初めての配達1人旅が始まりました。
翌朝。ついに、ポッチーノが一人前の配達員として働く最初の日が来た。
早朝一番、ルンルンと軽い足取りで、ポッチーノはハウス・ポスタルの事務所へ。
「ジョー、おはよう!」
と、いつもに増して元気な声で受付のジョーに挨拶をする。
「んまぁ、ポッチーノちゃん。今日も元気ねぇ」
「うん。ボク、いよいよ今日から一人前の配達員として仕事するんだ」
「そういう初々しいところ、お姉さん、好きよぉ。お祝いにキスしてあげようかしらぁ」
「キスはまた今度にするよ」
とポッチーノはさらりと流して
「そう言えば最近、Cのこと見ないな。Cやヴァローナにも見送ってほしかったんだけど」
「あらぁ、残念ねぇ。Cちゃんたちなら、もう昨日、この街を出てるわよぉ」
「えっ。うーん、締まらないなぁ」
ポッチーノは少し残念そうな顔をする。
「ま、いいや。ボスから手紙をもらってくるね」
とポッチーノは階段を駆け下りて、デスドールの待つ事務所へ。
気分が乗っていたせいもあって、蝶番が壊れるのではないかというくらいの勢いでドアを開けた。
「おはよう、ボス! いよいよだね!」
期待と興奮でまともに眠れなかったポッチーノだが、睡眠不足とは思えないほど元気いっぱいだ。
それとは対照的にデスドールは、至っていつも通りの口調で
「その様子だと、もう準備万端らしいな」
「うん! あとはボスから手紙をもらえば、いつでも行けるよ!」
「やる気なのは何よりだ。が、行かせる前に1つ渡しておくものがある」
と、デスドールは机の上に置いてあった“それ”をポッチーノへ渡した。
それは、黄銅でできたポッチーノのネームプレートで、ハウス・ポスタルのシンボルマークもきちんと刻まれていた。
Cが持っていた物と同じだ! これにポッチーノは大喜び。
「わあ! ありがとう、ボス! すごい、ボクの名前が彫ってある!」
「もし行き先で身分を訊かれたら、大体はこれで片がつく。ただし悪用は厳禁だ。分かっているな?」
「大丈夫。もう後ろ指をさされるようなことはしないよ」
ポッチーノは誇りにかけて答えた。
「わきまえているなら良い。では、これがおまえに任せる手紙だ」
と、デスドール、分厚い手紙の封筒を2つ、ポッチーノへ渡す。宛先は昨日訊いた通り、片方がキャピタル・ヘリストン、もう片方が六聖教特区となっていた。
六聖教特区。そこはポッチーノが育ったワンコロフ孤児院があるところだ。地名を見ただけでも、育ての父、ワンコロフ司祭の顔が思い浮かぶ。
「もうおまえも一人前だから、俺から敢えて言うこともなくなってきたが、何か訊きたいことはあるか?」
「ねえ、ボス。ボク、お父さんに会ってきて良いかな。六聖教特区にいるんだ」
とポッチーノは思わず訊いてしまった。
ワンコロフ孤児院を出てから、もう何年も経ってしまった。年の近かった仲間たちは、トリバーのようにもう一人立ちしてしまっただろうが、ワンコロフ司祭や他のシスターたちはいるはずである。
「積極的には同意しないが、それで本業に支障をきたさない確信があるなら、微細なことはおまえの裁量に委ねる。だが、初日に言ったハウス・ポスタルの禁則事項だけは忘れるな」
「うん、大丈夫。上手くやってみせるよ」
ポッチーノはそう答えながら、しかし頭の中はワンコロフ孤児院のことでいっぱいなのだった。
「兄貴!」
事務所の外で、ミケローは忠犬のようにポッチーノを待っていた。これでは、どちらが犬か分かったものではない。
「いよいよ出発ですかい?」
「うん。でも──」
とポッチーノはミケローの負傷した腕を見て、
「ミケ、本当にその腕で行くつもり? 今回は安静にしていた方が──」
「水くさいですぜ、兄貴」
ミケローはポッチーノの言葉を遮って抗議する。
「アッシのしぶとさは一級品ですぜ。どこまでだってついていきますよ」
「それなら良いけど、無理だけはしちゃ嫌だよ」
「へい」
──街の外には、いつも通りの広大な砂漠が広がっている。
サボテンのひとつもない死の砂漠。ここから先は、エンドポイントとは違う意味で危険な地域である。
「ミケって、走りには自信ある?」
「兄貴、アッシを舐めちゃいけませんぜ。自慢じゃありませんが、アッシは今まで自分より速い奴に会ったことがありません」
「へえ。じゃあボクもそれなりの速さで走るから、ミケもついてきてね」
と言って、ポッチーノは自慢の俊足で猛ダッシュ。獣人の脚力を魔法でさらに強化しているため、その最高速はコンディション次第で亜音速にも達する!
