5.貢献度獲得への旅立ち
お見合いが行われた次の日の早朝。
骸骨城の練兵場の中に作られた菜園に、オーガ族の王子ゴランの姿があった。
王子は、作物の様子を見たり、雑草を抜いたり、水を撒いたりと、几帳面に作業をする。時にメモを取る。
空を見上げ、流れる雲をぼんやりと見る。
丸く分厚い眼鏡の奥の瞳は、物思いに沈んでいる。
「おはよう、ゴラン様」
王子は顔を声の方に向けた。
思わず息をのむ。レンズで歪んで外からは見えないが、目が大きく見開かれている。
そこには、彼の花嫁が――婚姻許可申請中ではあるが――いた。
昨日の花嫁衣装の赤いドレスとは違い、活動的な服装だ。丈夫なごつめのブーツ。黒いタイツ。ホットパンツ。肩を出したシャツ。黒い長手袋。黒いタイツ。
黒いタイツ。
黒いタイツ。
「おはよう、エミリア」
王子は花嫁に朝の挨拶をした。
花嫁の足に視線が吸い寄せられるが、そのたびに苦労して視線をそらしている。
そのことに気付いた花嫁はくすぐったそうな顔をした。そして、わざとその場でくるっと後ろを向いてみせた。
サキュバス族特有の感覚で、王子の視線が、膝の裏側、ひかがみと呼ばれる場所に向いているのを感じる。
それから振り返って、王子に向かってぺろり、と舌を出した。
「よくここがわかったな」
「ゴブリンの執事さんに聞いたの。広くて立派な畑だね」
「ありがとう」
「眼鏡、かけるんだ」
「近視でね。行事の時にははずすんだが」
まだ朝の作業が残っていたので、王子はしゃがみこんで土いじりに戻った。
花嫁が隣にしゃがんで王子の手元をのぞき込む。
「ゴラン様は、農作業が好きなの?」
「好きだな」
「どうして?」
花嫁の問いに、王子は手を止めてしばらく考える。
手についた黒い土を、指でつぶす。ほろり、と崩れる。
地味の肥えた、良い土だ。これを作れるようになるまで、ずいぶんかかった。
そして、この肥えた土では、逆にうまく育たない作物もあることを知った。乾いてやせた土の方が実りのよい作物もある。
日々の作業の積み重ねの先で、そういうことを知るのは楽しかった。
「工夫や考えに、手応えがあるからかな」
「手応えって、収穫があるから?」
「うん。収穫もそうだけど、本で読んだ知識と、自分で見た作物や土の様子がつながっていくのがうれしい。あそこに書いてあったのは、こういうことだったのだ、とか。この本に書いてあることと、実際との違いは、どこから来るのか、とかね」
「へえ、ゴラン様って本とか読むんだ……あ、ごめん」
花嫁が口を押さえて謝る。
「いやいい。私はオーガだから、どういう風に自分が見られるかは知っている。外見もまあ、こんな風だしな」
「ごめん、本当に……ボクだって、サキュバスだから……他の人に、勝手なイメージ持たれてイヤなこと、たくさんあるのに……」
「互いに知らないことはたくさんあるだろう。これから知っていけばいい」
「そうだね……それに、ボクも魔術の勉強は好きだから、ゴラン様の言ってることがわかるよ。魔術もね。本に書いてあることと、自分で魔術を行うこととで、知識と体験がつながっていくのが楽しいんだ」
「あなたもそうか。それはうれしい」
「うん、ボクもうれしいよ」
花嫁は、ゴランが土をいじるのをじっと見ていたが、やがて、ぽつり、と言った。
「ねえ、帝国への貢献度ってどうすればいいと思う?」
「昨夜、マーフィー殿からもらった冊子に目を通した。だが、細則が多く、すべてを把握はできていない」
「うん。すごく複雑だった。組み合わせでポイント倍とかあったし」
「一ヶ月、という時間制限もある。貢献度を得るために使える人と金も、そう多くはない」
「戦争して領土を増やすとか、ボクらには無理だよね」
「今はア=ギ、つまり私の執事とあなたのメイドが中心になって作業チームを作り、効率的な貢献度獲得の方法を探っている。その報告を待とう」
「そうだよね。でもなんだか落ち着かなくて」
「私もだ。だから、こうやって土いじりをしている」
「そっかー……じゃあ、ボクもやってみて、いい?」
