40.勇者へのご褒美:花嫁から
薄暗い寮の部屋の中。
王子は、床に正座させられ、目隠しをされ、さらには後ろ手に縛られていた。
「ゴラン様」
王子を、床に正座させ、目隠しをさせ、さらには後ろでで縛った花嫁が、メイド服姿で仁王立ちですごむ。本人は精一杯に威嚇しているつもりだが、可愛らしい顔と服装のせいで、台無しである。
「ボクがどうして怒っているか、わかりますか?」
外見はプンスコでも、内面はグラグラ煮立っているのか、花嫁が持ち出した問いかけは、いわゆる「どう答えても死」というものだった。
この問いに、色恋に慣れていない王子がどう答えるか。
「アッシュ。私が愛しているのは、あなただ」
王子は静かな口調で断言した。アッシュの瞳が輝く。
続いて、王子は頭を下げた。
「そのあなたに、私が決断しかねることについて、黙っていたことをすまなく思う」
「ふぇっ?」
アッシュの口から、妙な音がもれた。
それから、おそるおそる、という感じで聞き直す。
「ゴラン様、ボクに内緒があるの?」
「ある」
「陛下には、しゃべっちゃったんだ」
「話した」
隠し事に関する王子のスタンスは、嘘をつくぐらいなら、黙る、というものだ。
相手に言いたくないことについては、沈黙する。
問われても、答えない。
そのことは、花嫁もよく理解している。
「ボクには話せる?」
「できれば、黙っていたいことだが、問われれば正直に話そう」
「む……ちょっと待って」
花嫁は椅子に座り、足を組んだ。メイド服の長いスカートの下から、くるぶしとふくらはぎがのぞく。いつもの癖で、王子の反応をちらと見るが、目隠しをした王子は平然としたものだ。
──しまった……って思ってしまっちゃう時点で、ボクの負けだよね。
だが、今考えるのはそのことではない。
──陛下には話せたが、ボクには黙っていたいコト……つまり、ボクが現時点で知っても、何もできずに心を悩ませるだけ、ってコトだよね。でも、隠し事が気になっちゃって疑心暗鬼になるのもよくないから、ボクに判断させる、と。
花嫁は、正座して目隠しして後ろ手に縛られた王子を見る。
大きくてたくましい体を窮屈そうにしている。
昼間の演習で重騎士相手に奮戦した、圧倒的なパワーを持つオーガ族の王子が、自分の命令ひとつで、身動きもとれずじっとしているのだ。
そう思うと、怒りが吹き飛ぶほどの愉悦が胸を満たす。唇のはしがムズムズと動く。
──やばい……やばすぎるよこれ……ゴラン様に目隠ししててよかった……今のボク、すごくダメな顔してる……
待て、そうじゃない。
自分にツッコミをいれて、花嫁は深呼吸した。
──自分が男だということを隠していたボクには、わかる。愛する人に真実を黙っていることの罪悪感が。それでも黙っているのは、迷っていたから。真実の重さを愛する人に背負わせることへ、ためらいがあったから。
ならば、自分のすることは、何か。
決まっている。どんな真実でも、一緒に背負うという覚悟を示すことだ。
「ゴラン様、正座やめて。あぐらかいて」
「わかった」
王子がもぞもぞと正座をやめてあぐらをかいたところで、花嫁は背中を向けてあぐらの上に小さなお尻をのせて座った。
「抱きしめて」
「わかった」
ブチリという音がして、花嫁が結んだ紐が千切れ、太い腕が前に回される。
王子がほっとため息をついたのは、紐がうっかり切れないように肩甲骨を寄せていたのがつらかったせいだ。
なお、花嫁がそのくらい細い紐で王子を結んだのは、わざとである。
「説明して」
「わかった」
王子は説明した。
花嫁に、アッシュという名前を捨てさせない。
本当の名前であるアッシュ・ド・イリスタ・クスト・メーラ・オル・サキュバシリオとして、オーガ族に嫁がせるのが王子の願いだ。
だが、そうなると今の婚姻許可はほぼ確実に無効になる。
