25.ハガネ丸と魂の絆
ハガネ丸は、眠っていた。
場所は、骸骨城の地下にある倉庫だ。
ちゃんとした客間も用意できたのだが、ハガネ丸専用のベッドを作るため、この倉庫となった。
ドワーフの樽のような体は、仰向けでもうつ伏せでも、横向きでも眠ることができる。しかし、好ましい眠り方は、縦だ。専用ベッドがない時には、小さな座椅子に座り、木などに背中をもたらせて座ったまま眠る。あぐらをかけば座椅子はなくてもいいが、自重で膝を痛めないためにも、あった方がいい。一般のヒューマノイド種は安眠のために枕を使うが、ドワーフ族は座椅子が枕に相当する寝具となる。
ハガネ丸の今の寝室となっている倉庫の天井には、丈夫な梁が向きだしになっている。ここにロープで三枚のハンモックが吊され、ハガネ丸はこれをベッドにしている。
眠っている様子を表現するなら、操り糸でぶら下げられた、人形使いの人形のよう、だろうか。
ハガネ丸は股の下と、両腕の下の三カ所をハンモックでつり下げられ、樽のような体を大の字にして眠っている。
ハンモックで半ば浮いたように眠るのは、普段は座って眠るドワーフにとって贅沢な眠り方だ。一見すると磔にされているようで安眠できそうにないが、ハガネ丸はぐっすりである。
ハガネ丸は眠りながら、三百年前の出来事を夢に見ていた。
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金色の長い髪をたなびかせたサキュバス族の少年が、旅支度を終えたハガネ丸に駆け寄ってくる。
「ハガネ丸! ひとりで行くって本気?」
青みがかった瞳が、ハガネ丸を正面からにらむ。ふたりの視線の高さは、あまり変わらない。
「そうだ。お前は部隊をまとめてここで待機。不在の間の部隊指揮は狼王ロボに任せてある」
「ひとりなんてムチャだよ! せめてボクだけでも連れてってよ!」
「わしが抜けるのだって、本来ならダメなんだ。今やどこもかしこも大混乱だ。穴だらけになった戦線をふさぐには、神聖隊のような守りに強い部隊が必要だ。そして、お前の魔術は、その要なんだぞ」
「なら、ハガネ丸も一緒にいてよ! 生きる時も死ぬ時も一緒なのが、魂の兄弟でしょ!」
「すまんな。だが、故郷が危ういとなれば、帰るのが王族の役目だ」
「バカッ! こんな時ばかり、カッコつけて!」
感情が高ぶって涙を浮かべた少年を、ハガネ丸は太い腕で抱き寄せ、キスをした。
少年も、むしゃぶりつくようにハガネ丸の太い首にしがみつき、情熱的に口づけを返す。
「死なないで、ハガネ丸。死んだら《魂召喚》でボクの奴霊にするからね」
「そいつは勘弁してくれ。わしは死なんよ。必ずこの骸骨城に戻ってくる」
「待ってるから。ボク、ずっと待ってるから」
少年はそう言って、もう一度、ハガネ丸に口づけをした。
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天井近くにある明かり取りの窓から、日の光が差し込む。
扉を開け、階段をコンコンと降りてきたのは、サキュバス族の花嫁だ。
「ハガネ丸さーん。朝だよー。ア=ギさん特製の根菜スープだよー」
花嫁は手に、朝食をのせた盆を抱えている。
ドワーフは、地下で生活しているので食事はキノコ類が中心となる。
迷宮の地下には陽光と神気が届きにくい。逆に地中の魔素は豊富だ。
地上にある白角国にはキノコの類はあまりないが、王子と相談したゴブリンの執事が、魔素が多めになる根菜を中心にスープを作ったのだ。
