第二話
始業式を終え、俺は教室へと戻って来ていた。
クラスの皆も席についてワイワイと話し合っている。
無論、それは俺も同じであった。
「お前、さっきからずっと宮坂さんのこと見てるけど、まさか気になってんのか?」
「宮坂?」
「名前も知らなかったのかよ……宮坂玲那さん。スポーツも勉強も得意、その上容姿もいい。俺達二年のスターみたいなもんだぞ」
名前は知っていた、と俺は返そうと思ったが、それはそれで赤川にいじられそうだと思ったので俺は黙ることにした。
「そうなのか、知らなかったよ。それに、気になっていたといっても朝見かけた顔だなと思ったくらいだ」
「そうなのかぁ~?」
疑わしそうな目を赤川は俺に向けてくるが、別に嘘を言っている訳ではない。
「それよりお前、その宮坂さんとやらの近くにいた友達っぽい女子については知ってるか?」
「ん? 沢口さんか?」
「確か、下の名前が凛、だったと思う」
「ああ、それなら沢口さんだな。別に対して有名な訳じゃないが、宮坂さんとかなり仲がいいという話はよく聞いているよ」
「そうなのか」
「それにしても、あの徹が女子のことを聞いて来るなんて……人生何があるか分からないもんだな」
「うるせえ」
しみじみと呟く赤川に俺はそう言ったが、確かにあからさまな聞き方ではあったなと思う。
ガラリと教室の扉が開いたかと思うと、俺達のクラスの担当教員となった先生が教室内に入って来たので、俺達は話を切り上げて前を向いた。
* * *
一日の授業が全て終わり、放課後になった。
帰宅部の俺は早速家に帰ろうと下校の準備を進めていたのだが、早速邪魔が邪魔が入った。
「相崎くんはいるかっ!」
大きな音を立てながら教室の扉を上げたその女子は、これまた教室によく響く声でそう言った。
ポニーテールの髪がユラユラと揺れる。
「あっ、伊津見先輩。ちっす」
赤川の奴がそう挨拶する。
バカ、そんなことしたら俺が居ることがバレるだろう。
「相崎くんは?」
「ここです」
赤川は、机の下に身を隠していた俺を指さしながら言った。
こいつ、友人を売りやがった。
隠れていても仕方ないので、俺は観念して屈んでいた状態から身を起こした。
「おぉっ! 相崎くん、久しぶりだねぇっ‼ それで、空手部に入る気はないかな?」
「いきなりですね……お断りします」
「なんでだ⁉」
俺の言葉にオーバーなリアクションで返す伊津見先輩に俺は溜息をついた。
「その話は去年から断り続けていますよ。むしろなんで頷くと思ってるんですか」
俺は突き放すようにして伊津見先輩にそういう。
伊津見先輩は空手部の主将だ。そして、ことあるごとに俺を空手部へと誘ってくるのである。
しかし、正直にいって鬱陶しい。
俺は、荷物を積み込み終えたリュックを背負った。
「じゃあ、俺はここで……」
「えぇっ、ちょっとは話を聞いてくれても~」
追いすがる伊津見先輩を置いて廊下を駆け足で去っていく。
伊津見先輩も多少はこちらへの迷惑を考慮してくれているのか、無理に追ってくることはない。それはありがたいのではあるが、それなら最初からこちらに絡まないで欲しいところである。
* * *
「むむむむ……」
徹が教室を去った後を見つめながら伊津見は唸った。
「あれだけの逸材がくすぶっているのは歯痒いな……」
「あの~、伊津見先輩。徹ってそんなに凄いんですか?」
一人でぶつぶつと喋っていた伊津見に対して赤川はそう問いかけた。
「む? 確か君は相崎くんの友達の——」
「赤川です」
「ふむ、そうだったか……では赤髪くん、君は相崎くんの手をよく見たことはあるかな」
「赤川です。それで、手……ですか?」
「ああ、彼の手。ボロボロだろう」
「ええまあ、めっちゃ痛そうですよね。最初見た時はゾンビかと思いましたよ」
