第2章 動き出す運命 4.決意
「ハァ、ハァ、ハァ……、もう一度お願いします」
――今のままじゃダメ、もっと強くならないと。
綾那は、つややかな黒髪を一つに結い上げ、剣持と武術の稽古をしている。
スチームパンク女の襲撃以来、暇さえあれば道場や局の訓練場で訓練をしている。
――あんな女に負けるなんて。
また、あんなことになるのは絶対にダメ。
二度と危ない目に遇わせない。
そのためには――
***
――――七年前、綾那十歳。
「おねえちゃん! 待ってー」
玄関を慌ただしく飛び出し、姉に声を掛ける二歳年下の弟、律。
「おそいよー! おいてっちゃうよー」
と、言いながらも振り返り足を緩め、弟に手を差し出した。
ドンッ――
「ごめんなさ……」
大きな手で口を押さえられ、軽々と抱え上げられ手しまった。
「おねえちゃんに何するんだ!はなせ!」
律が、私を抱え上げた大きな男に向かって掴みかかったのが見えた。
「じゃまだ、どけ」
野良犬でも払うように、軽々と律を押しのけるが、律も必死にしがみつく。
「おとーさーん!おね……んぐっ……」
ガツッ――
鈍い音とともに、律は男に蹴り飛ばされ地面に放り出された。
「ん――! ッン――!!」
必死で身体を捩り、男の手を振りほどこうと必死に藻掻くが、子供の力などたかが知れている。
大柄なその男の拘束はビクともしない。
それでも抜けだそうと必死で藻掻いていた。
「うぐっ……」急に男の拘束が緩んだ。
その隙に、なんとか男の手を振りほどき、律の倒れた方に走り出した。
その時、一台の車がタイヤを軋ませて停車し、男を乗せて猛スピードで走り去っていった。
「綾那!こっちだ!」
それまで見たこともない怖い顔で、父が立っていた。
その日は休日で、父も私たち兄弟と公園に行こうと、少し遅れて玄関を出ようとしていたところだった。
父の仕事は、CH管理局の騎士。
主な任務は、CHの身辺警護と採集家や収集家が起こす事件を担当する。
騎士は、家族にCHがいる場合に限り、休日でも武器の携帯を許されている。
この時にはじめて父の職業を知ることになった。
律は、頭を強く打ち酷いめまいに苦しみ、三ヶ月ほど入退院を繰り返した。
結局、幾つかの検査と手術を受け、日常生活には支障がない程度には回復したが、左耳に難聴が残ってしまった。
***
律が怪我をして、苦しむことになった原因は、私。
もう、誰もあんな目に遇わせない。
絶対。
「おーい、蒼太ーいい加減元気出せー。アイス買ってきたぞー」
あれからずっと引きこもっている僕のところに大地が差し入れに来た。
「食欲ないよ」
僕はあれから、何も手につかず学校の宿題も訓練もサボっている。
買ってきたアイスを勝手に冷蔵庫に放り込んだ大地が、強引に腕を掴んだ。
「そうだ。お前チョットこい」
渋々ついて行くと道場横の休憩室だった。
綾那が真剣な表情で訓練をしている。
「あいつ。綾那の弟な、子供の頃、彩奈が採集家に襲われて、そん時怪我してさ――」
大地は、綾那起こったことを話してくれた。
「子供の綾那には、そうとうキツかったんだろ。それから、すんげー訓練して、自分の身はは自分で守れるようにって。そんで局の仕事もするようになって、家出ちまったんだよ。弟をこれ以上巻き込みたくなかったんだろうな」
「あいつは強いよ。弱音とか一言も言わないよ……」
「あ、俺から聞いたとか言うなよ!」
「確かに綾那君は強いな。そこの悪魔王子と違って、自分のすべき事を良く分かっている。与えられた力も磨かず、ただ時間を無駄にするような輩には虫唾が走る」
クイと眼鏡を押し上げ、道司 樹が大燈標と休憩室に入ってきた。
荒事が多い大燈班には、異質にさえ感じる秀麗な容姿に気品のある身のこなしが、その言葉に冷酷さを与える。
「悪魔……って! そんな言い方――」
「いいんだ、大地。本当の事だよ……僕がいるとみんなに迷惑がかかる」
気色ばむ大地の腕をとり制止する。
「ふん。そうやっていつまででもウジウジと。貴様は目障りだ」
「よさないか、樹君」
「しかし、蒼太君。君のそのCHの身体は体質だ。嫌でも受け入れるしかない。
その上でその力をどう使うか決めるのは君自身だ。」
「だが、君の力は相当に強力なものだと我々は考えている。
故に、他国や反社会的組織の手に落ちるようなことは望んでいないのも事実だ」
「まぁ、いろいろ受け入れるには時間も掛かるだろうがな」
