中村から
今ではもう経験することのできない夜行列車での長旅。
思い出しながら、ノスタルジーに浸ってしまいました。
中学生・高校生の頃、よく一人で旅行をしていた。旅行といっても、親戚や祖母の家まで行くだけなんだけど、実家から祖母の家まではかなりの距離があった。電車と船とを乗り継ぎ、半日以上かけて移動する。でもそれだけでは物足らず、わざわざ遠回りをして行ったり、思いっきり寄り道をして帰ってきたりと一人旅を楽しんでいた。
父方の祖母の家は四国の徳島で、それも市内じゃなく山の中。剱岳の登山口辺りといえば、わかる人はわかるでしょう。
往路は新幹線で岡山、次に宇野まで国鉄在来線、そこから連絡船で高松へ、高松から高知行きの急行か特急で池田まで、そこで最後の乗り換えをして目的の駅へ、まだあった最後にバスに乗るんだった。そうやってやっと到着する。盛り沢山の長旅だけど、乗り物が大好きな子供には贅沢すぎる旅になる。真っ直ぐに行ってもこれだけかかるのに、このときは帰りに寄り道をすることを予定していた。どう寄り道をするかというと、四国の国鉄を乗りつくすことを考えていた。全てと言っても時間的に難しいところもあるので、正確には全線とはいかなかったのだけれど、車中泊をしながら乗れるところは乗りまくった。
四国はどこへ行っても田舎の景色ばかりで、寄り道はそれら楽しむためもある。特に予土線の四万十川沿いがとても綺麗だったことは今でも思い出す。
四国での最後は、中村から高松まで夜行の普通列車で一気に移動する。四国を斜めに走るその列車には、七時間以上乗っていることになったんじゃないかな? その頃の時刻表があれば見てみたい。
その普通列車は急行列車の車両回送も兼ねていて、編成にグリーン車が連結されていた。でも、普通運行なのでグリーン車も普通席扱いでグリーン料金はいらない。それを知っていた私は急行のグリーン車の札が下がる場所で、列車の入線を待っていた。
そんなに人が多くいたわけじゃないというか、列車を待つ人なんてほとんどいなかったと思う。その人のいないホームで一人の女性が目に入った。おそらく五十歳前後くらいだったと思う。こんな過酷な列車に乗ってどこ行くんだろ、なんて考えながら声をかけてみた。
普段は人と喋ることもままならない私だが旅先では大胆になる。人が変わる。ハンドルを握ると性格が変わる人がいる様に、私は旅に出ると性格が変わる。
その女性も私と同じく岡山から新幹線に乗る予定だという。最終目的地が違ったけど、中村から岡山までは一緒の様だった。乗り換えなどが不安だと聞いたので、岡山まで一緒に行きましょうと誘った。
気さくな方だったので話しも弾み、なんだかんだと楽しく話していると列車が入ってきた。勿論、この列車のグリーン車の話もした。いいのかな? なんて言っていたが、検札に来た車掌に訊ねてやっと納得してもらうことができた。それどころかかなり感謝された。高松までは眠れないことが前提だったらしいが、リクライニングするシートで少しは眠ることができると、喜んでもらえた。ほとんど乗客のいない車両で、通路を挟んでしばしの会話を楽しんだ後、その方は眠りにつかれた。
夜が明けたばかりの高松に到着。一緒に桟橋を渡り連絡船に乗船。どんなに短い船旅でも、そこには不思議で独特な風情がある。適当な席に荷物を置き、一人デッキに出て岸壁から離れて行く船を楽しんだ。そのままデッキにあるうどん屋で讃岐うどんを食べるのが自分の恒例になっていたので、この旅でも朝食は風に吹かれながらのうどんだ。そのデッキの端に中村からの女性を見つけた。その方も朝食を食べるというのでご一緒することになり、ここまでのお礼ということで、うどんをご馳走してもらった。
約一時間の船旅を終え、宇野に到着。船の乗客のほとんどが、乗り換えて岡山方面に向かう。私達もその波に乗り在来線のホームへ向かい、電車に乗り換えた。そして二人一緒の目的地である岡山に到着。そこで各々行き先の違う新幹線に乗り換える。彼女は事前に指定券を購入済みで、乗車する列車が決まっていた。少し時間の余裕があるとのことで、私が新幹線の切符を買いに行く間、新幹線改札の前で荷物をみてもらった。私が戻ると次は彼女が荷物を見ていてほしいとのことで荷物番をした。しばらくすると彼女は駅弁とお茶を手に戻って来た。しかも二つ。その一つは私のものだという。食べ盛りの中学生には嬉しい限り。断ることなく有り難く戴いた。
二人して新幹線の改札をくぐり、切符に刻印されている列車・号車番号を確認して彼女の乗る車両の案内板の前で入線を待った。私は自由席だし何より方向が逆だからホームが違う。自由席なので来た列車に乗ればいい、時間はなんとでもなる。そう言って一緒に待った。そしてお別れの時間。ドアが閉まり列車は動き出す。いっぱい手を振った。ドアの内側なんてすぐに見えなくなるけど、列車がホームから離れるまで手を振った。
彼女にとても感謝された。大学生の娘に逢いに行くための旅だったそうだ。
夜に家を出て車中泊。もちろん寝台列車ではない。何度も何度も乗り換えなければならない。しかも船に乗ったり新幹線に乗ったりと、一人ではとても心細かった。迷わず目的地に着けるかどうか不安だった。そこになんだかすごく旅慣れた中学生が現れた。自分の娘よりもずっと若い男の子。その子に連れられて何も迷うことなく目的地に着けた。そんな感じだったんだろうな。
彼女が友人や娘に『不思議な男の子』との半日を楽しげに語ってくれていると信じている。そこで話を聞いていた誰かがこんなことを言う。
都合よすぎない?
それは本当に人間だった?
他の人には見えていなかったんじゃない?
あなたにしか見えていなかったんじゃない?
十三歳の夏休みの出来事
今と違っていろいろ寛容だった時代ですね。
ゆるーく旅ができたあの頃を懐かしく思います。
そんな経験をお持ちの方の話を聞いてみたいものです。