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36.兵科対抗演習:弩

 兵科対抗演習の審判員は、霊族だった。

 従兵が黒い傘をさす下で、薄ぼんやりした靄のような審判員が開始の合図を出す。


「では……はじめ……」


 すっ、と審判員の姿が消えた。

 演習場に、霞のように広がっていったのだ。

 今や、この演習場は審判員の体の中も同然である。どこで何が起きても、見落とすことはない。

 補助審判員が、ばっ、と旗を振って演習が開始したことを示す。

 しかし、演習が始まってしばらくは、何もなかった。


「なんや、えらい離れとるの」

「フジさんとこの、ボン。どこおるん?」

「あっちじゃ。陣地の中やな」


 工兵訓練校の学生は、自分たちが実習で建設した野戦陣地の中にいる。

 見学席があるのは、演習場のはずれの場所で、平地だ。野選陣地は少し盛り上がった丘に建設してあり、高低差があって中の様子は見えない。

 本陣を示す工兵訓練校の校章を描いた旗が見えるだけだ。

 何人かが木の上に登ってみたが、その程度ではのぞけない。


「あかん、見えん」

「なんじゃこりゃ」


 見えない、という意味では対抗演習に参加している士官学校の重騎兵チームも同じだった。

 しかし、彼らには、事前に手に入れた情報がある。迷いなく、事前の作戦通りに動く。


「先鋒隊! 直列陣形!」


 大きめの盾を手にした先頭の騎士、ドレッドが命じた。

 七騎がドレッドの後ろに並ぶ。

 ドレッドは後ろの本隊を指揮するフォスターを見た。フォスターが頷く。


「前進!」


 ドレッドを先頭に、馬を進める。歩みは遅い。重い鎧をつけた騎士を乗せ、重い鎧を着た馬はすぐ疲れる。駆け足すら、敵の前に来るまでは控える。

 ドレッドは、士官学校入学前に祖父から聞いた矢避けの呪いを口にする。魔術的な効果はないが心が落ち着く。この心の落ち着きが重要なのだ。右目を閉じて、ドレッドは精神を集中させる。


「《鷹の目》――右だ」


 精神集中の甲斐あり、ドレッドの魔術は一発で発動した。閉じたままの右目が魔素でじんじんと疼く。

 左目を閉じ、右目を開く。

 視界が一変した。入ってくる情報の濃密さに、頭がくらくらする。

 《鷹の目》は、己の身に使う肉体強化系の魔法の一種だ。視力を強化し、視界を広げ、小さな動きも見逃さない。呪文の名も上空から獲物を狙う鷹のような目、ということでつけられている。

 ここで重要なのは、動きに敏感になる、ということだ。


 ――工兵訓練生の野戦陣地からは、弩がくる。避けられなくとも、盾を構えることさえできれば、一発は耐えられる。


 そのためには、矢が飛んで来てから動いたのでは遅い。飛んできた矢を切り払うような腕は、ドレッドにはない。弩と射手の動きを《鷹の目》で見つけ、発射前に盾を構えるのが精一杯だ。


 ――だけど……くそ、葉っぱの動き一枚、空を飛ぶ鳥の羽ばたきひとつが見えちまう。くっ、てめぇ、バッタ! そこではねるんじゃねえ! ……だめだ、このままだと頭が沸騰しそうだ。


 魔法の専門職でない騎士が独学で覚えた魔法だ。完全な制御ができない。長時間は維持できそうになかった。


 ――とにかく、一発目だ。一発目をしのげば、さらに前進できる。


 ドレッドたち先鋒隊の目的は、弩の配置を知り、進路上に罠がないか確認することだ。それが終われば後方に下がり、本隊と合流して本格的な突撃にかかる。可能であれば、野戦陣地の入口まで近づきたかった。


 ――この距離なら、弩は見えていなくてはおかしい。外から弩を隠す櫓が建ってるわけでもなし。必ずどこかに弩と射手はいる。どこだ。


 ちら。

 何かが視界の隅で動いた。

 《鷹の目》がそこに集中する。視野がぐっ、と狭くなる。酔いそうになってドレッドが呻く。

 人がいた。頭に奇妙な帽子。いや、帽子ではなく、汚れた布をかぶっている。輪郭が周囲に溶け込んでいて、それまで見えていても気付かなかったのだ。こいつか。違う。弩がない。ではなぜこいつが動いた。また動いた。口を開いて何か言っている。こいつは見張り役だ。片目をつぶっている。自分と同じだ。そうか、敵も《鷹の目》を使って警戒している。考えることは同じ。となれば、見張りの報告を聞いて動くやつが、射手だ。いた。土塀が少しへこんでいる場所。弩が設置してある。他には。よし、他にはない。ひとつだけ。射手が動いた。来る。

