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わんこ戦記 ~ ボクをバカ犬と呼ばないで  作者: Roxie
エンドポイント編、あるいは新米配達員ポッチーノの章
2/30

初仕事の時間になりました。

 荒廃したスラム街、エンドポイントに朝日が昇る。

 地下にあるデスドールの仕事部屋に窓はないので、朝の到来を告げる物はなかったが

「……そろそろか」

 頃合いを察して、デスドールが本を閉じた。

「え、やっとボクの出番!?」

 ポッチーノが目を輝かせながら、バネのようにソファから飛び上がる。労働意欲という点では、何の問題もなさそうだ。

「なんでもやるから、やり方教えて! 早くぅ」

「焦るな。落ち着きのない奴に限って、ここぞという時に失敗するものだ」

 と、デスドールがたしなめる。

「それに、昨晩雇ったばかりの新米に大仕事は任せられない。まずは簡単な仕事で段取りを学んでもらう」

「何でもいいよ。お賃金さえもらえれば」

 ポッチーノはあまり深く考えていないようだった。

 まあ、獣人の頭というものは人間に比べて単純に出来ている。いくら文字の読み書きができるとは言え、若い獣人などこんなものなのだ。

「それで、まず何をすれば良いの?」

 とポッチーノが尋ねると、ほぼ同時に事務所のドアが開いた。

「やあ、ボス。いつになく騒がしいね」

 姿を現したのは、真っ赤なローブに身を包んだ仮面の人物だった。

 男とも女ともとれる絶妙な高さの声で、顔も舞踏会で貴族が身につけているような仮面で覆っているので、年齢も性別もよく分からない。

 手足の先すらもローブの内側に隠し、赤く長い頭髪を除くと、体の露出はゼロと言っても良いほど少なかった。これではまるで、等身大の人形である。

「君とは長い付き合いだが……」

 と、その仮面の人物はデスドールからポッチーノへ視線を移し、

「……そんな野良犬を飼う趣味があったとは、初めて知ったよ」

「ちょうど良い所に来たな。こいつが“外回り”の後釜だ」

 デスドールがポッチーノを指さす。

「なるほど、なるほど。うちの人手不足ぶりもついに、犬まで雇わないといけないレベルにまで達したか」

 仮面の人物は皮肉気味な笑い声をこぼした。

 そんな笑われ方をされることについては、ポッチーノももう慣れている。仕事を探していた頃、「うちには、犬に任せられる仕事はねえ」と何度なじられたことか。

 なので、雇ってもらえるのなら、些細なそしりは平気だ。

「ハウス・ポスタルは徹底した成果主義だ。成果さえあげれば、種族や経歴は不問となる。それに、小賢しい奸計を働く人間に比べれば、正直に働く犬の方が便利だ」

 デスドールの答えに言い淀みはなかった。それは、ポッチーノを雇用することについて迷いがないことを意味している。

 それを察すると、仮面の人物は

「そうかい、そうかい。君がこの支部長として決断したことなら、このウィスパーが今さら口を出す話ではなさそうだ」

 とささやくような声で言って、デスドールに背を向ける。

「後始末に奔走させられるのは、もう御免だからね。上手くいくことを祈っているよ」

 そう言い残し、部屋を出て行った。

「……今のは?」

 ポッチーノが尋ねる。

「この支部のナンバー2。ウィロン・O・ウィスプだ。もし俺が不在のときや手が離せないときは、あれに指示を仰げ」

「うん、了解」

 とポッチーノは答えながら、ここの人はみんな変な外観なんだな、とこっそり思っていた……。

「それはそうと、そろそろ仕事に取り組んでもらう」

「待ってました!」

 ポッチーノの目が再び輝いた。

「1度しか説明しないから、よく聞け。まず、これが今回のおまえの仕事だ」

 と、デスドールは机の上から1つの分厚い封筒を手に取り、それをポッチーノへ渡した。

「宛先は読めるな? それを届けてこい。向こうで受領の証としてサインをもらえ。それを持ってここへ戻ってくる。それで仕事は完了だ」

「それだけでいいの?」

 思いのほか簡単そうな仕事に、ポッチーノは思わず聞き返してしまった。

「そうだ。だが、ハウス・ポスタルは配達員にいくつかの禁則事項を課している。これを破ったらクビだと思え」

 と、デスドールは重々しい口調で説明した。

