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39.勇者へのご褒美:主君から

 兵科対抗演習は終わった。

 工兵訓練校は、まるで勝ったかのような浮かれぶりだった。

 式典が終わった後、工兵訓練生は演習場の片付けを隠れ蓑に、鍋や食材を演習場に持ち込み、芋汁を作って宴会をはじめた。

 試合の勝者の側である騎兵科は、士官学校の他のチームと一緒に式典の後は晩餐会である。ここでは、帝国軍幹部などの賓客が試合の講評を隠れ蓑に、美食と美酒に舌鼓を打つ場だ。演習試合に出た士官候補生は、賓客のありがたい講釈をお酌をしながら聞くのが役目である。精神面では演習よりもつらい。

 そうした上流階級ならではの苦労がないのが、工兵訓練校だ。酒こそ持ち込んでいないが、焚き火を囲んで高歌放吟の大騒ぎである。


「見たか、勝敗が決まった時の騎兵科の連中の顔!」

「きょとん、としてたな」

「傑作だったなぁ」

「おい、塩がたりんぞ。ケチるな、いれろいれろ」

「そら半分以上がやられて、残ったのは八人だけじゃあな」

「九人だ」

「そうだっけ?」

「本陣にひとり、弓持ったのが残ってた。そいつに迂回部隊がやられた」

「こっちは何人だ」

「最終的には五人残った」

「いや、本陣に突っ込んだ連中の数」

「四人だ」

「おい、棒よこせ。底の方で芋が焦げ付いてる。こそげるぞ」

「弓一張りに四人やられたのか」

「鎧なかったし。相手は短弓で、しかも腕が良かった」

「重騎兵が短弓使うなよなー。馬上型弩なら、装填速度で勝ち目があったのに」

「なんか田舎騎士の三男で、子供の頃から親の手伝いで狩りをしてたそうだ」

「へえ。重騎兵科はボンボンばかりかと思った。あそこは鎧とか馬とか馬丁とか、全部、自前だろ?」

「ほら、あのいけすかん重騎兵科のリーダー。あいつの家臣の子らしい。父親は村ひとつの半農騎士で、学校の諸経費は主家しゅけが出してるんだと」

「苦労してんだな」

「おい、干しキノコのざる、ここにあったはずだがどこに……こら、焼いて食うな。鍋用だぞ、それは」

「しかしまあ、おれらよくやったよな」

「弩が三基あれば、落ちなかったんじゃね? 来年はやってみたくね?」

「装填どうすんだよ。ゴランは来年いねえぞ」

「ゴランとこから、オーガを三人入学させよう」

「違うだろ、知恵を使えよ。装填早くする方法を考えようぜ」

「おい、もう肉がないぞ。どういうことだお前ら」

「どうもこうも、肉は早いモノ勝ちだろうが」「ずっと鍋奉行やってるから」「自業自得だろ」


 そんな喧噪から、少し離れた場所で王子は黙々と丼にたっぷり入った芋を食べていた。

 食事の時に王子に話しかけても無駄であることは、短い付き合いながら工兵訓練校の同級生たちも知っている。

 王子はごろりとした大きな芋を口にいれ、咀嚼し、嚥下する。

 丼に入った汁をごくごくと飲み干す。昼間、汗と共に流れた塩分が体中に染み渡っていく感じがする。

