就職先が見つかりました。
エンドポイント。そこは、行き場を失った者どもが最期にたどり着くと言う、欲望と無法の街。
脱走兵や主人のもとを逃げ出した奴隷、差別対象にある獣人や亜人、お尋ね者も盗賊団も堂々と闊歩できる最悪のパラダイスだ。この街を治めるのは「金と権力」であり、正義も人情もありやしない。
……そして、この街でも成功しなかった奴に、明日は訪れない。
砂嵐の夜には決まって、変わった客がやってくるものである。この酒場の主人、ボルンは長らくこの地で商売を続けるうちに、そんな経験則を持つようになっていた。
いつもは鉱夫で賑わうこの酒場も、こんな天候で、しかも深夜にもなると普通の者は誰も訪れない。すると、そんな雑踏を嫌う者がここぞとばかりに動き出すのである。
「来るなら、今日あたりだろうな」
と、ボルンが準備をしながらカウンターで待っていると、ドアのカウベルが軽やかに入店者の存在を告げた。
「ボルン、まだ店はやっているか?」
その客は、真珠のように血の気のない肌を、闇夜に溶けるような漆黒の外套とつばの広い帽子で隠しながら、ボルンに目をやった。このエンドポイントでも、ここまで怪人じみた者は珍しいものだが、
「やっぱり来たな。おまえが来ると思って待っていたよ。まあ、座れよ、デスドール。すぐ準備する」
と、ボルンはむしろ嬉々として準備にとりかかった。
デスドール・T・グレイブレイン。それが、砂嵐の夜にしかやってこないこの珍客のフルネームである。
初めてこの店に来たのは、もう10年も昔のことだろうか。その頃から既にデスドールは、今のように死人じみた恐ろしい外観をしていた。そのときボルンは、警戒心をむき出しに
「おいおい、地獄からのお迎えか? おまえのボスが天使か悪魔かは俺の知ったこっちゃねえが、ここは俺の店なんだ! この酒樽から俺を引き剥がそうとするなら、この酒瓶でてめえの頭をカチ割るまでだぜ」
「生憎、俺はただの客だ。ここにオーペヤの古酒があると聞いて来た。金は払う、一杯やらせてくれ」
その注文はボルンの心をくすぐった。オーペヤ山脈の山村と言えば知る人ぞ知る麦酒の名産地で、「もしここの古酒を真の酒と呼べなくなったら、この世の酒は全て紛い物だ」とはボルンの父の教えだった。
なので試しにその古酒をデスドールに振る舞ってみたところ、彼は外観からは想像もできないほど、酒の違いが分かる男だったのだ。それですっかり気を良くしたボルンはその日以来、デスドールの再訪をいつも快く迎え入れている。
聞けばデスドールは、その外観のために雑踏を避けており、外出するのは人通りの少ない砂嵐の夜だけだと言う。滅多に金を使う機会がないからと言って、この街では料金の1割が相場であるチップを5割も置いていくのであった。
「聞いたか? この前、フポカム港の海洋探検家が沈没船から財宝の回収に成功して大儲けしたそうだが、その御宝の中に百年は下らないビン詰めのぶどう酒のがあったそうだ」
「おまえが好きそうな話だな。それで、どうしたんだ?」
「興味はあったんだが、続報が来てな。その探検家が一口飲んでみたそうだ。色も香りも味も海水そのものだ、だとよ」
ボルンはそんな冗談もとばしながら、陽気に酒と付け合わせを振る舞った。
今日のメニューはぶどう酒にローストした牛肉。この牛肉が鉱夫たちに人気で、これで腹を満たしながら麦酒をたしなむのが彼らなりのちょっとした贅沢のようだった。
いつも通りの談笑を交えながら、食事は和やかに進んだ。
デスドールが粗方の食事を楽しみ終えた、ちょうどそのとき。カウベルが乱暴に鳴り響き、
「おやっさん! ようやく捕まえたぜ!」
「わーん、ごめんなさーい! もうしないから許してー!」
と、数人のガッシリした男たちに連れられて、ぐるぐる巻きにされた女の子が店内に入ってきた。
男たちはここの常連である。鉱夫や露店商など、その職業はバラバラだが、そんな違いなど坂場に来れば大したことではない。ただ、その縛りあげられた小娘については少々、事情が異なる。
「なんだなんだ、穏やかじゃねえな。……ん? そこのは、この前の食い逃げか」
と、ボルンはその小娘の顔に気がついた。
うなじが見えるほど短く切った白い髪は、人間より少し細毛。
側頭部にはとんがり三角耳が見えており、目付きと鼻先の黒ずみはまるで犬のよう。
しまいにはシャツとショートパンツの間から尻尾がはみ出ていれば、もう間違えようがない。
……犬性の獣人である。
獣人というのは、人間に似た知性と外観を持つ別物、いわゆる“亜人”の代表格だ。筋力は高いが知性の面で人間に劣るため、大半の者が奴隷や農奴、盗賊や貧困層に属している。
「聞いてくれよ、おやっさん。こいつ、結構なワルだぜ。ここいらで最近、食い逃げが多いって噂だったが、全部こいつの仕業だった」
