街の外へ旅立ちました。
翌朝のこと。
いつものようにポッチーノは、事務室でデスドールから指示を受けていた。
「前々から話していた通り、昨日でおまえの内回りの仕事は終わりだ。今日からは外回りにシフトしてもらう」
「任せてよ、ボス」
とポッチーノはグッと胸を張った。
「で、前から気になってたんだけど、その内回り、外回りってなあに?」
分かってない癖に安請け合いしたのである。
「宛先がこの街の内側か外側かという意味だ。今まで、おまえの配達先は全て、このエンドポイントの内側だっただろう。今日からは基本的に、街の外がおまえの目的地になる」
とデスドールが説明したちょうどそのとき。タイミング良く、
「ボス。待たせたな、俺たちはいつでも行けるぜ」
と、Cが肩に深紅の鷹ヴァローナをとまらせて事務室に入ってきた。
「良いタイミングだ、C・コルニクス。今回はポッチーノ・ワンコロフの研修もかねている。故に宛先はキャピタル・ヘリストンの一件だけだ」
「オーケー。先輩として、仕事のイロハって奴をきっちり叩き込んでやるぜ」
と、Cは頼もしい言葉を言いながら、デスドールから封筒を受け取った。普段、ポッチーノが運んでいる物より大きく、厚みも本数冊分はある。
「つまり、ボクはただCについていけば良いってこと?」
ポッチーノがそう言うと、ヴァローナが彼女を睨んだ。“Cに”という言葉に自分が含まれていなかったのが面白くなかったのかもしれない。
それを無視してデスドールは告げた。
「形式的にはそうなる。だが、次からはおまえ1人で各地を回ることになる。今回の仕事で何をすれば良いのか、しっかり学んでこい」
「りょーかいっ」
ポッチーノは今度こそ、自信を持って返事した。
「で、その『キャベツ・何とか』ってどこにあるの?」
「キャピタル・ヘリストンな」
建物を出ながら、Cはポッチーノに答えた。
「つーか、キャピタル・ヘリストンも知らねえのかよ。その名の通り、この国、ヘリストンの王都だろうが」
「それは知ってるよ。でも、場所が分からないんだ」
と、ポッチーノが答えた。
確かに常識に欠けている節はあるが、それでもここがヘリストン国内のバルモット領・エンドポイントであることくらいは知っている。首都の名は初めて聞いた気もするが。
「ひとまず地図とコンパスを買えよ。そしたら、簡単に分かるぜ」
「どこで売ってるの?」
「そんくらい、自分で探せよ。ただコンパスはともかく、地図はかなりの値だ。今回は俺が道案内してやるから、ボスからもらえる報酬で買え」
「分かった。そうする」
とあれこれ言いながら、2人は街と外の境界まで来た。害獣の侵入を防ぐために作られた有刺鉄線の柵の向こう側には、赤砂の砂漠が目前に広がっている。ここは、荒野の真ん中に作られた鉱山街なのだ。
この砂漠には、人を食う危険生物が多く生息している。そのため、ここを進む商隊はかなりの数の傭兵を雇うという。そして血の気の多い命知らずたちが高報酬に釣られて集まり、何人もの犠牲を出しながら砂漠を進むのだ。
とは言えこの2人の場合、そんな傭兵を雇ってなどいられない。
「まず、この砂漠を横断しなきゃ話にならねえ」
と、Cはポッチーノの方を見た。
「ハウス・ポスタルの配達員なら、これくらいは難なく横断できなきゃ話にならねえ。自信はあるか?」
「大丈夫。鼻の鋭さと脚の速さはボクの取り柄なんだ」
と、ポッチーノは自信たっぷりに言った。
「犬っころの癖に、言うじゃねえか。まあ、手加減はしてやるよ。本気でついてこい!」
Cがそう言った途端、ヴァローナがCの肩から空へ垂直に飛び立った。
「行くぜ、姉貴!」
とCが声をかけると、ヴァローナの真っ赤な体躯が炎に包まれる。
炎の塊は一気に膨れ上がり、シャボン玉のように弾けたかと思うと、──ヴァローナは元の数倍、人が乗れるほどにまで巨大化していた。
Cがその背中に飛び乗ると、ヴァローナは翼から火の粉を撒き散らしながら、ほんの一瞬のうちに空へ飛び立った。
「わぁ、かっこいいッ!」
ポッチーノは感心したと同時に、心のどこかで納得していた。
言い方は悪いが、Cはどう見てもただの人間。ハウス・ポスタルの配達員という割には、大して脚が速そうには思えなかったのである。
が、実際に移動を担うのはCではなかった。ヴァローナの方だったのだ!