 丼を空にした王子が腰を浮かせようとしたところで、新たな丼が差し出された。

 丼を握るのは、工兵訓練生のまとめ役である、ゴブリン族のニ・モルだ。


「食べたまえ」

「頂戴する」


 王子は礼をしてから丼に向き合う。

 ごっ、ごっ、ごっ。

 大量の芋が、王子の腹におさまっていく。

 砦にオーガ族がいると、食料の備蓄が倍は必要だな、とニ・モルは思う。

 オーク族もよく食うが、あれは食いしん坊である。食えば太る。

 演習後の後で王子が食べている量は、オーク族を大きく上回る。普段はやや大食い、という程度だが、体を動かすとてきめんに増える。

 すべてカロリーとして消費しているのだ。筋肉の出力に見合った食事をすると、こうなるのだろう。


「ごちそうさま」


 丼をやや掲げるようにして、王子が食後の礼をする。

 こういう日常的な仕草に、王子の育ちの良さがうかがえた。


「今日は助かったよ、ゴラン」

「うむ。負けはしたが、この演習はよい結果を残せたと思う」

「そうだな。そしてすまなかった」

「何か謝ることでもあっただろうか」

「僕が降伏を宣言したことだよ。君はまだ、戦いたかったのだろう?」


 王子は、空の丼をのぞきこんで、うなずいた。


「やはりそうか。それで、戦えば勝てたかい?」


 王子は、丼に水差しから水を入れて飲み干し、うなずいた。


「それはすまないことをした」

「いや、あれでいい」

「勝てたのだろう?」

「勝つだけなら、可能だった。だが、戦いには、その後というものがある」


 一対八、それもきちんと訓練した相手と戦って勝つとなれば、手段は選べない。何人かは“汚い手”を使って無力化しなくてはいけないし、そうなると相手とて怒りや恐怖で演習であることを忘れかねない。

 演習には審判がいて、符を使った負傷判定があっても、それらの約束ルールは、あくまで守ろうという意志なくしては意味を持たない。

 怒りや恐怖で逆上した人間に約束ルールを守らせようとするのは、愚か者の行為だ。


「捕虜が報復で殺されるような戦いをしては、一族の名を汚す。そのような戦いをしていい相手は、異界門をくぐってきた世界の敵だけだ」

「神蟲か……おとぎ話の敵だな。そんな敵が、まだこの世界にいるのだろうか」


 学友ではあるが、王子はニ・モルに神蟲との戦いについては話していない。

 だが、学友であるから、ウソも言わない。王子は黙って立ち上がった。


「腹もくちた。ちょっとそこらを歩いてから帰るとする」

「ああ。今夜はゆっくり休んでくれ」


 ニ・モルは王子の背を見送った。

 演習が終わった後、ニ・モルは帝国軍の若い参謀に話しかけられていた。今日の戦いの内容を帝国軍の月報にまとめたいので、手伝ってほしいと持ちかけられた。

 その時に、工兵訓練校を卒業した後、正式に軍に残るように薦められた。工兵を歩兵、騎兵などと並ぶ正式な兵科にする動きがあり、そこの幹部候補を目指す道を示されたのである。


