8.オーガの神殿とサキュバスの神殿
8.オーガの神殿とサキュバスの神殿
神聖都市ソリウム。
帝国中央山脈の東部に位置する、帝国直轄領である。
神聖都市の名前が示すように、神の恩寵が集まった都市だ。
この世界には様々な神がいる。天地の運行、世の理を管理するのも神であるし、種族にはそれぞれ一柱かそれ以上の守護する神がいる。神をきちんと祭らなければ、世の中の動きは乱れ、種族は衰退する。これは、この世界に生きる者にとっての常識である。
そこで帝国中の神を祭る神殿を集めたのが、ソリウムである。
大きいところでは至高神や創世神から、小さいところでは囲炉裏の神や泉の女神まで、あらゆる神の教えが記録され、多い時で一日に百件、一年に平均して約五千件もの祭事が執り行われている。
「へー。ここがオーガ族の神様の神殿なんだ」
「うむ。しきたりにより、ソリウムに来たからにはまず大始祖神様に到着をご報告し、儀式を行わねばならない」
オーガ族の神殿は、小さな鎮守の森の中央にあった。
オーガの背丈の倍はある、大きな岩が、でん、と立ち、しめ縄で飾られている。
誰もおらず、岩の前の小さな祠をのぞいて、建物もない。
森そのものも、入口から祠まで歩いて一分もかからない。
「ゴラン様は次のオーガ王ですからね。マーフィー監察官には、先に私がご報告にあがっておきます。書類に記入しないといけないこともありますので」
「すまんな、ア=ギ。後で合流しよう」
「それでは」
ゴブリンの執事が、石化したドワーフを背負ったウッドゴーレムを連れて行くと、王子と花嫁が残された。
「儀式って、何をやるの? 神官は?」
「オーガの神に、神官はいない。あえて言うのならば、王族が神官役だな。だからここには普段は誰もいない」
「それにしては、きれいだね」
「日々の掃除や木々の手入れは、ソリウムの神殿管理組合にお願いしてやってもらってる。この管理費がけっこう高いらしくて。家宰のア=ボ爺がぼやいていた」
「ふーん。大変なんだね。それで、儀式ってどうするの?」
「生贄を捧げる」
「生贄って、羊か何か?」
「処女だ」
「ふーん、処女か……え、処女? 女の子?」
「うむ」
真面目な顔で王子がうなずく。
「神話によれば、大始祖神様は山の女神と戦って勝利し、女神を娶ったという」
「神話では、よく聞くお話だね。それで、処女の生贄はなんで?」
「大始祖神様と山の女神様は、結婚してからも仲がよろしくなく、子供ができなかった。それで山の女神を信仰する里の者から処女の生贄が捧げられ、そして子供ができた……ちなみに、誰が産んだかは、神話には伝わっていない」
「神話でなくても、よく聞くお話だね。じゃあ、処女の生贄はどうしちゃうの?」
花嫁は、むむっ、と眉間に皺をよせ、王子を上目づかいで見る。
「生贄の子に、エッチなこと、するんじゃないよね?」
「……そんなことはしない」
「でも、わざわざ処女を生贄にするんでしょ。まさか殺すわけないし、元の神話的に考えても、子孫繁栄を祈願するものだと思うし……だとしたらエッチなことしかないよ」
「……昔は、そういうこともあったと聞く」
「やっぱり! ほーら、やっぱり!」
「昔の話だ。オーガは女児が生まれにくい。だから、領地内に住む色んな種族の娘を、神事にかこつけて集めたということも、昔はあった。まだ帝国が建国される前の話だ。千年以上前のことだ」
「ふーん。へー。ふーん」
やたら、昔を強調する王子を、花嫁は半目で見る。
「じゃあ、今は?」
「焼く」
「は?」
「焼いて奉納する」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! え、それまずいよ。エッチもまずいけど、生贄の女の子を焼いちゃうのはもっとまずいよ! バレたら、厳罰だよ!」
昔のオーガ族が処女の生贄を支配下の部族に要求したのは、そういう時代であったから、といえる。
しかし帝国建国から千年。
異界門からの最後の大攻勢を防いでから三百年。
この三百年だけでも内戦や宮廷陰謀劇は日常茶飯事で、今も貧困と差別がいたるところに残ってはいるが、それでも帝国は少しずつ法の支配する国へと変わっている。
いくら大事な神事でも、生贄の処女を焼いてしまうことが許されるはずもない。
