昔の友達に会えました。
「ここがキャピタル・ヘリストン支店だ」
とCに説明され、ポッチーノはその建物を見上げた。ハウス・ポスタルのキャピタル・ヘリストン支店は、エンドポイント支部の3倍は立派な建物だった。
「すごいなぁ。うちもこれくらい立派なら良いのに」
「体面より実態だ。ここは単なる支店、それに比べてうちは支部だぜ」
「えーと……、シテンとシブって何が違うの?」
Cの説明に、ポッチーノは首をかしげた。
「内規上の権限が違うんだよ。細けえことは俺も知らんが、まあ、支部の方が凄いって覚えておけば良い」
「ふーん……。つまり、ボスはすごい人だったってことかぁ」
ポッチーノは分かったような分かっていないような、あやふやな顔をしている。
中に入ってみると、内装もなかなか立派だった。壁には絵画がかかっているし、照明も洒落たランプ。こういうところについ注目が向いてしまう辺り、ポッチーノも“女の子”なのかもしれない。
「いらっしゃいませ」
カウンターで挨拶してくれたのは、若い女の受付だった。これが本当の受付嬢である。“受付のジョー”とは違う。
Cは鞄よりデスドールから預かった封筒を取り出すと、それを受付に提出した。
「エンドポイント支部の配達員、C・コルニクスだ。あとはそちらで頼むぜ」
「お疲れ様です。確かにお預かりしました。後のことはお任せください。こちらが中間受領証となります」
と、受付のはCに受領証を渡した。
「この後のご予定は?」
受付嬢が尋ねると、Cは少しキザったらしい笑みを浮かべ、
「君と食事に」
「あ、そういうのは間に合ってます」
と無惨にフラレたCはこの直後、ヴァローナにくちばしで鋭くつつかれた。
「──この後は、エンドポイントに直帰だ。何か、持っていく物は?」
つつかれた所を痛そうに押さえながら、Cが尋ねる。
「それなら、こちらをエンドポイントまでお願いします」
と、受付嬢は大封筒を取り出した。今度はCが受領証を記入する番だった。
「──と、まあ、こういう感じだ。分かったな?」
建物を出ながら、Cはポッチーノに確認した。
「まず、配達物を出して受領証をもらう。ここまでは内回りと同じだが、今みたいに新たな配達物を任されることもある。それらを受け取って受領証を書けば、そこでの仕事は終わりだ。次からはおまえ1人でこなすんだからな?」
「うん、分かったよ」
ポッチーノはうなずいた。
「受付の人を食事に誘うのも仕事のうちなの?」
「……うっせ」
とC、毒づく。そのとき。
「ああ、やはり君か。久しぶりだね、C」
そんな声が、足音と共に横から聞こえた。
見ると、Cと同じくらいの歳のスラリとした人間の女性が、向こうからやってきたところだった。黒髪でなかなか綺麗な人だったが、どことなく一般市民とは異なる不思議な雰囲気がある。
「なんだ、レインクルスじゃねえか。久しいな」
と、Cは相手のことをよく知っているようである。きっとこの人はCの友達なんだろうな、とポッチーノは思ったが、尋ねようにも2人の会話に入り込めそうな雰囲気ではない。
「つーか、おまえがそんな軽装なんて珍しいな」
「私にもオフくらいある」
「オフか。なら、ちょうど良い。久々に会ったんだ。一杯つきあえよ」
「君は本当に女を食事に誘うのが好きだな」
「ひとつ言わせろ。俺は、蛇とババアと軍人は女と見なさないことにしている」
と、なかなかに話が弾んでいる。
「しかし、折角誘ってくれたのに悪いが、生憎これから、かの“名誉分隊長”を招待した食事会があるんだ。また次の機会にしてくれないか」
というレインクルスの返答に、Cは呆れ笑いを浮かべながら、
「オーケー。しかし、本隊副長の癖にオフの日まで接待とはご苦労なこったな」
「そう言ってくれるな。名誉分隊長は、私個人にとっても憧れの英雄なんだ。今は退役されているが、多忙の身らしい。そんな中、直に会って話までできるとなれば、私にはむしろご褒美だ」
