只人の抗い
『――』
首なし巨人は黙って僕を見下ろしている。
僕も巨人を黙って見上げた。
『ぬしよ! 首なし巨人の攻撃を躱して懐に潜り込んでわしを押し込むのじゃぞ!』
「無茶言うな」
『安心せい! シロも言っておったがこやつはパワーとスタミナはあるがスピードはそれほどではない。ぬしでもよーく見れば躱せるはずじゃ』
「……」
とても不安だ。
しかし、やるしかない。
ここでやらねば全員死んでしまうのだ。
「ふう……」
僕は一つ息を吐いて首なし巨人を見据えて一歩踏み出した。
すると、首なし巨人も動き出してノコギリを左から右に向かって横なぎに振るう。
僕は一歩進めた足を戻して大きく後退することで、辛うじてノコギリを避けた。
首なし巨人は振るったノコギリを再び肩に背負って僕を見下ろす。
少しでもノコギリの間合いに入ったらズタズタにすると雰囲気で言っているように感じた。
「うん。これは無理だろ」
『これ諦めるでないわ! 思い切ってこやつの間合いの飛び込むのだ!』
「無理だろ。リーチが長すぎる。僕はシロみたいに素早く動けないんだぞ」
首なし巨人の攻撃はたしかに僕でも避けられるレベルではある。
しかし、巨体の割りに切り返しが速い。
一度躱しただけでは返すノコギリでズタズタにされるのは間違いない。
『大丈夫じゃ! わしが避けるタイミングを教えてやるから! ジャンプかしゃがみか指示するのじゃ!』
「そんなんで避けられるか」
縄跳びでもあるまいし。
『それ! 行くのじゃ!』
「分かったよ……!」
僕は再び首なし巨人に向かって足先を向けて――地面を蹴った。
首なし巨人は僕がノコギリの間合いに入ると同時に背負っていたノコギリを振り下ろす……!
『ええい! 右に避けるのじゃ!』
「ジャンプでもしゃがみでもねえ!」
僕は悪態を吐きながら間一髪ノコギリを躱す。
ノコギリが地面を破壊し周囲に岩の破片を飛ばす。
ルーシアとかならこの程度のこと意にも介さないのだろうけれど、僕にとっては飛んでくる破片ですら命の危険になる。
飛んでくる破片から目を守ろうと腕で顔を覆う――すると、
『バカ者が! 視界を自ら塞いでどうするのじゃ! しゃがめい!』
「!」
僕は聖剣の声を頭で考えるよりも先に体で反応した。
もはやしゃがむどころか地面の上にうつ伏せになる。
刹那――僕の頭の上をノコギリの巨大な刃が通りすぎて行った。
『ゆっくりしている暇はないぞ! そのまま右に転がるのだ!』
「くそ……!」
言われるがままうつ伏せの状態で右へ体を転がす。
その直後、僕が先ほどまで寝っ転がっていた場所にノコギリの切っ先が突き刺さった。
そして、再び地面が割れて飛び散った破片が僕に向かって飛んでくる。
今度は腕で顔を覆わなかったためか、頬を破片が掠ってなにやら暖かいものが流れる感覚がした。
『すぐに起き上がって前へ飛ぶのじゃ!』
僕は再び聖剣の言う通り動いた。
ギリギリだ――。
聖剣の声を聞いて頭で考えるよりも素早く体で反応して動いて、辛うじて首なし巨人の攻撃を避けられているに過ぎない。
そこに余裕は露ほども存在しない。
もしも神様とやらが存在するのなら、どうして僕にこんな仕打ちをしかけるのか問い詰めたいところである。
『休んでいる暇はないのじゃ! すぐに振り下ろしが来る! 右に避けて前に進むのじゃ!』
「っ!」
とにかく避けた。
少しずつ前に進みながら必死で。
しかし、僕が聖剣を押し込むよりも前に僕の方が先にスタミナ切れを起こした。
当然だ。
普段からこんなに運動したことなんてないんだから。
もう最初の二撃目、三撃目を躱した時点で息があがり切っていたし、そもそも僕みたいな一般人がこんな怪物と戦おうなんてすること自体が土台おかしな話なのだ。
『まずい! 疲れている場合ではないぞ! あと少し耐えるのじゃ! 左から横なぎの攻撃が来ておるぞ!』
言われて視線だけ左に向けると、すでにノコギリが僕の眼前に迫っていた。
体は疲労物質が溜まって重い。
足は震えて力を入れても動かない。
むしろ、立っていることが難しいほどだ。
全身の至るところに破片が直撃したからあざだらけで、関節は無理な運動を続けたせいで悲鳴をあげている。
死ぬ間際だからだろうか。
迫り来るノコギリがスローモーションに見える。
うん。
僕はとても頑張った。
こんな怪物を前にして数分くらい粘ったのだから健闘した方だろう。
これで僕の人生もお終い――。
そう思った矢先。
僕の脳裏にいろいろな出来事がフラッシュバックした。
脳裏に浮かんだのはすべてルーシアとの思い出。
『クロ。お茶を用意しなさい』
『クロ。プリンのおかわりを』
『クロ。ギロチンが必要かしら』
どうしよう。
こういう時ってもっと感動的な思い出が浮かんでくるはずなのに、まったく出てこないんだけど。
なぜ僕は走馬灯ですらルーシアに虐げられているのだろう。
しかし――そうだな。
まだルーシアを1人にさせるわけにはいかないよな。
多忙であまり娘を気遣ってやれなかった魔王。
厳しく娘に接するだけの女王。
周りは王女と敬うばかりでルーシアは独りぼっちだった。
あの寂しがりやな幼馴染はいつも誰も見ていないところで、独りぼっちで泣いていた。
「っ!」
僕は目を見開いて迫りくるノコギリを見る。
まだここじゃ死ねない。
僕はまだ死ねない。
空っぽだった体に再び活力がみなぎる。
焼べたのはルーシアに対する想い。
ただ一瞬だけでいい。
ほんの数秒だけでいい。
この怪物の息の根を止めることができればあとはもう――どうとでもなれ!
眼前に迫ったノコギリを躱すことは不可能だ。
ならば、”左腕”を犠牲にする。
僕は咄嗟に左腕をノコギリの前に差し出す。
直後、ノコギリのギザギザな刃が僕の左腕の肉に突き刺さった。
そうすることで、ゼロコンマ数秒ほどノコギリの進行を食い止めた僕は体をくの字に折って前屈みになることで攻撃を回避する。
代わりに左腕が引きちぎられるように持っていかれてしまった。
この瞬間、不思議と痛みは感じなかった。
僕は左腕を失っても構わずに前進し、首なし巨人の懐へ潜り込むことに成功する。
空かさず生きている右手で聖剣の柄を握り締め歯を食いしばりながら――。
『――!』
力の限り聖剣を押し込んだ。