「そうはいっても、せっかく管理組合に準備してもらったわけだしな」
王子は、背をかがめて小さな祠の戸を開き、中をのぞき込んだ。
「え? 準備って?」
「生贄の処女だ」
「そんな場所に?」
王子が祠から取り出したのは、額のついた一枚の絵だった。
絵に描かれているのは獣人族の少女で、耳の形から狐系と推測された。
少女の手には手枷。足には足枷。首には首輪。
横を向いてうなだれながら、手前、つまり絵を見る人間の側を力ない虚ろな目で見ている。
「生贄の乙女の絵だ。今年のもよくできている」
花嫁は黙って王子に近づき、王子の腹にパンチをくりだした。
ぺちっ。
「もう! ゴラン様ってば! もうっ! もうっ!」
ぺちんっ。べちんっ。
分厚い腹筋の感触がよくて、二度、三度とパンチする。だんだん腕の振りも大きくなって、力が入ってくるが、王子の体は小揺るぎもしない。されるがままに、花嫁に殴られている。
少し気が晴れた。
「びっくりしたよ、もう! ボクのことからかって!」
「すまない」
「ゴラン様って、真面目な顔でからかうから、困るよ。ちゃんとわかるようにからかってくれないと」
「今度からはそうしよう。からかう時には角に触るのはどうかな」
「メガネくいっ、くいっ、がいいかも。でもこれ、本当によくできてるね。焼いちゃうのがもったいないくらい」
「この絵を描いた画家は、売れっ子ではないが実力のある人だと私も思う。ほら、この固く握った指を見てくれ」
「あ、表情とか諦めきってるのに、ここだけ何か意志みたいなものがあるね」
花嫁は生贄の乙女の絵を確認した。
焼いてしまう絵なのだから、もっとぞんざいに描いてもいいだろうに、細部にまで手を抜いていない。いい仕事をしている。
「こういうのって、いいよね」
「高い組合管理費にも意味があるかも知れないと思うのはこういう時だ」
王子はご神体である岩の前に絵を恭しく置き、祝詞を唱えた。
『我らオーガの始祖よ。ご照覧あれ。
我らまだ、戦えり。
我らまだ、生きてあり。
我ら死ぬまで、戦い。
我ら死ぬまで、生きる』
それから絵を焼き、灰に砂をかけて混ぜ、その砂を岩の周囲を歩きながら撒いた。
「これで終わりだ」
「お疲れ様」
神殿を後にしたふたりは、結界の柱が立ち並ぶソリウムの東側にきた。
柱の列を抜けると、空気が変わる。
神気が消え、魔素が濃い。
帝国による神々の分類では、神は法と混沌、中立の三種類に大別される。ここは混沌の神を祭るエリアだ。
あくまで、大雑把な区分であり、ひとつの神が法と混沌の両方の側面を持つことも、中立の神が時に法に寄ったり、混沌の諸相を見せることもある。
神にとっては、地上に暮らす人間の分類など無用なのだろうが、大勢の神々をソリウムという町で同居させるには、分類による区画整理も必要なのだ。
「あー、ちょっと落ち着くかも」
「サキュバス族の神殿も、こっち側のエリアだったか」
ぎくり。
花嫁が硬直する。
「あー、うん。ソウダネー」
「しきたりは種族ごとに違うものだが、神殿に行かなくてよいのか?」
「あー、うん。ダイジョウブ」
「そうか」
王子が気にする様子もなくスタスタと歩いていったので、花嫁は少し足を遅くして後ろに回り、はぁ、と息をついた。
「そうだった。ウチの神殿もあるんだった。すっかり忘れてたよ……絶対に、近づかないよう、注意しないと」
花嫁がサキュバス族の神殿に行きたくない理由はふたつある。
昔から苦手だった、という個人的な理由がひとつ。
そしてもうひとつは。
――お姉ちゃんの知り合いに会えば、さすがに一発でバレるよね。あそこの神殿、お姉ちゃんの友達が大勢いるから。ぜーーったいに、出会わないようにしないと。
ふん、と花嫁が気合いを入れていると、先を行く王子に露出度の高い女が近づいていた。
花嫁の顔が、ぴしっ、と強張る。
「あーら、こちら。なかなかイイ男じゃない。お兄さん、このあたりで見かけないけど、旅の人?」
「そうだが」
「なら、私たちの神殿で旅の垢を落としていかない? すぐそこよ」
「風呂なら、アテがある」
「いやいやいや。お風呂じゃなくて。ほら、男がひとりで旅をしてたら、溜まっちゃうでしょ? ね? そういうの、体によくないし。せっかくだから、うちの神殿にきて、神様に捧げちゃおうよ」