レインクルスはどことなく誇らしげな口ぶりだった。が、そこでようやく
「そう言えば、C、そこの獣人は君の連れか?」
と、ポッチーノに目を向ける。
「まあな。ハウス・ポスタルの新米だ」
「ボク、ポッチーノっていうんだ。よろしくね」
ポッチーノはにこやかに言った。
するとレインクルスはCに視線を戻した。……もう、笑っていなかった。
「まあ、君のことだから大丈夫とは思うが、職業上言っておく。極力、目を離さないでくれよ。君の連れとは言え、獣人であることに変わりはない。何か問題を起こしたら、お互い面倒だ」
「あまり、あいつを悪く思うなよ」
レインクルスと別れた後、Cはポッチーノへ言った。
「あいつはな、青旗騎士団の騎士でな。悪気はないが、亜人には神経質なんだ」
「大丈夫。あれくらいなら何てことないよ」
ポッチーノは屈託のない笑顔で答える。
──このヘリストン国には、青旗・赤旗・緑旗・黄旗・黒旗という5つの王家直属騎士団が存在している。
主な仕事は旗の色により大別される。例えば赤旗なら国境警備。黒旗なら諜報および要人警護。青旗なら王家直轄地の治安維持、といった具合だ。これらの騎士団は、国民からも信頼と尊敬を寄せられている。
レインクルス・メルトニー・サトランピート・デクトネス・ド・アリスグラードは、Cの旧友であるのと同時に、名誉ある青旗騎士団の若き本隊副長だった。
治安維持を主任務として活動している組織の一員である以上、亜人の動きを警戒するのは仕方ないことなのである。何せ亜人は人間から相当に嫌われているのだから。
「それより、C。この後、どうするの?」
夕暮れの大通りを歩きながら、ポッチーノはCに尋ねた。
「そろそろ、エンドポイントに帰る?」
「いや、今日はここに泊まるぜ。俺はともかく、姉貴の体力がもたねえ」
と、Cが答える。肩にとまるヴァローナも、言われてみるとお疲れの様子だ。
「それに 、ボスは急いで届けろとは言うが、急いで帰ってこいとは言わねえんだ。ま、あまり道草を食うと、ウィスパーのやつから小言を吐かれるが」
「ふーん。じゃあボク、買い物したいんだけど、付き合ってもらって良い?」
とポッチーノが訊くと、Cは露骨に面倒そうな顔になった。
「なんだよ、買い物くらい1人で行けば良いだろ」
「そんなこと言わないで、お願いだよ。ボク1人じゃ心細いんだ」
ポッチーノは、上目使いでアピール。なんだかんだ言って、Cも誠実に頼られると断れない節がある。
「ったく、子供かよ。……分かった分かった。で、何を買うんだ?」
「靴。来るとき、途中で壊れちゃったんだ」
と、ポッチーノは縫い目がほどけ、分解してしまった革靴を指さした。
「なんで靴を買うだけで心細くなるんだよ。金ならそれなりにあるだろ」
「お金はあるんだけど、ほら、周りが周りだから」
と、ポッチーノはCに辺り見渡すよう促した。
大通りを行き交う人のうち、何人かがこちらをジロジロ見ながら話をしている。腫れ物でも見るかのような目だ。
「きっと、聞こえてないつもりなんだろうね。ボク、耳も良いから、このくらいなら拾えちゃうんだよ」
ポッチーノは強がるように笑っていた。
「何て言ってるんだ?」
「ボクのこと、積み荷に紛れて入りこんだ密入者だと思っているみたい。人に噛みついて変な病気を流行らせる前に、出て行ってほしいんだってさ」
「まるっきり野良犬扱いじゃねえか」
その言い草には、流石にCも眉をひそめてしまう。それでもポッチーノはまるで他人事のようだった。
「何か言ってやらなくて良いのか? 手さえ出さなけりゃ、そう大事にはならねえと思うが」
「ううん。ボクが何を言っても、何も変わらないもの。あと、昔、お父さんと約束したんだ。どんな辛い目にあっても、他の人を恨まず憎まず、前を向いて生きるって。お父さんと、そう約束したもの。約束は、守らないとね」
