偽者を見つけました。
夜のエンドポイントは、昼に増して治安が悪い。朝になったら、通りに死体が転がっていることも珍しくないのである。
何せエンドポイントには、複数のギャング団が休むことなく縄張り争いを続けており、ときには衝突が起きることもある。敵へ不意打ちするなら、暗い夜の方が適しているというわけだ。
こうしたギャングの活動を快く思わない人がいるのは当然だろう。だが、バルモット公が街の治安にさっぱり興味がないことを踏まえると、自警団的側面を持つギャングに頼る人間が現れるのも無理のない話だ。彼らはこの街の必要悪なのである。
さて、そんな夜の街の一角で、複数のギャング達に囲まれながら
「やいやい、手前ら! アッシを誰だと思ってやがんでい」
と、ミケローは威勢良く啖呵を切っていた。
「アッシはなぁ、あのハウス・ポスタルの──」
「どこの誰だろうと、呑んだ酒代を踏み倒すのは良くねえぜ」
ギャングの1人がミケローを睨む。
店を持つ商人の中には、ギャングに金を渡して、ツケを払わない客に支払いを強要する者もいる。泣き寝入りするよりは金になるし、ギャングも小遣い稼ぎにはちょうど良いので、そう珍しい話ではない。
「だから、金ができたらまとめて払うって言ってるじゃねえか。それとも何か? てめえら、天下のハウス・ポスタルに喧嘩売るってのか?」
とミケローが挑みかかるように声を荒らげると、ギャングたちにもわずかに戸惑いの色が見られた。
この街に住んでいると、絶対に手を出してはいけない相手というものが自然と分かってくる。例えばバルモット製鉄所、シャイロック商会、ジ=ゴルバート・バンク、ハウス・ポスタルなどが筆頭格だろう。これらの組織に喧嘩をふっかけたら、絶対にただでは済まない。
「ハウス・ポスタルが獣人の配達員を雇ったって話しは、手前らだって聞いてるだろ。それでもアッシに喧嘩売ろうってんなら、買ってやるぜ」
ギャングたちの尻込みへ追い打ちをかけるように、ミケローは強気な言葉を並べたが、
「くくく、ずいぶん勝手なことを言ってくれるじゃないか」
と、ささやくような笑い声が、どこからともなく聞こえた。
「誰だ! おい、どこにいやがる!」
ミケローもギャングたちも辺りを見渡すが、それらしい人影はない。
「おい、見ろ! 上だ!」
ギャングの1人が気づいたようだ。
皆がいっせいに頭上を見上げ、そして一様に言葉を失った。何せ、赤いマントをまとった仮面の怪人が、吊り下げられた人形のように空へ浮いていたのだから。
「あいつは、確か──」
「一応、自己紹介をしておくよ。ハウス・ポスタルの正規職員だ。名前までは、知らなくても良いだろう」
と、ウィロン・O・ウィスプはせせら笑いをこぼしながら述べた。
「どうも最近、我がハウス・ポスタルの配達員を騙る偽者が現れたと聞いてね。君たちは知らなかっただろうが、うちの職員に猫性の獣人はいないんだ」
それを聞いて、真っ先にミケローが青ざめる。
にわかに彼を見つめるギャングたちの視線が鋭くなったのは、言うまでもない。
「まあ、そういうことだ。後は君たちの好きにすると良いさ」
「手前! おい待ちやがれ!」
とミケローは叫んだが、ウィロン・O・ウィスプの姿は夜闇に溶けるように音もなく消えてしまった。
「おい、猫野郎。どういうことだ!」
「この野郎、嘘っぱちじゃねえか!」
と、ギャングたちが詰め寄る。
「し、知らねえよ! 何かの間違いに決まってら!」
ミケローは白を切ったが、もう遅い。
「ふざけやがって! おい、おまえら、やっちまうぞ!」
ギャングたちはいっせいに、ミケローへ襲いかかった。
いくら獣人の身体能力が高いとは言え、1対多数ではどうしようもない。あっという間に、袋叩きにされてしまった……。
「ちきしょう、いてて……」
死んだふりでどうにか解放されたミケローは、ギャングたちが引き上げたのを確認して体を起こした。