「待ってくれ。私はオーガ族で、あなたとは神様が違う」
「大丈夫。私はサキュバス族の巫女だし、うちの神様はどんな種族も大歓迎よ。ね、いいでしょ。ね。はーい、お一人様、ご案なーい!」
女が王子の腕を取って声を張り上げると、どこからともなく、似たような露出度の女たちがわらわらと現れた。
「うわ、オーガじゃない。すごくタフそう! 絞れそう!」
「順番、順番だよ。枯れるまで絞っちゃダメだよ」
「わかってるって。これ以上、管理組合ににらまれたくないものね」
「待って。この人、初物よ。匂いでわかる」
「くんくん、本当だ。やべえ、匂いだけで鼻血でそう」
「こりゃ、こうしちゃいられないわね。神様呼び出さなきゃ。あ、お兄さん、心配しないで。お兄さんから、お金は取らないから」
女たちは、ワッショイワッショイと王子の巨体を抱えて運んでいきそういな勢いだ。
王子は女たちを振り払おうとするが、腕に力を入れると柔らかい感触が伝わってきて、どうにもやりにくい。
パキン。
押しくらまんじゅう状態の王子と女たちの足下の石畳から、黒い影が染み出した。
それはみるみるうちに拡大し、王子と女たちを包み込む。
「きゃあっ、何よこれ!」
「わっ、ちょっと。引っ張らないでよ」
「何も見えないんだからしょうがないじゃない」
「踏んでる! 私の足、誰か踏んでる! ヒールで!」
「これ、幻覚魔法よ」
「サキュバスの巫女に幻覚魔法たあ、かばちが!」
「あっ、生贄がいないわ!」
「くそっ、せっかくの童貞を! 探せっ!」
だが、黒い影が消えた時には王子の姿はどこにもなく、その後ろにいた花嫁も消えていた。
「ぜーっ、ぜーっ、ぜーっ……まいた?」
「追いかけてくるものはいないようだ」
「はー。よかったー」
そこから少し離れた建物の中で、王子と花嫁は外の様子をうかがう。
「エミリア……その、今のはもしかして……」
「うん。ボクと同じサキュバス族の……神殿にいる巫女だよ」
「そうか。それで、その……サキュバス族の神事というのは、ひょっとして……」
「うん。エッチなこと」
「生贄という言葉も聞こえたのだが……」
「うん。童貞を生贄に。エッチなことをするの」
「おお」
王子の逞しい背中が、ぶるっ、と震えた。
オーガ的には武者震いといいたいところだが、恐怖による震えであることは、王子本人が一番わかっていた。戦場であればともかく、相手の神域で、自分があの柔らかくて押しの強いお姉さんたちに勝てるとは、王子は思わなかった。
その王子の手を、花嫁が握った。
「大丈夫だよ、ゴラン様。ゴラン様はボクが守るから。生贄になんか、させないから」
「ありがとう、エミリア」
感謝をこめてゴランがエミリアの手を握り返す。
じっと見つめ合う、ふたり。
それを見せられる、居心地の悪そうな顔のゴブリン執事。
「あのー」
「わっ」
「おお、ア=ギ。いたのか」
「そりゃいますよ。ここは、不死王の神殿なんですから」
ゴブリン執事の隣に、すうっ、と半透明の霊体が出現した。
「私もおります。またお会いできて光栄です、ゴラン様、エミリア様」
「マーフィー殿か」
「はい。憑依魔法で先回りしておりました。それにしても、わずか一週間。それも徒歩で北の白角国から帝国中央山脈を突破してソリウムまで来られるとは、驚嘆いたしました」
「大迷宮の街道整備が進めば、これからは誰にでも可能になる」
「めでたいことです。自治国間の関係が深くなることは、帝国の望みともかないます」
「王子、マーフィー殿と書式をまとめたものです」
執事が王子に帝国公用書式の申請書を渡す。
魔術的な防護が施されていて、改変や偽造ができないものだ。
そのかわり、これ一枚に、裕福な家庭の一年分の家計に等しい金額がかかっている。
内容は、今回の功績をまとめたものが記されている。
「これをマーフィー殿に渡せばよいのだな」
「はい。内容は熟知しておりますが、確認のため王子の口からお聞かせください」
「わかった――帝国北方オーガ領、白角国を代表して申し上げる」
白角国からドワーフの大迷宮を経て、帝国直轄領ソリウムへの街道を敷設したこと。
そして、ソリウムとの帝国公式郵便を開設したこと。
さらに、これまで姿を消していたドワーフの生き残りを発見したこと。
