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103 ミュエル様大好き秘密クラブ

エリゼ視点


 アヤイロちゃん達と一緒に生活していた記憶を思い出してから、早くも二週間が経っていた。


 季節はすっかり秋に染まり、木々も朱や黄色を飾っている。


 食材や生活必需品の買い出しで大通りに出かける際は、『クラウン』に所属していた三人に見つからないように、人混みに紛れてとにかく息を潜めていた。


 って言っても、体の大きなメイドが隣に立っているから目立っていたんだけど。


 ただ、大通りを利用していれば彼女達に遭遇する可能性が低いだろうということが判明した。


 あの子達とわたし達は住む世界が異なっている。

 治安の悪い裏通りを拠点としている彼女達は滅多に明るみに出てこない。


 だから、人の賑わう通りぐらいなら普通に出歩けるようになった。


 そして今日もまた、わたしはメイドと街へ出かけていた。


 野菜や卵、凍らされたお肉を買い物バッグに入れたみゅんみゅんは、空いた手でわたしをしっかりと繋ぎ止めてくれている。


 暖かい。

 大きなその手がとても心地良い。



「今夜は久しぶりにご主人様の好きな料理にしようか」


「わたしの好きな料理?」


「ヒントをやろうか。卵を使う料理だ」


「卵……? えーっと、なんだろ……あっオムライスかな?」


「正解だ」


「やった、結構久しぶりな気するなぁ」


「多分二週間ぶり」


「思ってるより久しぶりじゃなかった」



 休日ということもあってか、通りを行き交う人の数が多い。


 学生から主婦まで、年齢層も違えば職種も違う多種多様な人々が絶え間無く交差している。


 一生に一度、この瞬間にだけ接近しあっている者もいるかもしれない。


 そんなことを考えながら通りを歩く買い物の帰り道。


 でも、そういうなんでもない日常はふとした瞬間に壊れてしまう。


 大体そうなんだ。

 気の抜けた時を狙って悪夢はやってくる。



「おい根暗女、止まれよ!!」



 背中に声を浴びせられた。


 他の誰でもない、確実にわたしに掛けられた言葉。


 耳に焼き付いて絶対に忘れられない不穏な声。


 大雑把で厳かさが感じられない足音。


 鼻が痛くなる程キツイ香水の匂いと、アルコールの匂い。


 それは暴力に生きて、快楽に溺れる女。


 最も苦手な人間。



「よぉ、探したぜーエリゼ」



 褐色の色の腕が視界に侵入してきて、そのままわたしの肩に掛けられた。


 お腹の下の方が痛みを訴えている。


 痛い。


 臓物が痛い。


 幻肢痛と呼んでもおかしくないそれは、わたしに震えを与えるには十分だった。



「な、何か用……?」



 褐色の女は笑いながら答える。


 うるさい。


 耳障り。


 聞きたくない。


 消えろ、消えてくれ。



「用があるのはお前じゃねー、そこのコスプレ女だよ。

 アタシに恥をかかせた勘違い女をずっと探してたんだ。

 なぁエリゼ、お前のその女アタシに寄越せよ。

 遊んでやるからよ」



 悪意で満たされたその体と心。


 他人を弄ぶことに躊躇しないこの女を、みゅんみゅんに触れさせるわけにはいかない。


 大丈夫。


 わたしは負けない。


 力では勝てるんだ。


 最悪の場合シュガーテールで斬ってしまえばいい。


 怯えるな、恐るな、抗え。


 変われ、変われ、変われ、変われ。


 ……。



「や、やめて……この人には手を、出さないで……ください」



 最低だ。


 動けない。


 情けない。


 暗示も、願いも、勇気も。

 弱いわたしを変えてくれなかった。



「……殺す、と言ったはずだが」



 怯えるわたしとは対照的に、みゅんみゅんは殺気立っていた。


 正確には、殺気ではなく威圧。

 ……今のあなたには何も殺せないから。


 それでも彼女はわたしを隠すように間へ入ってくる。

 わたしと違って、誇り高き勇敢さはまだ潰えていなかった。



「堪んねーなおい! ははははは!

 ニセモノの威勢にも程があるぜ!

 やっぱアヤイロの言った通りだ!

 テメーは腑抜けた殺気紛いの脅ししか出せねーらしいな!