「ボクも手伝ったんだよ。鍋の蓋に《結界:粘着》かけて圧力高めるヤツで。一緒にいれた野菜屑とか全部溶けて、とろっとろになるんだから……失敗すると、猛烈に吹きこぼれたり、鍋が破裂して大惨事になるけど」
魔術結界のひとつ《結界:粘着》は応用範囲の広い魔法だ。
戦闘においては、神蟲との戦いで使ったように相手の動きを鈍くさせることや、転倒させることで戦いを有利に進めることができる。
また、斥候や盗賊は壁などをよじ登る時にこの魔術が封じられた符や楔を打ち込み、手がかり・足がかりにする。
そして日常においては、鍋を密閉して蒸気を逃がさず、圧力と沸点を高めて調理する調理魔法として使われている。
机にお盆を置いて、花嫁はまだいびきをかいているハガネ丸に近づく。
「よく寝てるなー……イタズラしちゃおっかな」
ヒゲを引っ張るか。ハナをつまむか。
そっと花嫁は、指をハガネ丸の寝顔に伸ばした。
ぱちっ。
唐突に、ハガネ丸が目を覚ます。
鋭い――殺意にも似た視線が、花嫁を射貫く。
「ひゃっ?!」
花嫁が驚いて指を引っ込める。
その時にはすでに、ハガネ丸はつり下げられたハンモックから抜け出て、花嫁の後ろに回り込んでいた。
花嫁の腕を引き、足を払い、床に組み伏せる。
「まだまだだな、レオン……ん?」
記憶にある少年の、小柄だが引き締まった肢体に比べ、あまりにフニャフニャした体の感触に、ハガネ丸が首をひねる。
「痛い、痛いよ。ハガネ丸さん、放してっ!」
「おう、これは悪かった。寝ぼけておったようだ」
ハガネ丸に掴まれた花嫁の手首には、赤く痕が残っていた。
花嫁は撫でさすりながら、むー、とハガネ丸をにらむ。
ハガネ丸はうまそうに根菜スープをすする。
「イタズラしよとしたのは謝るけど、ひどいよハガネ丸さん」
「すまんすまん。それにしても、今の時代の食事はうまいなあ。三百年の平和のありがたさというのが、料理からわかるというものだ」
戦時の食事というのは、とにかく食えればいい。
最優先するのは、食い物が手に届く範囲にあることだ。
そして戦時は、物流が滞りやすい。戦線の後方でも、軍事作戦のための兵員と物資の輸送が最優先されるからだ。
そのため、何よりまず保存がきくもの、次にかさばらないもの、そして調理に燃料や水をたくさん必要としないものが、良い食材とされる。
「えーと……つまり?」
「塩漬けする。あるいは日干しする」
「わーお」
「砂糖漬け、蜂蜜漬けもあるんだが、コレは貴重品だったな。別の部隊に何か頼み事をする時には、蜂蜜漬けの瓶を手土産にもっていく習いだった」
「甘味はそうだろうねー」
花嫁は、ハガネ丸が食事を終えるまでそばに座って待った。
ハガネ丸は食べるのが早い。これもまた、兵士が身につける習性だ。
見る間にスープを飲み干し、パンをかじり、パンのかけらで皿を丁寧にぬぐって食べてから拳を額にあてる、ドワーフの礼をする。
「ごっそさん。うまかったぞ」
「どういたしまして」
ハガネ丸は、食器を片付ける花嫁に探るような目を向けた。
「どことなく……似てるな」
「さっき寝ぼけて間違えたレオンって人のこと?」
「うむ。三百年前に、神聖隊の副隊長だったサキュバス族の王子だ」
「もしかして、三百年前に恋人だった……とか?」
「恋人というのとは少し違うな。わしとレオンとは、魂の兄弟だ」
「どう違うの?」
「神聖隊は、魂の兄弟の絆で結ばれた兵で編成されている。恋人同士であったり、実際の肉親であることも多いが、技術的には魔術強化兵だ」
「魔術強化兵! 本当にいたんだ」
