101 死んだ怪物を拾い上げた商売人
過去のとあるブティック店員視点
肌寒い冬の晩。
この国の空は星の輝きで覆い尽くされていた。
綺麗なのかは分からないけど、天気が良いということは分かる。
翌月には念願のブティック開店という一大イベントを待たせている私は今、最高に最強に絶好調状態だった。
有り余る元気と活力がはちきれんばかり、いや、今はちきれた。
私の体を満たしていたそれは暴発してしまった。
動かずにはいられない。
時間帯など関係ない。
私は動くぞ。
そんな勢いだけで開店前の店を飛び出し、一人粛々とるんるんと散歩を始めた。
薄暗い通りを抜けてそのまま大通りに飛び出る。
深夜中の深夜ということもあってか、その長く華やかな道には両手で数える程度の人が歩いているだけだった。
立ち並ぶ店は軒並み閉まっていて、非日常感を味わうには持ってこいのシチュエーションだと思う。
だけどその程度の非日常、今の私には不要。
この私に相応しい場所と言えば、やっぱり下々を見下ろせる天空かな。
別に人々を見下ろして悦に浸る趣味は持ち合わせていないが。
とにかく走った。
空を目指して走り続けた。
街を駆け抜ける。
威勢よく風になったは良いものの、結局第一候補の大気圏には行けなかったので、第二候補の夜空に近い場所を目的地にした。
そこは街を一望できる高台。
街の評判曰く、どうやらデートスポットらしい。
私の前に立ちはだかるは山の様な傾斜。
こんなアスリートの修行御用達な坂の先に、デートスポットなんてある訳ないでしょ。
太ももパンパンに鍛え上げられた魔獣蹴り殺し人間の溜まり場になっている気しかしないんですけど。
……挑戦してやりますか、階段ダッシュってやつを。
長く高くそびえる階段を猛スピードで駆け上がる。
吐息は白を帯びていた。
冬の寒さが気持ち良い。
有り余る興奮を冷ますには丁度良い。
あっという間に頂上と思われる広場に到達した。
この階段踏破のレコード叩き出したんじゃないかな。
そう感じるぐらいに私は軽快だった。
広場には休憩スペースとしてベンチやテーブル、設置式の双眼鏡などが立てられていた。
とは言え、時間も時間。
観光しにきてる連中などがいるわけもなく……一人だけ地べたに座り込んでいる女はいた。
タイル状の歩道を走って転落防止の柵に勢いよく飛び乗る。
そこからは大通りから裏通り、さらには教会領までを目に収めることができた。
別に街を一望したところで何も感情は湧いてこないし、心は揺さぶられないんですけど。
「えーうそー、私のお店見えないー。あの建物邪魔過ぎではー?」
帰ろうかな。
興奮も冷めてきたし。
主にブティックが見えなかったせいで。
なんだか、馬鹿なことをしてしまったな。
勢いだけでこんなところまで走ってきちゃうなんて。
まぁでも、自分の店を開くことができる実感が湧いてきた者は、例外なく宵の街中を走り抜けてるはずから問題ないか。
地べたに座り込んでいる女が視界の端に映った。
あー、そう言えばいましたね。
こんな時間に高台に来るなんて危ない人に違いない。
私は特に考えもなくその要注意人物に近付いていた。
女は周りに荷物を散乱させているのを気にも留めず、ただただ目の前に敷いた布を眺めていた。
真夜中におままごとですか。
人間としては気持ち悪いですけど、化け物としては好感を持てますね。
「こんばんは、良い天気ですね。一緒に怪談話でも創作しませんか?」
声を掛けたのは気まぐれだった。
人に声を掛けるのって、こんな感じで良かったっけ。
ま、怪談話作るの嫌いな人なんていないでしょうし、絶対ノってくれるはずです。
「……」
「あれー……無視ですか。
私良いネタ持ってるんですけどねー。
