追いかけてくる
初めまして
(今日も疲れた)
俺は電車に乗り、イヤホンの音量を少し下げる。
歩きの時は爆音で聴くんだが、電車の中では周りに配慮している。余計なトラブルはごめんだ。
数年前に流行った曲を飽きもせずずっと聞いている。
(あー。家に帰る前にティッシュとか買ってこなきゃ)
買い置きの物が幾つか切れていた事を思い出した。
俺の住む家は駅から不動産屋計算で15分。つまりは20分ぐらい。
都内とはいえ、それだけ駅から離れていたら家賃は下がる。
歩くのが嫌いじゃないから選んだ賃貸アパートだけど、いざ生活を始めるとさすがに不便だった。
何が不便って、まずは坂道だ。
緩やかな勾配が登りと下りで交互にある。
一つの坂ならまだしも、それが三つ四つと続けば疲れるというものだろう。
朝方なんかは生活道路なのに通勤の車が行き交い、補助付き電気自転車のママさん達が交通ルール無視で交差するなかなか危ない道路だ。
それも、今の時間帯。つまりは終電間近になると誰も通らなくなる。
利用している住民は寝ているから当然なのだが、それにしたって一時間に一台の車が通れば多い方になる。
私鉄沿線のターミナル駅以外、それも駅徒歩15分ならよくある場所だ。
(コンビニでいいか。空いてるスーパー遠いし)
電車が止まり、改札を抜け、駅前のスーパーが閉まっているのを確認した俺はコンビニに入る。
24h営業のスーパーは駅の反対側にあるが、再び駅の改札階に上がり線路を渡る気にはなれなかった。
(あ、新しい号きてた)
日付が変わった事で、コンビニの雑誌コーナーには新雑誌が束で置かれていた。
(最近は買うまではいかないんだよなー)
学生時代は毎週欠かさず買っていて、合併号に悩まされていたが、今は立ち読みしか許せない。
(ちょっと待つか)
店内をグルグルと回り、買う気もなかった酒とツマミのスナックを籠に入れる。目当ての消耗品数点まで入れたら、それなりの重さになってしまった。
レジで愛想の悪い店員に応対してもらい、雑誌コーナーを見る。
(お、並んでる。ラッキー)
棚に陳列されていた新雑誌を手に取り、カラーページから読んでいく。
(まーた話長引かせてんのかよ)
(あっ、この新連載ダメだきっと)
(このギャグって面白いのかな)
(やっぱり打ち切りかー。最初は楽しかったんだけどなー)
(最近休載しすぎじゃないか?)
そんな事を考えながら読み終わる頃には、夜も深まり深夜と呼ばれる時間になっていた。
(ちょっと長く居すぎたかな)
「ありがとーございましたー」
やる気のない挨拶を聞きながらコンビニを出る。
先日までは恐ろしい寒さだったのに、今じゃ汗ばむ温度だ。
日本の四季はやっぱり体に悪い。
スマホ片手に曲を切り替えたり、ネットを見たりしながら家路につく。
一番目の坂は緩やかな長い坂だ。
まだ駅に近い場所だから、それなりに昼は賑わう場所だが、今じゃ系列の違うコンビニが数店舗開いてるだけだった。
お気に入りのプレイリストがローテーションしていて、少しだけテンションを上げる。
(あ、あの店やっぱり潰れたのか)
引っ越して来た当初はまだ元気に鍋を振っていた小さな中華料理屋が、シャッターにビラを貼っていた。
内容は簡単にいうと、突然だけど店を閉めますごめんね。であった。
まだ片手で数えられるほどしかこの道を歩いてはいないが、少しだけ年月の過ぎる速さを痛感した。
俺のアパートは、この坂の頂上を左手に曲がった道の先の先だ。
片側一車線の交互通行道路。
歩道もラインで引かれる生活道路で、本当に住民しか使わない。
たまにタクシーや、土木ダンプのドライバーが待合いやショートカットで使うぐらいだ。
見える範囲を下っていき、緩いカーブを超えた先に、まだまだそびえる坂道の奥。
道順はただまっすぐなのに、説明すると面倒くさい道に思えてしまう。
ポテンポテンと、下りの坂道をマイペースに下っていく。
スマホいじりも飽き始め、歩くのに邪魔だったから右のポケットに入れた。
坂道の中腹はT字路になっている。右に曲がる車のために大型のカーブミラーが設置されていて、背の高いそれと坂道の上の俺の目線が一致した。
(お、珍しいな。この時間に歩く人なんて)
カーブミラーには俺の背後の道が斜めに写っていた。
そこには人影が、さっき曲がってきた坂の頂上を歩いていた。
自分の事を棚に上げて他人を珍しがるなんて失礼極まりない。
向こうだって同じ事思ってるだろうに。
カーブミラーがゆっくり近づいてくる。
なんだか気になってミラーをずっと見てた。
急に人影が手を降り出した。
(え?)