流麗ではないが、力強い声で王子は読み上げた。
王子の後ろで、花嫁と執事がひそひそ声で会話する。
「ねえ、ア=ギさん。公式郵便開設って何?」
「ポイント増加の裏技です。街道敷設だけですと八十点なんですが、自治国や直轄領間の郵便を開設すると、得点が増える条項を見つけましてね。郵便単独なら十点なんですが、二十点になります。で、街道分と合わせて百点で、結婚申請が認められるわけです」
「公式郵便って、どうやったら開設したことになるの?」
「種族間の手紙を届けたらなります。今回は、奥方様にお願いして、ソリウムのエルフ神殿にいる大神官様に手紙を書いてもらいました。私が先ほど届けましたので、これで公式郵便は開設されたことになります」
「なるほど。マーフィーさんは、それでオッケーだって?」
「そこはマーフィー殿も帝国官僚。それも何百年も役人をやっておられる方ですから、私ごときに言質は取らせてくれません。書式上は間違いない、としかおっしゃってはくれませんでしたよ」
「じゃあ、審査で落とされることもあるんだ」
「可能性はありますね。ま、その場合は九十点となって足りませんが、ドワーフ族発見のボーナスがありますしね。それでダメでも、いくつか手を考えてあります。五点くらいでしたら加算できるツテはありますし、サキュバス族側も、メイド殿を通して動いてもらっていますから、そっちで五点か十点はいけるでしょう」
「あ、それでいないんだ」
帝国は古く巨大な国家だ。
そうなれば、法だけでは回らないところも多くなる。北方の守りとして留め置かれ、帝国中央の内戦などに関わってこなかったオーガ族はさておき、幅広く多くの種族と交わってきたサキュバス族は、色んなところにコネがある。
サキュバス族のしかるべき人が『お願い』すれば、助けてくれる帝国要人は多いのだ。
――監査役のマーフィーさんだって、ボクらに恨みがあるわけじゃないみたいだし。これなら、何とかなるのかな。よかった。
そこまで考えて、花嫁は、はっ、とする。
――いやいや、よくないよ! ボクにとって、事態はちっともよくなってないよ!
花嫁は王子の背中を見た。
堂々としていて、頼りがいのある背中だ。
けれども、自分にはあの背中に守ってもらう資格がない。
王子に嘘をついて、騙している自分には。
「――以上を、我が功績として帝国に申請いたします」
「承りました。では、これより帝都に憑依術式で戻ります。明日の朝には結果をご報告できると思います」
「もう日没ですが、今夜中に審査できるのですか」
「私も、司法大臣のデスポエム様も、不死族ですからね。夜こそが活動時間です」
「では、よろしくお願いします」
「それと、これは申し上げて起きますが、審査は一回の申請につき一度きりです。審査結果に不満があっても、異議申し立てはできません」
「はい」
「では」
マーフィー監察官は、《合切袋》に申請書を入れると、薄れて消えた。
「マーフィー殿、最後に脅してきましたね。街道敷設に公式郵便をくっつけて得点を増やす手は、脱法扱いでハネられるかもしれません」
「やるだけのことはやったのだ。明日になれば結果がでる」
「……」
「どうした、エミリア? 顔色がよくないようだが」
「なんでもない。ちょっと疲れたかも。先に休ませてもらうね、ゴラン様」
「わかった。案内させよう」
その夜。
六日ぶりにちゃんとしたベッドで寝たというのに、花嫁の眠りは浅く、途切れがちだった。
そして翌朝。
マーフィー監察官は、司法大臣デスポエムの花押がつけられた審査結果の書類を携えて戻ってきた。
郵便開設は、得点倍増なしで、十点。
ドワーフ族の発見は、功績として認められ、十点。
しかし、白角国からドワーフの大迷宮を通った街道敷設については、これを街道として認められるかどうか、現時点では審査できないとして、申請自体を却下。
その代わりに、ドワーフ族の大迷宮が街道として使えることを実地で確かめた功績が認められ、『偉大なる探検』として十点。
合計、三十点。
種族間結婚に必要な功績ポイントには、七十点の不足となった。
期限まで:二十二日
功績ポイント:三十点(大迷宮の探検十点+郵便開設十点+ドワーフ族発見十点。百点で結婚許可)
現在地:神聖都市ソリウム