 ――そのへんも相談したかったが……また明日にしよう。


 王子たちが芋煮をしていた演習場は、庭園に隣接している。

 かつては、演習場も庭園の一部だった。没落した貴族の屋敷ごと接収されて軍学校が開校した時に、庭園が演習場に作り替えられたのだ。

 残った庭園には、ダンスホールを持つ迎賓館があり、兵科対抗演習の来賓を集めた晩餐会が開かれていた。

 帝国宰相であるアスタロト大公も、もちろん参加している。

 アスタロト大公のメイドとして付いてきた少年帝は、もちろん参加していない。

 列席した客の中には、メイド服を着ているくらいの変装では、さすがに正体がバレる相手がいるからだ。

 かといって、他の客の付き人と混ざっていると、メイドらしからぬ態度と言動に疑惑を持たれるであろうから、少年帝は夜の庭園をぶらぶらと歩いていた。

 庭園には雷霊を入れた灯籠が並び、青白い光で庭を照らしている。


「ん?」


 少年帝の瞳が、何かを感じた。

 龍族の彫像が並ぶ一角に、誰かがいた。

 少年帝は目を細める。瞳が赤く輝き、唇がほころぶ。


「いいぞ」


 王子がいた。大きな龍の彫像を撫でている。

 少年帝は周囲を見回した。

 近くには誰もいない。


「しめしめ」


 少年帝はほくそ笑んだ。少年帝は気付いていないが、誰もいないのは当然で、少年帝がいる迎賓館と庭園は、アスタロト大公の手の者によって人払いがなされている。

 王子が庭園に入ることができたのは、彼がひとりだったためだ。もし王子が工兵訓練生の誰かと一緒に庭園に入ろうとしたら、庭園の門は閉ざされていたはずだ。


「いい心がけだ、オレの騎士。主君として今日の褒美……じゃなくて、お仕置きをしなくてはな」


 少年帝は、足を忍ばせて王子に後ろから近づく。

 この時、少年帝の視線からは王子の広い背中に隠れ、右手のかすかな雷は見えなかった。


「我が騎士ゴ――」

「ふんぬっ!」


 少年帝が、真後ろについた、その時。

 王子が一歩を踏み込んだ。

 腰が捻り、背が膨れ、肩が回り、雷をまとわせた掌底が、龍の彫像に打ち付けられる。

 金属製の彫像の表面を、稲光が駆け抜け、空へ火花のシャワーを散らした。

 どさっ、と何かが倒れる音がして王子は振り返った。

 メイド服姿の少年帝が、尻餅をついていた。


「陛下っ?」

「おろろりら……お?」


 舌が回っていない。

 立ち上がろうとしても、膝に力が入らない。

 王子はしゃがんで少年帝の体を見た。

 掌底からの放電に感電したようだ。

 恐縮し、頭を下げる。


「申し訳ありませんでした、陛下」

「らりを……んっ、何をしてたんだ」

「技の鍛錬……いえ、正直に申しまして、憂さ晴らしをしておりました」

「憂さ晴らし? 昼間の戦いで負けたことへのか?」

「はい」

「へえ」


 少年帝は少し驚いた様子で、王子をまじまじと見つめた。

 王子の表情はいつもと同じ静かなものだ。感情の高ぶりを示すものは、右の拳にまとう、青白い放電のみ。


「お前、けっこう負けず嫌いなんだな」

「お恥ずかしい限りです」

「ふん、逆よりはよほどマシだ。負けて悔しがらないヤツなんか、オレの騎士団にはふさわしくない」

「はっ」

「だがな。悔しさをひとりで抱えるな。オレには話せ。オレがいなければ……まあ、婚約者でもいいや」

「そういたします」

「そうか、じゃあ……」


 少年帝は、コホン、と咳払いをしてから、恥ずかしそうに手を伸ばした。


「ちょっと手を貸せ。足が痺れて動けん」

「失礼します」


 王子が少年帝の膝と背に手を回して抱き上げた。


「迎賓館の裏手に回れ。ジジイが乗ってきた馬車がある。その中まで運んでくれ」

「わかりました」


 少年帝は、王子の肩を抱き、胸板に頬をあてた。


「なあ……最初に会った時、お前は名を売りたい、って言ってたよな」

「はい」

「なんでだ? 名を得てから、お前はどうしたい?」

「まずは、結婚です」

「あのサキュバスの? そいつは、名を売らなくてもできるよな?」

「それが難しいのです。我が婚約者のアッシュは男です。このままでは世継ぎを作れません」

「魔術か神の奇跡で女になりたいのか? そのくらいならオレが口をきけば何とかできるぞ」

「それは……今はやめた方がよろしいかと思います」

「どうしてだ?」

