35.兵科対抗演習:当日
兵科対抗演習の日は、朝から晴れたよい天気だった。
軍学校の大門は大きく広げられ、早朝からぞろぞろと、来賓を乗せた馬車が列を作って入ってきた。
その中には、アスタロト大公家の竜車もあった。
サキュバスの花嫁が白角国に嫁入りにやってきた、トカゲの曳く偽物ではない。鱗の一枚一枚まで磨かれた地竜が曳く竜車だ。竜車が通るとなれば、他の馬車はすべて、道をどける習いである。
他の馬車が道の脇に下がった中、道の中央を堂々と進む竜車の姿を見て、見物客がどよめく。
「大公家だ。帝国宰相だぞ」
「今年は大物がきたな」
「ほら、あそこは孫が魔術学校に入ってて」
「なるほど。今年は士官学校内の兵科対抗だけでなく、魔術学校も出場するそうだからな」
「工兵訓練校も出るそうだ」
「工兵が? 平民どもだろう? 戦えるのか?」
「あらかじめ野戦陣地を作ってあって、そこで戦うらしい」
「だからといって、中で戦うのは工兵だろ? ムチャをするなあ」
「武器はなんだ。鋤や角材で騎兵と戦うのか」
「わははは。瞬殺されるぞ」
竜車の中では、アスタロト大公が背筋を伸ばし、目を閉じて座っていた。
その向かい側に、だらしない格好で座る侍女姿の少年がむっ、とした表情になる。
「ちっ、好き勝手いいやがって」
「……」
「でもどうすんだあいつ。まさか、魔装具を擬召喚するわけにもいかねえだろうし」
「……」
「だいたい、工兵が自分らの作った陣地で、支援もなしに戦うって負け戦だろうが。どうすんだ、そんな戦いして」
「……ふ」
帝国で最大の権力を握る老人は、かすかに笑った。
帝国で最高の権威の象徴である少年は、老人をにらんだ。
「なんだよ、人のこと鼻で笑いやがって」
「さて、何のことでしょう」
「いーや、笑った。笑いやがった。どーせ我はてめえんとこの孫のマイルズと違って、出来が悪いよ」
「マイルズの出来がよいのは、本人のたゆまぬ研鑽にあります」
「なんだよ、それは我がいつも勉強をサボってることへのイヤミか」
「おや、自覚はございましたか。それは何より」
「ぐぬぬ……」
イヤそうに歯ぎしりして老人をにらむ侍女服の少年は、皇帝バルガイアである。
今日は、宰相であるアスタロト大公の侍女として、お忍びで兵科対抗演習を見に来ている。
帝国宰相は、視線を竜車の外に向けた。先ほどの少年帝の言葉を老人は思い起こす。
――工兵が自分たちが建設した陣地で、支援もなしに戦うのは負け戦。ふむ。まさにその通り。この状況を設定したのは誰か知らないが、なかなか心憎い演出をする。
戦争はスポーツではない。『よい勝負』というものは存在しない。双方が同じ戦力で、正面からがっぷり四つに組んで互角の勝負を戦う、というのは戦争全体を指揮する立場からすれば、あってはならぬことである。
戦争を指揮する国の指導者としては、圧倒的な力の差を用意して、さっくり勝利するのが一番よい。もっといいのは、相手が戦う前に屈服してくれることだ。
しかしそれは、相手にも同じことが言える。
敵を外交で孤立させ、国内を分裂させ、軍の移動を妨害し、兵の士気を損なう。こちらがやりたいことは、敵もやりたい。こちらが失敗して、敵が成功することもある。
戦いは、どちらかが望んだ時に始まる。帝国の敵が戦いを望むのは、帝国が弱体化して「これなら勝てる」と思った時だ。
『そうならないようにする』のが政治の仕事。
軍の仕事は『そうなった時にどうするか』を考え、準備することだ。
――どこまで自覚的にこの状況を作ったか知らぬが、これはよい。平民の戦いをわしが見るわけにはいかんが、誰か目端の利くのに見させておこう。
竜車は、滑るように来賓用の館がある中庭へと入っていった。
そこから、少し離れた馬場にある厩舎で、ガチャガチャと鎧が鳴り、馬がいななく。馬用の鎧を着ける時には、馬丁も騎士も一緒になって馬を囲み、重い鎧を持ち上げて背にのせ、革帯で締める。
馬に鎧を着せてから、騎士たちは厩舎を出た。
ひとりの騎士が、従卒に手伝わせて鎧を身にまとった。重い鎧の上には、何枚もの札が貼られている。札の上には帝国の紋章が描かれている。
「確認するぞ」
「おう。こい」
鎧をまとった騎士の前に、槍を持った騎士が立つ。
他の騎士たちが集まり、ふたりを囲んで円になる。
槍は練習用の、刃がないものだ。代わりにこちらにも札が貼ってある。
槍を構えた騎士が、腕だけで槍を突き出した。カン、という軽い音がして槍の先端が鎧にぶつかる。鎧の騎士は微動だにしない。
「反応なし」
「よし」
続いて騎士はぐっと腰を入れて一歩を踏み出す。足から腰、腰から背、背から肩、肩から腕に力が伝わり、槍が唸りをあげて突き出される。
ガッ!