「ボクも、負けちゃいられない!」
ポッチーノは全力で走り出した。
……一方、Cはというと大空の上。駿馬をも置き去りにする超高速で飛ぶヴァローナに、その背中で
「おいおい、姉貴。こんな速度出したら、犬っころがついてこれないぜ」
と、Cは苦笑しながら語りかけた。
「犬っころがボスに泣きついたら面倒だ。いったん、もどって──」
そう言いながら背後を振り向いて、言葉を途切れさせた。
赤砂の砂漠上に1つの動く姿が、彼の網膜にしっかり映っていたのだ。
──ポッチーノだ!
姿が小さく見えるのは、高低差の産物にすぎない。ポッチーノはしっかり、ヴァローナに負けない速度でしっかり追跡していた。
無論、Cが驚かないはずがない。砂漠は路面が悪く、走ろうと思えば簡単に足をとられてしまう。それなのに、いくら獣人は運動神経が良いとは言え、まさか自分たちに匹敵する速さで走ることができるなんて! 予想外の速さだ!
──ボスが目をつけただけのことはあるってわけか。正直、舐めてたぜ。
「姉貴、やっぱり現状維持だ。犬っころに追い抜かされたんじゃ、先輩の威厳がなくなっちまう!」
Cはそう発破をかけながら、ヴァローナに力を送りこんだ。
ただの力ではない。魔力とも呼ばれる特殊かつ玉虫色の力で、トレーニング次第では様々な現象を呼び起こすことができる。効能は多岐にわたるが、人はこれを十把一絡げに“魔法”と呼んだ。
もっとも、制御するにはかなりの訓練を要するため、単なる一般人が扱える物ではない。魔法を使えるということ自体、技能的に大きなステータスと見られることも多かった。例えば傭兵だって、魔法を使えるというだけでも待遇に大きな違いがあるという。
「加速だ! 姉貴!」
Cに送り込まれた魔力で、ヴァローナは急加速した。移動そのものは魔鳥ヴァローナが担う一方、Cの役割は外付け魔力タンク。ヴァローナに力を与え続けることで、スタミナ面を大幅に強化しているのだ。
この二人三脚で、コルニクス姉弟はずっと仕事をこなしてきたのである。
「流石にCもヴァローナも速いなぁ」
と、ポッチーノは空飛ぶ魔鳥を見上げて呟いた。無論、走りながらである。
「ボクも頑張らないと」
そう言いながら、既に常人の走る数倍の速さに達していた速度をあげる。
ポッチーノの驚くべき速さの秘訣は、獣人であるが故にただでさえ高い脚力を、魔法の力でさらに強化していることにある。
普通、獣人は魔法を使えないことが多い。優れた身体能力を持つが故に、あえて厳しい鍛練を積んでまで魔法に頼ろうと思う者が少ないからだ。
が、ポッチーノは迫害や食い逃げで追われるうちに、より速く走るための魔法訓練を無意識に行っていたのだ。もしかしたら、その潜在的な才でもあったのかもしれないが、とにかく字の読み書きもできれば魔法も使える、実入りの良い獣人なのである。
「ん?」
速度をあげたポッチーノは、目前に何かがあることに気づいた。鮫の背びれだ。背びれが、砂漠に生えているのである。
「スナザメだな?」
ポッチーノはすぐ、ピンときた。
魔法を使えるのは人間や獣人のような知的生命体ばかりではない。陸棲魚にカテゴライズされるスナザメもその一種で、魔法の力により砂中を自在に泳ぎ回れるのだ。
しかもスナザメは体長3メートルは下らない獰猛な大型肉食魚。自分より小さな生物なら、人間だろうと同族だろうと捕食してしまう。幸い、エンドポイントの内部へは地盤の関係で侵入できないようだが、エンドポイントを目指す流浪の民は、ちょくちょく犠牲になっているらしい。また、引き取り手のない遺体をスナザメの餌として処分するのも、エンドポイントではよくあることだ。
そんなスナザメが正面から迫ってくる。が、ポッチーノは慌てなかった。
目前まで迫ったスナザメが食らいつきにきた、その瞬間。
「よっ」