「どうやら、今の時代にはこの技術は残っていないようだな。魂の兄弟の絆は、わざと魂に傷をつけて魂同士を融合させ、いざという時に兄弟の魂からエネルギーをもらって、爆発的な力を発揮するというものだ」
「魂に傷をつけるって……どうやって?」
「そいつの記憶を探ってトラウマをえぐる。なければ、トラウマを作る」
「……」
「不満そうだな」
「当然だよ! ハガネ丸さん、エッチっぽいけどいい人だと思ってたから、そんなひどいことする部隊の隊長だなんて、がっかりだよ!」
ぷんすかと素直に怒る花嫁を見て、ハガネ丸は気を悪くするでもなく、笑う。
「うんうん、そういうところもレオンによく似ているな」
「王族なら、何か記録が残ってるかも。実家に手紙書いて、調べてもらおうか?」
「……いや、いい」
少し迷ってから、ハガネ丸は首を左右に振った。
「記録を調べてもらっても、それが本当かどうか確かめる術はない。そんなものに振り回されるよりは、わしはわしの魂の絆を信じるよ」
「ふーん……あ、そうだ」
花嫁は、ここに来た目的を話すことにした。
「ハガネ丸さん。ゴラン様は、ボクの旦那様になる人なんだ」
「知っとるよ」
「その上で聞くね。ハガネ丸さんは、ゴラン様をどう思ってるの?」
「いい男だ。友になりたい」
「それには全面的に同意。いいよ」
「あと、いい筋肉だ。エッチしたい」
「それにも全面的に同意。でも、絶対にダメ」
「なんでだ?」
ハガネ丸は、心底驚いた顔になる。
「無理強いをする気はない。ちゃんと王子の合意を得てからにするぞ」
「具体的には?」
「格闘技の試合だな。勝った方が負けた方に一晩付き合うという」
「絶対の絶対にダメ」
「なんでだ?」
ハガネ丸は、心底驚いた、という顔をする。
「その下心ありまくりの顔がダメな理由だよ。ゴラン様が"一晩付き合う"の意味を、一緒に酒を飲みに行くとかそういう風に誤解させる気だよね」
「……むぅ」
ハガネ丸は、花嫁の指摘を否定せず、丸太のような太い腕を組んでうなった。
「ゴラン様って、すごい純情なんだから、そういうのは絶対にダメ。ボクだって、エッチなことは結婚するまでは可能な限り我慢するようにしようって、心に決めてるんだから」
「心に決めてる割には、妙に条件がユルくないか?」
「いいの! ボクは婚約者だから!」
絶対に譲らないと、花嫁はハガネ丸をにらみつける。
ハガネ丸は、降参とばかりに両腕をあげた。
「わかった。お前さんの許可がない限り、王子にエッチなことはしない」
「約束する?」
「約束する」
「うん。それならいいんだ。ありがとう、ハガネ丸さん。それとエッチなことなしなら、ゴラン様と仲良くなっていいからね」
言いたいことだけを言って、ハガネ丸が食べた食器をお盆に載せると、花嫁は嵐のように立ち去った。
その様子を、子供を見るような優しい目で見送り、ハガネ丸は自分の左腕を持ち上げた。
左の前腕に、魔術刻印の紋様がある。魂の兄弟との魔術的な結びつきを示す紋様だ。
紋様は黒く、非活性の状態だ。しかし消えていない。
「目を覚ました後、こいつが残ってるのを見た時には、驚いたぞレオン」
ハガネ丸は紋様に語りかけた。
「魂の兄弟が死ねば、紋様も消える。こいつが残ってるのは、その時にわしが石になっていたせいか……それとも」
紋様を太い指で撫でる。反応はない。
「帰ってきたぞ、わしは。約束通りに、この骸骨城へ」
三百年の時は、戻ることなく。
故郷の同胞も、未だ眠り続けている。
それでも、一歩ずつ進めばいい。
ドワーフは辛抱強いのだ。
「いつか、また会えると信じているぞ……レオン」
ハガネ丸は紋様を指でぽん、と叩いて立ち上がった。