「特におまえが守らないといけないのは3つだ。1つ、手紙の価値を損なう行為を禁ずる」

「えーと、手紙の価値って言うと……。つまり、手紙を破いたり汚したりしたらダメってこと?」

「当たり前だ。他にも、宛先以外の人間へ渡すことや勝手に開封することも許されない。とにかく、預かった物はそのまま正確に届けろ」

「うん、分かった」

「2つ目は、出来うる限りの最善を尽くせ。必要な休息は認めるが、余計な寄り道や観光は御法度だ。いいな?」

「気をつけるよ。最後は?」

「1番重要なことだが、虚偽の報告は厳禁だ」

 デスドールは言った。

「これを犯せば、例外なく最も重いペナルティが課されることになる。おまえの前任者はこれを破って“処分”された」

 それは静かな口調だったが、これまでポッチーノが浴びせられてきたどの罵声より恐ろしいものだった。

「処分って?」

 ポッチーノは、震え声で恐る恐る尋ねてみる。

「知らない方が良いこともある。おまえが正直に働けば無縁の話だ」

「分かった。ボク、正直者になるよ」

 と、ポッチーノは何度も何度も、首を縦に振った。

「それと、おまえが1番知りたい話だろうから、一応言っておいてやる。今回の仕事に対する報酬は、銀貨5枚だ」

「ぎ、銀貨5枚!? そんなに!」

 早くもポッチーノの目が刑罰の怖さから“お賃金”一色に染まる。

 銀貨5枚。決して贅沢はできないが、切り詰めれば2日分の食費くらいは賄える。なので、一般的な尺度を用いれば、大金と呼べる金額ではない。

 だがポッチーノは、このエンドポイントに流れついてから、そんな金額を手にしたことはない。それだけあれば、もう食い逃げなんてせずに済む。追いかけまわされなくて済む!

「本当にそんな大金、ボクなんかがもらって良いの?」

「ハウス・ポスタルは、勤勉な働き者への報酬は惜しまない。例え薄汚れた獣人の小娘でも、成果さえ出せば見あった報酬は約束する」

「分かった! ボク、頑張るよ!」

 ポッチーノは手紙の入った封筒を抱えて、部屋を飛び出した。




 こうしてポッチーノは、何事もなく手紙を届けに出発できたのか。いや、そんなことはなかった。

「あーら、可愛いワンちゃんだことぉ」

 建物を出ようとしたところ、そんな野太い声と共にポッチーノは襟首をつかまれた。

 振り向いたポッチーノの目に、けばけばしい特大サイズのドレスを身にまとった、青髭で厚化粧の気色悪い巨漢が映る。

 その太い腕は、ポッチーノを軽々と持ち上げてしまった。

「でもねー、勝手に色々持ちだされると、お姉さん、困っちゃうのよねぇ」

「違うよ、ボク泥棒じゃないよ。今日からボスに雇ってもらうことになったんだ」

 と、ポッチーノは足をばたつかせる。

「あら、アタシ、そんな話聞いてないわよぉ」

「誤解だよ、離してぇ!」

 ポッチーノがじたばたしても、この女装した巨漢は見た目通りに力が強く、なかなか振りほどけなかった。

 すると、

「やれやれ。騒がしいと思ったら、君の仕業か」

 と、そこへ先ほどの仮面の人物、ウィロン・O・ウィスプが、気配も音もなくいつの間にか姿を現した。

「ジョー、放してやるといい。その犬は昨晩、ボスが新しく雇った奴だ」

「えぇ? いやだ、そうなのぉ? もう、ボスったらアタシに何も教えてくれないんだからぁ」

 その巨漢はポッチーノを地面に降ろした。

「ごめんなさいねぇ。アタシ、ここの受付嬢をしてる、ジョーっていうの。困ったことがあったら、何でも聞きなさい。お姉さん、いくらでも相談に乗っちゃうんだから」

 受付嬢? ポッチーノは耳を疑った。どう見ても“嬢”ではない。

 強いて言うなら、“受付のジョー”くらいの表現が妥当な気がするのだが。

「うん、よろしく。ボク、ポッチーノって言うんだ。ポッチーノ・ワンコロフ」

「あーらまぁ、可愛い名前だこと。でも、お顔が汚れているのはいただけないわねぇ。それじゃあ、配達先にも相手にしてもらえないわよぉ」

 と言って、ジョーはピンクのハンカチでポッチーノの顔を拭いてあげた。

 実のところ、この砂漠の中央に位置するエンドポイントにおいて、井戸水は決して安価ではない。貧乏なポッチーノは今まで、盗んだわずかな水を飲み水としてのみ使用してきたので、泥汚れが多いのだ。