と側転でかわし、スナザメの攻撃を跳び越えた。捕まればポッチーノでもひとたまりもないが、捕まらなければ良いだけの話である。幸いにも、最高速度ならポッチーノの方が上だ。
「悪いね。ボクは君のランチにはならないよ」
と、方向転換するスナザメを置き去りに、ポッチーノは砂漠を駆けた。
これで一安心かと思いきや、砂漠の乾いた風に乗った嫌な臭いが、ポッチーノの鼻にひっかかる。
「うっ、まさか……」
ポッチーノが顔をしかめた。だいたい彼女の場合、視覚より嗅覚の方が信用できる場面が人間より格段に多いのである。
そして、その嫌な予感は誤らず的中した。目前の砂丘をぶち破るように、地下から巨大な虫が姿を現したのだ。
学名、マチクイムカデ。その名の通り、ムカデでありながらクジラをも上回る超弩級サイズなのだ。ポッチーノなんか勿論、ハウス・ポスタルの事務所すらも丸のみにできるだろう。かの獰猛なスナザメですら、マチクイムカデの前では餌に過ぎない。
──何せ、街を喰うムカデなのだから。
伝承によれば普段は地中深くで眠っているが、10年に1度眠りから醒め、胃袋を満たすまで決して再び眠ることはないという。
かつてポッチーノがエンドポイントへ移住してくる最中、このマチクイムカデに散々追い回されたのだ。あのときの恐怖はまだ覚えている。振り切るまでにどれほど苦労したことか。
「出たーッ! 仕事中に会いたくなかった!」
とポッチーノは嘆いたが、まあ、仕方がない。
マチクイムカデは、既にポッチーノへ狙いを定め、まっすぐに突っ込んでくる。
その上空をCとヴァローナが軽々と飛び越えていくのが羨ましい。
迂回なんかしていたら、Cたちを見失ってしまう。
「やるしかないか」
と、ポッチーノは敢えてマチクイムカデに真正面から立ち向かう。
単なる遠近感の話なのだが、近づけば近づくほどマチクイムカデが巨大化しているように見えて、マイペースなポッチーノも少しは臆した。
が、ヴァローナが優雅に空を“飛べる”なら、ポッチーノだって華麗に宙へ“跳べる”のだ!
魔術で脚力を一気に高め、ポッチーノはマチクイムカデの頭へ跳び乗った。そのまま尾の方へ向かって、背中の上を猛ダッシュ。
マチクイムカデは危険な肉食生物だが、背中に乗ってしまえば大して怖くない。捕食する口もないし、あまりに巨体すぎてポッチーノが乗ったくらいでは気づかないのだ。
このまますれ違ってしまえば、あとはポッチーノの勝利は確定だ。まだ魔法の腕が未成熟だった頃とは違い、今やポッチーノの方がマチクイムカデより速いのだから。
向きを変えだしたマチクイムカデの姿が砂丘の影へ消えたとき、急に上空のヴァローナが高度を下げてきた。
「おい、犬っころ。なかなか、やるじゃねえか。流石はボスの見こんだ獣人ってところか」
と、Cがポッチーノに呼びかける。
「ふふーん」
なかなか人に褒められることがないポッチーノは、もうこれだけでも鼻高々だ。
「が、有頂天になるのは到着してからだ。このペースで走れば、夕方までにはキャピタル・ヘリストンにたどり着ける。体力はもちそうか?」
「うん! もっと速く走れるよ!」
ポッチーノは元気よく答えた。するとCは、ヴァローナに語りかける。
「聞いたか、姉貴。生意気な新人に煽られちまったぜ。どうするよ」
途端、ヴァローナは力強く羽ばたき始めた。砂ぼこりを纏いながら、火の粉を撒き散らして再び空へ舞い上がる。
「すごい! カッコいい!」
ポッチーノは素直に感心した。
が、呑気にしていられない。事実、ヴァローナの速度はかなりのものだ。このままでは引き離されてしまう。
それに、この砂漠の恐ろしさは夜にある。明かりになる物は何もないし、獲物が寝静まるのをじっと待ち続けるハゲタカ、夜行性の猛毒サソリ、その他とにかく危ない生物が山ほどいるのだから。
「ボクも、もっと頑張らないと」
と、速度をあげようとしたその瞬間。ふいに足元がもつれて、ポッチーノは転倒してしまった。
