イチゴ
私は、イチゴを作るのが好きだった。
イチゴといっても、果物のイチゴでは、ない。
樹脂粘土で作った、小指の先ほどの大きさの、ミニチュアイチゴだ。
イチゴは、100円ショップで売っている、2.5センチ四方のタイルのような樹脂粘土を使って作る。
まず、赤色、ピンク色、薄緑色、白の樹脂粘土を指先を使って丁寧に練り、やわらかくしたのちイチゴ状に成形し、楊枝の先を使って小さな穴を開け、種を表現する。
次に、緑色の樹脂粘土をよく練って、やわらかくしたのちへた状に成形し、楊枝の先を使ってイチゴの実に突き刺すようにして合体させる。
そしてそれをオーブンで焼成して、完成。
この…単調な作業が、実に……気を紛らせるのに、役立った。
ただ粘土を指先でこねているだけで、ずいぶん…心が落ち着いたのだ。
考えたくないことを忘れるために、イチゴを作った。
見たくなかった場面を忘れるために、イチゴを作った。
聞きたくなかった言葉を忘れるために、イチゴを作った。
知りたくなかった現実を忘れるために、イチゴを作った。
起こってしまった不愉快な瞬間を忘れるために、イチゴを作った。
諍いに巻き込まれて何も出来なかった日々を忘れるために、イチゴを作った。
……ただ、ただ、無心に。
いくつも、いくつも、イチゴを作った。
イチゴは、娘の友達にあげた。
イチゴは、職場の同僚にあげた。
イチゴは、近所の奥さんにあげた。
イチゴは、町内会の人々に配られた。
イチゴは、PTAの役員に取られた。
イチゴは、欲深い人に奪われた。
いくつも、いくつも、イチゴを作った。
喜んでもらう人がいた。
何も言わずにもらう人がいた。
評価を言いながら持って行く人がいた。
出来の悪さを指摘しながら奪っていく人がいた。
何も言わずにいつの間にかごっそりと回収していった人がいた。
いくつも、いくつも、何もいわずに、イチゴを作った。
喜ばれて、うれしくなって、作った。
求められて、急いで、作った。
瓶の中が空っぽになったから、作った。
……一体、いくつのイチゴを、作っただろうか。
ふと気が付くと…、私は、ずいぶん……、生き方を、変えていた。
毎日、外に出かけて、太陽の日差しを浴びるようになっていた。
毎日、外に出かけて、知らない人と言葉を交わすようになっていた。
毎日、外に出かけて、自分の知らない知識を求めて行動するようになっていた。
あれほど落ち込み、ふさぎ込み、自分の殻に閉じこもっていたのが……信じられない。
来る日も、来る日も…暗い部屋の中で、一人で粘土を練っていた日々が……遠い。
いつの間にか、私は…、変わることが、できたのだ。
……それは、紛れもなく、イチゴを作り続けた、おかげ。
私は、何も口に出しはしなかったけれども。
おそらく、イチゴに、私の無念を練りこんでいた。
おそらく、イチゴに、私の怒りを練りこんでいた。
おそらく、イチゴに、私の悲哀を練りこんでいた。
私は、おそらく、イチゴに自分の感情を練り込むことで、自我を保っていたのだ。
口に出せない気持ちを、少しづつイチゴに混ぜ込んで、自分の中から排出させようと。
口に出せない悲しみを、少しづつイチゴに混ぜ込んで、自分の中から排出させようと。
口に出せない言葉を、少しづつイチゴに混ぜ込んで、自分の中から排出しようと。
口に出せない怒りを、少しづつイチゴに混ぜ込んで、自分の中から排出させようと。
口に出せない諦めを、少しづつイチゴに混ぜ込んで、自分の中から排出させようと。
それはまるで、自分の中に不要なものを、……イチゴたちに配るように。
私の育った町は、厄払いの行事が盛んにおこなわれていた。
町に住む大人たちは、厄年になると、近所に住む子供たちにお菓子を配っていたのだ。
―――厄年の厄を、お菓子を配ることで小さな厄にしてみんなに分けているんだよ
―――大きな厄は、みんなに分けて小さなものにしているんだよ。
―――厄をもらって、厄を配って、そうやって人と人は繋がっているんだよ。
―――あんたも、厄年になったら、たくさんの人に厄をもらってもらうんだよ
私は町を出てしまったから、厄年にお菓子を配ることはできなかったけれど。
幼い頃に近所のおばあちゃんに聞いた話が、頭の隅っこにずっと…残っていたのだ。
つらい気持ちを、誰かに。
悲しい気持ちを、誰かに。
許せない気持ちを、誰かに。
憎しみの気持ちを、誰かに。
腹立たしい気持ちを、誰かに。
小さなイチゴたちは、私の中の澱みをほんの少しづつ持って…世に出たのだ。
……私がイチゴを作らなくなって、もうずいぶん、経つ。
私が作ったイチゴたちは、確かに、私を、変えてくれたと、今もなお、しみじみと思う。
出かける時間が増えた頃から、イチゴを作る機会が無くなっていった。
イチゴを作っていた樹脂粘土を見かけなくなったという事もあるけれど、イマイチ…作ろうという気になれなくなってしまったのだ。
老いて指先の力も、見る力も衰えてしまったという事もあるけれど、ただ黙々とイチゴを作る気力がわかなくなってしまったのだ。
イチゴを作らなければ顔もあげられなかった時代は…、過ぎ去ったのだ。
小さな瓶の中に残る、7つの小さなイチゴを見て、ふと、昔を思い出した。
私は、イチゴの入った瓶を、耳元で振った。
バラン、バラン、バラららんっ……。
小気味の良い衝撃音が、心地良く、鼓膜を……震わせた。
ああ……。
とても、良い、音がする。
とても、良い、音に、聞こえている。
……この、音は、私が乗り越えた、証。
私が配ったイチゴは、いったい今頃、どうしているんだろう?
私が手放した、私の思いは、未だイチゴたちの中に残っているのだろうか?
…次にイチゴを作るとしたら。
今度は、穏やかな幸せを、練り込んで。
いつか、日溜まりのなかで笑いながらイチゴを作る日がくると良いなと思いつつ…。
私は、イチゴの瓶を、棚にそっともどした。