 ぱちっ。

 精神集中と魔素が途切れ、《鷹の目》の効果が切れる。

 ドレッドは盾を持ち上げた。間に合うか。

 がんっ。

 衝撃が盾を、そして盾を持つ腕に走る。想像していた以上だ。馬の上で上体が跳ね上がる。支えきれない。落ちる。まさか本物の矢が当たったのか、と一瞬だけ考える。

 もちろんそうではなかった。水平に近い弧を描き、つまりは高速で飛来した矢が盾で弾けて赤い染料を撒き散らしていた。

 ドレッドは落馬した。地面に転がり、衝撃を逃がす。


「ドレッドっ?!」

「盾をやられただけだ! 行け! 今のうちだ!」

「おう! 後は任せろ! 続け!」


 先頭が倒れたら二番手、二番手が倒れたら三番手が指揮を引き継ぐ。

 全員が同じ教育を受けた士官学校の学生なのでできる決め方だ。

 ドレッドは盾を見てぞっとした。真っ赤に染まっている。どれだけの勢いで命中したのか。弩の恐ろしさを改めて知る。

 腕に通した革のベルトを外し、盾を捨てる。心配そうにいななく馬に声をかけて安心させてやり、突撃した仲間の方を見る。

 野戦陣地までまだ少し距離はあるが、速歩に切り替えている。


 ――そうだ。弩の再装填までに距離を詰めろ。うまくいけば、入口まで……何っ?


 弩が発射された。二番手の騎士がのけぞり、落馬する。盾はもちろん間に合わない。胴体にべっとりと赤い染料がついている。負傷判定。退場だ。

 残った六人の騎士に動揺が走る。馬の足並みが乱れた。


 ――まさか、弩は二基設置されていたのか? いや、違う。同じ場所から発射された。


 弩が発射された。また命中。三番手の騎士は馬にしがみついて落馬をこらえたが、兜がべっとりと赤く染まっている。負傷判定。実戦ならば戦死だ。もちろん退場となる。


 ――なんだ。なんだこれは。


 弩が発射された。四番手がやられた。ドレッドははっ、と気が付いて腰のラッパを口にくわえ、かき鳴らす。撤退の合図だ。


 ――何もできぬまま、四騎がやられた。


 歯を噛みしめ、馬にまたがる。体を見る。赤い染料はついてない。大丈夫。退場ではない。報告が可能だ。しかし何と報告すればいい。

 いや、報告することは決まっていた。


 ――連射可能な弩が敵陣地にはある。


 あれを何とかしない限り、何度突撃しても、全滅だ。


「敵、残り四。撤退していく!」

「よっしゃあ!」


 野戦陣地の中で、工兵訓練生が雄叫びをあげた。

 まずは完勝である。偵察任務であろう敵を、近づけなかった。

 工兵訓練生チーム指揮官のニ・モルは、射手の肩をたたいた。


「よくやったぞ! 全部命中じゃないか!」

「この距離で、あの図体なら確実だ。台座もしっかりしてるしな」


 続いて、ニ・モルは、弩を固定した台座の傍らに、土塀を背にして座る、このチームの秘密兵器に声をかける。


「ありがとうゴラン」

「何、簡単なことだ」


 ゴランの手には鍛冶用の分厚いミトン型手袋がはめられている。

 上半身は裸で、うっすらと汗をかいていた。

 騎兵科チームが驚いた、弩連射の仕掛けは、ごく単純なものだ。

 ゴランが、オーガの筋力を活かし、力ずくで弩の弦を引いて装填したのである。

 これにより、手回し式の五分の一の時間で弩が連続発射できたのである。しかも、弩は台座に固定してあるので、狙いがそれることもない。


「騎兵科は撤退した。しばらく休んでくれ」

「わかった」


 ニ・モルはタオルをゴランの肩にかけてぽん、と叩いた。

 ゴランがにっこりと笑う。


「さて。敵の次の一手はどうくるかな」

「そうだな。私なら――」


 ゴランは遠くを見つめるようにして、言った。


「力押しで攻める」

「シンプルだな」


 ニ・モルは笑い、そして顔をしかめた。


「実際、それで来たらまずい。できれば今回のように少数の部隊で分けて来てくれればいいんだが」

「重騎兵科のお手並み拝見といこう」


 ゴランとニ・モルは土塀で見えぬ向こう側に顔を向けた。

 同じ頃、重騎兵科チームでは、リーダーのフォスターが断を下していた。


「力押しで攻めるぞ。全員で突撃をかける」


 二十騎余の騎士たちが頷き、一斉に己の馬にまたがった。

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