「オーガ族とサキュバス族の婚姻許可は、帝国法に従って出されております。そこには婚姻許可の理由に、オーガ族の魔装具継承の嫡子をもうけるため、とあります」

「ああ、そうか。男と婚姻するのでは、許可を得た理由がおかしくなるな……というか、なんでそんなややこしいことになってるんだ」

「実は……」


 王子は、ことの顛末を少年帝に話した。

 サキュバス族の花嫁は、本来はアッシュの姉のエミリアであること。

 奔放なエミリアが出奔し、弟のアッシュが嫁いできたこと。

 婚姻届けが受理されず、帝国法に従い帝国への功績を積むことになったこと。

 功績獲得のためドワーフの迷宮に潜り、神蟲を倒して婚姻の許可を得たこと。

 裏で動いていた陰謀については話さなかった。

 陰謀については、王子自身が確信を持っていえることはほとんどないためだ。帝国議員や司法大臣まで関わった陰謀を伝聞と推測で少年帝に語るのは、はばかられた。


「で、どうする気なんだお前は。あいつが女になった時点で姉の名前を受け継ぐのか。そうなると姉の方は……弟と入れ替わる?」

「私は……アッシュに自分の名前を捨てさせる気はありません」


 王子は己の腹の中におさめていた言葉を口にする。

 これは、アッシュにもまだ話していないことだ。


「私は、妻のため、そしてやがて生まれてくる我が子のため、この結婚からウソをなくしたいと思っております」

「ウソを……なくす?」

「婚姻許可を、今度はアッシュの名で提出し、許可を得るつもりです」

「まてまて。そうなるとせっかく神蟲を倒して得た許可は……」

「私は法律については詳しくありませんが、たぶん、取り消しとなります。帝国への功績も、新たに積み上げなくてはなりません」


 少年帝は王子の顔を見上げた。

 彼の騎士は、いかつい顔に丸眼鏡をのせた、いつもの顔をしていた。

 少年帝はくすりと笑い、親しみをこめて、こつん、と王子の後頭部をたたいた。


「お前、バカだろ」

「は」

「何もそんな面倒なことしなくても、裏でいろいろ手を回せばいいことだろ。帝国の諸侯なら、どこの家でもやってることだ。裏取引は帝国というシステムを回す潤滑油だ」

「だと思います。そうした行為を、否定はしません」

「じゃあ、お前がそうしない理由はなんだ? それをオレに納得させてみろ」

「はい。裏取引で得た婚姻許可に何かあった時、私には何もできないからです」

「何もできない? したくない、とかじゃなくて?」

「できません。私には神蟲と戦う能力はあっても、裏取引を成功させる能力がないのです。それでは何かあっても、私は自分の家族を守るために戦うことができません」


 家族を守るために戦うのは、王子にとって義務であり、権利である。

 だから自分が戦うことができなくなる、裏取引には頼らない。


「自分が戦える場所で戦うってことか」

「はい。ですが、これが最善とは限りません。正直、悩んでおります。アッシュや家族にも、打ち明けておりません」

「そうか……そうか」


 しかつめらしく、少年帝はうなずいた。

 そして、顔を伏せて王子から見えないようにする。

 唇の端がムズムズと動く。

 真剣に悩んでいる王子には悪いが、すごく、うれしい。

 二度、三度、小さく息を吐いて気持ちを落ち着かせる。

 それから、少年帝は『皇帝らしい』(と自分では考えている)『威厳のある』(と自分では考えている)表情を作り、顔を上げた。


「よしわかった。オレに任せろ」

「陛下?」

オレが、お前をデカくしてやる。お前を戦えるようにしてやる。どうやればいいかは、まだわからないが……とにかく、オレとお前は、一緒にデカくなるんだ。なんでもできるように。戦わないといけない時に、戦えるように」

「陛下」

「うん」

「ありがとうございます。私はよき主君を得ました」

「当然だ」(ぱああっ


 そして、まさに。

 そこに。

 その時に。


「ゴラン様……?」


 メイド服を着たアッシュが現れた。

 花嫁の目に映るのは、愛しい王子の姿と。


「お、おう。オレだ」


 王子に抱きかかえられた、至尊の地位にある少年帝の、輝かんばかりの笑顔だった。


「……あ゛?」


 花嫁の眉間に、びきり、と皺が寄った。

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