34.兵科対抗演習:普請
第三演習場に、工兵訓練生が集まる。
工兵訓練生のあだ名ともなっている“鍬”を持っている者も多い。
野戦陣地を作る実習は、工兵訓練生にとってお馴染みのものだが、今回の気合いの入り方は、普段とは違う。
「馬防ぎの杭はこんなもんでいいかな?」
「もうちょい尖らせてやれ、突っ込んだらぶっすりいくように」
「やっちゃれ、やっちゃれ」
「表面にクソ塗ったらどうかな。刺さったところ腐って落ちるぞ」
「ええなあ。騎兵科のクソどもにはちょうどええ」
今日の実習で構築した野戦陣地は、そのまま来週の兵科対抗演習で使われる。
クジの結果、工兵科の相手は重騎兵B科と決まった。
騎兵科は士官学校の花形だ。貴族の子弟が入学するのはほとんどが騎兵科である。今でも帝国では将校は、装備その他の経費を自弁して当然という風潮がある。乗馬やその世話に金がかかる騎兵科でそれが可能なのは貴族などの資産家だけだ。
士官学校の生徒には帝国の統治者であるという選民意識があり、それが尊大さにつながっている。
「騎兵科の奴ら、いつもわしらを馬鹿にしくさって」
「貴族がなんぼのもんじゃ」
対して工兵科は貴族もいるが、平民が多く集まる兵科だ。演習場で鍬をふるい、モッコを担いで土砂を運んでいるのはゴブリンや獣人たちだ。
これには、工兵科の成り立ちも影響している。本来、工兵科的な陣地や橋の建設、道路の敷設という仕事は、ドワーフ族の専売だった。しかし、三百年前にドワーフ族が姿を消したことで担当種族がいなくなり、帝国は種族を問わず工兵を集めることとなった。
こうして、帝国内に多く広く住むが独立した自治国を持たないゴブリン族や獣人族が工兵科に入ることとなる。帝国軍学校が開校されてからも、工兵科は士官学校ではなく工兵訓練校となり、授業料は免除、かかる経費の多くは学校の予算として支払われる。そのかわり、工兵訓練生は卒業しても将校にはなれない。
そういう経緯もあり、士官学校の生徒と工兵訓練生は、階級の違い、文化の違いの差が大きい。ことあるごとにぶつかり、喧嘩やイジメが発生するゆえんである。
「おい、お前。ちょっと厠いってクソ樽を――」
「待て」
集団で怒りを吹き上げる連中に、丸眼鏡をかけたゴブリンが声をかける。
級長で今回の演習の工兵科指揮官でもあるニ・モルだ。
「なんじゃ、二・モル」
「止めるなよ。今度こそ、あいつらただじゃすまさん」
「そりゃ、あいつらをクソまみれにしてやりたいのは、僕も一緒さ」
ニ・モルは担いでいた測量器具を地面に置いて言った。
「でも、考えてみろ。馬防ぎの杭に刺さるのは、あいつらじゃなくて、馬だぞ」
「む……」
「そりゃ……そうか」
「馬でも簡単な怪我なら治癒させてもらえるが、クソで腐ったら、人はともかく馬は殺処分だ」
その言葉を聞いて、はやし立てていた工兵訓練生のグループが一斉にぎょっとした顔になる。
工兵にとって馬は戦友だ。
重量物を運ぶのは、人ではなく馬である。工兵の仕事は、馬がなくては始まらない。
「やめじゃ、やめじゃ」
「演習で馬を殺したりしたら祟られっぞ」
「それより土塀をしっかり固めい。明日から雨じゃぞ。作業が終わったら筵をかぶせるん忘れんなや」
作業に戻った学友を見て、ニ・モルがほっと安堵の息をつき、測量器具を持ち上げる。
そこへ、別の工兵訓練生がやってくる。
息を切らせている。
「ニ・モル、ちょっと来てくれ」
「なんだい」
「騎兵科から人が来てな。どうも妙な感じになってる」
「なんだって?」
「測量器具は俺が持っていくから、ニ・モルは急いで行ってくれ」
「わかった」
ニ・モルが駆けつけると、手空きの工兵訓練生が、男を囲んでいた。
男は黒い服を着ており、赤い腕章をつけている。騎兵科の用人だ。
傍らに、大きな荷物を載せた馬を連れている。
周囲の工兵訓練生の視線は、お世辞にも好意的とはいえない。
「何用ですか。ここは今、野戦築城の実習中です。関係者以外は立ち入り禁止です」
「失礼いたしました。私、重騎兵科のフォスターさまに仕える者です。主の命に従い、工兵訓練生の皆様に差し入れを持参しました」
「差し入れ?」
「はい」
用人は馬から荷物を下ろした。
馬が背負っていたのは、大きな樽だ。
一瞬だけ、ニ・モルは仲間たちが騒いでいた厠のクソ樽を連想した。
戦場において、排泄物の処理は重要な案件のひとつだ。そして工兵の仕事でもある。今やっている野戦築城より、日々の行軍や駐屯地での衛生面などの生活環境をよくする仕事の方がよほど多いし、重要なのだ。
用人は、樽を開けた。
中から湯気と共に漂ってきたのは、クソの臭いではなく、甘い匂いだ。
「汁粉です」
用人が持ってきた柄杓ですくい、椀に注いだ。
小豆汁に砂糖を入れて煮たものだ。肉体労働で疲労した体には、これほどにうれしい差し入れはない。
だからこそ、ニ・モルは違和感を覚えた。警戒もした。
重騎兵科のフォスターが、親切からこのような高価な差し入れをしてくるとは、思えなかったからである。
――まさか、毒入り……いやいや、何を考えてる。毒をいれるなら、もっと目立たない手があるだろう。
ニ・モルがためらっていると、ぬうっ、と太い腕が脇から伸ばされた。
「ありがたく、いただこう」
ゴランだった。
背の高いオーガは、手ぬぐいを肩にかけただけの、上半身裸だ。