帝国司法省のデスポエム大臣の花押が印された婚姻許可証には、サキュバス族側の花嫁の名としてエミリア・ラ・ユーラルジール・フォルアスト・メーラ・オル・サキュバシリオの名前が書かれている。
「もう一度、申請し直しって……すごく大変だよね? 前の申請だって、すごい大変だったし、次も、あのくらい要求されるんじゃないかな」
「おそらくは」
「何かいい手でもあるの?」
「ない」
「そりゃ、そうだよね」
帝国への功績をそう簡単に稼げるはずがない。
もともと、帝国の拡張期に作られた古い制度だ。
領地を増やすことや、大きな戦いで武功をあげることが今よりも一般的だった時代に合わせて設計されている。
拡張も、戦乱もない今の時代には合っていない体制だ。
しかし、その体制こそがオーガ族とサキュバス族という古く時代遅れの国の王子と花嫁とを巡りあわせた。
「うーん、何か方法を考えないといけないよね」
「その……よいのだろうか」
王子が、花嫁に聞く。
「え? 何かボク、勘違いしてる?」
「いや……アッシュの名前で再申請することについてだ」
この件を王子が決め兼ねており、花嫁に相談もしなかったのは、現時点で功績を稼ぐ算段がつかないためだ。
「もちろんだよ」
花嫁は迷いがない。
「ゴラン様が決めたのなら、ボクは全力で支えるよ」
自分を抱きしめる王子の腕に、花嫁の手が添えられる。
「ゴラン様とボクはふたりでひとつ。《魂結合》で結びついた魂の絆は、絶対なんだから」
「そうだ」
王子の腕に力がこもる。
未来がどうなるか、確実なことは誰にもわからない。
だからこそ、今ある絆を確認して、未来へと立ち向かうのだ。
「私とあなたは、共にあり、共に戦う。神蟲と戦ったように、いかなる困難もふたりで力を合わせよう」
「とはいっても、この問題ってボクたちのどっちも得意じゃないコトだよね。ゴラン様もボクも、法律とか根回しとかうまくないし」
「オーガ族は最前線で殴るのが真面目だからな。私の得意分野は、庭いじりや野菜つくりだし」
「ボクだと得意分野は魔法だし……サキュバス族の方だとエッチだけど……あ」
花嫁は何かを思いついて、ぎゅっ、と王子の手を強く抱く。
「何かあるだろうか」
「あのね……婚姻許可が、前と同じ条件なら……ボクが女の体になったら……その……ほら、トモエ様が婚姻許可をもらったのと同じようにすれば……」
「あ」
子供ができにくいオーガ族では、子供さえ身ごもれば、種族間の婚姻は認められる。
そして子供を身ごもるためには、その前の段階がある。
「……その発想はなかった」
「うん、ゴラン様はそうだよね。それに、トモエ様の場合って、トモエ様もエルフ族で子供ができにくいから、二重の意味で許可されたんだと思う」
「私たちだと、そうはいかない……可能性もあるのか」
異種族間婚姻法の例外事項であるから、司法大臣が許可するかしないかは、政治力学いかんによる。
許可されるにしても、何らかの取引が持ちだされる可能性があった。
「でも……やってみる価値は、あると……思わない?」
「それは……うむ」
「で、そのためには……練習というか……鍛錬もしておいた方が、いい、かも……って思うんだけど?」
花嫁は顔を真っ赤にして、ちら、と王子の顔をのぞきこむ。
王子も顔を真っ赤にして、唸っていた。
「どう……かな?」
疑問形が続く。
花嫁は言質を取る気満々である。
王子は唸るのをやめ、花嫁を見つめた。
花嫁の頬に手をあて、顔を近づける。
その時、バン、と扉が開いた。
「おーい、我だ! ジジイの外泊許可を得たぞ! ついでに食い物と酒もせしめてきたから、食おうぜ、飲もうぜ」
ズカズカと入ってきたのは少年帝である。その後ろから、ニヤニヤと笑みを浮かべて花嫁の蛇人族のメイドが入ってくる。
ほっとした顔で、王子が立ち上がり、少年帝に一礼する。
「……も、もうちょっとだったのにっ!」
花嫁の悲憤慷慨の叫び声が、寮の部屋に響いた。