重い音がして、鎧の騎士が一歩、後ろに下がる。続いて鎧に貼られた札が、パチン、と音を立ててはがれた。別の札から赤い煙があがる。
「鎧破損と負傷の判定」
「よし」
鎧の騎士が兜を脱いだ。重騎兵B科チームのリーダー、フォスターだ。
札からのぼる赤い煙は、薄くたなびき続けている。
「演習のルールでは、鎧破損の判定であれば、まだ戦っていい。だが、負傷の判定が出たら、それ以上は戦ってはならない。本陣に戻る」
「札のついてない武器での攻撃はどうなる? たとえば組み打ちだと」
周囲で見物していた騎士のひとりが質問する。
フォスターは、背中を見せた。
「組み打ちなら、背中についているこいつをはがせ」
「やってみていいか?」
「いいぞ」
質問した騎士は、フォスターの背中についた札に手を伸ばし、はがそうとする。
「む……けっこう硬いな」
「すぐにはがれるようでは、困るからな」
「ぬぬ……ふんっ!」
べりっ。
札は、はがれるというよりは、千切れるという感じで裂けた。
赤い煙があがる。
「負傷の判定だ。戦闘不能になる」
「こいつは武器を使うより難しいな。相手が暴れたらまずはがせない」
「そりゃそうだ。簡単なら、誰も武器を使わなくなる」
「違いない」
「俺らの対戦相手は工兵科の連中だろう? 武器なんか持ってるのか?」
「そりゃあ、あいつらの武器っていやあ、鍬だろう。鍬」
「おいおい、鍬で殴られた程度じゃあ、俺らの鎧、ビクともしねえぞ」
「こりゃあ、勝ったな。圧勝だ」
騎士たちはゲラゲラと大笑いする。
フォスターも笑みを浮かべていたが、すっ、と片手をあげて仲間を制した。
「俺の方で調べたんだが、そう簡単でもないらしい」
「なんだって?」
「おい」
フォスターは用人を呼んだ。
用人が持ち込んできたのは、大きな弩だ。
強力な発条の力を利用して、太い矢を打ち出す武器である。
「おいおい、シャレにならねえぞ」
「鏃がついてなくても、こんなんくらったら……」
「演習用の太矢を使う――おい」
フォスターが用人に顎をしゃくる。
用人は主の意を察し、演習用の太矢を取り出した。
騎士たちに見えるよう、太矢を上に掲げる。鏃はなく、細い木を何本も貼り合わせて作ってある。
「こいつは、当たったらすぐに割れる細工がしてある――おい」
フォスターがまた用人に顎をしゃくる。
用人は弩の先を地面に起き、手回し棒をとりつけて、グルグルと力をこめて回す。
回すたびに、弩の弦が後ろに下がっていく。
巻き上がったところで、留め具を起こし、弦を止める。
弩を持ち上げ、杖を地面に刺してその上に弩の先を乗せる。
最後に太矢を弩の上にはめる。
「準備できました」
「こい」
「はっ」
用人が主人に向けて弩を向ける。
「フォスター様、破片が顔に当たるやもしれません。兜を」
「わかった」
フォスターは兜をかぶる。
用人が弩の引き金をひく。留め具がはずれ、弦がビッ、と音を立てて戻る。
至近距離である。太矢は水平に飛び、フォスターの胸甲に当たった。そいて乾いた音を立てて割れる。
ばっ。中に仕込まれた赤い染料が噴き出て、胸甲に赤い丸を作る。
フォスターは兜をはずし、胸をぱん、と叩いた。
「負傷の判定だ。戦闘不能になる」
「どこに当たってもか?」
「盾なら大丈夫だ。だが、盾は捨てろ」
「けっこうヤバいな」
「だが、こいつには弱点がある――おい」
フォスターが顎をしゃくった。
用人が、再装填を始める。
弩を下ろし、手回し棒をグルグルと回し、留め具を起こして弦を止め、杖の上に置いて太矢をはめる。
「わかるな?」
「なるほど、次の一発が来るまで時間がかかるのか」
「これなら、装填の間に、間合いを詰められるな」
「だが、相手は野戦陣地の中だぞ。掘や土塀がある」