「うむ。うまい。塩気もきいている」
ゴランが受け取ったことで、周囲の工兵訓練生も、集まってきた。
用人から柄杓を受け取り、椀に注ぐ。
湯気のたつ黒い汁に口をつけ、舌が痺れるほどの甘さに、歓声をあげる。
ニ・モルは用人に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえ。築城の方も進んでおられるようで、何よりです」
「せっかくですので見てみますか? 案内しますよ」
「よろしいので?」
「差し入れの礼です。危険な場所には近づけませんが」
ニ・モルは用人に水を向けてみた。
毒でなければ、偵察か、工作だと見たからだ。
相手の狙いがわからない以上、できればずっとそばにいたい。
「では、お願いします」
用人は薄く笑って、言った。
「よし、休憩にしよう。サイレン鳴らせ、全員に汁粉を食わせてやろう」
「おう」
「ゴラン、馬を」
「わかった」
ゴランが、汁粉を運んできた馬の手綱を握った。
工兵訓練生のひとりが、手回し式のサイレンを回す。
金切り声のような響きが、演習場に轟く。用人が慌てて耳を押さえる。
馬も驚いて暴れようとしたが、ゴランが手綱を引いて鎮めた。
「これは……遠くから聞いたことはありましたが。近くだとこんなに大きいのですか」
「太鼓などより、よほど遠くまで届きます。ゴラン、後は頼む。僕は作業の進捗確認がてら、この人を案内するから」
ニ・モルは用人を連れて演習場を回った。
第三演習場には小さい丘があり、野戦陣地はその丘を中心に作られていた。
鍬で土を掘って、丘の周囲にぐるりと空堀をめぐらし、掘り出した土で、土塀を作って高低差をつける。土塀は上から突き固めて崩れにくくしてある。
「長く保たせるなら、芝を植えます。土砂が流れないように」
「なるほど」
空堀には切れ目がある。ここは、陣地の中と外をつなげる通路になる。
「通路がない方が、防御にはよいのでは?」
「野戦陣地は、そこにこもっていればいい避難場所ではありません。兵や物資を運び込み、外に出て敵と戦うために連絡通路は絶対に必要です」
ニ・モルはそう説明して、通路に向かって歩く。
「時間をかけて作るなら、通路は掘に板を渡した橋にして、敵がきたら外します。また、地形を利用できれば連絡通路は敵が来る正面ではなく側面や背面に作ります。が、まあ今回はそういう実習ではありませんから」
「なるほど、なるほど」
用人は周囲に目を配りながら用心深く言った。
視線が素人のそれではない。遮蔽物になりそうなものや、中からは死角になりそうな場所を確認している。
――この男が工兵科出身ってことはないだろうが……ああそうか。間諜なら、屋敷に忍び込んだりすることもあるだろう。泥棒が屋敷を見る視点と、軍人が城を見る視点というのは、似てくるのかもな。
ニ・モルは相手が思った通りの油断ならぬ人間であると知って、逆に安堵した。
「その代わりに、陣地の中につながる通路には横矢かかり……つまり、中から射撃して被害を与えられるように、角度をつけてあります」
「通路にそって進めば、側面から弓矢や魔法で攻撃される、ということですね」
「そうです」
馬防ぎの杭、掘と土塀を抜けると、もう陣地の内側だ。
実習で使える時間と人手と資材で作る防御陣地では、これが限界である。
土塀で囲まれた空間に建築物はない。
「実際に使う場合は、ここに小屋を建てて兵の寝泊まりに使います」
「なるほど。……おや、あれは?」
用人が問いかけたのは、陣地のあちこちに置かれた荷馬車だ。どの荷馬車にも、馬はついていない。たくさんの筵をのせている。
「雨が降りますからね。急いで筵を集めて運んでもらいました。馬は軍学校の備品なので、もう返しました」
「雨に濡れるとダメなのですか」
「はい。野戦陣地は、雨などで少しずつ崩れていきます。小まめに補修しなければ、半月もすれば使い物にならなくなるでしょう」
「ふむふむ」
用人はしばらく内側から外側の様子をながめていたが、満足したようにうなずいた。
「ありがとうございます。主によい報告ができるでしょう」
「汁粉の礼を伝えておいてください」
戻ってくると、汁粉の樽は小豆の粒ひとつ残さず空になっていた。
用人は樽を馬に載せ、演習場から出ていった。
それを見送るニ・モルに、太い腕が差し出された。手に汁粉の入った椀を持っている。
ニ・モルが顔をあげると、丸い眼鏡をかけたゴランの顔があった。
「一杯だけ取っておいた」
「ありがとう」
「冷えているが」
「猫舌なのでね。むしろ、こっちの方がいい」
ニ・モルは汁粉をすする。甘い。旨い。
誰が、どんな腹づもりで作ろうが、汁粉は汁粉なのだ。
「どうだった?」
「全部、見てもらった」
「気付いたろうか?」
「わからない。けれど、気付かれたってかまわない」
ニ・モルは椀の底に残った小豆を指でつまんで口に運ぶ。
空になった椀をのぞきこみ、手の中で回す。
「工兵の仕事は、事前の仕込みが全てだ。準備した以上の力なんか出せない」
「至言だな」
「仕込んだもの全部を使って、勝ちを狙う。ゴラン、君には申し訳ないことになるかもしれないが」
「かまわんよ。工兵科が勝てば、それが私にとっての勝利だ」
ニ・モルとゴランは顔を見合わせた。
ふたりの丸眼鏡が、傾きかけた陽光を受けてきらりと光った。