大燈の大きな手でポンと肩を叩かれた。
その時、局内に緊急放送が響き渡った。
都内の有名総合病院への出動要請だ。
***
慌ただしく、大燈と道司は走り出していく。
「班長、力の使い方は自分で決めろなんて言って良いんですか? 相当抑え気味で言ってましたが、あの力は国家をも転覆させられる力を秘めてる。まさに悪魔の力ですよ。局で厳重に管理したうえで十分に発揮させる必要があると思いますが」
「あぁ、彼なら大丈夫だよ。」
「知りませんよ。僕は。」
***
隣にいた大地の様子がおかしいのに気づき顔を覗き込む。
「母さんの病院だ……」
青ざめた顔でつぶやく。
大地の母親は、紅水晶のCHだと夏休みに入る前に聞いた。
一度だけ、会ったことがあるが、ほんわかと暖かく、陽だまりの中ふんわり風に揺れて咲く花のような人だった。
大地のお母さんが看護師だと聞き、慈愛に満ちた優しい人柄は、正に天職であろうと容易に想像がつく。
彼女に担当してもらうと、治りが早いという噂まで立っているらしいが、恐らくそれは本当のことだと思う。
そのお母さんに危機が迫っている。
分かったところで、大地が現場に行くことはおろか、行ったところで何も出来ず足手まといになり、返ってお母さんや他の人たちを危険にさらすことを理解しているのだろう。
唇を噛み締め、力を込めた拳は何度もこういった場面を乗り越えてきた葛藤が見えて、僕は声をかけることもできずにいた。
***
――――十三年前、大地四歳
「お母さん早くー! 始まっちゃうよ!」
慌ただしく、母を急かして家路につき、バタバタと靴を脱ぎ散らしテレビをつける。
「だいちー! テレビ近すぎよ-! もうちょっと離れなさい」
呆れた声を出す母の顔はいつも穏やかで、どこかうれしそうに微笑んでいた。
「やっつけてやるー!エイッ!ヤーッ!」
その年頃の男の子たちに漏れず、戦隊ヒーローに夢中だった。
放送時間はもちろんのこと、母に録画して貰った動画も毎日何度も何度も見ていたし、当然、友達との遊びもヒーローごっこで、お気に入りのヒーローの役は取り合いだ。
変身ポーズも、決め台詞も友達の中で一番格好良くできる自身もあった。
「ふはははは! どうだヒーロー! 降参しろ! こっちには人質がいるんだぞ!」
悪者役の父が凄む。
「その手をはなせ! 大丈夫! ボクが助けるよ!」
こんな遊びをよく父と母に頼んでやっていた。
***
母さん……
無事でいて……
「あんた達何やってるの?」
剣持が出動要請のため訓練を中断した綾那が、ウサギの耳がひょこんとついた、なんとも可愛らしいタオルで汗を拭いながら休憩室に入ってきた。
どうも綾那は、小さい頃から友達と遊んだりする時間が少なかったせいか、未だにこういった可愛いらしいものを好む傾向がある。
「うん、さっきの出動要請の病院……あれ、大地のお母さんの病院なんだ」
「うそ……」
拳を握りしめ、ずっと黙って一点を見つめている大地の様子を見れば、それが冗談や嘘ではないことはすぐにわかる。
それでも、ついつい綾那の口をついて出てきた言葉に縋りたい気持ちになってしまう。
嘘であってほしい。
間違いであってほしい。
僕にどんな力があるのか、僕にはまだわからない。
でも、さっき言われたような力が僕にあるのなら、僕はみんなを守りたい。
守るなんて、いつも守られている僕が思うのもおこがましいけど……
僕の力がみんなの役に立つのなら。
僕が知らない間、大地も綾那も自分たちが置かれた状況を受け入れ、悩み、戦い、傷つきながらも前に進んできた。
そんな事も気がつかず、僕はずっと突然巻き込まれた被害者ぶって、自分ではなにも考えてこなかった。
馬鹿だ……僕は……
――与えられた力も磨かず、ただ時間を無駄に――
本当にその通りだ。
言われないと分からないなんて、本当、情けない……
僕は強くならなければ。
*
その辺りでは特に高いビルの屋上。
眼下には、緊急車両や病院スタッフ、警察などがごった返しているが、早急な対応で、事態は沈静化しつつあった。
その中でも、一際強い眼差しと、威圧感を放っている人物を見下ろす二人の人物がいた。
「あいつら、本当に目障りだな」
銀色の髪に、灰色の目、色素の薄い白い肌が、どことなく吸血鬼を連想させる背の高い男が言う。
「えぇ、本当に」
黒髪に所々赤色の房の入った髪を風になびかせ女が同意する。
*