信じられない。



「そのまんまよ。

 あんたとエリゼは互いに心を打ち明けていない。

 上辺の心遣いを投げ合ってるだけなのかもね」


「そんな、はずは……」



 否定しようとすればする程、私とあなたの間にある溝を感じた。


 思い出すに連れ綻びが見えてくる。


 褒めて、褒められて。

 可愛がって、可愛がられて。


 それなのに……。


 私の心は、まだあなたに伝えきれていない。

 あなたの心を、私はほとんど知らない。


 リューカの言う通り私達は言葉を交わしていなかった。


 ずっとずっと仲良しな素振りをしていただけ。


 私は依存している。ご主人様の優しさと甘さに。

 その居心地が良くて感覚が麻痺していたんだ。


 私達はまだ、言葉を交わしていない。



「あたしから見ての感想だけど、あんた達は互いに互いを信じすぎてんのよ。

 すぐ側に居るのにかけ離れている。

 天高い理想を押し付けあってて、それが昨日初めて崩壊したんでしょうね」



 人からはそんな風に見えていたのか。


 でも、正解なのかもしれない。


 ご主人様が何か嘘をついていることは知っていた。

 でも知らない振りをした。


 頼ってくれるはずだから、私を信じてくれるはずだから、弱い部分も見せてくれるはずだからって、来るかも分からないいつかの日を待っていた。


 待っているだけで言葉にしなかった。


 言葉にしなくては何も伝わらないのに。


 私はご主人様の全てを信じていた。

 ううん、今も信じている。


 それがきっと理想の押し付けなんだろう。


 だとしたら、ご主人様は私に何を求めていたんだろう。



「あたしはさ、友達付き合いとか分かんなくて本音でしか喋れないんだ。

 それで人を傷付けてきた。

 あんた達は綺麗事並べてきた結果、深い傷をお互いの胸に刻みあってる。

 だったら、傷を負わない付き合いなんて不可能なのよ」


「不可能だとしても、私はそれを可能にしたかった。

 私は……ご主人様に出て行ってほしくなかった……」


「一回砕けた程度じゃその仲は消えないから安心しなさい。

 とは言え、喧嘩するタイミングが遅すぎたのかもね」



 喧嘩、か。

 それなら仲直りの言葉を紡いで全てが終わってくれる。


 でも、この人生で一番辛い状況は一言口にするだけで解消される程甘いものではない。


 私が謝って済む話じゃないんだ。


 ……。


 ずっと、痛い。


 喉が干からびそう。


 ご主人様がいない。

 私の世界から色を奪い去るにはそれだけで十分だった。



「じゃああたし、エリゼを探してくるから」



 そう言うとリューカは立ち上がり、階段を降りていく。


 玄関口で私に振り返ると、小さく手を振り屋敷の外へ出ていった。


 結局、何をしに来たのかは分からず終いだったな。


 そしてまた、独りになる。


 ……。


 私は……何をすればいい……。


 それすらもまともに思考できなかった。



ブクマや評価を入れてくれたり、いいねをくれる方々には感謝しかないです。

誤字脱字の報告も凄く助かっています。

ありがとうございます!

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