9.監察官マーフィーの仕事場(※)
時は少しばかりさかのぼる。
司法局監察官マーフィーは、憑依魔法でソリウムから、帝都へと一瞬で転移した。
憑依魔法は、霊族のみが使える特殊な魔法だ。
あらかじめ憑依術式を刻み込んだ場所に、一瞬で移動することができる。
肉体を持つ術者による転移魔法に比べると、準備の手間も、消費する魔素も少ないのが魅力であるが、霊族限定で本人のみ、という制限がつく。
「ただいま戻りました、閣下」
「おかえりー」
不死王の祭壇で、帝国の司法大臣デスポエムが、マーフィーを出迎えた。
帝国の法制度の根幹をなす司法局は、不死族の牙城である。
司法大臣を始め、幹部職員は全員が不死族だ。帝国千年の歴史の中で、不死族だけが持つ法律という力を奪おうと、幾つもの種族が挑戦を繰り返してきたが、これまでことごとく敗退している。
こう言うと、まるで帝国千年の間、ひとりの偉大な不死者が司法大臣の地位にあったように思えるかもしれないが、実態は違う。
司法大臣は、帝国の他の大臣と同様に、ころころと変わっている。
大臣という席は、能力だけでは維持できない。権力への執着心がなければ。
そして、権力への執着心は、仕事をする上で邪魔になりやすい。執着心ゆえに腐るのだ。
仕事を、ただ仕事として長く続けるには、監察官マーフィーのように、執着心がない方がいい。
権力に執着心がなく、ただ仕事だけが生きがい、というか死にがい、というか現世における存在理由であるマーフィーにとって、今の新しい司法大臣は良い上司だった。
「どうだった?」
外見は十才ほどの、可愛らしい童女が、手にしたドクロを丁寧に磨きながら聞いた。
彼女の名はデスポエム。死貴族の一族でも新参者で、不死者になったのは二十年ほど前のこと。この世に生を受けて十年、不死者となって老化しない肉体になって二十年で、実年齢も三十才そこそこでしかない。
五百年この世に留まっているマーフィーにとっては、外見通りの童女と呼べる年齢だった。
「次のオーガ王は、人物ですね」
「へえ」
「泰然自若として、されど、決して揺るがぬ芯をお持ちの方です」
「それほどか」
「三百年前の大攻勢の時であれば、いずれ帝国大元帥となって全軍を率いる器となったでしょう。青さもありますが、劣勢においても将兵を奮い立たせることができるのが、あの青さです。怜悧なだけでは、兵はついていきません」
「三百年前に千魂隊長として不死族を率いたお前が言うのだから、疑いはせんよ。そうか、それで?」
「書式的には、問題ありません。内容も、無人のドワーフの大迷宮を街道として利用することで功績とするもので、妥当です。審査すれば、通るかと」
「よーし、よしよし。いいぞ」
童女は磨いたドクロを鬼火に照らして満足そうにうなずいた。
「関係部署に回せ。そして功績審査会を開くことを通知しろ」
「ただちに」
「その審査委員会、お前さんは参加できんからな? 見学も不可だぞ? いいな?」
「はい。私は目であり、耳であります。判断を下すのは私の仕事ではありません」
「それでいいんだ。結果が出たら私のところに報告に来い」
「わかりました」
マーフィーは上機嫌の童女にお辞儀した。
ありがたい、と考えている。
今回の件で陰謀が動いており、目の前の童女も、その陰謀に一枚かんでいるのはマーフィーも理解している。
しかし、マーフィーは陰謀を企てるどの勢力にも関わらないし、関わるつもりもない。それは彼の仕事ではない。そして、そのことが分かっているからこそ、童女はマーフィーが巻き込まれないように配慮している。
陰謀がどう転がり、誰が――場合によっては童女自身が――ババを引くことになったとしても、マーフィーが今後も変わらず仕事を続けられるようにだ。
これは温情ではない。打算だ。童女は、自分が陰謀にうつつを抜かせるのは、司法大臣である彼女のバックにマーフィーに代表される能吏たちがいるからだと、ちゃんと理解している。マーフィーにとって、まずまず良い上司だった。
「では、失礼します」
すうっ、と姿を消すマーフィーの耳に、童女の声が聞こえた。
「そうか、それほどの人物か。惜しいな」
甘い人だ、とマーフィーは思った。
今の言葉、童女はマーフィーにわざと聞かせたのだ。
もちろん、マーフィーとしては聞こえなかったフリをしても、問題ない。
理解できないフリをしたり、あえて誤解して行動しても、かまわない。
その上で、わざわざ聞こえよがしに言ったのは、童女なりのけじめであろう。