そのシャープな加速で数秒ほど走ってみたポッチーノは、ふと立ち止まった。辺りを見渡すが、ミケローの姿がどこにもない。
よくよく目を凝らして見ると、はるか後方に、ミケローと思われる豆粒くらいの人影があった……。
「すいません、兄貴! アッシが思い上がってました!」
ポッチーノが戻ってあげると、ミケローは深々と頭を下げた。
「ほら、やっぱりケガのせいで調子が出ないんだよ」
とポッチーノは言うが、そんなことはない。ミケローは獣人としては標準的なスペックだ。魔法と言う規格外の力を持つポッチーノと比べられたら、敵うはずがない。
「今回はおとなしくしていた方が──」
「へい。兄貴の足手まといになるくらいなら、いっそおとなしく兄貴の留守を守っていようと思います」
ついにミケローも観念し、うなだれた。
留守番してくれるのはポッチーノとしても嬉しい話である。何せ前回は、帰って来てみたらリリッキーが居座っていたのだから。まあ、リリッキーならまだ良いが、ギャングなんかに居座られたらポッチーノもなす術がない。
「じゃあミケ、ボク、行ってくるね。留守は頼んだよ」
「合点でい! 兄貴、お達者で!」
とミケローに見送られながら、ポッチーノは再び走り出す。
兄貴思いのミケローは、ポッチーノの姿が見えなくなるまで──10秒もかからなかったが──見送り続けた。
さて、広大な砂漠には目印になる物が何もない。こんなことだと道を見失いがちだが、今日のポッチーノには強い味方がいた。
「えーと、どっちに行けば良いんだろう」
と、昨日買ったばかりのコンパスを手に取る。キャピタル ・ヘリストンへ向かうにも六聖教特区へ向かうにも、まずは東へ走らないといけないのだが、
「こっちか!」
ポッチーノは針がさす方へ駆け出した。
ああ、なんと愚かなポッチーノ! コンパスがさすのは北であり、目的地の方角ではない!
走り続けること、約半日。
「うーん、そろそろ着いても良いと思うんだけどなぁ」
ポッチーノはまだ走り続けていた。目前に十メートルくらいの幅を持つ川が流れていたが、こんなものは助走をつけてひとっ跳びだ。
──砂漠地帯を抜けて、草原地帯も過ぎ、街が見えてくるかと思いきや走れど走れど森ばかり。それも単に方角を間違えているから当然なのだが、悲しいかな、それを教えてくれる人は誰もいない。
既に日は傾きつつある。温度を失いつつある風が森の木の葉をカサカサ鳴らすたび、ポッチーノも不安な気持ちになり始めていた。
「日が暮れちゃう前に着くと良いんだけど」
無理な相談である。
何も知らないポッチーノは、ひたすら走る。誰かいたら、ちょっと道でも聞いてみよう、なんて考えていたそのとき。
「──おい、早くしろよ」
「うっせーな。そう思うなら、ちっとは手伝えよ」
そんな声が、遠くから聞こえてきた。
猟師かもしれない、とポッチーノは思った。こんな森の中だし、ひょっとしたら鹿を捕まえにでも来たのだろうか。
「とにかく毒矢の効果が切れたら面倒だ。俺が仕留めたんだから、運ぶのはおまえがやれよ」
「へいへい。ったく、えらそーにしやがって」
なんてお互い、愚痴を言っているようだ。
彼らなら近くに街がないか知っているに違いない、とポッチーノはにわかに元気付いて
「ねえ、おじさんたち! ちょっと訊きたいことが──」
と彼らのところへ近づいた。
が、その瞬間、ポッチーノの顔がこわばる。
予想は半分くらい当たっていた。この2人は鹿を捕まえに来た猟師だった。、もっとも、“それ”を鹿と言い張ることは、ポッチーノを犬と呼ぶに等しい行為だろう。正確さを求めるなら、きちんと“鹿性の獣人少女”と言わねばなるまい。
猟師じゃなかった! 人さらいだ! ──ポッチーノは立ち尽くす。
「くそっ、仲間がいやがったか」
「しかも犬か。犬は大して良い値がつかねえんだよな」
と密猟者たちはポッチーノと向き合う。
鹿性の獣人少女は──鹿性とポッチーノが分かったのは少女の側頭部に立派な鹿の角があったからだが──地に倒れていた。
毒矢を受けて意識は朦朧としており、手足も縛られていたが、かすかな意識でポッチーノに助けを求める視線を送っている。
こんなの、放っておけるはずがない。
「ねえ、おじさんたち。こんなひどいこと、やめてあげてよ」
とポッチーノは頼み込むも、
「邪魔になるなら、いっそやっちまうか」
「だな。どうせ生け捕りにしたって、ゴミみたいな値しかつかねえよ」
密猟者たちはまともに取り合わず、毒塗りの弓矢を構える。
この場は、言葉では絶対に丸くおさまらない。先日ギャングに囲まれたときのように、リリッキーが来てくれる可能性もない。ポッチーノは覚悟を決めるしかなかった。
毒矢が放たれたその瞬間、ポッチーノはそれを高速の側転で回避した。
「こいつ!」
もう片方の密猟者が続けざまに、毒矢をポッチーノの脚めがけて射るが、ポッチーノは後方に宙返りしつつ避ける。
密猟者たちは即座に新しい矢を手に取ったが、次の刹那、自分らが敵にまわしてしまった者の真価を思い知らされた。
宙返りで距離をとったポッチーノは、左右に大きく蛇行しながら距離をつめはじめた。問題はその速度! 残像をも産み出す、超高速の蛇行ステップ!