殴られた跡や足蹴にされた跡にあざが残っており、そこからくる痛みに顔が歪む。
「あいつら、好き勝手やりやがって……」
と、まるで反省の色がない。
すると、
「なるほど、なるほど。バカほどしぶとい生き物はいないとは、よく言ったものだ」
と、またあの囁き声。
途端にミケローはカッとなって体を起こした。
「やい手前! よくもアッシを嵌めてくれたな! 出てきやがれ!」
「実に猛々しい盗人だね。元はと言えば、君がうちの商売を邪魔をしてきたのが悪いんじゃないか。このウィスパーの手を煩わせたことを謝ってほしいくらいだよ」
と、ウィロン・O・ウィスプのせせら笑いがまた響き、同時にその姿が空より地へ舞い降りた。
「まあ、いいさ。今さら謝ってもらうくらいなら、さっさと済ませて帰りたいしね」
「誰が手前なんかに謝るかってんだ! アッシの邪魔をした恨み、晴らさせてもらうぜ!」
とミケローはウィロン・O・ウィスプに殴りかかったが、その手が触れた瞬間、その姿が幻のように消える。
「なっ!?」
「くくっ、その程度でうちの配達員を名乗っていたのかい? これはこれは舐められたものだ」
とウィロン・O・ウィスプ、笑いながらその指をぱちんと鳴らす。
その瞬間、
「う、ぎあああッ!?」
ミケローが悲鳴をあげた。その右腕は、まるでででも潰されたかのように潰れていたのだ。
「うちに歯向かった代償として、君にはゆっくりと死んでもらう。悪くおもわないでくれよ。君の自業自得なんだから」
とウィロン・O・ウィスプは、もう一度指を鳴らす。
今度はミケローの左腕がくしゃくしゃに折れ、街中に響き渡るくらいの絶叫があがった。
「さて、次はどうしてやるか」
「わ、分かった! アッシが悪かった!」
ミケローが叫ぶものの、ウィロン・O・ウィスプは仮面の奥で笑うばかり。
「言ったじゃないか。君の自業自得だよ」
と、またその指を鳴らそうとした、その刹那。
「──ウィスパー!」
苦痛の叫びを聞きつけたポッチーノが、間一髪で駆けつけた。
「何してるの!」
「言ったじゃないか。君が知る必要のないことさ」
とウィロン・O・ウィスプは冷たく言い放つが、それに対しポッチーノは、珍しく険しい顔をした。
「もうやめてあげてよ! こんなの、ひどすぎるよ!」
「ひどいのは、うちの商売を邪魔してきたそいつの方さ」
「そんな、邪魔されたくらいで──」
ポッチーノが、ミケローの無惨な両腕を見ながら答える。
「くらい? 君はこの商売の重要さを理解していないようだね。うちは大金を扱う以上、信用の上に成り立っているんだ」
とウィロン・O・ウィスプは不機嫌そうに声のトーンを落とした。
「信用は得難く失われやすい。ハウス・ポスタルの信用を傷つける者は、誰だろうと処分しなければいけないんだ」
「そんな、そんなの、ボク、嫌だよ。もう終わったことじゃないか。今さら、この人を痛めつけたって何も変わらないでしょ」
「放っておけば、また同じことをするさ。過ちを繰り返さないためには、大元を始末するのが1番だ」
絶句してしまったポッチーノに、ウィロン・O・ウィスプは畳みかけるように言葉を続けた。
「それとも何かい? こいつによりまた同じことが起きたら、君がその責任を取ってくれるのかい? もちろんこのウィスパー、規律違反者には身内だろうと容赦は──」
「いいよ」
ウィロン・O・ウィスプが言い終わる前に、ポッチーノはぼそりと返事をした。
「いいよ。それで許してくれるなら、何でもいいよ。いざとなったらボクが責任をとる」
「君は自分の命をずいぶん軽く見積もっているんだね。いやはや、バカもここまで来ると、手の付けようがないな」
と、ウィロン・O・ウィスプは露骨に嘲笑をこぼした。
「まあ、いいさ。そこまで言うのなら、保留してやらないこともない。君が自分の言葉の軽さを公開する瞬間を、見てみたくなったよ」