海の見える宿にいる娘溺愛お母さんの話とか、田舎にいる長身ロリコン女の話とか。
あとは……深夜の高台に出没する黒髪女の話とかね。
……んー、興味なさそうですね」
これじゃあ独り言を語っている変な人だと思われるじゃないですか。
相槌ぐらい打ってみても良いんでは。
女を覗き込む。
視線の先には、綿や布の破片を寄せ集めたような何かが置かれていた。
その何かは、猫を型取っているように見える。
ぬいぐるみの類なのは明らか。
その可愛らしかったはずの本体は無惨に無慈悲に壊されていた。
そして、それを無心に眺めて涙している青みがかった髪の女。
やっぱり危ない人だった。
でも、この女は被害者でしょうね。
激甘そうな女がぬいぐるみを壊せるはずもない。
「あー、これは酷い。あの、良ければ私が治療してあげますけど」
「……」
「うわぁ、途方も無く放心してる。っていうか……死んじゃってる」
眼差しに光は宿っておらず、ただただ無力に涙を垂れ流している。
心は完全に死んでいた。
だとすると、どうやってここまで移動してきたのか。
それともここに来て死んだのか。
どちらでもいい。
用があるのはこのぬいぐるみの方ですから。
この子は愛情を注がれ続けた猫のぬいぐるみですね。
恐らく、何人かの主人を渡っている。
そしてどの主人も君を愛していたみたい。
一目見て私はそれを理解した。
付喪神が宿っていてもおかしくないですね。
声ぐらいは聞けそう……かも。
素材の声を聞け、なんて言ってオーナーに叩き込まれたこの力も意外と便利かもです。
耳を傾け、心を開く。
人形の破片に宿り始めた魂を見る、聞く、語る。
うんうん、なるほど、聞かせて聞かせて。
それでそれで……そんなことは教えなくて良いですよ。
……これ、傍から見たら変態では?
そんな疑問を抱えつつも私は熱心に言葉を聞き続けた。
どれだけ愛されてきたか、どれだけ愛しているか。
「へぇ、そっかぁ」
この子、愛想尽かしてないどころか主を想い続けている。
物にここまで言わせるなんて相当変人ですね、この女。
あなたが愛情を注いだ本人なら、救ってやらないこともない。
物を大切にする人間は割と好みなんですよ。
服も大切にしてくれそうで。
暇だったし、助けてあげようかな。
座り込んだ少女の真正面に屈んで、私は彼女の暗い目を捉えた。
漂う悲壮感、絶望、諦め。
……あーあ、私こういう女の子に弱いのかもなぁ。
「ほらお嬢さん、私の愛をあげるから生き返ってみませんか」
返事は無い。
そもそも期待はしていない。
許可は不要。
ぬいるぐみの残骸を敷いていた布を畳み込み、少女の手に握り込ませる。
「ほら、店に帰るまで微塵もこぼさないでくださいよ。
私が愛と全霊と技術を込めてこの子を治療してあげますから。
だから、あなたもどうか夢を見ていてください」
良い夢を。
その光が少女を諦めさせないはずだから。
散らばった荷物を整頓して、少女の側に置かれていた鞄に入れる。
それを肩にさげて、私は少女をおぶった。
「うわ軽ぅ」
生地一巻き位の体重だった……は流石に言い過ぎか。
けど、とにかく軽かった。
誰かが掴んでいないとそのまま空に浮いていきそう。
いつか、あなたを引き止めてくれる、守ってくれる、離してくれない、そんな人が現れると良いですね。
その時はどうか、『アゲハアガペー』をよろしくお願いしますよ。
登りに猛進してきた階段を木の葉の様に降りる。
背負った少女の体は冷えきっていて、湯たんぽにもマフラーにもならない。
空を見上げると、星空がこちらを見下していた。
「やっぱり、綺麗とは思えないなぁ」
ただ遠くに浮いているだけの光に対して、私は何も感じなかった。
遠すぎて、何も伝わらない。
