3 花嫁と花婿のお見合い
見合いが始まった。
花婿であるオーガの王子は、窓を背に立ったまま、微動だにしない。
目を細め、花嫁をにらみつけている。
少なくとも、花嫁にはそう見えた。
――こ、怖いっ。え、なに? なんでにらむの? バレた? 違うよね? それとも、オーガって花嫁をにらむものなの? そういう文化? ボク、DVされちゃう?
サキュバスの花嫁は、入口のところで凍り付いたまま、動けない。
足首まであるドレスの裾に隠れているが、足が震えている。
――入口のところに赤い人影があるから、アレが花嫁なんだろう。でも、違ってたらどうしよう。もうちょっと近づいてくれないと、声もかけらないな。
王子は、目を細めてよく見ようとするが、ド近眼ではそれもままならない。
近づいて確認したいが、作法がわからないので、花婿の方から動いていいのかわからないし、へたに動くとそろそろ礼服のどこかが破れそうだ。
――ええい! バレたらバレた時のことだよ! 全部、お姉ちゃんが悪いんだから!
花嫁は意を決して、大きく一歩を踏み出した。
そして、馴れないヒールに、足首をひねって転倒する。
「わきゃっ?!」
できるだけ声を出さないように心がけていたので、悲鳴は小さなものだった。
「いたたたた……うわっ?!」
目の前に、王子がいた。転移魔法でも使ったのかというくらいの素早い動きだ。
倒れた花嫁の前にしゃがみこみ(ばりっ)、足首を手にとる。
「あっ、そのっ」
「ふむ。軽くひねっただけだな。これなら後から腫れることもない……うっ」
王子が顔を赤くして、花嫁から視線をそらした。
「?」
花嫁は自分の姿を見下ろした。
倒れた拍子に、ドレスの裾が大きくめくれて太ももが根元近くまで露わになっている。
サキュバス族のドレスであるから、一見すると露出が低めでもスリットが深く、ちょっとした動きで簡単に脚線を出せるようになっている。そういう仕様である。
花嫁もサキュバスであるから、こうしたデザインそのものには、特に異論はない。むしろ、常時露出を高くするのはサキュバスとしても上品とはいえない、と考えている方だ。
だが、今はまずかった。慌ててドレスの裾を直し、足を隠す。
「ごめんなさい」
「いや、こちらこそ。その……すまない」
「……見ました?」
花嫁は、上目遣いに王子を見上げて問う。
こればっかりは、念には念をいれて確認しておかねばならない。
王子が首をぶんぶんと左右に振る。
「見ていない」
「本当に?」
「霊廟に祀られた初代様の霊に誓って見ていない」
王子は、右手で胸の前に拳を作り、左手で包み込む祖霊に祈る仕草をして言った。
その真面目な顔と堅苦しい物言いがおかしく、花嫁は吹き出した。
「わかりました。信じます。えーっと、ドル・ゴラン・ドットーリオ・バレス・アグラ・オーガリオス王子」
「私のことはゴランでいい」
「では、ゴラン様。お気遣いいただき、ありがとうございます」
花嫁は微笑み、王子の手に自分の手を重ねた。
王子も、いかつい口元をわずかに緩める。
「私も、あなたのことをエミリアと呼んで良いだろうか?」
「え……ええ」
花嫁はわずかに口ごもり、それからうなずいた。
胸がチクリと、痛む。
名前を呼ばれたことがイヤだったのではない。
エミリアが、花嫁の本当の名前ではなかったからだ。
偽りの名前で呼ばれると、顔は怖いが気立てのいいオーガの王子を騙していることを、否が応でも自覚させられてしまう。
「では、エミリア。失礼する」
「え? あ、うわっ、うわわわ」
王子が花嫁に覆いかぶさって膝と背中に手を回し、腰を後ろに引きながら重心移動で相手の体を浮かせ、よっこいせと立ち上がった。いわゆるお姫様抱っこである。
