第8話
日本軍が各地で敗退を続けるなど、戦況がはかばかしくない中、尊は母から手紙を受け取った。
そこには、正二が戦死したことや、妹の恵子がほとんど学校に行かなくなってしまったことなどが書かれていた。
「母さん、恵子…」
そんな折、尊は上官に呼び出された。
「冬月、空挺部隊という言葉を聞いたことがあるか。」
「はい、存じ上げております。」
訝しがる尊を前に、上官はさらに話を続けた。
「落下傘などを用いて敵地やその後方へ侵入し、遊撃戦(ゲリラ戦のこと)などを行う部隊だが、台湾の高砂族のような山中での行動に長けた者たちも少なからず入隊している。それに、お前の成績なら申し分ない。」
上官に殴られることを覚悟で尊は自身の思いを口にした。
「私がアイヌだからですか。山の中で生まれ育った土人や原住民のように思われているのでありますか。」
「そうではない。私はそのような考えを持ってはいない。お前の能力を高く評価しているだけだ。」
「申し訳ありませんでした。」
「いや、いいんだ。我が隊にも、お前のことをアイヌだと陰口をたたく者がいる。しかし、お前自身が親から受け継いだ血、アイヌの血というものを大切にし、誇ってもいいのではないのか。それを隠し、否定することは、親や先祖のこれまでの苦労や功績、果ては存在までをも否定することになるのではないか。」
「…」
「ある日突然に湧いて出てきた存在ではない。人類の歴史における自分自身の存在意義とでも言おうか。お前なら考えることができると思う。」
上官は理知的な人物であり、尊もそのことを充分に承知していた。
つい感情に走ってしまったことを恥じた尊であったが、上官の言葉のひとつひとつが胸に突き刺さった。
「自分がアイヌであることは変えようのない事実だ。」
「もし、和人と同じ日本人と認められることができたら、誰も惨めな思いをしないですむ。」
その時、一つの考えが尊の脳裏をよぎった。
「手柄、名誉の戦死、軍神…」
頭では理解できる。
しかし、死は恐ろしい。
生物としての本能が、どうしても死を忌避してしまう。
「これ以外に道はないのか、どうしてこれほどまでに悩み苦しまなければならないのか…」
尊は決めた、空挺部隊へ行くことを…
しかし、それは自らの意志だったのか、それとも、社会が尊を追いやってしまったのだろうか…
そして、配属先に到着した尊は、そこで驚くべきことを知る。
サイパン島が陥落し、B29爆撃機による日本本土への空襲が本格化し始めた。
それ以外の島々にも米軍が進出し、本土への攻撃が激しくなりつつあった。
そこで、兵士を乗せた飛行機を敵の飛行場に強行着陸させ、爆撃機や戦闘機を破壊しようというのである。
その後は、山中に潜み遊撃戦を行う。
言うは易いが、敵の飛行場に辿り着けるのか、しかも着陸して敵と戦い、さらに山中へ隠れ遊撃戦を行うなど、よほどの幸運と偶然でもない限り成功の見込みはないだろう。
それほどまでに日本は追い詰められていたのである。
それからは、原寸大の敵機の模型を相手に爆破訓練に明け暮れた。
手榴弾を投げ入れる、磁石のついた爆薬を機体に張り付ける、さらには、縄の先につけた爆薬を投げ縄の要領で投擲し機体に巻き付けるなど、敵機を破壊するためのありとあらゆる訓練に明け暮れた。
訓練の毎日とはいえ、同世代の若者が集まっているのであるから、親しくなる者も現れた。
その中に北上という男がいた。
「冬月、お前、アイヌなんだってな。」
そう言って尊に話しかけてきた。
何か嫌なことでも言われるのかと思ったが、そうではないらしい。
「俺は本州の生まれなんだが、お前と同じように差別されて育ったんだよ。」
尊は驚いて聞き返した。
「だって、和人だろ。和人同士でも差別なんてあるのか。」
「部落って聞いたことあるか。先祖がそういう階層にいた。ただそれだけで、子々孫々まで差別されることもあるんだ。まあ、歴史ってのは面倒なものでな…」