──街に一陣の強い風が吹き、ウィロン・O・ウィスプの姿はその中へ一瞬のうちに掻き消えた。
「だが覚えておけ、犬っころ。君が生きているうちは、今の言葉、絶対に撤回させない」
「うん。分かってる」
どこかから聞こえた声に、ポッチーノはもう1度、強くうなずいた。
「腕、大丈夫?」
全てが終わった後、ポッチーノはミケローへ声をかけた。
「面目ねえ」
「ゴメンね。もうちょっと早く止めてあげられたら……」
「いや、悪いのはアッシです! アッシが──」
とミケローは声を大きくしたが、ケガがうずいたようで、思わずうめいてしまった。
「でも、もうこんなことはやめてね。ウィスパーがあんな怖い人とは知らなかったけど、こんなの、命がいくつあっても足りないよ」
「分かってます。兄貴、この度は本当にすみませんでした!」
とミケローが頭を下げたので、ポッチーノはきょとんとしてしまった。
「あ、兄貴? それ、ボクのこと?」
「へい。こんなアッシのために命まで張ってくれた人は、今まで誰もいませんでした。兄貴、どうかアッシを舎弟にしてください!」
ミケローがまた頭を下げる。これにはポッチーノ、困りながらこっそりミケローの耳元で、
「あの、実はね。ボク、本当は女の子なんだ。乱暴されると困るから、こんな格好してるけど」
「いや、性別は見りゃあ分かります」
「見て分かったの!?」
ポッチーノは愕然とした。ちなみに今までずっと、髪もすぱっと短く切って、上手く擬態できているつもりだったのだ。
「ボク、よく今まで無事に生きられたなぁ」
「でも男だろうが女だろうが関係ありません! 兄貴ってのは、最高にかっこいい奴への誉め言葉です! どうかアッシに、兄貴と呼ばせてください!」
「うーん……。ボクで良いなら、いいけど」
ポッチーノは、少し複雑な気分でそれを受け入れたのだった。
だが、災難は続くもので
「あ、この野郎! 生きてやがったのか!」
先ほどのギャングたちが、やっぱり死体を始末した方が良いと思ったのか、戻ってきてしまったのだ。
死んだふりでごまかしたミケローにとって、これほど嬉しくないこともない。
「あの人たち、知り合い?」
事情を知らないポッチーノがミケローに尋ねる。
「すんません。アッシが、酒代を踏み倒した奴らです」
「君、けっこう色々やったんだね」
ポッチーノは正直な感想を吐露してしまったが、自分だって元は食い逃げである。非難はできない。
「待ってよ、おじさんたち。この人、すごくケガしてるんだよ」
と、ギャングから庇うようにミケローの前へ立ちはだかった。
「だったら何だ。それともおまえがツケを払うってのか?」
「いいよ。いくら?」
ポッチーノは、これまた後先考えずに大きく出たが、
「じゃあ払ってもらおうか。金貨38枚だ」
「さ、さ、38枚!?」
予想をはるかに上回る数字に泡を喰う。手元にある給料の小切手は、たった5枚分の価値しかない。
その他の小銭をあわせても、到底届くはずのない金額だった。
「ね、ねえ、5枚に負けてくれない? ボク、それ以上持ってないんだ」
「兄貴! これ以上、兄貴に迷惑かけられません! どうかアッシが時間稼ぐうちに、逃げてください!」
とミケローが立とうとするが、もうボロボロである。どうにもならない。
「ダメだよ、そんなケガしてるのに!」
「四の五の言ってんじゃねえ!」
ギャングたちが恫喝した。
「おい、あのメス犬でツケを回収するってのはどうだ?」
「奴隷市場にでも売るか?」
「ドブ娼館って手もあるぜ」
「見世物小屋なんかどうだ」
どこかで聞いたやり取りにポッチーノは怖くなってきたが、負傷したミケローがいる以上、1人で逃げるわけにもいかない。
どうすれば良いのか、とうろたえていると、
「キシシシッ。なんだか美味しそうなトラブルの匂いがしますねぇ」
