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九州大学文藝部・三題噺

「コーヒー」「十戒」「超能力」

作者: 深江友貴

「先輩は、十戒って知ってますか?」

文芸部の部室で後輩が注いでくれたコーヒーを俺が座って飲んでいると、向かいに座っていた彼女は唐突にそう聞いてきた。後輩がコーヒーを俺に注いでくれるとは珍しいなと思っていた俺には寝耳に水だったが、頭の中から知識を少し引っ張り出す。

「十戒?あれか、モーセがどうたらこうたらって奴だろ。」

「いえ、それは十誡です。『かい』の字が違います。誡、じゃなくて戒です。」

彼女はそういうと、俺の目の前に二つの文字を空中に浮かばせてきた。誡と戒、日本語は何ともややこしい。日本人の俺でもいまだによくわからん。

「ふーん。それで、その十戒ってなんだ?モーセ以外になんかあるのか?」

俺が聞くと、彼女は自慢げに話し始めた。おお、周囲の空気が若干光っているぞ。

「なら、無知の先輩に私が教えてあげましょう。十戒というのは、仏教において見習い僧侶が守るべき戒律のことです。沙弥の十戒と呼ばれ、不殺生、不偸盗、不淫、不妄語、不飲酒、不塗飾香鬘、不歌舞観聴、不坐高広大牀、不非時食、不畜金銀宝の十個あります。」

彼女が戒律を読み上げるたびに、文字が空中に浮かんでいく。分かりやすいのだが、文字が難しいせいで分かりにくくなっている。

「へぇ。で、それぞれどういう意味なんだよ。」

「見ての通りだと思いますよ。生き物を殺すな、物を盗むな、性行為をするな、嘘をつくな、酒を飲むな、香水や装飾を付けるな、歌や踊りを鑑賞するな、膝よりも高い寝具や装飾がある布団で寝るな、食事は一日二回を守れ、資産を持つな。やたらと厳しいですが、こうでもしないと悟りを開けなかったんでしょうね。」

「今の生活と比べると、確かにハードだな。…で、何でこんな話を急に持ち出してきたんだ?」

コーヒーを飲んで、俺はそう尋ねる。確実に何か裏があると読んでのことだ。こいつが、仏教の説法をするような人間ではないことを俺はよく知っている。俺の問を聞くと、彼女は不敵に笑みを浮かべる。

「いえ、これに倣って、先輩にもこういう厳しい環境なら作品を書いてもらえるだろうという事です。」

「…は?」

「『…は?』じゃなくてですね。それならお尋ねしますが、今は9月ですけども、今年度に入って先輩小説をいくつ書きました?」

「そりゃあ、2つか3…「嘘つけ」0デス、ハイ。」

怒気がこもる彼女の声に俺は思わずひるみ、下を向く。そして、こんな声も出せるんだなと若干呑気に思っている自分が居ることに、コーヒーを飲みながら情けなく思う。いや、でもね。ネタはあるんだよ。書くネタは。それこそ、…

「…まさか、やる気を出せば、俺は書けるんだとか思っていないでしょうね。」

「ぶっ。」

俺は思わずコーヒーを吹き出す。こいつ、心も読めるのかよ!なんか色々能力持っているなと思っていたら、こんなところでさらに能力追加だと…!ゆっくりと、下げた顔を上げると、彼女の全身から怒りのオーラが迸っていた。ゴゴゴゴゴゴと心なしか音も聞こえてくる。手元にはどこから取り出してきたのか縄が握られていた。

「どうやら、図星のようですね。なら、今すぐにでも書いてもらいましょうか。たっぷりと、じっくりと。」

そういうと、彼女は立ち上がり、じりじりとこちらに向かってくる。俺はやめろとそう言おうとしたが、声が出ないことに気付く。それどころか、体にも力が入らない。手からコーヒーのカップが零れ落ち、床とぶつかって割れた。まさか。

「ええ、少し、先輩のコーヒーにはお薬を混ぜておきました。死にはしません。少しの間眠ってもらうだけです。その後には、大丈夫、ちゃあんと、起こして差し上げますよ。」

そういって彼女は縄で俺の身体を縛り始める。俺はそれに抵抗することも出来ぬまま、意識は闇に沈んでいった…


******


「どうよ、ちゃんと書いたぜ。」

俺はそういって原稿を彼女に手渡す。1時間そこらで書き上げたものだが、果たしてどうだ。

「なんか無理やりですね。小説をなんだと思っているんですか?それに、この後輩ってモデル私に似ているような気がするんですが。」

「気にするな。ってか、逆にお前、人を小説書かないからって睡眠薬盛るような人間か?」

「そんないかれた真似はしませんよ。まあ、先輩にはしてもいいかもしれませんね。」

「やめろ。」

げんなりする俺を見て、彼女は冗談ですよと笑った。

「で、とりあえず意見を聞きたい。この小説どうよ。」

そうですね、と彼女はしばらく俺の作品を見ながら考えていた。やがて、ぽつりと言う。

「もう一度最初から全部書き直してもらった方がいいと思います。十戒が浮いてますし、なんなら無くても話は通じそうです。しかも物語全体でごり押し感があります。これならいっその事、『後輩』に十戒について説明してもらえる文章の方がまだいいと思いますよ。」

ひどい言われようだ。まあ、仕方がない。小説を書くとはこんなものだ。自分で注いだコーヒーを飲みながら、もう一度構成を練り直し始める。キャラを追加するべきか。いっその事、時代を変えてみようか。コーヒーから湧きたつ湯気を見ながら、俺はただそんなことを思っていた。

「…やっぱり、十戒は入れにくいな。」

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