奇襲
バスローブから着替えた僕とルーシアが宿の外へ出ると、街は先ほどの咆哮で混乱した人たちで溢れていた。
「ドラゴンだ! ドラゴンが現れたぞ!」
という叫び声で、街中が阿鼻叫喚の渦に呑み込まれようとした。
かく言う僕も、「え? ドラゴン?」と頬を引きつらせた。
古の時代から生きる超常の存在――ドラゴンは世界最強の生物と呼ばれ、その生態はいまだ解明する糸口すら見つかっていない。
謎に包まれた超生物。それがドラゴン。
過去、ドラゴンが現れた街は跡形もなく滅ぶとされており、それが突如現れたというのだから混乱するのも無理はない。
と、その時だった。
僕の隣で状況を静観していたルーシアが、静かに口を開いた。
「落ち着きなさい」
凛とした声は大きくはなかったが、しかし混乱極める民衆を落ち着かせるような、不思議な力があった。
混乱していた人々はルーシアに気がつくと、ハッとなって声を荒げる。
「る、ルーシア様!?」
「ルーシア様だ!」
「黄昏皇女様がどうして!?」
「静かになさい」
ルーシアは驚愕している人々を一蹴すると、再び静かに口を開く。
「男共は女子供を安全な場所まで避難させなさい。ドラゴンは私がぶっ殺すわ」
「「おお! ルーシア様がドラゴンを退治してくださる! これでもう安心だ!」」
先ほどまで混乱していたのが嘘のように、人々の表情に喜色が浮かんでいる。
僕は澄ました顔でいるルーシアの横顔を見て、「さすがだな」と苦笑した。
「ちっ……ドラゴンめ。私とクロの時間をよくも邪魔してくれたわね……絶対に許さない」
「……」
僕はルーシアが呟いた言葉を聞かなかったことにした。
ルーシアはムスッと不機嫌そうにしながら、近くにいた男の獣人を捕まえると、
「それで、ドラゴンはどこ?」
※
僕とルーシアはドラゴンが現れたという場所に向かって一緒に走っていた。
「はあ、はあ! なんで僕も一緒に走ってるんだ!」
「お前は私と一緒にいた方がいいわ」
「なんで!」
「その方が安全だから」
なるほど、たしかにルーシアと一緒にいる方が安全かもしれない。
「というか、なんでドラゴンは急に現れたんだろうな!」
「急に現れた――のかしらね」
「ぜえぜえ、どういう意味だ」
「お前も見たでしょう? 空に浮かでいた大きな影。あれは空を飛んでいたドラゴンの影よ」
つまり、ドラゴンは以前からこの近辺に出没していたということ言いたいのだろうか。
ふと、僕の脳裏にエドワードと話していたことが過った。
もしルーシアの言っていた通り、ここ最近温泉国に現れていた巨大な飛行物体の正体がドラゴンだというのなら、ドラゴンが現れたのは一週間前ということになる。
一体どのような目的で?
