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第八話

 突如として俺の前に現れた伊津見先輩の父。どうやら彼は、俺と伊津見先輩のことをそういう関係であると思っている節がある。なら、その誤解を解けば伊津見さんも殺気を抑えてくれるかもしれない。

 そう考えた俺は、構えを取ったまま口を開く。


「流派……という訳ではありませんが、使うのは八極拳です。俺が京子さんに手首を掴まれていたのは、彼女が俺を逃がさないようにするためです」

「なに?」


 伊津見さんの圧が僅かに揺らいだ。

 彼は、その視線を俺から娘である伊津見先輩へと向けた。


「どういう事だ京子⁉ 父さんはまだそういうことは早いと思うんだがっ‼」


 若干の悲痛さが入った叫びを娘に叩きつける伊津見さん。何やら勘違いしているようだが、それを正すことも含めて後は伊津見先輩が何とかしてくれるだろう。


 俺は二人の会話の成り行きを見守ることにした。


「なにって……気になっている人を連れてきただけなんだけど……」


 おそらく、伊津見先輩は武術家として気になっている、ということを言いたかったのだろう。しかし、それでは言葉が足りないですよ?


 案の定、伊津見さんの勘違いは加速していた。


「父さんは言ったぞっ! 私より強い男でなければ京子は任せられないって……それを忘れたのかっ‼」

「忘れてないって! だからこうして相崎くんを連れてきたの‼」

「ならっ! 今ここでっ‼ 私が相崎とやらの実力を確かめてやるっ‼ ついてこい‼」


 伊津見さんは、最後の一言を俺に向けて放つと、空手館の方へと戻って行ってしまった。

 ……このまま帰っちゃダメかなぁ。


「さあ、いくぞ相崎くん」


 伊津見先輩が急かすようにして俺の背中を押してくる。

 しかし、このまま伊津見さんの誘いに乗るのは余りにも性急すぎではないだろうか。


「あの、伊津見先輩。お父さんのことなんですが……何か勘違いしたままじゃありませんか? もっと言葉を尽くせば——」

「お、お義父さん……だと……」


 俺の言葉を聞いて何故か愕然としたような顔をする伊津見先輩。

 なにやらトリップしてしまった伊津見先輩を見た俺は、彼女にもう一度お父さんを説得してもらうという事を諦めた。


 がっくりと肩をすぼめ、俺は空手館内へと足を踏み入れるのであった。



 * * *



「相崎くんと言ったかな。改めて紹介させてもらおう。

私は伊津(いつ)()京子(きょうこ)の父の伊津見邦彦(くにひこ)——そしてこの新古流空手館の館長でもある」


 相変わらず、上辺だけは丁寧な口調で俺に話しかけてくる邦彦さん。

 にしても、館長か……どうりであそこまでの覇気を放てるわけだ。


 俺達は今、武道館の中心にて向かい合っていた。

 どうやらまだ稽古の時間らしく、俺達を囲むようにしてここの門弟が正座で座っている。

 因みに俺は館にある道着を借り受けて、それを着ている。

 家に戻れば師範からもらった拳法着があるのだが、それはそれ、これはこれである。


「誰だよあいつ」

「さあ……でも、館長とやるなんて無謀な……」

「なんでも、京子さんを賭けた試合だとか……」


 俺を見た門弟たちががやがやと話し合っているが、邦彦さんが手をスッと上げると一瞬にしてその場が静寂に包まれた。


 どうやら、始めるらしい。


「さて、何時でも仕掛けて来てくれ……」


 邦彦さんは両手を広げると、構えを取らずにそう言ってくる。明らかな挑発だ。


 さて、どうでるか……。

 空手。手足による打撃に重点を置いた格闘技。

その理念は一撃必殺、故に技の威力は実に強力。一撃でも喰らえば危ないだろう。


 俺は慎重に邦彦さんの構えを観察する。

 構えを取り直した邦彦さんは拳を握らず、まるで柔道でもするかのように自然体の手を前に構えている。

 打撃だけではないのか?


 戦いにおいて怖いのは相手の技を知らないことだ……という話を聞いたことがある。

 俺は同門との仕合しか行ったことがないからその辺については実感した事はない。

 しかし、現に相手がどのような態勢から技に入れるのか、間合いはどうなるのか、そういうことが分かっていない今、俺は邦彦さんを攻めることに躊躇いを覚えている。


 俺と邦彦さんのにらみ合いは続く。

 体感で言えば既に三分は経っただろうか? 

