第一〇話
「ふ~ん。所詮は人間、こんなものだよねぇ~」
新古流空手館の道場に突如として現れた少年に、伊津見京子は驚きをもって身構えた。
「なっ!? 相崎くんになにを……するっ……」
しかし、その身体から急速に力が抜けていき、動く事すらままならなくなってしまう。
明らかに、威圧感とは質の違うものであった。
「へぇ、君と……そこのおじさんは耐えられるんだ」
少年は、その赤い瞳を京子と、そして邦彦へと向ける。
少年は徹の腹に刺さっていた自身の爪を引き抜く。そして、その爪を指に収まる程度のサイズに戻した。
スススッといって縮んでゆく爪を見て、何か人ではない者を見るような目を少年へ向ける京子。
動けない彼女の代わりに口を開いたのは、徹の寸勁を受けて地面に沈んでいた邦久であった。
「待ちたまえ……君は、何者だ?」
仰向けの状態のまま、冷静な声色で少年に話しかける邦久。しかし、少年はその言葉をまるで聞こえていないかのように無視する。
気を失った徹を少年は肩に担ぐと、煙のように姿を消すのであった。
* * *
一方そのころ、凛と玲那も悪魔による襲撃に会っていた。
「凛!」
「分かったよ玲那ちゃん!」
玲那の声を受けて凛が手を上に掲げると、二人がシールドの様なものに覆われ、すぐ後に迫って来た中年の悪魔——エドラスの拳を防いだ。
「ぐぉぉぉっ!」
……いや、エドラスが更に力を入れると、ピキピキと音を立ててシールドひび割れ始めた。
「嘘ぉ⁉ 前はこれで止められたのに‼」
驚く凛をよそに、バリンと音を立ててシールドが割れる。
何も隔てるものが無くなったエドラスの拳が凛へと迫るが、その間に玲那が割って入る。
クロスさせた腕でエドラスの拳を受けたが、予想以上の衝撃に玲那は後ろの凛ごと吹き飛ばれてしまう。
「「きゃあぁぁぁぁっ‼」」
玲那は持ち前の運動神経で何とか上手く着地したが、凛はそのままに地面に倒れ伏してしまう。
そんな凛に向かうのはもう一人の青年姿の悪魔である。
「もらいましたっ!」
そう言いながらエドラスを超える速度で凛の元まで到達し、その腹に蹴りを加える。
「かはっ……!」
「凛‼」
吹き飛ばされる友人に駆け寄ろうとする玲那、しかし、それをエドラスが阻む。
「おらぁっ‼」
今度は手の平で軽く受け流すようにして防御する玲那。
しかし、その力の強さに受け流しに使った手がびりびりと痺れる。
(なんて力っ! 前まではここまでの力はなかったはずなのに……⁉)
驚きならも思考を働かせる玲那。
そこで、玲那は何かに気が付いたかのように一人の悪魔に視線を向けた。
「……どうやら、気づいてしまったようね」
玲那の視線の先にあったのは、先程から一切戦闘に参加せずにこちらを見つめていた女の悪魔——ギルダ。
赤目で緑のロングヘア―を持つその女は、答え合わせするかのように語り始める。
「そう、あなたの睨んでいる通り、エドラスの力が増しているのは私によるもの……貴方達は戦士型の悪魔としか戦ったことがなかったわね。果たして、術士型の私を含めた悪魔三人を相手にして生き残れるかしら……ふふっ」
既にこちらの勝利を確信したかのように語るギルダ。
玲那はチラリと凛の方を見た。
凛は先の状態から何とか態勢を立て直して青年の悪魔と対峙していたが、その圧倒的な速度に翻弄されていた。
「くっ……!」
どうすればこの窮地を抜け出すことが出来るのか……。
玲那の持ち前の頭の良さを持っても有効と思われる案は出てこない。
あっても自爆気味のこちらへのリスクが高い方法しか思いつかないのだ。
『どうすんだよっ‼ ここは一旦逃げた方がいいんじゃねえかっ?』
玲那の中に住み着いている精霊のマリスがそう告げてくる。
確かに、勝てないならばここは素直に逃げた方がいいのかもしれない……。
玲那がそう考えて凛に声をかけようとした時である。
「おまたせ~」
その場に新たに悪魔が現れたのである。
「よっこらしょっと……」
少年のような悪魔は肩に担いでいる道着を着た青年を地面へと下ろした。
その青年は、玲那が昼休みの時にあった相崎徹であった。
「なぜ彼がっ⁉」
驚きで固まる玲那であったが、エドラスは彼女に攻撃することなく現れた少年の悪魔——アリーシアに不機嫌そうに話しかけた。
「殺すんじゃなかったのか?」
「まあ、そういう話だったけども……だって、こいつを人質として使えれば、あいつらも簡単に降せるんじゃないかとおもってさ~」
そう言いながら精霊戦士の二人を指さすアリーシア。
「——という訳で、この子が殺されたくなかったら抵抗するのは止めた方がいいよ~」
まるで無邪気な顔でアリーシアはそう言い放った。
玲那だけでなく、凛にもその声は聞こえていたようで、
「なんでここに徹が⁉」
と驚きをあらわにしている。
玲奈から見てこの状況は実に不味かった。
逃げを考えかけていた所でそれを封じられてしまったのだから。
よしんば徹を見捨ててその場から去るにしても、それを凛が承諾するとは考えにくかった。
(どうすればっ……!)