そして、なぜ一週間もの間、何事もなかったのにこのタイミングで街を襲ってきたのか。
様々な疑問が浮かんできたが、さすがに走り疲れてきて思考が回らなくなってきた。
「ひいひい……ちょっと休憩っ」
「体力がないのね。この程度の速度で」
「す、少しでもお前の速度に合わせられた僕を褒めてくれ」
「偉いわね。よしよし」
「やっぱり、やめてくれ。癪に障るから」
「わがままね」
と、そんなやり取りをしていた最中――僕とルーシアに影が落ちた。
反射的に見上げると、僕たちの頭上に翼をバサバサ動かして滞空している巨大な――ドラゴンが現れた。
白銀に光る鱗と強靭な四肢にしなやかな尻尾、何よりも獰猛に輝く赤い目が本能的に恐怖を煽っている。
「ぜえぜえ、これがドラゴンか。初めて見た」
「こいつが私とクロの邪魔をしたのね。ぶっ殺す」
「おい油断は禁物……ん?」
ドラゴンをじっと見上げていた僕は、なにやらドラゴンの頭部に生えていた二本の角の間に誰かが座っているのが見えて首を傾げた。
月明かりの逆光で姿までは見えないが、その手には騎兵が用いるような円錐状の槍が握られているのが分かった。
「――やっと見つけた」
件の人物がそう呟くと同時にルーシアが地面を粉々に粉砕する勢いで跳び上がり、ドラゴンの顎に強烈なアッパーを叩き込む――直前、僕が瞬きした間に、ルーシアの拳を件の人物が受け止めていた。
宙で物凄い衝撃と爆音が走り、僕は思わず腕で顔を覆い隠す。
「っ!」
「へえ、君なかなか強いね。でも今は君に構っている場合じゃないんだ。悪いけど、ここは雑に押し通らせてもらうよ」
件の人物はそう言って、ルーシアを力任せに押しのけて距離を取り、空中に浮いたまま右手に持っていた槍を突き出す。
「聖槍――ロッゴミニアド!」
刹那、槍の先端が煌いて極太のビームが放出。
ルーシアは極太ビームをもろに受けてしまい、遥か遠方へぶっ飛ばされてしまった。
「なっ……! ルーシア!」
と、僕が吹き飛ばされたルーシアに気を取られていると、僕の上を飛んでいたドラゴンが目の前に降り立ち、大きな前脚で僕を押しつぶそうと――。
「ステイ! ウェールズ! 彼には聞きたいことがあるから、まだ殺しちゃダメ」
「――」
件の人物はドラゴンの頭の上に戻ると、今にも僕を押しつぶそうとしたドラゴンを止めてくれた。
「ぐっ……くそっ、ルーシア……!」
「彼女のことはそう心配することはないと思うけど。なかなか強かったし。君は彼女の心配よりも自分の心配をした方がいいと思うよ」
女性の声だろうか。
若い女性の声が聞こえる。
「一体、お前はなんなんだ……?」
「質問をするのは私の方だよ。君じゃあない。さて、いくつか答えてもらいたんだけれど、他に仲間はいないのかな?」
「な、仲間……?」
「とぼけてようとしても無駄だよ。君が一週間前、私を襲ってきた一味の仲間なのは分かっているからね」
「お、襲った……? 一体なんの話を……」
「うーん。正直に話してくれると手間がかからなくて助かるんだけどね。どうやら少し痛い目を見てもらわないといけないみたいだね」
彼女がそう言って、手にしている槍を構えた時だった。
『はあ……お腹が減ったデース。ペコペコデース……』
なにやら不可解な声が聞こえた。
「……今、誰が喋ったんだ?」
「? 適当なことを言って逃れようとしても無駄だよ。さあ、早く喋らないと痛い目を見てもらうよ?」
『うう、お腹が減ったデース。エネルギー切れデース……』
やはり、そうだ。
声が聞こえる。
僕はドラゴンに押さえつけられながらも、声が聞こえる方向に目を向ける。
『はあ……いつになったらうちはご飯を食べられるデスか……もうお腹ペコペコで力が出ないデス……』
声は――女の持っている槍からしているようである。
「……その槍、喋ってないか?」
「え」
僕がそう口にした途端、彼女はドラゴンの上で固まった。
しばらくして、彼女は戸惑ったようすで顎に手を当てる。
「まさかこの子の声が聞こえている……? でも、適当なことを言ってこの場を逃れようとしている可能性も……ねえ、君」
「な、なんだ?」
「本当にこの槍から声が聞こえたのかな?」
「あ、ああ。多分」
正直に答えると、彼女は数秒の間考える素振りを見せた後に口を開いた。
「ウェールズ。ひとまず、彼を連れて帰りましょう。彼を殺すかどうかは、あとで考える」
「――」
ドラゴンは彼女の言葉に従ってか、前脚で押さえつけていた僕を口で軽く咥えるや否や、翼を広げて飛翔した。
「え」
僕はこの状況にまったく思考が追いついていない中、ドラゴンは彼女の指示に従い大空を滑空。
「えええ!?」
こうして僕はドラゴンに攫われてしまったのだった。