「うーん」
騎士たちが顔を見合わせ、唸る。
いい考えが浮かばないのか、フォスターを見る。
「正面から突っ込めば、掘や土塀に足止めされて、ウロウロしている間に弩の餌食になる。そこで、俺に策がある――おい」
フォスターが顎をしゃくる。
用人が地図を広げる。野戦陣地の地図だ。
正面側には出入り口はないが、右の側面に通路がある。
「丘を囲むように、陣地は構築してある。掘に切れ目があって、馬が走って通れる道は、この右側だけだ」
「だが、土塀があって、道がコの字に曲がってるぞ」
「そうだ。陣地の入口で、横腹をさらすことになる。だが、弩の装填には時間がかかる。何人かはやられるだろうが、一気に駆け抜けるぞ」
「おう!」
「任せろや!」
「工兵科の連中のヘロヘロの矢になんか当たるかよ!」
盛り上がる騎兵科の騎士たちを、感情を殺した目で用人はじっと見ていた。
――なんとも頭の悪い策ですが、騎兵科の騎士たちに難しい策を授けても、使えはしませんからね。ただ、失敗した時のことも考えておきませんと。
用人は、ちらりとフォスターの取り巻きの騎士のひとりに目を向けた。先ほど、槍でフォスターを突いた騎士だ。
ドレッドという名のその若い騎士は、フォスターの父親の部下の息子だ。騎士階級ではあるが、田舎の寒村が領地で、収入の不足をフォスターの父親からの給金に頼っている。
ドレッドは決意を顔ににじませ、フォスターに言った。
「フォスター様。最初の突撃、私に任せていただけませんか?」
「珍しいな、ドレッド。お前が出たがるなんて」
フォスターは驚いて聞いた。
フォスターは仲間意識が強く、身内には甘い。工兵訓練生に対して特に厳しいのは、彼らが社会階層的に、そして軍内の立場的に仲間ではないことが明らかなのに、同じ場所にいることへの不快感から来ることが大きい。
ドレッドに対しても、身分の違いから来る尊大さ、傲慢さはあるが、そこに工兵訓練生に向けるような悪意はない。
「フォスター様は、チームのリーダー。もし負傷判定されることがあれば、演習後の評価にペナルティとなります」
「俺がヤツらに遅れを取るとでも?」
「敵が弩を持ち出している以上、万が一のこともあります。もし、フォスター様がどうしても先鋒で出陣なさるなら、私が盾持ちとなって、身をもってフォスター様をお守りします」
ドレッドのこうした言葉は、事前に用人から仕込まれたものだ。
だが、フォスターの栄達は自分の利益になるのだから、演習で盾役になるくらい安いもの、という真っ当な打算がドレッドの言葉に真摯さを加えていた。
「わかった。そういうことなら先鋒はお前に任せる」
「ありがとうございます」
用人は、そこまで見届けてから、目立たぬように後ろに下がった。
野戦陣地がある、第三演習場の方角に目を向ける。
守る側である工兵訓練生は、すでにそこに入っているはずだ。
――さて、私の仕事はここまでですが……あちらにも、もうひとつくらい、仕掛けがありそうですね。
その頃。第三演習場の入口には、すでに大勢の見物人が集まっていた。
見物人の客層は、大きく分けてふたつになる。
ひとつは、貴族などの上流階級。騎兵科の騎士の家族とその付き人である。
もうひとつは、庶民。工兵訓練生の家族や友人たちである。
圧倒的に数が多いのが庶民だ。軍学校の敷地は学生と中で働く人間を除いて、普段は庶民には開放されていない。今日のように特別なイベントがある時というのは、軍学校の中に入る絶好の機会なのだ。家族と友人がぞろぞろと物見遊山に集まってくるのはそのためである。
そして少数ながら、どちらにも入らない人間がふたり。
黒髪の侍女と、魔術学校の生徒だ。
「なんでいるんですか。というか、こんなところにいていいんですか」