 周りにいる邦彦さんの門弟たちがじれ始めたのが気配から感じ取れる。


 ぐずぐずしていてもしょうがない、か……。


 俺は構えを取るのを止め、直立に近い姿勢になると、漫然とした足取りで邦彦さんとの間合いを詰め始めた。


「なっ……⁉」

「あいつ、構えも取らずに館長へ……」

「舐めているのかっ」


 周りから驚きの声が上がる。中には俺を非難するような内容のものもあった。


「ほう、くるか……」


 一方、湛えている微笑を崩さずに俺の行動を見つめる邦彦さん。

 だが、彼我との距離が二メートルをきったところで、俺は足を止めた。


 邦彦さんの間合いギリギリ、と言ったところだろうか。

 因みに俺は構えていない。完全に直立という訳ではないが、足を前後にずらして配置しているくらいである。


「全く、誘っていたのは私なのだけどね……」


 不意に、邦彦さんが頭を掻きながらそう言った。

 確かに、俺は邦彦さんの誘いには乗らずにこうして逆に邦彦さんに敢えて隙を晒すような形でいる。

 俺は攻めた結果、知らない技に返されるのが怖い。だから、相手の出方を待つ。

 しかし、それは邦彦さんも同じなのだろうか?


 俺がそんな事を考えていると、邦彦さんは遂に俺に仕掛けてきた。

 彼の右足からの上段蹴りが俺の頭にまで迫って来る。


 俺はその蹴りをかわすようにして身体を後傾させる。

 邦彦さんの蹴りが、俺の頭が元あった場所を空振りした。


 しかし、バランスを失い後ろ側に倒れる身体。

 俺は踏ん張るようにして後ろ足に体重を乗せ……ない。

 代わりに、〝重みを抜いた〟——抜重した後ろ足を自身の身体の重心よりも更に後ろにずらした。

 勿論、後ろ足に体重をかけていないため後傾する身体は止まることはない。

 しかし、これでいい。


 俺は足にかかる重みを前足から後ろ足に入れ替えた。別の言い方をすれば、抜重していた後ろ足に体重をかけると同時に、前足を抜重したのだ。

 結果として、身体の重心より後ろにあった後ろ足が身体を支える事となり、身体が前傾——前方向への移動力が発生する。


 後ろに倒れかけた状態からの急前進。

 俺は邦彦さんの懐に潜り込むことに成功した。しかも、蹴りを放った直後で隙が出来ている。


 これなら……っ!


 俺はすぐさま右の拳を邦彦さんの腹に添えるようにして置いた。そして——


「っ……⁉」


 気が付けば、振り抜かれたはずの邦彦さんの右足がまるで逆再生するかのように俺の元まで迫って来ていた。

 だが、このまま根本で受けても俺には大したダメージは入らない。

 問題はないはずだ……。


 俺はそのままあの技を繰り出そうとした。

 しかし——


「なっ、巻きつ——」


 邦彦さんの右脚は俺の首に攻撃するのではなく、なんとハサミのように膝の裏で首を挟んだのだ。


 ——いや、それだけじゃない。

 右脚の勢いは止まらず俺を畳へと叩きつけようとする。


 組み技、寝技。それらあれば倒れてからでも戦えるかもしれない。しかし、八極拳——中国拳法全般にそのような技のバリュエーションは、ない。

 つまり、ここで倒されるわけにはいかない。


 俺は相手の右脚の勢いに合わせて身体の重心を移動させる。そして、その勢いがなくなったところでその場に踏みとどまる。

 勢いが消えた右脚ではこれ以上俺の態勢を崩すことは出来ない。むしろ、この右脚を通じてこちらが邦彦さんの身体を崩しやすくなったとも言える。

 俺は邦彦さんの右脚が俺の首に組み付いているのを許したまま、その身体を右側へと移動させた。

 俺の首を右側から挟み込んでいることを考えれば、そちら側に邦彦さんを倒してしまえば自動的に右脚も外れるであろうからだ。


 だが、流石に空手館長を務める程の達人。そうやすやすとは戦いの主導権を握らせてはくれない。

 俺が体全体の移動で邦彦さんを床に倒す前に彼は身体を捻って俺の首から右脚を外す。そして、右足が床に着地すると同時に身体に残っている回転力をも利用して左足での回し蹴りを放ってきた。


 一分の無駄も、隙も見せずにすぐさま次の攻撃を放たれては俺も後ろに下がってかわすことしかできない。


 俺と邦彦さんは再び地に両足をつけて対峙することになる。


 俺達はお互いにニッと笑い合った。

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