途中でばりっ、とか、べりっ、とか体のあちこちで妙な音がする。
いきなりのことに、花嫁は手足をバタバタさせて驚いた。
花嫁を抱いたまま、のしのしと王子は窓際へ移動する。
「わ、ゴラン様。いいよ。大丈夫だよ。ひとりで歩けるって」
「そうはいかない。花嫁は大事に扱うよう、母上とお婆様にきつくいわれている」
「でも、これくらいなら」
「あなたは故郷から遠い、この北の大地まで来られた。環境の変化に体が馴れるまでは、むしろ安楽すぎるくらいがいい」
「それは、そうだけど」
「植物の苗も、植え替えの時期は十分に注意しなくてはいけない。住んでいる場所が変わると、ちょっとした異常でも枯れてしまうからな」
「う、うん?」
「あなたのサキュバス族が暮らす西方は、暖流の影響もあって一年中、湿潤で温暖な気候だ。牧草がよく育ち、牧畜が盛んだときく。対してこちらは一年を通して乾燥し、冷涼な気候だ。今日はよい天気だが、朝晩はまだ冷える」
「……」
「牛や馬の牧畜は、この地には向かない。曾祖父様が試みたのだが、費用対効果が悪く、取りやめとなった」
王子の語りに、花嫁はどう反応していいのかわからず、取りあえず笑顔を作った。
王子の名誉のために言えば、彼とて、見合いの席でこんなことを言いたかったわけではない。抱き上げた花嫁の胸元からいい匂いがして、頭がぼぉっとなってしまったのだ。
窓際に置かれた椅子に花嫁をそっと座らせて(べりっ)王子は花嫁に背を向け、窓から中庭を見下ろした。
自分の背を見て、花嫁がぎょっとした顔になったことには、もちろん気付かない。
「私としては、山羊の数を増やしたいと考えている。ただ、放牧地を増やそうとすれば、古くからあるしきたりの多くとぶつかってしまう」
「あの」
「父上は、良いお方なのだが、古老たちに遠慮なさってしきたりを変えようとはなさらぬ。私の代でやればよい、という方針のようだが、正直、それではいつまでたっても民の暮らしはよくならないと思うのだ」
「あの」
「かといって、無理を押してよくなるとも思えない。上からの圧力でやらされる改革では、何かトラブルがあっても自分の問題とは考えずに指示待ちになる。新しい試みには試行錯誤がつきものだ。それを他人事にしていたのでは、失敗して当然だ」
「ゴラン様! あの!」
「あ、はい」
柄にもなくべらべらと語っていることに気づき、王子は頭をかく。
「すまない。初対面のあなたにお話することではなかった。退屈させてしまったか」
「そうではなくてですね、背中。破れてます」
「え?」(ばりっ)
花嫁に指摘されて自分の背中を見ようと体をひねり、さらに破れ目を大きくする。
「おう」
「ぴっちぴちでしたからね。太腿も破れてますよ」
「しゃがんだ時か。困ったな。どうしよう」
「替えの服とかは……ないんですよね」
「ないと思う。この礼服も、お祖父様のものを仕立て直したものだし」
「そうだったんですか」
「この礼服をみればわかるだろうが、我が国は貧乏なのだ」
「それはボクの国も同じですよ。格式ばっかり高いから、何やるにもお金がかかるし」
少し考えてから、花嫁は後ろ手に手を回すと赤い宝玉がついた首飾りをはずした。
そして、王子の手首に首飾りを巻き付ける。
「ゴラン様、ちょっと誤魔化すだけなら、ボクがお手伝いできると思います」
「誤魔化す?」
「ボクたちサキュバス族は、魔術、それも幻覚系の魔術に長けています」
「あなたは、そのような魔術を使えるのか」
「はい。ちょっと待ってくださいね……コホン」
『愛しき人よ、どうか私の嘘を許しておくれ。
愛ゆえに私がつく嘘に、どうか騙されておくれ。
愛しき人よ、偽りは今、真実となる。
深夜十二時の、鐘の音が響くその時まで』