 もう何も怖くないぜ?」



 だけど、みゅんみゅんの精神状態は筒抜けだった。


 酒場で顔を合わせたあの一瞬で、アヤイロちゃんは心の状態を読んでいたんだ。


 あの子は人の心を壊せる人だから、異変を持つ人の精神をすぐに暴いてしまう。

 短期間ならまだしも、長い時間の中でアヤイロちゃんと対峙するのは悪手。


 そんなこと、分かっていたはずなのに。


 こんなことが起きる前に動くべきだった。


 わたしが、わたしが何とかしないといけない。


 動け、動け、動け。



「……ご主人様の前から消えろ」


「あーあー、怯えながらイキリたったって何も迫ってこねーなぁ!?。

 犬かよてめーは!!

 はははっ!! 

 それにエリゼがご主人様と来た。

 すっげー笑えるんだけど」



 メートゥナちゃんは、指の関節を鳴らしながらみゅんみゅんに近づく。


 長い舌を出しながら給仕服の襟元を掴むと、そのまま勢いよく引っ張った。



「やめろ、メイド長に叱られるだろ」


「はっ!! 余裕ぶってる割にはふるえてんじゃねーか!!

 臆病を演技で塗り固めてんのがモロバレだぜ女!

 それに、案外いい顔してんなぁ。

 決めた。

 殴り倒した後はアタシの女にしてやるよ」



 やめて。

 もう、やめて。


 嫌だ。


 触れるな。


 その人に触れるな。


 ……。


 音が聞こえる。


 ジャラジャラと揺れる金属の音。


 人々が起こす足音に混ざって歪な音色が響いている。


 音の主は、指輪にピアス、ロザリオにネックレスとアクセサリーをふんだんに装着しているらしくない修道女だった。


 首を傾けながらゆっくりと歩いてくる。


 処刑人のように歩くその具型は、死神の二文字が相応しい。


 歪な雰囲気の修道女はわたし達の側で止まった。


 同時に、周りの波も綺麗に停止する。

 三人を円状に囲んでいる人々は立ち止まりながら、ただただメートゥナちゃんを睨んでいた。


 ありったけの人参をバッグに詰め込んだ主婦。


 魔導院主席合格の女学生。


 安心安全の客引き実績ナンバーワンのバニーガール。


 彩り強めな女性がぞろぞろと周囲に集い始める。


 ただ一つ、共通点があるとすれば……。



 『ミュエル様大好き秘密クラブ』その会員ということだろう。



 彼女達は日常の至る所に潜み、みゅんみゅんを推している。


 休日の大通りともなれば、少なく見積もっても百人程のミュエル様ファンが混在していると考えた方がいい。


 普段は隠密に徹している彼女達から無言の圧力が発生している。



「なんだ、てめーら」



 不気味なその光景に褐色の女はたじろいて、青ざめた顔を披露した。

 そのまま一歩また一歩とみゅんみゅんから遠ざかる。


 そんな顔、できるんだ。


 静寂を切り裂いて口火を切ったのは、いつかの日に大聖堂で見たことのある装飾まみれの修道女だった。



「嗚呼、お労しや。

 私達の騎士が、私達のミュエル様が脅かされています。

 今こそ天誅の時。罪を贖え、罪人」



 お告げを合図にして、周囲の人間は殺気を漂わせ出した。

 むせ返るようなドス黒い感情が場を支配している。


 正真正銘の殺す意思。


 大通りは既に戦場と化していた。


 女学生は詠唱を始める。


 主婦は服の袖から暗器を見せていた。


 バニーガールは鬼をも蹴り殺す脚の先で地面突いている。


 大きな鉄槌を召喚する令嬢、建物の上から見下ろしている魔眼少女。


 得物を剥き出しにした狂人達は今にも暴発してしまいそうだった。


 わたしは知っている。

 その全ての攻撃が素振りであることを。


 それなのに、いざとなれば皆命を奪う覚悟を決めている。


 矛盾を孕んだ脅し。


 メートゥナちゃんがみゅんみゅんを襲った瞬間に、正気のスイッチは狂気へと切り替わるはずだ。


 警告から、実行へと。


 この人達はみゅんみゅんの前で理性を失うことはない。

 彼女に危害が及ばない限りは。



「なんなんだよ、なんなんだよお前らは!!