赤川は一年生の頃の事を思い出しながらそう言った。
めちゃくちゃにひび割れている徹の手の心配をして声をかけたのが、赤川と徹の初邂逅であった。
「それで、手の傷がどうしたんですか?」
「あれは武術の稽古の過程でついたものだ」
「えっ——」
予想しなかった返答に赤川が声を詰まらせた。
「どうしてそんな事が言えるんです?」
「そうだな、私も空手を始めてから実に十年は経つ。だからかな、彼のそれが鍛錬の痕であることは見てすぐに分かった……」
「へぇ~」
「——と、言いたいところなのだがな。別になんてことない。直接この目にしただけだ」
「へ?」
途中まで感嘆の声を上げていた赤川であったが、次の伊津見の発言に素っ頓狂な声を上げた。
「一年以上も前の話になるな。私が朝のランニングをしているときにたまたま公園で鍛錬している相崎くんのことを見かけたんだよ」
「はぁ」
「まあ、それで彼の事にも興味が湧いたのだが……それは別の話だ。ともかく、手があんなになるまで鍛え続けると言うのは中々できる事じゃない、ということを私は言いたいのだよ」
「なるほど……っていうか、徹そんな事してたんですね」
「ああ、これで私が彼を空手部に誘おうとしている理由も理解してくれたかな」
「ええ」
「それにしても……友人の君すら相崎くんが武道をやっているということを知らないという事は、彼、あんまり目立ちたくはないのかな?」
「あぁ~、それはちょっと違うと思いますよ」
伊津見の言葉を赤川は否定する。
「あいつ、自分のことを敢えて自ら話す必要はないと思っている節があるんで……勿論、聞かれたことはちゃんと話してくれるんで隠しているという訳ではないと思うのですが」
「ふむ……そうなのか……っと、そろそろ部活に向かわなければな。彼の勧誘に失敗したのは残念だが、私も自身の研鑽を怠る訳にはいかないしな。赤樫くん、明日彼に会ったらよろしく言っておいてくれ」
「赤樫じゃなくて赤川です。それはそれとして了解しました」
「それじゃあ、また会おうじゃないか」
伊津見はそう言って席から立ち上がると、駆け足で教室から去っていった。
それを見送りながら赤川は少しだけ首をひねった。
「普通、熱心に鍛錬している所を見ただけであそこまで熱心に誘おうとするものなのか?
……まあ、伊津見先輩のことだし、ありえない事じゃないか」
** *
校門から出た俺は、真っ直ぐ帰ろうと足を家の方向へと向けた。
しかし、そのとき後ろから声をかけられる。
「ねえ、ちょっといいかな?」
振り返ると、そこにいたのは俺が朝方に助けたフリフリな格好をしていた少女――沢口凛がいた。
「……」
なんと答えたものかと迷い、しばらくの間口を閉ざして沢口をじっと見つめる。
結局、俺が何か言う前に沢口が再び口を開いた。
「本当に少しだけでいいの。……そうだ、ここの近くのカフェはどうかな。お代はこっちで持つからさ」
流石にこのまま無言を貫く訳にもいかないか。
俺はとにかく何か言おうと頭を働かせた。
「……別に、自分の頼んだものくらいは自分で払うよ」
「っ! じゃあ!?」
「うん。別に急ぎの用事があるわけでもないし、いいよ」
俺の肯定を受け、沢口はホッとした表情を浮かべる。
「よし、じゃあ行こうか」
そう言って歩き始めた沢口の後を追うようにして俺も足を踏み出した。
近場にあったカフェに入り、二人席にお互い向かい合うようにして座る。
学校の近くということもあってか、結構な割合でうちの生徒が客を占めていた。
男女で来てる俺たちは中々目立っているらしく、チラチラとした視線を感じる。
「それで、早速なんだけど……あれ、誰にも言っていないよね?」
席について早々に沢口がそう言う。
やっぱり、そのことだよな。