そう玲奈が思った時である。
ゴンッ――
鈍い音が聞こえたかと思えば、アリーシアが地面に引き倒され、その頭部を地面へとぶつけていた。
アリーシアの足元を見ると、誰かの手によって掴まれている。多分、この手によったアリーシアは崩されたのだ。
その手の主は勿論――
「痛ってぇ……」
それまで死に体だと思われていた手の主――徹が立ち上がる。
漫然とした動作で体を起こす徹であったが、周りの悪魔たちは余りの予想外にその場から動くことが出来なかった。
血の滲む右腹を抑えることもなく、徹は周囲を見渡す。
「これは……」
状況がよく分かっていないのか、呆けた表情で徹はそう呟いた。
「徹っ、大丈夫なの!?」
起きたとは言えど、明らかに満身創痍な徹の姿に、思わず彼の元へ駆け寄ろうとする凛。
だが、凛と戦っていた青年姿の悪魔は、はっと正気に戻るとその行動を遮るようにして立ちふさがった。
「どけぇぇぇえっ!!」
青年姿の悪魔に拳を叩きつけようとする凜であったが、圧倒的速度でかわされてしまい。逆にその腹に蹴りを喰らう。
「うっ……」
その場に崩れた凛を捨て置き、青年の悪魔は徹の方へと向き直り歩いてゆく。
「彼が君とベルドゥームが敗れたという相崎徹……で合ってますか?」
敢えて、エドラスに確認するようにしてそう訪ねる青年の悪魔。
「……ああ、その通りだ。カイゼル」
エドラス悔しそうにしながらも、カイゼルと呼んだ悪魔にそう答えるしかなかった。
「そうか、くくくくっ……エドラス、ギルダ、手は出さないでくれよ?」
紳士的な態度から一変、獰猛な気配を隠すこともなくさらけ出すカイゼル。
彼は躊躇うこともなく徹へと突撃していった。
だが——
「なにっ……?」
カイゼルの拳は肩で受け止められていた。
カイゼルから見れば確かに拳を顔に当てていたはずだった。しかし、蓋を開けてみればその攻撃の矛先は逸らされている。
何かの間違い、たまたまだ……そう思って数度拳撃を放つ。
しかし、今度は当たる事すらせずに徹の横を空振るだけであった。
(なぜ当たらない……っ。いや、一体いつ躱しているんだ⁉)
驚きでカイゼルの腕が止まったと思うと、カイゼルの主観では次の瞬間に徹がカイゼルの目の前にまで来ていた。
既に腹には拳が添えられており、寸勁が放たれる。
「かはっ……!」
カイゼルの身体が大きく浮か……ない。
衝撃を逃がさないためか、徹はカイゼルの足を自身のそれで踏みつけていた。
がくんとカイゼルの膝が落ちかけるが、そこは悪魔クオリティ。何とか踏みとどまる。
だが、速度においては今いる悪魔の中でも最速であったカイゼルがああも簡単にあしらわれてしまった様子は悪魔たち——特に、相崎徹の戦いを初めて目にした者達からしてみれば驚愕でしかなかった。
しかし、それを為した当人である徹は至極面倒臭いと言った表情でこう言うのであった。
「どうした? 全員で来いよ……」