 ただ、せっかくの好意なので言わなかったものの、このハンカチについたドギツイ香水の匂いは好きになれない、とポッチーノは鼻をひくつかせながら思った。犬系の獣人なので、人間を凌駕する嗅覚を持っているのだ。

「これで良いわ。あとはぁ、あ、そうそう。これを背負っていきなさい。一人前の配達員に見えるわよぉ」

 とジョーが押しつけるように手渡したのは、ハウス・ポスタルのシンボルマークが描かれた肩かけバッグだった。

「手紙をそのまま運んだら汚れちゃうでしょう? これに入れていくと良いわ」

「なるほどー。確かに、手紙を汚しちゃいけないんだよね。ありがとう」

 ポッチーノは鞄を身につけ、手紙の封筒をそこに入れた。鞄を持っただけで、いよいよ念願の定職にありつけた気がして、やる気が高まってくる。

「それじゃ、ボク、行ってくるね!」

「あまり期待はせずに待たせてもらうよ」

 とウィロン・O・ウィスプの嫌味に見送られながら、ポッチーノは今度こそハウス・ポスタルの営業所を飛び出した。

 そこで、ふと気づく。

「って、どこに届ければ良いんだっけ」

 今の今まで、宛先を見ていなかったのだった。

「えーと……、バルモット製鉄所? なんだ、思ってたより近いや」

 ──バルモット製鉄所。その建物の場所を知らない者は、このエンドポイントには誰もいない。

 バルモット製鉄所は、町外れの鉱山における鉄鉱石の採掘とその精錬を独占している鉱業会社だ。エンドポイントの経済的繁栄は、バルモット製鉄所がなければあり得なかったと言い切っても過言ではない。

 社長は、このヘリストン国内バルモット領の領主でもあるバルモット公爵。町外れの鉱山は、公爵が領主の権限を以て独占しているのだ。

 古来より、貴族が商売をするのは卑しいことだと言われてきた。多くの古き良き貴族にとって鉱山は、雇った豪商に運営させつつ売り上げの一部を貸与料として納めさせる、それが普通のやり方だった。

 その点、バルモット公爵は自身が直接商売を取り仕切る“斬新な”貴族だった。というのも、バルモット領の大半は荒地なので農奴というものがほとんど存在しない。つまり、農奴からの年貢というものも存在しないのだ。

こうなると、貴族としての伝統や体面などそっちのけで商売に励みでもしないと、一族の繁栄の礎が築けない。そして、幸いにもバルモット公は領地に眠る鉄鉱石を元手に、鉄鋼業で巨万の富を得たのであった。

 ただし、バルモット公爵は商売に熱中するあまり、領地の統治をおろそかにしている節がある。公爵のお膝元であるエンドポイントの治安がべらぼうに悪いのも、そのせいだ。

 さて、そんなバルモット製鉄所だが、その本部は街の中央にある。正確には、その本部を中心に街が作られていった、と言う方が正しいのだが。

 製鉄所本部には製鉄用の大型高炉がある。この高炉こそバルモット製鉄所を躍進させた要の設備で、しかもこの街で最も高い建造物でもある。なので、高炉は今やすっかりエンドポイントの繁栄のシンボルとなっていた。

 故に誰もが、バルモット製鉄所の場所を知っているのである。もちろんポッチーノだって、そびえ立つ高炉を何度見上げたことか分からない。

「よし、急ごう」

 ポッチーノは走り出した。

 獣人の走りは、人間とは一味も二味も違う。最高速度は犬並み、それでいてスタミナは人間並み。良いところ取りというわけだ。この俊敏性こそ、食い逃げだったポッチーノが隠れ家に待ち伏せされるまで、延々と逃げ回ることができた最大の理由である。

 ──前方に、行く手を台車の行列が横切るのが見える。

 ポッチーノは高々と跳んで、その馬車を飛び越えた。通行人たちが目を丸くしたが、そんなことはお構いなしだ。

 誰もが振り向く姿を置き去りに、ポッチーノは全力で通りを走り抜けた。

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