100 心臓はまだ動いている
前半 アヤイロ視点
後半 エリゼ視点
アヤイロ視点
エリゼちゃんがメートゥナを呼び戻しに裏通りへ出掛けたあの日。
彼女はわたしの狙い通り、甘い『お菓子』を摂取させられたらしい。
おつかいをネイハに頼めば、エリゼちゃんになすり付ける。
馬鹿の思考回路も全て折り込み済みの計画だった。
これで、エリゼちゃんはネイハに嫌悪感を抱くはず。
……ただ、エリゼちゃんに体を目の前にして理性が飛んでいたとは言え、無理矢理襲うような真似は避けるべきだった。
拒絶された結果、感情的になって今回のような強引な手を使ってしまったのも反省しないといけない。
そう思っていたのに……。
エリゼちゃんは煌めきを取り戻していた。
以前の様な嫌悪感を示す反応が薄くなり、眩いほどの明るさを放っている。
影すら照らす太陽の様な女の子。
それがエリゼちゃんの本質。
わたしはその強さを、紆余曲折ありながら捻じ曲げてきたはずなんだけどな。
誰かが言葉を吹き込んだのか、負の感情を抉り取ったのか。
どうしてかは分からないけどエリゼちゃんは元気を取り戻していた。
怪物だよ、あなたは。
折っても折っても這い上がってくる。
より堕とし甲斐ができた、と言いかれば気分は悪くないかもね。
今度こそ、その強さと優しさが絶え間なく湧いてくる心を堕としてあげる。
わたしはエリゼちゃんの殺意と憎悪が見たい。
……。
エリゼちゃんがネイハとギルドに出かけた後、わたしは彼女の部屋に足を踏み入れた。
この部屋に……エリゼちゃんだけのこの世界に彼女の弱みが詰まっているはず。
ただ、成り行きでメートゥナが付いてきたのは不快だな。
理性を抑制するお守りだと思っておこうか。
それにしても、特に面白みのない部屋だね。
というのが率直な感想だった。
初めてエリゼちゃんがここに来た時から、全くといって変化が見受けられない。
変わったところと言えば、化粧道具と剣立てが置かれてて、後はベッドの上に白猫のぬいぐるみがあるぐらいかな。
この部屋だけ見ればつまらない人間に見えてしまう。
彼女は何を楽しみに、何を夢見て生きているのか。
それを全く察せない部屋。
エリゼちゃんの憧れは知っている。
ギルドで出会って初めて会話をしたとき、聖騎士ミュエルを目指していると口走っていた。
聖騎士ミュエル・ドットハグラ。
この国で一番強いと言われている女。
だけど、わたしは惹かれなかったな。
感情が乏しそうで、見るからにつまんない人だったから。
はぁ、この部屋も特にめぼしい物は見つけられなかったな。
無駄足だったか。
なんとなく、ベッドに置いてあったぬいぐるみを手に取る。
「ふーん、このぬいぐるみちょっとだけ可愛いね」
頻繁に撫でているであろう部分だけ少しへたっているように見えるけど、完璧な手入れが施されていた。
何年も何年も大切にされてきたんだろうな。
「エリゼのガラクタじゃねーか!」
うるさい。
いきなり大きな声を出すなよ。
「結構大事にしてるみたいだね」
「ははっ! ほんとどこまでも幼稚で情けねえな、あいつ。
てかこれ、使えんじゃねぇか?」
「……まぁこれは使わなくて良いと思うよ。
多分エリゼちゃん、このぬいぐるみに依存してると思うし」
盗聴魔術を通して耳にしていた会話。
エリゼちゃんが夜な夜な喋りかけている『えるにゃ』はこの子で間違いないだろう。
唯一の拠り所と言ってもいいかな。
「だからこれを使えばもっと面白くなるんだよ!