「ここは我の国だぞ。どこにいてもいいに決まってる」
侍女は、偉そうに腕を組んでふん、と鼻を鳴らした。
「お忍びで見るなら、もっと他にあるでしょうに。もー」
「何を言う。我の騎士が戦うのだぞ。我が見ないでどうする。それを言うなら、お前だって魔術学校の戦いがあるんだからそっちを見るのがスジだろう」
「魔術学校の演習はマイルズ君に任せておけば大丈夫だよ。それに、ゴラン様の戦いを婚約者のボクが見ないでどうするのさ」
「婚約者だぁ?」
侍女の目が金色に光る。
すべてを見通す《真実の瞳》。
代々の皇帝にのみ受け継がれる魔法だ。
少年帝バルガイアの目が、アッシュの魂の色を見抜く。
すぐに瞳の金色は薄くなり、元に戻った。階梯が上がれば、運命すら見通す《真実の瞳》も、鍛錬がなければ使いこなすことはできない。
「……やっぱり、あの時に控えの間にいた女はお前か。男だったんだな」
「そうだよ。って、アスタロト大公様から聞いてなかったんだ」
アッシュがここにいるのは、ゴランの応援のためだけでなく、アスタロト大公から侍女に扮した少年帝に付きそうよう、求められたためだ。
帝国宰相にかかっては、魔術学校に通うサキュバス族の王子が、オーガ族の王子の婚約者の姫君と同一人物であることなど、諸々の事情は全部、お見通しだった。
「え? あいつ男の方が好きなの?」
「ゴラン様は、男とか女じゃなくて、ボクのことを好きなの!」
アッシュは平らな胸をそらしてふん、と鼻を鳴らした。
少年帝がむっ、とした顔になる。
「まあ、我とあいつの関係は、惚れた腫れたよりも深いものだからな。あいつは我の騎士だ」
「陛下には、騎士が大勢いるでしょ。何千人って」
「違う。そいつらは、我の騎士じゃない。帝国の騎士だ。我という容れ物を通して、帝国に忠誠を誓っている」
「それを言うなら、ゴラン様だって……ううん、ゴラン様は……」
「わかってるじゃないか。あいつは我の騎士だ。我にはわかる。あいつは我という人間に忠誠を誓ったと。たとえ帝国がどうなろうが、我が皇帝でなくなろうが、あいつは我の騎士だ」
「う……うらやましくなんかない……よ」
「ふ」
少年帝が唇の端で笑う。
それから、真面目な顔になって考え込む。
「しかし……そうか。あいつは男とか女とか皇帝とか、そういうのに縛られないヤツだからな。もしかすると、我の寵愛を求めるようになるかもしれん。美しさとは、やはり罪だな」
「逆にならなきゃいいけど」
「なんだと? ありえん! そのようなこと!」
「本当に? 約束してくれます?」
「本当だ! ……約束はせんがな」
「ほら! やっぱり、ほら!」
「ええい、わめくな。というか、お前。さっきから我に対する態度が不遜すぎるぞ。サキュバスの王家は皇室の遠縁とはいえ、我は皇帝なのだぞ。もっと敬わぬか」
「侍女服着て、黒タイツはいてゴラン様を誘う気満々なヤツに向ける敬意なんかないよ!」
「だから誘う気などないと……今なんと? 黒タイツ?」
「あ」
「この黒タイツがどうしたって?」
「な、なんのことやらー?」
「《真実の瞳》!」
「それズルい!」
「そ、そうか……あの時、あいつの目が怖かったのは……へー……そうか……」
「うわ、その余裕と勝利の笑み、すごいムカつく!」
「いいことを知ったぞ。よしよし、今日の演習であいつが勝てば……ふふふ。頑張った騎士にご褒美をあげるのは、主君としての義務だからな」
「ダメだからね? 絶対にダメだからね?」
「うるさい。お前だって、今日の演習の後でイロイロやろうと考えてるくせに。今、すげえエロいのが見えたぞ」
「それは妄想だから! 本当はしないから!」
皇帝と花嫁が騒いでいる間に時は経ち、そして演習開始の時刻となった。