もしかして近場の家に住んでいて、そこの窓から家族が手を振っていたのだろうか。
周りを見るが、どこの家も灯りはなかった。
(なんだろう)
不思議に思いながら、カーブミラーは俺の頭上を通り抜ける。
その先20メートルほど先にも、今度は左折用にカーブミラーがある。
それもまた、坂道を下れば俺の目線と被ってしまう。
(鏡越しにチラチラ見るのも失礼だよな)
そう思いながらも、ミラーを気にしてしまう。
ポテンポテンと坂道をゆっくり下り、カーブミラーは俺の目の前だ。
人影はまだ手を振っていた。
ゾッとした。あれから5分は経っている。
ずっと振っていたのだろうか。
(気持ちわるっ!)
背中に走る悪寒に耐え、歩くスピードを速める。
もしかしたら、独り言を喋るタイプの人なんだろうか。
上京してきてその手の人の多さに驚いた事がある。
あーゆう人には話が通じない事が多い。
坂の下はまだ遠い。そうでなくても俺のアパートまでは、あと二つは坂を越えなければならない。
(あー早く帰りたい。次引っ越す時は大人しく駅近に住もう)
そう思いながら、坂の下に近いバスの停留所に差し掛かった。
(そういや、このバス停にも鏡あったな)
洗面所の鏡より少しだけ小さい鏡が、なぜか置かれている。
その意図も目的もわからないが、朝忙しい人の身だしなみチェック用とか言われたら納得するかもしれない。
備え付けのベンチの横に停留所の看板がある。
そこに貼り付けられた鏡に視線を投げた。
近い。
そしてまだ手を振っている。
俺との距離はおよそ20メーターほど。
歩くスピードを速めた俺と距離縮めるなんてどんな速度で歩いてるのか。
俺は思わず音量を下げる。ポケットの中でカチカチとスマホの音量ボタンをいじくった。
もしかしたら走っているのかもしれない。
少しだけ身の危険を感じた俺は何時でも対処できるように身構える。
やがて坂の下に到着し、意を決して少しだけ振り向いた。
誰もいない。
ここに来るまでに道は幾つか別れている。
もしかしたら気付かない内に曲がったのだろう。
(よかった。変質者だったら危なかった)
考えすぎかと頭を掻き、坂の下から緩やかなカーブを曲がった。
そして俺は来た道を引き返す。
冷静さはない。
できるだけ早く人のいる場所に行きたかった。
もはや走っている。
坂の頂上にいたのだ。
どう考えても短時間では移動できない距離の坂の頂上で、ハッキリとしない影が両腕を上げて楽しそうに手を振っていた。
ガタガタと飛び跳ねながら、それはありえない高さまで飛び上がっていた。
それがゆっくりと一歩踏み出したところまでは見てた。
それから先は我慢できずに振り返って走った。
一刻も早く人のいる所に行かねばならない。
音量を下げたイヤホンからは、何時もの曲が小さく流れている。
その後ろから笑い声のような物が聴こえるのは、気のせいだと思いたい。
終わり