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第二四話

 あれから俺と師範はリビングに戻り、お互い机を挟んで向かい合い座っていた。


 目の前のカップを手に取り、その中に注がれたコーヒーを流し込んで喉を潤す。

 そして俺は口を開いた。


「それで師範……その暗殺拳とは、具体的には何なのですか?」

「そうですね、何から話したものか……」


 そう言って、師範は何かを思いだように目を瞑った。


「十一年前の事です……当時の私は大陸の方で拳法修業をしており、その際様々な拳法の伝承者の下を歩き回りました。その時に師事していたとある拳法家が話してくれたのです。(ガオ)の姓の一族には気を付けろ、と……」

「高、ですか……?」

「はい。なんでも千年ほど前に興った一族だそうで、どこにも属さない雇われの暗殺集団……だそうです。千年かけて磨き上げられた業はまさに暗殺拳と言うにふさわしく、とにかく虚を突くことに特化しているとも言われています。達人と言えども状況によってはあっけなくやられてしまうと……」

「そんな……」


 俺は思わず声を出してしまう。

 そんな奴らに師範は狙われていたのか……。


「君も知っている通り、中国拳法は秘伝でありそうやすやすと表に出すものではありません。ですが、私は修業の為にさまざまな師の下で鍛錬を積んだということもあって、一部の者達からは相当に恨まれていたようです。

 ……これは、つい数日前に私宛へと来た手紙の一枚です」


 そう言って師範が差し出した紙を俺は受け取るとその中身を読んだ。


 内容を要約すると、貴様はやりすぎた、高の暗殺一族を差し向けたからせいぜい怯えて待っているがいい……といった感じだ。多分。


「……」


 理不尽な内容に言葉が出ない。


「こんなことって……」

「仕方ない事だと思います」

「しかし……っ!」

「それよりも、今は目の前の脅威にこそ目を向けましょう」

「…………はい」


 確かにここで何を言っても意味はない。

 だから俺は話を戻すことにした。


「それで、どうするのですか?」

「迎え撃ちます」


 俺は師範らしからぬその言葉に驚いた。

 普段穏やかであるこの人だけに、まさかそんな事を言うとは思っていなかった。


 俺の思っていることが分かるのか、師範は言葉を重ねる。


「まあ、本来なら何事も争わずに済ますのが一番だとは思うのですが……こうして明確な敵意を向けられている以上無抵抗というわけにもいかないでしょう」

「で、ですよねっ」


 確かに、これ以外の選択肢は無いだろう。

 相手は百戦錬磨の殺し屋一族、説得で止まってくれるとは思えないしな。


 しかし、ここで師範の話は終わっていない。


「ですので、徹君にもそう言う手を用いて来る相手に相対するための修業を課したいと思っています」

「そう言う相手、ですか?」

「はい。高の一族は虚を突く技の使い手であると先ほど言いましたでしょう。

 ……先ほど君と仕合った時に感じた事ですが、技の習熟度の高さに対して攻撃を読む、感じるの力が些か低いように思いました。それは鍛錬の相手がいなかったことや実戦経験の乏しさに由来するものであり、君ではなくずっとついていてやれなかった私に責があるものです。ですので、六大開拳を教えるのと並行して、攻撃の知覚——聴勁(ちょうけい)も鍛えていきます」