アタシに任せとけ、あいつを奴隷にしたててやるよ」
「いや、いいよ。そういうのは……なんていうか、くだらない」
「……は? つまんねーな、アヤイロ」
それはお前だよ、メートゥナ。
つまんない人間が考える面白さって、どうしてこうもズレてるんだろう。
依存先を壊せばエリゼちゃんがどうなるかぐらい想像して欲しいものなんだけど。
壊れることと、堕ちること別物なんだよ。
わたしは壊れることを望まない。
強靭で優しいエリゼちゃんがどん底に堕ちた時、その瞬間に揺らぐ憎悪や殺意が見たいんだ。
善人が悪人に。
清白が不純に。
白いドレスが泥で汚れたことに気付いた少女は、泥を浴びることに抵抗が無くなった。
心が黒に染まっているのに気付いたエリゼちゃんは、何を見せてくれるのかな。
☆
自室でエリゼちゃんが堕ちていく姿を夢に描いていると、悲鳴が聞こえた。
嫌な予感がする中、わたしは早足で広間へ駆けつけた。
……そこに出来上がっていた光景は、わたしを苛立たせるには最適のものだった。
絶句。
その一言に尽きる。
「ほらな、言った通りだろ。こいつにはこれが一番効くんだよ」
メートゥナは、白猫のぬいぐるみ両手で強く引っ張っていた。
ぬいぐるみの胴体から生えている簡単な作りの右手と左手が、ピンと張り詰めて今にも裂けてしまいそうだ。
「……言うこと聞くから……『えるにゃ』に酷いことしないで……お願いします……」
ぬいぐるみを引きちぎろうとする女に対して、救いを懇願する
他人から見れば滑稽に思えるそれは、エリゼちゃんにとっては絶望に他ならない。
……。
……ああ、ぞくぞくする。
その顔、その無様さ、その震えた声。
わたしが楽しみに取っておいたそれを、メートゥナに奪われたのは納得できないし、こんなやり方も最低だと思う。
だけど、わたしの底から溢れ出てくる熱はそんなちっぽけなことはどうでも良いらしい。
可愛い。
堪らない。
とっても、可愛い。
「ならアタシらに全てを捧げろ。
そうすればこのガラクタに傷を付けないでやるよ。
そうだな、じゃあ手始めに一発殴らせろ。
ほら、服まくれ」
エリゼちゃんは無言でお腹を見せた。
綺麗に割れた腹筋が露出される。
思わず喉を鳴らせてしまう程に美しい。
「ははっ! ずっとお前を締めたかったんだよ。
才能でしか闘ってねぇテメエをよぉ!!」
鳩尾に、渾身の打撃が叩き込まれた。
膝から崩れるように倒れるエリゼちゃん。
苦痛に顔を歪ませているエリゼちゃん。
食道を上ってきた胃の中の溶解物を必死に飲み込もうともがくエリゼちゃん。
全部全部可愛い。
……っといけない。
冷静にならないと。
でも、今更馬鹿の欲求を止めても余計に場が荒れるだけか、
エリゼちゃんが堕ちるまでの時間が減った、そう思い込んでおこう。
飴と鞭の割合も変えないとな。
はぁ……思い描いていた未来とはかけ離れているけど、今はこの波に乗っておこう。
メートゥナのやり方は最悪だけど、今のエリゼちゃんが見せる顔はすっごく可愛いから。
☆
エリゼ視点
色んなことをした。
一人で魔獣の駆除もしたし、旅行に来た外国人の護衛や、街を繋ぐ道を塞いでいる魔獣の死骸も掃除した。
みんなのお世話もした。
三人のご飯を作ったり、拠点の掃除をしたり、体を洗ってあげたりもした。
『スルト』の雑用も一通りさせられて、誰かと誰かが使った個室の掃除もした。
他にも『スルト』に在籍してる知らない女の人の話し相手とかもさせられた。
アヤイロちゃんには体を触られた。
首も締められたし、お風呂の排水溝に詰まっていた髪の毛も食べさせられた。
だけど、偶にくれる優しい言葉と甘い『お菓子』に心地良さを感じていて、病みつきになっていた気がする。
ネイハちゃんには延々と罵倒されたり、買い物の使い走りにされた。
……ネイハちゃんは、友達でいてくれるんじゃないかなって信じてたんだけどな。
……。
メートゥナちゃんには殴られた。
ダーツの的にされた。
指を折られた。
瞼と眼球の間に蛾を挟まれた
舌の先端を切られた。
叩かれた。
突き落とされた。
笑いものにされた。
痛い痛い痛い痛い。
……。
したくないことをたくさんした。
でも、みんなそうだよね。
やりたいことだけやっている人なんて限られてる。
だからわたしも、言われた通り仕事に励んだ。
何かに没頭していると、嫌な思いを意識せずに済むから。
それに、わたしの体は頑丈だから。
だから簡単には壊れない。
……。
ある日、朝起きると胸が痛かった。
いつも通り仕事をこなしていたら寝る頃には忘れていた。
次の日は体も重かった。
鏡を見ると肌が荒れていた。
化粧水つけるの忘れてたかな。
あー……クマもできてる……まぁいっか。
朝から晩まで働いた。
次の日は枕が濡れていた。
寝ながら泣いてたのかな。
泣きながら寝ていたのかな。
鏡を見ると痩せた女が写っていた。
最近はご飯が疲れる。
作るのも、食べるのも。
前髪長くなっちゃったな。
髪を二つに結ぶのもめんどくさい。
このままでもいいか。
その日は、魔獣駆除の依頼をしてきた女性と打ち合わせをしているときに、人と目を合わせずに喋っているって怒られた。
目を合わすの、苦手になっちゃってたみたい。
ギルドの受付嬢であるカノンさんからは「エリゼさんの元気……どこかへ消えちゃいましたね……」なんて言われた。
わたしって、明るかったっけ。
わたしって……なんだっけ。
働いた。
働いた。
働いた。
普通のことだよ。
みんな頑張ってるのに、わたしだけがへばるなんて情けない。
体を失ったカトレアちゃんや、思うように動けないシャウラちゃんの方が辛いんだから、ここで弱音を吐くなんてありえない。
わたしは、頑丈だから。
……。
部屋で眠っていたら、メートゥナちゃんにお腹の下の方を殴られた。
外はもう明るかった。
寝坊したから、怒られちゃった。
ご飯作らないと。
家事をして、それからギルドに行って、メートゥナちゃんのお友達に会って、お夕飯を作って。
それで、お夕飯を料理し終えた頃には、もう夜になっていた。
お手洗いに行くと、下着が血だらけになっていた。
そういう日でも無いんだけど、おかしいな。
あー……メートゥナちゃんに殴られたからか……。
……。
……。
なんで?