花嫁は魔力を声にこめて呪文を口ずさみ、最後に王子の手首の宝玉に唇をつけた。
キラキラと、宝玉から出た光の粒子が王子の体を取り巻く。
自分の体を見下ろして、王子が驚きの声をあげた。
「やっ、破れたところが元通りになっているぞ」
おそるおそる指で触れるが、滑らかな布地に裂け目やほつれの引っかかりはない。
「指で触っても、わからない。本当にこれは幻覚なのか?」
「サキュバスの魔術ですから」
花嫁はえへんぷい、と得意満面だ。
「視覚だけでなく、触覚も嗅覚も、物理現象すらごまかせるのがサキュバスの幻覚です。伝説の大魔術師には、死者に対して幻覚をかけて、死んでいることをごまかして復活させたこともあるそうです」
「反動や制約はないのか?」
「時間ですね。ボクが今かけた魔術ですと、日付が変わるまでです」
胸をはる花嫁を見下ろした王子が、あわてて視線をそらすが、花嫁は気付かない。
「と、ところで、その……あなたが魔術に使った宝玉だが……本当は、別のものに幻覚をかけていたのではないのだろうか?」
「え」
花嫁は王子の挙動不審な動きにいぶかしそうな顔をして、それから自分の体を見た。
つるぺたーん。
幻覚で作られた花嫁の豊かなおっぱいが消えていた。
ドレスとの間にできた隙間から、白い肌がのぞけてしまっている。
「わっ、わっわわっ」
あわてて花嫁は胸元を隠す。
――よりによって、なんでこのタイミングで消えちゃうんだよ、もう! すぐ近くにいるから、両方維持できると思ったのに!
涙目になって、王子を見る。
王子は顔をそらしたまま顎をポリポリとかいた後、ポケットからハンカチを取り出した。オーガ用のハンカチなので、花嫁にはずいぶんと大きい。
花嫁の方を見ないようにして、王子はハンカチを差し出す。
「胸元に詰めれば、少しはごまかせると思う。あなたの幻覚魔法ほどではないが」
「あ、うん……ありがとう」
花嫁は、胸元の隙間にハンカチを詰めた。
サイズは小さくなったが、ぱっと見ただけではごまかせるようになった。
「ええっと……このドレス、本当はお姉ちゃんので……ボクはその……」
「なるほど、私の礼服と同じということだな。かまわぬ。手元不如意なのは、オーガもサキュバスも同じということだ」
「え、あ……うん」
「それに、こういうと女性に対して失礼にあたるかもしれないが。私の母も胸は……慎ましやかな人だからな。あなたが、そのくらいのサイズであることは、私としては安心するというか、その……好ましい」
「……ごめん」
「あなたが謝る必要はない。すまないな、田舎者のオーガで。社交会とも縁がないから女性への接し方がわからないのだ」
――本当に、ごめん。
花嫁は拳を握ってうつむいた。
ここまでバレても、まだ騙されてくれているオーガ族の王子の顔を見ることができない。
花嫁が、逃げた姉の代わりに来たのは、親に命じられたためだった。
しかし、ここに来て、花嫁には新たな理由ができた。
どうしようもなく鈍く、底抜けに優しい王子を助けたいという理由が。
――いつまでも落ち込んでなんかいられないね。よし!
花嫁は顔を上げ、王子を見た。
「あのっ、ふつつか者ですが――」
バンッ。
扉が開いた。
「大変です、ゴラン王子!」
「大変です、姫様!」
ゴブリンの執事と、ナーガのメイドが入ってきて、同時に叫ぶ。
「どうした?」
「え? 何?」
王子と花嫁が意外に、いい雰囲気を出しているのを見て、執事とメイドは驚いた表情になるが、すぐにその顔が険しくなる。
「帝都から、急使が来ました」
「この婚姻、認めるわけにはいかぬとのことです」
王子と花嫁は顔を見合わせた。
そして同時に叫ぶ。
「なんだとっ?」
「ええ~~~っ?!」