と、ポッチーノは穏やかな口調で語った。
それが、みんなの嫌われ者として生きてきた十数年の人生を経て、ポッチーノが出した結論だった。
「それに今のボクは1人ぼっちじゃないから。Cやボスみたいに、ボクの味方になってくれる人がいるから。だから、平気だよ」
そう言って、精一杯の笑顔を見せるポッチーノ。すると、ヴァローナがCからポッチーノの肩に飛び乗る。
「ああ、そうか。ヴァローナも仲間になってくれるんだよね。ゴメンね、忘れてて」
ポッチーノはヴァローナの頭を撫でてあげた。
まあ、健気な奴である。そこでCは1つの決心をした。
「よーし。そういうことなら、今日と明日はとことん付き合ってやる。何でも言えよ」
「本当? 良かった。ありがとう」
ポッチーノは尾をピンと張り、嬉しそうに礼を言った。
──白レンガで出来た建物が立ち並ぶ大通り。靴屋は、その一角にあった。
カウンターの奥に、様々な靴が並んでいる。大衆向けの靴屋なのだろう、値段も手頃なようだ。恰幅の良い奥さんが店番をしている。
Cは早速、
「なあ、女将さん。こいつに合う靴を探してるんだが、良さそうなのはあるかい?」
と、店番の奥さんに尋ねた。すると、
「ちょっと待ってね」
そう言って、店の中へ引っ込んでしまう。
「良い靴、あると良いな」
待たされている間、Cがポッチーノに言った。
「良い靴はきっとあるよ。ボクに売ってくれると良いけど……」
と、ポッチーノが不安がる。
その言葉の意味をCが問いただす前に、店の親父がやってきた。──しかめっ面だった。
「あんたかい? 獣人に靴を売ってほしいって言うのは」
と、不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「バカ言っちゃいけねえよ。通りを見てみろ。靴を履いてる野良犬がどこにいる? 猫もネズミも、みんな裸足だ。靴ってのはなぁ、人間様だけが身につけられる気高い物なんだよ。これを犬に売ったら俺は、客と犬を同列に見なした阿呆として、明日から組合の笑われ者だ」
靴屋の親父はそうまくしたてながら、ジロリとポッチーノを睨んだ。
「俺のじい様がこの靴屋を開いたときから、うちは金貨を何枚積まれようと、一足たりとも獣人には売らねえって決まってんだ。犬は裸足で十分なんだよ。他に用がねえなら、帰ってくれ」
「ああ、そうかい。それじゃ、代替わりしたときにでもまた来てみるぜ。……おい、行くぞ」
Cはポッチーノの手を引いて、有無を言わさず店の前から遠ざかり始めた。
「獣人ってだけで、ここまで嫌われるのか。そりゃあ、食い逃げにもなるってもんだな」
「大丈夫。まだ1件目だから。最初から上手くいくなんてラッキーは、なかなか起きないよ」
ポッチーノは相変わらず、割りきっている様子。
が、数歩ほど進むと突然、ポッチーノはきょとんとした顔で足を止めてしまった。
「今、誰かボクのこと呼んだ?」
「何? 誰かって、誰だよ」
Cが訊き返す。
「分かんないけど、なんか、聞いたことあるような声だった。……あ、また呼ばれた。こっちの方だと思うんだけど」
と、ポッチーノが通りの片側を指さす。
行き交う人々。何人かは蔑むような目でポッチーノを見ているが、彼らに彼女の名などわかるはずがない。
それならいったい、誰が……。
「おい、犬っころ。あっちの建物の隙間に、俺たちへ手招きしてる奴がいるぞ。知ってる顔か?」
先に気づいたのはCの方だった。
見ると確かに、人目につかなそうな建物の隙間で、商人風のエプロンをつけた小柄な人間の少年がこちらを呼んでいるようだった。
その顔を見たとき、
「……トリバー?」
ポッチーノは、思わず呟いた。
「トリバー! 久しぶり! 会いたかったよ!」
ポッチーノは歓喜の表情で、少年を抱きしめた。