なんで、わたしこんなことしてるの?
……。
……。
お風呂で体を洗っている時、ふと目に入った鏡には傷だらけの体が映っていた。
火傷、痣、擦過傷、腫れ。
わたし、頑丈じゃなかったっけ。
おかしいな。
目が死んでいるように見えるのは、明かりの向きが悪いからかな。
適当に体を拭いて、雑に髪を乾かして部屋に戻ると、メートゥナちゃんに殴られた。
髪から雫が垂れていたみたい。
……疲れちゃった。
もう、終わりたい。
殴られた後、そのまま寝転んでいるとメートゥナちゃんはわたしに何か言ってどこかへ消えた。
そのまま、本当に消えればいいのに。
死んでよ……そのまま、死んじゃえ。
あはは、死ね、死ね、死んじゃえ。
……。
……何考えてるんだ、わたし。
違う。
こんなの、わたしじゃない。
人の死を願うなんて、絶対にしちゃいけないことなのに。
やだ、こんなこと考えたくないよ。
……。
メートゥナちゃんが帰ってきた。
何かを持って、帰ってきた。
「……える……にゃ……?」
「あ? ああ、そういうこと。
ガラクタに名前つけてんだったな、お前。気持ち悪っ」
何かを言いながら、『えるにゃ』を引っ張る。
千切れる、千切れる、やめて、やめて、やめて。
「やめて! やめてえええぇえ!
あ、ああああああ……おねがい、します、やめ、てください」
「あ? 無理だけど?
お前が約束を破ったのが悪いんだろ。
お前がアタシを怒らせたから、これはその罰なんだよ
ほら、行くぞ。最後のお別れ済ませとけ。
『エリゼのせいで、僕、死んじゃうよぉ』
ぎゃはははは! ちゃんと目に焼き付けろよ!!」
もがれた。
千切られた。
潰された。
叩きつけられた。
蹴られた。
え……?
なに、これ。
どういう……こと。
……。
「あ……ああああああああああああああああああ!!!
えるにゃっ……えるにゃ、えるにゃぁ……なんで、えるにゃ、えるにゃぁああああ…………」
二人が広間にやってきた。
どうでもいい。
どうでもいい。
えるにゃ、えるにゃ、えるにゃ。
なんで。
いやだ。
いやだ。
……。
「残念でしたぁ!!! お前のせいでぐちゃぐちゃになっちゃったぁ!!
ま、これで良かったんじゃねーか!
子供っぽいの卒業できて。
はいおめでとう、おもちゃ卒業おめでとう。
アタシに感謝しろよ? 行き遅れのエリゼちゃん! はははっ!」
「ちょっと酷いって〜! あっははは! どうすんの、エリゼが壊れちゃったら」
「そ、そうだよ〜……流石にそこまでしなくても……」
「何言ってんだよアヤイロ?
これぐらいしないと面白くねぇって!! ぎゃはははは!」
あ……あ……わた……わたしが死んじゃえなんて願ったから……罰が……えるにゃが……。
わたしのせいだ。
わたしのせいだ。
……。
世界も人も、誰もわたしを助けてはくれない。
もう、嫌だ。
誰も信じられない。
わたしは……どうすれば良かったの?
生きるのってこんなに疲れるの?
「んじゃ、片付けとけよ。ほら行こうぜ二人とも、今日は酒でも飲もうぜ」
……。
……こんなことなら、あの時死んでおけばよかった。
死ねば、楽になるのに。
生きるの……疲れちゃった。
えるにゃ……わたしも、そっちいへ行っていいかな。
もう、終わってもいいよね。
逃げても……いいよね。
『……わたしに絶望を押し付けたわたしが死のうとするのは、ちょっと勝手なんじゃないかな』
二つ目のパーティ『クラウン』での記憶はここで終わっている。
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