 くそっ!! 全員相手してやってもいいんだぞ……」



 明らかに怯んでいる様子を曝け出している。


 今がチャンスだ。


 メートゥナちゃんが威圧されている今しかない。


 ……言わなきゃ、言わなきゃ。


 変わらないと、ここで変わらないと。



「メートゥナちゃん、もうわたし達に構わないでもらえるかな」



 震える体を押さえ込んで口にする。


 みゅんみゅんを尊ぶ彼女達の前でなら、少しぐらいは根性も見せられる。

 一人じゃないのなら、きっと強くなれる。



「あ? 何アタシに指図してんだお前。

 群がってるからって調子乗ってんじゃねーぞ」



 筋肉質な腕が迫り来る。


 わたしの胸元を狙って勢いよく放たれたそれだったが、その手が届くことはなかった。


 周囲の猛者が武力を行使したわけでもなく、メイドが彼女の腕を払ったわけでもない。


 目の前の店舗の扉が開いたからだった。


 頭上の看板には、占い屋『ぱにがーれ』の文字が並べられている。


 扉の奥から肩まで伸ばした白髪に黒のインナーカラーを入れた占い師が出てきた。



「……何してんの? 君、陽の下を歩ける人間じゃないよね。

 これ以上罪状を増やすのはお勧めしないけど。

 騎士団呼んじゃったし」



占い師の言葉を耳にした褐色の女は、奥歯を噛み締め怒気を露わにしながら腕を引っ込めた。

 わたしが知らない内に、彼女にも理性と呼ぶには拙い力が芽生えていたらしい。



「ちっ、てめーら、全員顔は覚えたからな!!