「俺も露店でチキン売ってるんだが、この前こいつにしてやられた」
小娘をつれてきた男たちはかなりご立腹のようだ。
……この小娘がおかした最大のミスは、皆の憩いの場であるこの酒場で、大勢の客がいるなか食い逃げを働いたことだった。ボルンは無論のこと、主人に損をさせたということで常連客まで敵に回してしまったのだ。
それで飲食業には無縁の鉱夫たちも決起し、ついに廃坑の奥深くを根城にしていたことがバレてしまったわけである。
「とにかく、食ったものは払ってもらわねえとな」
ボルンは食い逃げには厳しい。以前、下手に許してやった食い逃げ犯に恩を仇で返されたことがあったのだ。エンドポイントの一文無しは、痛い目を見ないと決して反省しない。
「でも、ボク、お金ないよ?」
小娘は当たり前のことを言った。食い逃げが金を持っているわけがない。
「何とかして、搾れるだけ搾り取ってやらねえとな」
「何かしら良いアイディアはねえか?」
男たちも金策について話を始めた。
小娘は不安げな顔になったが、それを無視して男たちの話し合いは進む。
「こんな奴、奴隷市場にでも売っちまうのが一番だ」
「奴隷市場!?」
「いや、奴隷市場は仲介料が酷いって言うぜ。一応は女みたいだし、ドブ娼館にでも直接売った方が金になるんじゃないか?」
「ど、ドブ娼館!?」
「こんな野良犬、買い叩かれるのが目に見えてる。それより聞いた話じゃ、若い獣人の尻尾は高く売れることもあるっぽいぞ。物好きな貴族連中がいんだとよ」
「ししし尻尾を売る!?」
「どうだかな。1番確実なのは、見世物小屋へ売り飛ばすことだと思うぞ」
「み、み、見世物小屋ぁ!?」
小娘は、それはそれは悲壮な顔になって、ボルンの前に膝をついた。
「お願い、旦那! ボクを雇って! ボク、何でもやるよ! 味見でも毒見でも、何だってやる! だから雇って!」
「うるっせえ! この期に及んで、まだ食う気か!」
「そこを何とか! 床のお掃除も、文字の読み書きも、買い出しのお使いもできるよ!」
小娘も必死に食い下がる。
すると、
「随分、威勢の良い犬だな」
ずっと事態を傍観していたデスドールが、初めて口を出した。
「ん? ああ、すまんな。せっかく来てくれたのにゴタゴタしちまって。すぐ片づけるから、少し時間をくれ」
「その件なんだが、そのバカ犬を俺に売ってくれないか? 金ならそいつが今まで喰った分、全部出そう」
デスドールがそう言うと、小娘は彼の死人じみた外観を見て
「最悪の選択肢が来たぁッ!」
と嘆いた。
無論、彼女の言い分が考慮されるはずもない。
「デスドール、まさかとは思うがあの犬、おまえの知り合いか?」
「赤の他人だ。が、俺のビジネスは今、人手不足でな。ちょうどあれくらいの獣人が欲しいと思っていたところだ」
「そういうことならタダで譲ってやるよ。その代わり、思い切りコキ使ってやれ」
「ああ」
と、話はどんどん進んでいく。
「待って! 分かったよ。もう奴隷市場でも見世物小屋でも何でも良いよ。だからお願い、あんなのにボクを売らないで! ボクはっ、まだっ、死にたくなーい!」
「やかましい!」
男の1人が、小娘の口に手拭いをつっこんで黙らせた。
「それじゃ、少し早いが今日はこれで帰らせてもらう。この野良犬の躾をやらなければならないからな」
デスドールはそう言って、カウンターに金貨を4枚置いた。その過多な金額にボルンは片眉を持ち上げながら、
「おい、デスドール。こいつはいくら何でも多すぎるぜ」
「食事代とチップだ。あと、残りの分で、そこのタフガイたちに好きな酒を振る舞ってやってくれ」
目を丸くするボルンに、デスドールはあっさり言ってのけた。これに、小娘を連れてきた男たちが喜ばないはずがない。
「おい、あんた、いいのかよ」
「ああ。その犬をくれる礼だ。一杯やってくれ」
「へへっ、そいつはありがてえ! おやっさん、麦酒だ!」
男たちは競うように席についた。その中、今が最後のチャンスだとばかりに小娘は逃げ出そうとしたが、ロープの端をデスドールに握られていてはどうしようもない。
「元を正せば、おまえが食い逃げしたのが悪い。元は十分にとってやるからな。覚悟しておけ」
「んー! んー!」
小娘は必死に首を横に振るも、今さらどうにもならない。屠殺場に連れていかれるヤギのように、小娘は無駄な抵抗を繰り返しながら、デスドールと共に砂嵐の夜に消えていった……。
「それにしても、おやっさん。今の男は見ねえ客だな。奢ってもらってこんなこと言うのもアレだが、あいつぁ何者だ?」
小娘を連れてきた男の1人が、鼻の頭を酒で赤く染めながらボルンに尋ねた。
「こんな砂嵐の夜にしか来ない珍客だ。悪い奴じゃねえが……」