ギャングたちの背後から、そんな聞き覚えのある声がした。その主は、そう──
「リリッキー!?」
シャイロック商会の本店窓口店長、リリッキーだった。
「なんだてめえ! 俺たちは取り込み中なんだ、失せな!」
「おい待て、こいつは確か、あの金貸しの──」
ギャングの中にも、この来訪者の正体に気づいた者がいたようで、一気に熱が冷めていく。シャイロック商会もまた、できることなら敵にしたくない相手だ。
「リザ=リリッキーと申します。ご存知の通り、ケチな金貸しでして」
「それが何の用だ。俺たちは借りた覚えはねえぞ。むしろ取り立てる側なんだ!」
ギャングの1人が強気に吠えると、リリッキーはにんまり笑って、
「いえいえ、あなた方へ損をさせる気はありません。ここはひとつ、そこの犬と猫の借金を、このリリッキーが肩代わりするというのはどうでしょう」
「何だと?」
「あなた方はツケを取り立てられてハッピー。私は債務者をゲットできてハッピー。互恵関係でございます。まあ、他に取り立ての目途が立っているなら止めませんが」
とリリッキーは営業スマイルで述べた。
この意外な提案にギャングたちは面食らいながら、内輪で相談を始める。
「どうする? 何だかうさんくさいぞ」
「でも、あんな薄汚れた獣人のガキ2人、どう絞ったって金貨の10枚にもならねえぜ」
「結構な話じゃねえか。金になりゃ、何だっていいぜ」
と、おおよそ纏まったようで
「おい、金貸し。金貨38枚だ。本当に良いんだな?」
「勿論です。後は私が取り立てますから、ささ、これをご確認の上お持ち帰りください」
とリリッキー、ニコニコしながら懐より金貨入れの袋を取り出し、そこから38枚も取り出してギャングへ渡した。
ギャングたちは、一応は贋金ではないか確かめたようだが、
「確かに。じゃ、後は任せるぜ」
「はい。それでは」
と、この窮地からポッチーノを金の力で救い出したのだった。
ギャングたちが去った後。
「ありがとう、リリッキー。助かったよ」
ポッチーノが礼を述べる。
「ま、そう言われると立ち寄ってやった甲斐があるってもんよ」
リリッキーは急にオフの口調になった。
「兄貴。こいつ、相当な悪の金貸しですぜ。もうちっと、警戒した方が」
と、ミケローはポッチーノへ耳打ちした。
「大丈夫。友達だから」
「でも、友達だろうと貸しは貸し。ポチ、金貨40枚だ。ちゃんと返せよ」
とリリッキーが言ったので、急にポッチーノは浮ついた気分から現実へ引き戻された。
「え?」
「借りた物は返す、常識っしょ」
「あ、うん。そうだね。分かった。でも、必ず返すから、手首ちょっきんだけは勘弁して」
「嫌だね、て言いたいところだけど。この貸しはシャイロック商会としてじゃなくて、アタシの個人的な貸しだ。相手がおまえなら、特別サービスで待ってやるよ」
とリリッキーが言うと、
「おい待てや、手前!」
ミケローが噛みつくように声を荒らげる。
「兄貴から金を取り立てる気か!? 元はアッシのせいだ、兄貴に迷惑かけんじゃねえ!」
「あ? ……あー、なんかおまえ、見たことあるわ。ま、良いけどさ」
とリリッキー、この上なくミケローを見下しながら
「つーか、おまえへの信用とかゼロだから。あくまでアタシはポチのために金貸したんだから、おまえが債務者になるなら容赦抜きで行くけど」
「リリッキー、ボクが返すよ。今度、お賃金をもらったら、必ず返しにいくからね」
と、ポッチーノがあわてて仲裁した。
「おーけー。……でもポチ、そこのクズ猫、けっこうなクズだから気をつけた方が良いよ。それじゃ」
リリッキーは、言いたいことは全部述べたと言わんばかりにそこから去っていく。
何か知っているようだが、それでもポッチーノは
「すんません。兄貴。アッシ、今日から悪事からきっぱり足を洗います」
と横でミケローが言った言葉を信じることにしたのだった。