 * * *



 翌日、師範の家の布団の上で俺は起きた。

 下手に外に出るのは危険であるということで、元々の予定であったここでの居候に許可が出たのだ。


 時はまだ早朝であるが、鍛錬をするには静かでいい。


 俺はまだ開き切っていない目をこすりながらフラフラとした足取りで稽古場に向かうと、套路の練習を始めた。


 練習を始めて三十分ほどたった頃だろうか、師範も起きて稽古場からなる音に気が付いたのかやってくる。


「おはようございます」

「おはようございます。朝から精が出ますね」

「はは、起きている間は体を動かさないと落ち着かなくて……」


 師範の言葉に後ろ頭をかきながらいう。


「もう始めますか?」


 昨日言っていた聴勁、その養成について俺は師範に尋ねた。


「まあ、そう慌てずに。先ずは朝食にしましょう」


 ……

 …………

 ………………


 あれから家の中に戻った俺と師範は食卓を囲んでいた。


 目玉焼きに豚汁、ご飯。実に日本の朝らしい健康な朝ごはんだ。


 考えてみれば、寝具が布団だったりと師範はかなり日本人としての生活を台湾にいても大事にしているように見える。


 合掌の後、箸を手に取って俺は朝食にありつこうとした。


 その時、扉からノックする音が聞こえてくる。


 俺は師範の顔を見る。


「私が出ます。一応警戒だけはしておいて下さい」


 師範がそう言って席を立ったので、俺も臨戦態勢だけは整えておこうと椅子から立ち上がった。


 師範が玄関から消えて扉が開く音が聞こえる。

 詳しく聞き取ることは出来ないが、何やら話し声が聞こえてくる。


 しばらくすると、師範はまたリビングへと戻って来た。

 ……ただし、一人ではない。後ろに見覚えのある老人、そして何人かの見知らぬ者達がその後をついて来ていた。


「あなたは……」


 俺は老人の顔をそう呟いた。

 彼は俺が一昨日出会ったマフィアの首領を務めていたお爺さんであった。


「なるほど、貴方と徹君が知り合いというのは本当のようです」


 俺の反応を見た師範が後ろからきたお爺さんに対してそう言う。

 そして、その言葉にお爺さんは笑いながら答えた。


「かっかっか、だから言うたじゃろう。そこな坊主には世話になった身だと」

「それはちゃんと理解しました……」


 少しだけ辟易とした様子でそう言う師範。珍しい。


 どうやら、朝食は後回しになることになりそうだ。



 リビング——師範の家は中々手狭で食卓が応接間を兼ねているため、一時的に朝食の食器などは撤去して場所を空けた——で向かい合う様に席に着く俺・師範とマフィアのお爺さん。

 ボディーガードの様な者達はいるのだが、お爺さんの横には座らずに後ろで立って控えている。


 そんな状況が師範の邸宅の一角を緊迫とした場へと変化させている。


「そこまで畏まらなくてもええよ」


 開口一番、マフィアのお爺さんがそう言った。


「まず自己紹介と行こうかの。儂ゃあ王龍斗(ワン・ロンレン)という、気安く(ロン)、とでも呼んでくれい」

「なっ、ボス⁉」


 龍さんの言葉に色めきだつ護衛達であるが、他ならぬボスの発言である。まさか俺と師範に文句をいう訳にいかずそのままボスの眼光によって黙らされてしまう。


「橘浩平と申します」

「私は相崎徹です」


 あれ、一昨日名前言わなかったけ?言ったっけ?などと思いはしたが、師範に続けて名乗ることにする。


「そうかそうか。それじゃあ橘さん、早速じゃが……あんた、今困っておるじゃろ」


 ……っ‼

 確かに師範は今、高の一族に命を狙われているが、それを知っているのは俺と師範だけの筈では?


 そんな俺の驚きが顔に出ていたのか、龍さんはまたもや笑った。


「やはりのぉ……」


 豊満な顎髭を擦りながらそう言う龍さん。

 そして彼の次の言葉に俺はまたもや驚くことになる。


「……どうじゃ、その案件儂に協力させてはくれんかな?」


 協力って……なんでだ?

 その理由は俺には皆目見当もつかない。


 ここで、それまで沈黙を保っていた師範が口を開く。


「……どこまで知っているのですか?」

「なにもかもよ。お主が高の暗殺一族に命を狙われていることは勿論、その原因……依頼主のこともな」


 その言葉を聞いてしばらく目を閉じる師範。

 考え事をするときのいつもの癖だ。


 やがて師範は目を開けるとこう言い放った。


「……申し出はありがいのですが、他者を巻き込むわけにもいきません。この件はなかった、ということで」

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