第9話
いよいよ出撃の日を迎えた。
敵飛行場への強行着陸は夜間となるため、出撃の時刻は夕方となった。
強力な火器を有する米軍に対抗するため、隊員たちには百式機関短銃と呼ばれるサブマシンガンなども与えられていた。
さらには全身に装備や爆薬を括り付け、あたかも人間爆弾のようであった。
「これでは、迂闊に煙草も吸えないな。」
冗談を言う隊員もいる中、尊と兵吉も最後の言葉を交わしていた。
「兵吉、飛行機の整備は大丈夫なんだろうな。途中で故障なんかしたら承知しないぞ。」
「何を言いやがる、俺が整備したんだ。」
「そうだったな。」
「それにしても、報道班員が大勢来ていやがる。気に入らねえ。」
カメラを持った報道班員がこちらを撮影している。
隊員たちが見世物のように扱われているのが、兵吉には我慢ならなかったが、尊は別の考えらしい。
「いいんだ、その方が…」
「尊…」
「兵吉、俺は新しい時代を作るために行くんだ。」
尊は兵吉の目をしっかりと見据えて言うのであった。
「それじゃ、行くよ。」
そう言い残すと、尊は飛行機に乗り込んだ。
エンジンは轟音を立てており、もうもうと砂煙が舞っている。
1機また1機と、この世への未練を断ち切るかのように離陸していく。
「いっそのこと、故障でもしてくれ。エンジンが止まってくれ。」
兵吉はひそかに心の中で祈った。
整備兵としては決して考えてはいけないことなのだろうが、どうしても尊を失いたくなかった。
幌川で正二も含め3人で過ごした日々が思い出されてならなかった。
そして、尊の乗る4番機が滑走を始めた。
それを見た兵吉はたまらず走り始めた。
4番機の横を走りながら、涙を流して叫ぶのであった。
もちろん、大声で叫ぼうがエンジン音にかき消されて尊に聞こえるはずもない。
しかし、兵吉は叫び続けた。
「どうしてだ、どうしてなんだ、尊!!」
飛行機のプロペラが舞いあげる砂ぼこりと涙で、兵吉の顔はぐしゃぐしゃだった。
追いつけるわけでもないのに、涙をぬぐいながら兵吉は走り続けた。
ちぎれんばかりに帽子を振り続けた。
「尊、さようなら、さようなら、さようならー!!」
尊を乗せた飛行機が地面を離れ、その姿は小さくなり、ついには見えなくなってしまった。
もう視界には何も映らないのに、いつまでもいつまでも兵吉は立ち尽くした。
そして、涙声で小さく呟くのであった。
「ばかやろう…」
沖縄へは約3時間の飛行であり、これが隊員たちに残された寿命と言ってもよかったのかもしれない。
尊も隣にいる北上も押し黙ったまま突入の時を待った。
「あと何時間生きられるのだろう。それが、あと何分生きられるのだろうに変わり、最後には、あと何秒になってしまうんだろうな…」
「突入するぞ!」
操縦士の声とともに、隊員らは身体を丸め衝撃に備えた。
しかし、米軍は猛烈な対空砲火を浴びせ、1機また1機と火だるまになって墜落していく。
地上に降りて敵と戦って死ぬのならばまだしも、何もせずに飛行機とともに墜落して死ぬのはどれほど無念であったろうか。
「頼むぞ、何とか着陸してくれ。そうでなければ、何もかもが無駄になってしまうんだ!」
尊の乗る4番機にも対空砲火が命中し機体から火を噴き始めた。
操縦士は何とか着陸させようと操縦桿を握り続けた。
そして、機体に大きな衝撃が走った。
重傷を負い意識もほとんどなくなった操縦士は、滑走路に並ぶ米軍機をなぎ倒しながら胴体着陸をさせることに成功した。
10機以上いた味方機が次々と撃ち落とされる中、尊の乗機だけが着陸に成功したのである。
着陸するやいなや、尊たち空挺隊員は機外へ飛び出した。
しかし、対空砲火により機内で突っ伏したままこと切れている者もいた。
それでも、尊たちは訓練どおり敵の爆撃機を破壊し始めた。
磁石の付いた爆雷を敵機の胴体に張り付け、縄のついた爆雷を敵機の翼に投げつけた。
爆雷が無くなると手榴弾を投げつけた。
破壊された敵機の炎に映し出され、米兵がこちらへ向かってくるのが見えた。
尊は百式機関短銃を構えた。
タタタン、タタタン、タタタン!
引き金を引くたびに、米兵が倒れるのが見えた。
極限状態では脳が異常な働きをするのか、それとも、街灯もろくにない田舎で育ったからなのか、暗い中でも米兵の姿が手に取るように見える。
しかし、米軍は次々と増援を繰り出してきており、味方の兵士は一人また一人と倒れ、ほとんど誰も残ってはいなかった。
そのとき、暗闇の中から一人の米兵が尊に襲いかかってきた。
瞬間的に銃床で敵兵の持つ銃を払い落としたのだが、今度はナイフをかざして尊に組み付いてきた。
押し倒された尊の喉元をめがけ、敵兵がナイフを突き刺そうとする。
敵兵の腕を掴んで必死に耐えていた尊は、自身の腰にもナイフがあることを思い出した。
腰のナイフを抜くと、敵兵の腹めがけて奥深く突き刺した。
敵兵は口から血を吐き出し、それが尊の顔に降り注いだ。
次の瞬間、燃え盛る炎により、敵兵の顔が照らし出された。
「黒人兵だ…!」
動かなくなった黒人兵の傍らで立ち尽くす尊に声をかける者があった。
「冬月、何をぼうっとしているんだ、飛行場から脱出して山中へ行くぞ!」
北上の声だ、彼はまだ生きていたのだ。
ふたりは、敵の目をかいくぐりながら飛行場を脱出しようと血路を開いた。
だが、尊の脳裏には先ほどの黒人兵の顔が浮かんでいた。
「あいつも家族のために…」
「あいつも俺と同じなんだ…」
「どうして、どうしてなんだ…」
尊と北上はどうにか飛行場を脱出し、山中にいるであろう友軍のもとへ向かおうとした。
「北上、何とか敵を振り切ったみたいだな。」
そう言って北上の方を振り向いた瞬間、敵の銃撃の音がした。
ダダダダダダ!!
撃たれた北上はその場に倒れこんだ。
「北上!」
「冬月、俺を置いていけ…」
「北上…」
「冬月…、差別のない国ってどこにあるのかな…」
それが北上の最期の言葉だった。
北上も自分と同じ思いで空挺隊に志願したのだろう。
そういう生き方しかできなかった、いや、そういう生き方しか許されなかった青年の最期の言葉だった。
ここに至って、生き残っているのは尊だけであった。
米兵が尊を取り囲みつつあり、そして、彼らの声が聞こえてきた。
「Lay down your weapons !」(武器を捨てろ)
「Surrender !」(降伏しろ)
しかし、そんな呼びかけを尊が受け入れるはずもなかった。
「捕虜になったなんて故郷の連中に知られたら、何もかもが台無しなんだよ、何もかもが。」
そうつぶやくと、尊はポケットから日の丸の旗を取り出し、震える手で手榴弾を握り締めた。
母と妹の顔を思い浮かべながら、遠い北海道に思いを馳せながら。
「母さん、恵子…」
家族への思いも、将来への希望も、果ては無念までも、すべてのものを吹き飛ばす音が響き渡るのだった。