と、ボルンはふと首をかしげて、
「そういやあいつ、何の仕事をしてたんだっけかな……」
「ボクをどうする気!?」
小さな事務所の地下室に連れこまれ、ようやく口を自由にしてもらえた小娘は開口一番にそう叫んだ。
「さては、ボクのこと慰みものにする気なんでしょ!」
「そんな目的で犬を飼う人間がいたら、お目にかかりたいものだな」
「じゃあ、丸焼きにして、小骨も残さず──」
「そうしてほしいのか?」
「全然!」
「なら、働け」
そうデスドールが冷ややかに次げると、ポッチーノは
「なら、雇ってよ。ボクだって、働く場所があるなら働きたいんだ」
と、溜まった不満をぶつけるように、熱のこもった主張を始める。
「でも、ボクが女で獣人だって知ったら、誰も雇ってくれないんだよ。日雇いにも足蹴にされたんだから」
小娘が愚痴をこぼすのも無理はない。獣人は典型的な被差別階級であり、その地位はエンドポイントでも最底辺に位置してしまう。
獣人は頭は悪いが体力があるので、力仕事にはよく駆り出されるが、それならよりパワーのある男が登用されやすい。確かに、獣人の小娘が奴隷としてではなく、一丁前に仕事を見つけるのは難しいことなのだろう。
それらの事情も知った上で、デスドールは言った。
「字の読み書きはできると言っていたが、あれは本当か?」
あまりにも唐突な質問に、小娘は目をパチクリさせて、
「へっ?」
「字の読み書きはできるかと聞いている」
「できる! ボク、字なら読むのも書くのもできるよ! 雇ってくれる?」
自暴自棄になりかけていた小娘の顔に希望の色が宿り出した。デスドールは小娘を縛る縄を解くと、1枚の羊皮紙を彼女に突きつける。
「音読してみろ。これくらい、読めるはずだな」
「うん。えーとなになに? 『私はギルド規則をよく理解した上で、これを順守し、ギルドのために忠実・勤勉・最善に働くことを誓います』」
「正解だ。その下におまえの名前を書けたら、試しに雇ってやる」
「本当!? そんなの簡単だよ! 書けたらちゃんと雇ってね! 前言撤回は嫌だよ」
小娘は、その頭の悪そうなしゃべり方に反してスラスラと羽ペンを走らせ、『ポッチーノ・ワンコロフ』と記名した。
今も昔もそうだが、庶民の識字率は決して高くない。貧しいエンドポイントの住民ともなるとその割合は更に悪化し、頭の悪い獣人ともなれば、もはや砂漠に落とした砂金を探すようなものである。
それを踏まえると、ポッチーノはまさに“砂漠に落とした砂金”だった。字体はやや癖があるが、読めないほどでもないし、スペルミスも見当たらない。酒場で「文字の読み書きもできる」と自称した通り、獣人としては賢かった。
「ほら、書けたよ。これで、本当に雇ってくれる?」
「……ポッチーノ・ワンコロフか。良いだろう。ただし、うちは完全な歩合制だ。金は、おまえがあげた成果の分だけやる」
「お賃金をくれるなら何だって良いよ。それで、ボクほ何をすれば良いの? 味見? 毒味? とにかく人殺し以外なら何でもやるよ」
ポッチーノはすっかり目を輝かせ、興奮気味に尻尾をブンブン振っている。
「おまえは明日から、このハウス・ポスタルの配達員だ」
デスドールはポッチーノを見据えながら、事務的な口調で言い聞かせた。
「仕事内容を簡単に言うと、客から手紙を預り、宛先へ迅速に配達すること。すなわち配達員には、敏捷性と宛先を読み取れるだけの教養、その両立が求められる。──字が読める獣人のおまえなら、ひとまず現場に投入しても良いだろう」
「うん、よく分からないけど、とりあえず足の速さなら自信あるよ!」
ポッチーノは能天気にガッツを燃やしてみせた。
「それで……、ボク、具体的には何すれば良いの?」
「ひとまず、こんな深夜にできることは何もない。明日の夜明けまで、そこのソファで待機していろ。寝ても構わん」
というわけで、ポッチーノは言われるがまま、室内の古ぼけたソファにちょこんと座った。
「そう言えば、君のこと、なんて呼べば良い?」
「好きに呼べ」
「じゃあボスって呼ぶね」
「あと、俺は勤務時間外は静かに過ごすことにしている。おまえも、おとなしく静かにしているか、それが無理なら朝まで寝ていろ」
「はーい」
と、ポッチーノは返事をしたが、雇ってもらえた興奮でなかなか眠気が回らない。
デスドールは机に向かい、1人、何やら厚い本を読んでいる。
「その本、なあに?」
「俺は雇用を取り消して、おまえを見世物小屋に売り飛ばしても、一向に構わんのだが」
「待って! 今度こそおとなしくしてるから、思い止まって!」
ポッチーノは慌ててソファに座り直す。
それでも睡魔だけは一向に訪れず、ポッチーノはついにこの夜、期待と興奮で一睡もできないまま夜明けを迎えたのだった……。