獣人は身体能力が優れているので、ハグの力も人間の女の子のそれとは比べ物にならない。
「ポ、ポッちゃ……ん……、くる……し……」
「おい、バカ犬。会いたかった相手を出会い頭に絞め殺す気か?」
とCが言ったときには、既に少年は真っ青だった。
「え? ──あ、ゴメン! ゴメンね、トリバー」
ポッチーノは慌てて少年を解放した。
「しかしその様子じゃ、単なる知人ってレベルじゃなさそうだな」
Cが遠回しに尋ねると、
「は、はい……。僕は、そこの靴屋で見習いをしています。トリバー・トリバー・ワンコロフと言います。ポッちゃんとは、同じワンコロフ孤児院で育った仲です」
「ボクたち、血は繋がっていないけど、本当の姉弟みたいな仲だったんだよ」
ポッチーノが誇らしげに胸を張った。
「そう言えば、最後にボクたちが会ったのっていつだっけ」
「もう8年も前のことだよ。ポッちゃんが突然、孤児院を出て行っちゃって、僕、すごく心配したんだから」
と、トリバーは言った。
「うん。あのときは色々あったんだ」
ポッチーノはそうはぐらかしつつ、
「でも大丈夫。今はエンドポイントで、お賃金をもらいながら生活してるんだ」
「エンドポイント!? 治安が悪いって聞いてるけど、大丈夫?」
トリバーはひどく驚嘆した。
まあ、無理もない。外部の人間から見たエンドポイントのイメージなんて、概ねこんなものだ。
『この世で1番あの世に近い街』とか『命知らずと負け犬しかいない街』とか好き勝手言われているし、よく考えてみるとあまり間違っていない。
「大丈夫。ボクの逃げ足はエンドポイントでも1番速いから。誰にも捕まらないよ」
と、ポッチーノは誇らしげに言った。もっとも、本当に誰にも捕まえられなかったら、今頃デスドールに雇用されていないわけだが。
「やっぱりポッちゃんはすごいなぁ。──でも、元気そうで安心した」
とトリバーは感心しながら、肩にかけていたショルダーバッグを開けて、1足の革靴を取り出した。
「これ、ポッちゃんにあげるよ。僕が作った靴なんだ」
「え、いいの? やった、ありがとう。……おいくら?」
「ううん。お代はいいよ。その靴はちょっと訳ありで……」
大喜びするポッチーノを前に、トリバーは気恥ずかしそうに
「採寸を間違えて、形が崩れちゃったんだ。親方から『こんなの売り物になるか!』って怒鳴られちゃって。だから、これは売り物じゃないんだ。お金はいただけないよ」
と、小声で言った。
「でも機能的には大丈夫だと思う。履いてくれる人がいるなら、この靴もただ捨てられるより喜ぶだろうから、使ってあげて。もし、サイズがあわないなら持ち帰るけど」
「じゃあ、履いてみるね」
ポッチーノは試しに、その靴を履いてみた。そもそも今まで履いていた靴も、鉱山に捨てられていたボロ靴だ。多少はサイズが合わなくても我慢できる。
それに幸いにも、トリバーがくれた靴を履いてみたところ、以前の靴よりもポッチーノの足のサイズに近い気がした。
「あ、ちょうど良いよ。トリバー、この靴、もらってくね」
「本当? 良かった」
トリバーは心底、安堵したようだった。
「じゃあ僕、そろそろお店に戻るよ。あまり長く空けると親方に怒られちゃうから。ポッちゃん、体に気をつけながら頑張ってね」
「うん! トリバー、またそのうち会いにくるからね!」
とポッチーノに見送られながら、トリバーは路地裏からお店に戻っていった。
その姿が見えなくなるまで、ポッチーノはずっと手を振っていた。
「……おまえも、良い友達を持ってるじゃねえか」
Cがポッチーノの肩に手を置いた。
「大切にしろよ。靴も友達も」
「うんっ」
ポッチーノは新しい靴に履き替えて、すっかり嬉しそうに大きく頷いた。
「さて。そろそろ宿を探すぞ。あまり遅くなると、寝床の確保だけで一苦労だ」
「そうだね。行こう」
ご機嫌そうに尻尾を振りながら、ポッチーノはCの後について大通りへ戻っていった。