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第1話

挿絵(By みてみん)


登場人物など


冬月ふゆつき たける

北海道に住む青年。父はアイヌ。


冬月ふゆつき タミ(たみ)

尊の母。和人。


冬月ふゆつき 恵子けいこ

尊の妹。


三笠みかさ 兵吉へいきち 

尊の同級生のアイヌ。


落合おちあい 正二しょうじ

尊の同級生のアイヌ。


鈴谷すずや

尊たちが通う高等小学校の担任教師。


北上きたかみ

日本陸軍の空挺くうてい隊員。尊の戦友。


幌川町ほろかわちょう

主人公らが住む北海道の田舎町。



 一部、差別的な表現や、現代においては用いられない表現がありますが、そこには他者をおとしめる意図はなく、時代背景や世相などを忠実に表現することを意図したものであります。


 1930年代、北海道にある小さな田舎町、幌川町ほろかわちょう

 明治以後、北海道の本格的な開拓が始まってから70年が経とうとしているが、北海道の中でも札幌や函館などの都会からはるか遠いこの幌川町は、先進的な文化や開明的な思想とは無縁に近い、ともすれば時代の流れに取り残されてしまいそうな寒風が吹きすさむような町であった。


「てめえら、もう一度言ってみろ!」


 ドカッ! バキッ!


 高等小学校の教室でひとりの男子が数人の同級生を相手に喧嘩けんかをしている。腕っぷしはかなりのもので、何人かの男子生徒が口や鼻から血を流している。


「先生、男子が喧嘩してる!」


 女子生徒の叫び声を聞きつけ、数人の教師が飛んできた。


「こら、やめんか!」


「また、お前か。どうして喧嘩なんかするんだ。」


 2、3人の教師が暴れている男子生徒を押さえつけたのだが、彼の目からは刺すような眼光が放たれている。

 眼光というより「殺気」と表現した方が正しいのかもしれない。


「こいつらが、俺のことをアイヌだアイヌだとバカにするからだ。」


 しかし、ひとりの教師から意外な答えが返ってきた。


「お前はアイヌなんだから、アイヌだって言われて当たり前だろ。」


 そう言い放つ教師の表情からは、あからさまな侮蔑ぶべつが見て取れた。


「先生、それは言い過ぎでは…」


 そばにいた担任教師の鈴谷すずやがたしなめようとしたのだが、いかにも彼らしい気の弱そうな声であった。


「鈴谷先生。事実なんだから仕方ないでしょう。あなたは、こいつの味方をするのですか。」


「いや、誰の味方というわけでもありませんが…」


「だったら、口を出さないで下さい!」


 冬月ふゆつきたけるは離れた場所から、その様子を見ていた。


 いつものことだ。何をやったところで、そう簡単に人の考えが変わるものか。

 担任の鈴谷先生だって、結局はあっち側についてしまう。

 それが人間のさがだ。

 誰だって自分が一番可愛いに決まっている。


 さっきまで暴れていた生徒である三笠みかさ兵吉へいきちが尊のところにやって来た。


「お前は腹が立たないのか。年がら年じゅうバカにされて。」


「そうだな…」


 尊と兵吉は幼馴染おさななじみであるが、気の短い兵吉には、尊のどことなく冷めていてえ切らない態度が理解できなかった。


「もうよしなよ、兵吉も尊も。」


 もう一人の幼馴染である落合おちあい正二しょうじがやって来た。

 尊、兵吉、正二は幌川町に住むアイヌだ。

 この町だけではなく、北海道のあちこちにアイヌの人々が生活している。もちろん、北海道以外の日本にも。


 多くの和人が開拓の名のもとに北海道に押し寄せたことで、この辺境地にも鉄道や電気が引かれ、さらには学校がつくられ、和人のみならずアイヌの子どもたちにも教育の機会が与えられた。

 それによって、アイヌの生活や文化が和人のそれにみ込まれてしまったのだが、だからといって対等の仲間として認められているというわけではなかった。



「母さん、兵吉がまた学校で暴れたよ。」


 帰宅した尊が母であるタミにそう告げた。

 しかし、タミは炊事すいじ仕事の手を休めずに押し黙ったまま何も答えはしなかった。


 タミはアイヌではない、和人であった。

 親の反対を押し切って尊の父親であるアイヌの男と結婚したのである。

 しかし、父は息子の尊と娘の恵子を残し炭鉱事故で死んだ。

 炭鉱での大規模なガス爆発事故に巻き込まれ、地の底に埋まったまま今に至る。

 恐らく、遺骨が家族のもとへ戻ってくることはないだろう。


「母さんはどうして父さんと結婚したんだ。そのせいで、母さんの親とは喧嘩別れのようになってしまったのに。」


 尊は、何となく以前から気になっていたことを母に尋ねてみた。


「父さんを好きになったんだよ。それだけだよ。本当に優しくていい人だったから。」


 昔をなつかしむような目をしながら答える母の顔を見る尊の心中には複雑なものがあった。

 何年か前に、祖父母である母の両親に会った時のことを思い出していた。


「あれほど反対したのに、あいつはアイヌの男なんかと一緒になりやがって。今頃、後悔しているだろうに。」


 祖父のその言葉を聞いたとき、尊自身の中に流れるアイヌの血まで否定されているような気がして、それ以来、祖父母には会っていない。

 大切な娘をアイヌの男にとられた、祖父母はそのように思っているのかもしれない。


「自分は自分、他人ひと他人ひと。自分さえしっかりしていればいいんだよ。」


 母は強い人だ。


 父が死んでから、畑仕事の手伝いや内職など、金になることは何でもして子どもたちを育ててきた。

 祖父母に頭を下げて実家に戻ることもできたろうに。

 これからの時代、教育は大切だとの考えのもと、身をにして働いて自分を高等小学校へ入れてくれた。

 もちろん、高等小学校へ進んだアイヌの子どもは自分だけではなかったが、働き手である父親を失った家庭での母の苦労は想像を絶するものがあるだろう。

 母が眠っている姿を見たことがない。


 しかし、苦労して入った高等小学校にも差別は存在した。

 差別とは次世代へ受け継がれる文化であるかのように、親から子へ、そして子から孫へと継承けいしょうされていく。

 大人たちの差別的な言動を見て育った子どもたちは、何の疑いもなく加害者としての立場で差別を受け入れていく。

 物心ついたときから身近にあった差別は、子どもたちにとって当たり前のことでしかなかった。

 そこに、疑問も罪悪感も存在しないのだろう。


 尊にはアイヌと和人の血が半分ずつ流れている。

 口さがない同級生は、尊に対しても差別的な言葉を投げつけてくることがある。

 しかし、尊は兵吉のように立ち向かうわけでもなく、常にどちらとも距離を置くことで、この差別から逃れることができるのではないかとも思っていた。

 差別される側にいながらも、自身に流れる和人の血によって、いつかは差別する側にも受け入れてもらえるのではないか、そんなことを考えていた。


 常に曇り空の下にいるようなこの気持ちは、いったい何なのだろうか。


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