こんなに近くにいる人間の感情も伝わらないのに、夜空の煌めきに感動することなんてありえない。
ブティックを目指す。
依然静寂に包まれたその道へ歩き続ける。
本当は教会にでも預けるべきなんでしょうが、私に拾われたことがあなたにとって最大の不幸です。
観念して私の着せ替え人形になってくださいね。
……ただ、首筋に涙が伝うのだけが気持ち悪かった。
首筋に水滴が落ちるのって怪談では定番だけど、こう実際に受けてみるとやっぱりゾワゾワするものなんですね。
帰ったらお水飲ませないといけないな。
☆
一ヶ月後、少女は目を覚ました。
つまり、一ヶ月の間放心状態の廃人未満だったということなんだけど。
その期間に初めて人間の世話というのを体験してみた訳で、感想としては面倒だけど顔が好みなら介護も耐えられるということぐらいかな。
まぁ、十分に満足なのでもう二度と見知らぬ人間を拾いたくはないが。
あとは、少女の記憶も勝手に見せてもらったりもした。
分かったことといえば、私の見立て通りこの子は激甘能天気馬鹿少女でした。
さて、私があなたにしてあげられることはここで終わりかな。
寝ぼけている少女を居住スペースから店舗の方まで連れて行く。
その日は偶然にもブティック開店当日という最高の日だった。
朝日が差し込む店内。
鳥の鳴き声が聞こえる。
レジカウンターの前、あなたは意識と心を取り戻した。
「あれ、わたし、何してたんだっけ」
「おやおやぁ、お目覚めですかお嬢さん。
可愛いお友達が待ちくたびれてましたよ。
はい、どうぞ」
寝ぼけている少女に、白猫の『えるにゃ』を渡した。
「あ、えるにゃ……!」
初めて笑った顔を見た。
にへらとしたその顔を初めて見たけど、素敵で可愛くて、とにかく可愛い。
うん、あなたは光が似合う。
「……こんな服着てたっけ」
少女は自分の体を振りながら観察している。
黒を基調としたワンピース。
ブランドの目玉商品という訳ではないんですが、私のお気に入りです。
「当店の来客者一号ということでプレゼントさせて頂きました。
お似合いですよ、とっても。
ちなみに以前の服はダサかったので捨てました」
「えー!? ……ま、いっか。
この服、とっても素敵だし。
ありがとうございます、大事にするね」
思った通り、この子は服を大切に扱ってくれる良い子だった。
けど、大事にされ過ぎても困るんですよね。
できればシーズンごとに新しいアイテムを買って頂きたい。
我がブランドの潤いにも繋がるから。
それに、顧客へ刺激と感動と興奮と恋を与えるのが服の役目な訳で、思い出にしがみつかれていては困る。
過去を振り返るのは時々で良いんです。
「あ、そうだ。ポイントカード作ってあるんで、お名前頂戴できますか?」
「嬉しいな、そんなことまでしてくれるなんて」
ブランドロゴが入れられているシンプルな黒のポイントカードの裏面。
少女はペンで名前を記入する。
エリゼ・グランデ。
少女と私の関係はここで終わり。
客と店員の関係が始まる。
「これからどうなさるおつもりですか?」
「え? うーん。
何しようかな……わたし、何してたんだっけ。
えっと、強くならなきゃいけなくて、それで……」
「ならギルドへ向かわれるのが吉ですね」
この提案が少女にとって酷なのは理解している。
けど、夢に向かって生きてきた彼女にはその道しかないんだ。
勝手に記憶を覗き込んだ私が思うのもあれですけど、もう少しだけ頑張ってみるのも良いんじゃないですかね。
「分かった、行ってみるよ」
「ではエリゼさん、さようならですね」
お客様に、良い出会いが有りますように。
「またのご来店をお待ちしております」
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