――オーガ族の王子は、この政治的な陰謀劇における生贄……いや、生き餌ですか。しかも、エサとして使っているのは、我が麗しの司法大臣のご様子。
マーフィーは、審査委員会を開催する前に、司法局内の何人かの知己のところを回った。
いずれも陰謀とは縁のない役人気質の不死族で、こういう場合の立ち回りを心得ている連中だ。
審査委員会が開かれると、少し暇ができた。
マーフィーは司法局の中庭にある、至高神の礼拝堂へ入る。
すでに深夜をとうに過ぎているが、司法局では通常の職場でいう午後の部である。
「あら、マーフィーさん」
少しぽっちゃりしてきた中年の修道女が、丸い指で干した果実をつまんでいた。
「お久しぶりですね。お祈りですか?」
「はい。ちょっと仕事が立て込んでおりまして。少し念をこめていただければと」
「わかりました」
修道女は果実の瓶をしまい、居ずまいをただし、礼拝堂にある鐘を叩いた。
澄んだ音が空へ消えていく。
『太陽神、死して、地に落ち
至高神、それを救わんと、地に降り
死の王、二柱の神を穢して、地に縛る
二柱の神、天に戻ること、かなわず
二柱の神、レンの水辺にて、身を清め
闇を祓い、穢れを祓い、禊ぎをなす
諸々の罪穢れ、レンの水に……』
修道女の澄んだ祝詞の声が、マーフィーの霊体の体に染みこんでいく。
意識がぼんやりとして、何もかもがどうでもよくなる。
「ほへあ~ あぼ~~~」
霊体が、拡散して薄れていく。
至高神の祝詞には、霊族を祓う力がある。
そこらにいる浮遊霊や騒霊くらいの自我が希薄な霊族なら、とっくに成仏している。
しかし五百年、現世に留まるマーフィーは、この程度の祈りでは、成仏しない。
むしろ理性が薄まり、知性が低下するので、リラックスできる。定命の者でいえば、温泉につかって居眠りをしているような感覚に近い。
「かしこみかしこみ、申す~~~。と、終わりましたよマーフィーさん」
「……あー、あ? あー。けっこうなお手前でー。いやー、あの世に行きかけました」
「もう五百年もおられるのですから、そろそろ行かれてもよいのでは?」
「いや、まあ。いつ行ってもいいのですが。仕事がありますから」
「あまり現世に執着しちゃうと、怨霊になっちゃいますよ?」
「その時には、至高神の聖女様に、除霊をお願いします」
「あらやだ。私が聖女だったのは、もうずいぶんと前のことですよ。今はただの修道女のおばちゃんです。もうすぐおばあちゃんです」
「や、あの赤ん坊がもうそんな年ですか。月日が経つのは早いですね」
「本当にね。あなたは、全然、お変わりないのに」
「霊族ですから。では」
礼拝堂を出ると、ゾンビの事務官のところに行き、功績ポイントの審査会の議事録と決定を渡される。
その内容はやはり、陰謀が動いていることを示していた。
議事録に綴られた、不自然な会話の流れ。
結果として出された、街道敷設の実績に対し、評価そのものを避ける決定。
――なるほど、そう来ましたか。なんとも雑な仕事です。陰謀をする人間は、どうしてこうもやることが雑になるのでしょうか。
マーフィーは憮然とした面持ちで、司法大臣の部屋へ向かう。
途中で、男のエルフとすれ違う。
若く、美しい外見を持つ男だ。きらびやかな服に、帝国貴族院議員であることを示す飾りをつけている。
マーフィーは通路の脇によけ、頭を下げた。
エルフの男はマーフィーに軽蔑のこもった視線をちらと向け、鼻を鳴らした。
「気の利かぬ報告をする浮遊霊がいては、司法大臣殿もさぞ仕事がやりにくいことだろうな」
そして懐から鈴を取り出し、一回だけチリン、と鳴らしてから去っていった。
男の姿が見えなくなるまで、マーフィーはそのままの姿勢をたもっていた。
礼儀からではない。動けなかった。
あのエルフの男は、鈴の音に込めた魔力の一撃で、マーフィーの魂の核を打ち抜き、拘束したのだ。尋常ならざる魔法の使い手だった。
しばらく待ってから、マーフィーはぎこちなく体を動かし、司法大臣の部屋に入った。
「きたか。ん? どうした、体が薄れてるぞ?」
「いえ。それより、先ほどこちらから出られたのは都市エルフ評議会のスギヤマ議長ですね」
童女は肩をすくめて、何も答えなかった。
マーフィーは得心した。あの男が今回の陰謀の、プレイヤーのひとりであると。
「では、ご報告いたします」
マーフィーは審査会の決定を司法大臣のデスポエムに告げると、憑依術式を使って、神聖都市ソリウムへと飛んだ。
※別視点なので、今回は変更なし
期限まで:二十二日
功績ポイント:三十点(大迷宮の探検十点+郵便開設十点+ドワーフ族発見十点。百点で結婚許可)
現在地:神聖都市ソリウム