こんなのを相手に狙いが定まるはずがない。2人はこの疾風の名犬に矢を射ようと試みたが、放たれた矢は残像の海へ沈んで消えた。
次の矢をとるまでにできる決定的な隙、それが弓使い最大の弱点だ。ポッチーノは躊躇わず、蛇行をやめると同時に大ジャンプ。2人の頭上を軽々と通過し、着地と同時に少女を抱きかかえる。
ポッチーノは喧嘩の経験がないので、密猟者たちと本気で戦えるはずがない。ただし翻弄と逃走なら話は別。むしろ元・食い逃げとして、迫害対象である獣人として、逃走経験はやたら豊富だ!
「待ちやがれ! おい、追うぞ!」
「分かってる! ここまで来て、逃がして──」
あとはもう、聞こえないほど遠方になってしまった。
何せ鬱蒼とした森の中である。少し距離を離せば、もう肉眼で追うこともできまい。ポッチーノくらい鋭い鼻があれば可能性もなくはないが、純粋な人間にそんな真似はできないだろう。
「……もう追ってこれないかな?」
とポッチーノが安堵すると、
「あの……、ありがとう……ございました……」
抱えられた少女が、苦しさを隠しきれない口ぶりで礼を言う。窮地は脱したとは言え、まだ体に毒が残っているのでは苦しさも消えまい。
「大丈夫? 顔色悪いけど、苦しい?」
ポッチーノは少女を降ろすと、手足の縄をといてあげた。どうもこのところ、人助けが続いている。
「はい、少し……」
少女がうめく。絶対、“少し”どころの話ではなさそうだ。
と言っても、ポッチーノに解毒の知識はないし、頼れる人も周りにはいない。
「ちょっと待ってて」
確か、すぐそばに渓流があったはず、とポッチーノは駆ける。
綺麗な川だった。すぐそばには笹が自生している。ちょうど良い、とポッチーノは笹の葉を何枚か重ねて即席のコップを作った。水をくみ、少女のもとへ。
「お水、くんできたよ。飲めそう?」
「はい……。助かり、ます……」
と少女は言ったが、毒のせいで体が動かしにくいようなので、結局はポッチーノが飲ませてあげた。
「あの……もしかして、山間の村のお方ですか?」
水をのんだおかげか、少女の口ぶりも少し楽そうになる。
「ううん。ボク、エンドポイントから来たんだ。ハウス・ポスタルの配達員、ポッチーノ・ワンコロフさ」
「そうですか……。私、この森の裾にある村に住んでいます、モミィ・バンビーナと言います……」
とモミィ・バンビーナは言った。服装から察するに、農村の子だろう。歳はポッチーノとそう差があるようには見えない。
「じゃあ、君の村まで送ってあげるよ。こんなところで夜になったら、吸血コウモリが来るかもしれないからね。村の方向、分かる?」
「ありがとうございます……。夕日で影が伸びる方へ行けば、私の村があります……。少し遠いかも、しれませんが……」
「平気さ。ボク、走ることには自信あるんだ」
ポッチーノはニッコリ笑いながら、モミィを背負った。配達先には遅れてしまうだろうが、だからと言ってモミィを見捨てるわけにはいかない。
ポッチーノは走り出した。周りの木々がものすごい勢いで後ろに飛んでいくような感覚に
「速い、ですね……」
と、モミィは驚いていた。
「まあね。この調子なら、君の村へ暗くなる前に着けるかな」
「たぶん、そう思います……。すみません、旅の途中に……」
「君が悪いんじゃないんだから、謝っちゃ嫌だよ」
と言いながらもポッチーノは走る。人をひとり背負って、こんな悪路を平然と走れるのだから大したものだ。
「この坂を登りきれば、もう見えてきます……」
「なんだ。意外と近かったね」
ポッチーノはそう言う間にも坂を登りきってしまった。すると、
「うわぁ、すごい! 大きな村だなぁ!」
と、思わず驚きの声をあげてしまったポッチーノ。目下には古めかしくも趣のある山村と、広大な大麦畑が広がっている。
「助かった……」
背中でモミィが安堵のひとりごとを呟く。
こうして、研修を終えたポッチーノの初仕事は『負傷した農村の少女を村まで配達する』という、本来の配達業務とは何ら関係ない形となった。
ある意味、これこそがポッチーノらしいのかもしれないが。