「北海道は歴史が浅いから、そういうことは分からないが、そうだったのか。」
「自分の出自を自分で選ぶことはできない。なのに、他人は出自を理由に不必要な差別を平気で行う。」
尊も全く同じ思いであり、北上の言葉に聞き入っていた。
「お前は、自分がアイヌであることをどう思っているんだ。」
「悩んだよ、言葉にできないくらい。でも今は、両親から受け継いだものを大切にしたいと思う。」
「そうか、きっといい親なんだろうな。俺のところもいい親だけどな。」
こんな話をできる和人の友ができたことに尊は感謝した。
北上も同じ気持ちであったろう。
「お互い、何をどこまでやったら同じ日本人と認めてくれるんだろうな。」
そして、北上は最後にこう付け加えた。
「生きて帰ることができたら、戦争が終わったら、どこかよその国に住みたい。」
「差別のない国に…」
昭和20年4月に米軍が沖縄に上陸。
そこで日本軍としては、兵士たちを乗せた飛行機十数機を米軍占領下の沖縄の飛行場に強行着陸させ、敵の爆撃機や戦闘機を破壊しようというのである。
尊たちは九州で出撃のときを待っていたのだが、ひとりの整備兵が声をかけてきた。
「お前、尊じゃないのか。」
「…?、兵吉なのか…」
間違いなく三笠兵吉であった。
高等小学校で同級生に怪我をさせ町を出て以来の、8年ぶりの再会だった。
お互いに嬉しくて、抱き合って再会を喜んだ。
「兵吉、どうしてたんだ、それに、何故ここにいる。」
「あの後、東京に出て、飛行機の部品なんかを作る町工場で働いていたんだ。赤紙が来て、今は飛行機の整備兵ってわけだ。」
「そうだったのか。そうだ、正二のことは知ってるか。」
「ああ、幌川にいる親戚からの手紙で知ったよ。ところで、尊、まさか…」
「そうだ、空挺隊だ。沖縄へ行く。」
それを聞いた兵吉は尊に殴りかからんばかりに怒った。
「どうしてだ、まさか志願したのか、だったら大馬鹿野郎だ!」
「いや違う、志願ではない。断ることもできた。」
「だったらどうして、幌川には母さんと妹がいるんだろ。」
昔と変わらず熱血漢の兵吉は必死に言うのであった。
「間違いなく死ぬぞ。沖縄には敵の飛行機と船がわんさかいるんだ。そんな中、敵の飛行場に着陸できると本気で思っているのか。」
「…」
「ほとんどの連中は飛行機に乗ったまま撃ち落とされて終わりだ。せっかく訓練を積んだのにすべてが水の泡だ。それにな、もうこの戦争に勝ち目なんかあるもんか。」
勝ち目がないことは尊自身にも分かりきっていた。
「正二が死んで何か変わったか。和人どもは誰も拝みに来なかったらしいじゃないか。そんな連中のために、お前が死ぬ必要なんかないんだ。」
そして、兵吉は驚くべきことを言い出した。
「尊、一緒に逃げよう。この戦争はじきに終わる。それまで山の中に隠れているんだ。見つかったら、俺にそそのかされたって言えばいい。和人が始めた戦争なんて知ったことか。」
興奮する兵吉とは対象的に、落ち着いた澄んだ目をして尊は答えるのだった。
「負ければ日本は敵国に占領される。」
「ああ、負ければいいんだよ、こんな国! 負けてアメリカにでもイギリスにでも支配されればいいんだ。よその連中に支配されれば、和人にも俺たちアイヌの気持ちが分かるってもんだ。ざまあみろだ!」
兵吉には許せなかった。
尊をそこまで追い詰めた和人が、日本が。
「兵吉、聞いてくれ。自分の命と引き換えに認めさせるしかないんだ。今の俺には、それ以外に何も残されていないんだ…」
悩みぬいた末の言葉だ。
そのことは兵吉にも手に取るように分かった。
兵吉の目からは涙が溢れていた。
「尊…」
「俺は嬉しいよ。お前は昔のままだ。昔のままの優しい兵吉だ。」
親友の兵吉に再会できたことは、天が尊に与えてくれた最後の贈り物なのかもしれない。