「きゃんっ」
たっぷり数百メートルは転がったが、幸いにも地面が柔らかい砂地だったので、ケガはせず済んだ。
ただし、靴は大破していた。ポッチーノの類いまれなる身体能力に、安物である靴の耐久性がついてこられなかったのだ。それで転んだのである。
「あーあ、気に入ってたんだけだなぁ……」
ポッチーノはしゅんとしたが、センチメンタルに浸ってばかりいられない。
「って、Cたち、もうあんな遠くに!? ま、ままま待ってよー!」
あっという間に遥か彼方へ遠ざかってしまったコルニクス姉弟を追って、ポッチーノは裸足で砂漠を駆け始めた。
そんな調子で、ポッチーノたちがキャピタル・ヘリストンへ到着したのは、日が傾き始める直前だった。魔鳥に乗ったままでは流石に降りられないので、Cたちはその少し手前の草原に降り立ち、ポッチーノと共に歩いてやってきたのだ。
「おおー、ここが王都かー」
そびえ立つ城壁を眺めて、ポッチーノが感嘆の息をもらす。
キャピタル・ヘリストンは海に面する港町としての側面も持っている。今まで内陸部でずっと生きてきたポッチーノにとって、初めて嗅ぐ潮風は不思議な匂いだった。知らない土地へ来たことに対する期待に、胸の内で心が踊る。
「行くぜ、犬っころ。こんなところで油を売っても仕方ねえ」
と、Cはポッチーノを小突きながら言った。ヴァローナは到着と同時に元の大きさにもどり、今はCの肩にとまっている。
──黄土色の煉瓦が積み重なってできた城壁は大木のように高く立派で、砂と錆びの目立つエンドポイントの街並みにはない迫力があった。
城壁の手前には堀があり、中に入るには番兵の見張る吊り上げ橋を渡るしかない。ただ、見たところ通行人が特に審査を受けている様子はないので、たぶん難なく入れるだろう。
ポッチーノとCはそんな通行人らと一緒に橋を渡り、門を通ろうとした。が、そのとき。
「そこの獣人、止まりなさい」
番兵がポッチーノを呼び止めた。
「え? ボクのこと?」
「このキャピタル・ヘリストンは、通行許可証を所有しない獣人の立ち入りが禁じられている。通行許可証を提示できないなら、速やかに帰りなさい」
そう言われても、ポッチーノとしては困ってしまう。許可も何も、ここへ来るのは初めてなのだから。
すると、
「こいつの身元は、俺たちハウス・ポスタルが保証する」
Cが話に割って入った。門番はいぶかしみながら、
「君は?」
「ハウス・ポスタル配達員、C・コルニクス。この犬っころは俺の見習いだ。俺が全責任を負う」
と、なんだか黄銅で出来た小さな金属のカードを番兵に見せている。あんな立派なもの、ポッチーノは持っていない。
番兵はそのカードをジロジロ見た後、
「……通ってよろしい。1泊2日までの滞在を許可する」
と、やや不満げな口ぶりではあったが、道を開けてくれた。
「ありがとう」
門をくぐりながら、ポッチーノはCに礼を言った。
「獣人って、あんな扱いを受けるんだな。初めて知ったぜ」
「大丈夫。ボクはもう慣れてるから」
平然と答えるポッチーノを見て、Cは初めて獣人の社会的立場に関する問題の深刻さを感じたのだった。
「それより、さっきのあのカードはなあに?」
「あれか? あれはハウス・ポスタルの配達員であることを証明する身分証だ。まだボスからもらってねえのか?」
「うん」
「なら、帰ったらボスに相談してみろ。配達先で不審者扱いされたとき、こいつを見せれば話がこじれなくて済むぜ。その代わり、悪用は厳禁だ」
「へえ。便利な物もあるんだね」
と、ポッチーノは改めてボスのデスドールに感謝した。
「さあ、行くぞ。ここまで来れば、俺たちの仕事も最後の仕上げだ」
多くの商店が並ぶ大通りをCは歩き出す。
「うんっ」
ポッチーノは、Cから離れないよう隣にくっついて歩いた。
──仕事は最終段階に突入したが、ポッチーノの受難はまだ始まったばかりである。