 ……誰を敵に回したか後悔するんだな」



 それだけ残して、メートゥナちゃんは空高く跳躍した。

 足を鳴らしながら屋根を駆けて退散していく。


 彼女の姿が見えなくなるまでわたしは目で追い続けた。

 向かって行った方向には裏通りがある。


 自分の住処に戻ったと考えていいかな。


 はぁ、疲れた。



「ありがとう、シトラスさん。おかげで助かりました」


「シトラス、私からも礼を言う。ありがとう」


「いえいえ、お得意様のためなら私も一肌脱いじゃうよ。

 また困ったら是非私を頼ってね。

 いつでも誰でも受け入れてあげるからさ。

 じゃ、私はお仕事に戻るね〜」



 彼女は再び店へ戻っていく。

 どこからともなく駆けつけてくれる英雄のような人だった。


 ……ああ、良かった。


 みゅんみゅんの前という、ファンにとっては最悪な舞台で彼女達に手を汚させることを防げて。


 いくらみゅんみゅんを助けるからと言っても、流石に本人の前で人を殺すのは本望じゃない。


 誰だって好きな人には嫌われたくないはずだから。


 周囲に目を移すと、先ほどまでの異様な静けさは消え去り、人の流れも元に戻っていた。


 みんな、変わってないな。


 わたしのメイドはそんな彼女達に向かって息を吸っていた。



「あ! みゅんみゅん、待って!!」


「ありがとう……私のために戦おうとしてくれて」



 わたしの言葉が届く前に、メイドは感謝を小さな声で言葉にしていた。


 遅かった。


 ごく僅かな声量で放たれたにも関わらず、その感謝はこの場にいる全てのファンに届いてしまう。


 何事も無かったかのように歩き出したはずの人々は、一人、また一人と脱力していく。


 壁にもたれ掛かる者、地面に座り込む者、


 各々個性的な倒れ方をしていた。



「あわわわわわわわ。

 みゅ、みゅんみゅん、離れよう!」



 これ以上ここにいてはいけない。


 急性聖騎士成分過剰摂取中毒で死者が出てしまう。



「いや、でもこのまま放っておく訳にはいかない」



 そう言ってみゅんみゅんは、気絶寸前の人々の中から一番若い魔導学院の制服を着た女学生へ駆け寄った。


 寝転ぶように倒れていた少女を抱えて一言。



「怪我はないか?」


「はひぇ……? ミュエルしゃまぁ!? あ、え? ふにゅぅ……」



 学生は頬を赤らめながら幸せそうに気を失った。


 パンデミックだ。


 恐れていたことが起きてしまった。


 でも、彼女達が幸せならそれでもいいか。


 その後、シトラスさんが呼んだと思われる騎士が数人到着した。


 てっきり胡散臭いあの人のことだからブラフか何かだと思ってたんだけど、実際に呼んでいたらしい。


 ただ、騎士は口を揃えて。



「うわ、本当に集団気絶事件が起こってる!?」



 占い師はどうやらメートゥナちゃんに対してではなく、この事態を見越して騎士団を呼びつけていたらしい。


 わたしの中で彼女への信頼が少しだけ上がった。

 占い師であることの信憑性も。


 みゅんみゅんに迷惑を掛けてはいけないと根性で気絶から回復する人が大半だったけど、至近距離で言葉を聞いた人や、抱いて唆された女学生は病棟送りになってしまった。


 そして、事情聴取ということでわたしとみゅんみゅんは騎士団本部に連行されてしまった。


 集団気絶についてはすぐに誤解が解けた。


 ただ、メートゥナちゃんのことを伝えると詳しく話を聞かせろと時間を取られてしまった。


 わたしが伝えた内容は騎士団も把握していたらしく、わたしは話し損だった。


 その後わたし達が開放されたのは二時間。


 家に帰ると早速みゅんみゅんはオムライスを作ってくれた。


 空腹を解消して、お風呂に入って、歯を磨いて、夜空を見て、同じベッドで寝た。


 おやすみ。





 ☆





 そう、気の抜けた時に悪夢はやってくる。


 それはわたしの経験則。


 人の心を壊すのなら、まずは幸せを感じさせてあげないとって誰かが言っていた気がする。


 ……。


 数日後の朝。


 みゅんみゅんが朝ごはんを作ってくれている間に、わたしは屋敷の外周に出ていた。


 土地の入り口、外壁のすぐ側。


 そこに不器用なメイドお手製の支柱が立っている。


 その柱はわたしの手作り木箱ポストを支える物。


 暇な時間で一緒に作った映えない滑稽な作品。


 風情というか、趣があるわたしは気に入っている。


 朝の日課という程毎日見に来ているわけではないけど、週に数回わたしは確認に来る。


 わたしに何かを送ってくる人は皆無なので、この箱には二ヶ月に一回ぐらいみゅんみゅん宛の荷物が届けられているぐらい。


 だから、今日のこれも意味のない行為だと思っていた。



 中には封筒が入っていた、



 差出人が書かれていない不気味な封筒。


 猫のシールで留められていた口を開ける。


 写真が一枚入っていたらしく、封筒を逆さまにするとそれは落ち葉みたくゆらりゆらりと流れ下る。


 真っ白な面に裏返ったそれを拾い上げて、何かが描かれているであろう面を瞳に晒した。



「なに……これ……」



 息が止まる。


 時間も気温も風も感じない写真の中では、目の焦点が合っていない女の人が何かを縋るように跪いている。


 この人をわたしは知っている。


 あの……あの酒場の店員。

 お茶らけていて声の大きな明るいあの人。


 店で起こした争いを止めてくれた心優しい人。


 封筒の中には手紙も同封されていた。



『女の子を不幸にするエリゼちゃんへ。

 クラブハウスで待っています』



 あざとくて可愛い文字でそう綴られていた。


 見慣れた筆跡。

 嫌というほど見てきたアヤイロちゃんの字。



「わたしの……せいだ……」



 わたしが関わってしまった。

 それだけで名前も知らない女性が不幸になってしまった。


 このままじゃ……みゅんみゅんも……。


 だめ……それは駄目だ。


 ようやくメイドという夢を掴み取った彼女は幸せであるべきだから。


 だから……わたしの側にいちゃ駄目なんだ……。


 大丈夫、みゅんみゅんには慕ってくれる大勢の女の子が付いてくれているから。

 この前、それは証明された。


 わたしが居なくても、きっと誰かが支えてくれる。


 ……本当はそんなの嫌だよ。


 だけど、でも行かないと。


 すぐに向かわないと手遅れになる。


 ごめんね、みゅんみゅん。

 本当は二人で進むべきなんだろうけど、あなたを不幸にはできない。


 どうして、こういう時だけは潔いんだろ。


 もしかしたら、これでお別れかもしれないのに。


 ……。


 そっか、幸せを目指すよりも、不幸になる方が楽だからか。


 わたしは何も持たずに走り始めた。


 裏通りにある建物を目指して。


 ……。


 でもやっぱり、そっちの方には進みたくはなかったな。


ブクマや評価を入れてくれたり、いいねをくれる方々には感謝しかないです!

ありがとうございます!

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