「いいとも。こっちの土とこの袋の砂を混ぜてくれ」
「はーい」
ふたりが仲良く土いじりをしている様子を、少し離れた場所からゴブリンの執事とナーガのメイドが見ていた。
「なんだか、いい感じになってますね」
「ですね」
「ウチの王子、女の子とか苦手な方なんですよ。身近な女性に、皇太后様とか、従姉妹殿とか、気性がアレすぎるのが多いせいで。お妃様は、可愛い……いや、お優しい方なのですがね」
「女は苦手ですか。そうですか。だからか」
「何か?」
「なんでもありません。ですが、いつまでもどろんこになって遊んでいるわけにはいかないでしょう。何しろ期日がありません」
「はい。ですがこの計画、少々、裏技めいてませんか?」
「まともなやり方で一ヶ月でポイント獲得は無理です」
「ですが、せめて監査役のマーフィー殿に事前に相談して言質を取っておくくらいは」
「ダメです」
ナーガのメイドは自分の尻尾の先端につけた飾りを、シャランと鳴らした。澄んだ音が響く。ただの飾りではない。霊族除けの護法フィールドを張る魔術具だ。
フィールドそのものの強度は弱い。野良騒霊がいたずらや呪いをかけるのを防ぐくらいだ。マーフィーなら押し通ることは造作もない。しかし、もしフィールド内に何者かが侵入しようとすれば、音が歪むので、すぐに察知できる。
「今回の件、必ず裏があります。マーフィー殿がそれに関わっているかは不明ですが、秘密を知る者は最小限に――あなたも、くれぐれも漏らさぬように」
「王子にも?」
「そうです」
「わかりました。こと宮廷闘争に関しては、私たちでは足を引っ張ることになりかねません。すべてサキュバス側にお任せします」
「お任せあれ。それに、あなたや王子の仕事も重要です。ポイントを稼がねば、真相が明らかになったところで、何もかもご破算です」
「いやまったく。明日の出発まで、することが山積みです」
花嫁がスコップで土を掘ると、中から白くて細長いものがニュルリと顔を出した。
驚いてのけぞった花嫁が、ぺたん、と尻餅をつく。
「ひゃっ?! なんか出た!」
「大丈夫、ミミズだ」
「これがミミズ? でかいよ?!」
「育てばこんなものだ。こいつが土を豊かにしてくれる」
「本当に? ミミズが作物の根っこ、食べたりしないの?」
「しない。農業の本によれば、植物は陽光にある天の神気と、土壌にある魔素とが一体化して成長するものであり、ミミズは土を食べることによって――」
「わっ、うにょうにょしてるっ! わっ! わっ! こっちきたっ!」
花嫁はスコップを放り出して王子にしがみついた。
王子は花嫁を抱き止めるが、この時、どちらも手が汚れていたので顔に土がつく。
「ぷっ。王子、ヒゲみたいになってる」
「エミリアもほっぺに老婆のような皺がついているぞ」
「むーっ、とれた?」
「ああ、だめだ。手に土がついてるからよけいに広がってしまう。私が――」
「あ――」
ふたりの顔が近づく。
花嫁の手が、王子の胸の上にくる。
どっどっどっどっ。分厚い筋肉の下から、王子の鼓動が伝わってくる。
花嫁は視線をそらし、唇をぎゅっとかみ、そして王子に向き直った。
「あのね、王子、ボク――」
「お取り込み中、失礼いたします、王子」
「ぴゃっ?!」
音もなく近づいていたナーガのメイドが、ふたりに声をかけた。
メイドの後ろでは、ゴブリンの執事が、もうちょっと待てばいいのに、という顔をしている。
「コホン……あー、何か?」
「基本計画ができました。計画書を確認の上、実行の可否をお願いします」
「昼までに目を通そう。口頭で何かあるだろうか」
「そうですね。実行するのならば、明日の朝には出発となります――南へ」
「南? ということは」
王子がゴブリンの執事に視線を向ける。
執事が、うなずく。
「はい。ドワーフの大迷宮です。少々準備不足ですが、よい機会です」
「そうか! よし!」
オーガの王子ゴランは、南を目指す。
南の山脈にあるのは、滅びたドワーフ族の大迷宮だ。
期限まで:二十九日
功績ポイント:〇点(百点で結婚許可)
現在地:骸骨城