24.恋のライバル、ハガネ丸
帝国北方にあるオーガ族自治国、白角国。
その王城である骸骨城には、普段は使われていない建物や部屋がいくつもある。
屋内運動場であったドーム屋根を持つ建物もそのひとつだ。
かつてはここで、帝国中から集まった各種族の精鋭が上半身裸でぶつかり合い、格闘技で強さを競い合った。
ある者は勝ち、ある者は負けた。その全員が、勝者も敗者も関係なく、いざ戦となれば背中を預けあう戦友だった。彼らの敵はこの世界の誰でもなく、異界門から来る異世界の侵略者、神蟲だからだ。
三百年前、ついに戦いは終わった。異界門が閉じ、平和が訪れた。
生き残った男たちは、もし異界門が開いた時には再びこの地に集うことを、生者と死者に約束し、それぞれの故郷へと帰っていった。
男たちが再び集うことは、なかった。
異界門は、それから三百年、閉ざされたままだった。
生き残った男たちは、平和の中で、ひとり、またひとりと黄泉路へ旅だっていった。
今も生き残っているのは、魔人族、不死族、龍族などの長命種が数人だけ。
だがそれは、良きことであるのだ。望まれたことであるのだ。
男たちはまさに、この場所が閑散とし、誰からも忘れ去られるために戦ったのだから。
それでももし。今日この時に、この地にかつての英霊の意識が戻ることがあれば。
英霊たちは瞠目しただろう。
そこで繰り広げられている戦いは、かつての鍛錬、そのものだったからだ。
筋肉と筋肉が、鈍い音をたてて、ぶつかり合う。
衝撃で、皮膚の表面に塗ったオイルが、汗と混じって飛び散り、キラキラと輝く。
高と低。先に動いたのは低の側。
踏み込んだ膝を伸ばし、腰を上げ、ひねりを加えつつ相手をすくい上げて体勢を崩し、投げ飛ばそうとする。
背の低さを利用した、内線攻撃だ。
一連の動きは、途中まで成功した。下から突き上げてくる力に、高の側の姿勢がゆらぐ。
しかし、そこで止まる。
長い腕が、低の側の腰を掴む。上半身は裸だが、腰には短ズボンがあり、太く丈夫なベルトが巻かれている。高の側は、相手のベルトを掴み、踏ん張った。
みしぃ。
動きが止まると同時に、ふたりの筋肉が盛り上がる。
上背のある、均整のとれたシルエットのオーガが王子。
樽のような、太く安定したシルエットのドワーフがハガネ丸。
三百年の時を超えて石像から蘇ったドワーフが、三百年の封印を解かれた神蟲を倒したオーガと戦っている。
「がんばれゴラン様っ! 負けるなっ!」
丸いリングの外で王子を応援しているのは、サキュバス族の花嫁だ。
花嫁は男の子であるが、わけあって姉の代わりにオーガ族の王子に嫁いできて、紆余曲折あって今は婚約者となっている。
サキュバス族の《変容》魔法でスタイルを変えており、どこから見ても女性らしいフォルムになっている。
運動場には、他に審判役のゴブリンがいる。王子の執事だ。
次に動いたのは、花嫁の声援を受けた王子だった。
ハガネ丸のベルトにかけた腕を引いて体を密着させ、そのまま釣り上げようとする。
させじと、ハガネ丸が踏ん張る。
重量とパワーは、ドワーフのハガネ丸が上だ。
王子の上背と手足の長さは、動きの自由度を上げ、梃子の原理で力を増幅させる。
「おおおおおっ!」
王子が吼えた。さらに腕を引き、背をそらせてハガネ丸を持ち上げようとする。
王子の筋肉が限界まで引き絞られ、撚り合わさった筋が肌の上に濃い陰影をつける。
ぱんっ!
ハガネ丸の掌が、王子の左の太ももを強く叩いた。
がくん。
突然、王子の左の膝が崩れた。これを見逃すハガネ丸ではない。王子の姿勢の変化に合わせるように体を時計回りにねじり、王子の体を投げ飛ばす。
どうっ。
リングに仰向けに倒れた王子の上に、ハガネ丸がのしかかる。
ハガネ丸が王子を締め上げる。ぐっ、と顎に力をこめて王子が堪えようとするが、ぎりぎりと喉元にハガネ丸の腕が迫る。
そしてついにがっちりとハガネ丸の腕が極まり、審判役の執事の腕が上がった。
旗は黒。ハガネ丸の勝ちである。
「参りました」
「いや、いい試合だった。さすがだな、王子」
「またお願いします」
「いつでもこい」
先に立ち上がったハガネ丸が、王子に手を貸して立たせてやる。
王子がふらついて、ハガネ丸の胸を借りる形になる。
花嫁が駆け寄り、王子とハガネ丸にタオルを渡す。そして王子を引っ張ってリングの外のベンチへ連れていく。
それを、執事は好ましそうな顔で見送る。
それを、ハガネ丸は好色そうな顔で見送る。
――感じる! すごい視線感じる! ボクのサキュバス族の視線感知能力が、エッチな視線感じてる! ボクに向けたものじゃないのに、すごいエッチなのを!
ちらっ、と後ろを振り返る。
ハガネ丸が、いかついひげ面の中の、愛嬌のあるつぶらな瞳でウィンクを返した。
その表情には、まったく邪気がない。
後ろめたさのまったくない、エロさ。
――なんなの、もう! なんなの、これ! 危険すぎるよ、あのドワーフ!
花嫁は、ベンチに座った王子に水の入った壺とひしゃくを渡し、体を拭き、痣がついたところに薬の油を塗って、かいがいしく世話をする。
王子は気持ちよさそうに花嫁の世話を受け、感に堪えぬという口調で話す。
「やはり、ハガネ丸殿は違うな。古強者とは、ああいうものか」
「三百年も石になってたから、そりゃ古いよ」
花嫁の声に含まれる険にも、王子は気付かない。
農作業が大好きな王子だが、若く、力にあふれたオーガだ。己の全力をかけた試合の興奮に、いささか高揚している。
「組み合ってた時に、左足から力が抜けたのだが、何をされたか見てたかい?」
「このへんを、パチン、と掌で叩かれてたよ」
花嫁は、まだ熱を持つ王子の太ももに掌をあてる。
そのまま、しばらく指で王子の太ももを撫でる。
撫でながら、考える。
――さっきの試合の間は、エッチな視線、感じなかった。上半身裸で組んずほぐれつしてたけど、ハガネ丸さんがエッチなことしてる様子も、なかった。寝技の時の王子の苦しそうな表情には、ぐっときちゃったけど。……いや、ボクがぐっときてどうするのさ!
昔の花嫁は、男同士の格闘技に性的な目を向けるようなことはなかった。学校の授業であった格闘技が好きではなかったのもある。華奢な体の花嫁は、学友と試合をしても一方的にやられてしまうだけなので、できるだけ避けていた。
それを思うと、花嫁は複雑な心境である。
ぺちっ、と撫でていた王子の太ももを指で軽く打つ。
「ゴラン様のせい、だからね」
「どうした?」
「ボクがこんな風になったの、ゴラン様のせいだよ」
「よくわからぬのだが」
花嫁は、ベンチに座る王子の太ももの上に、小さなお尻を乗せた。
頬を、まだ湯気がでそうな王子の胸筋にあてる。
「わかんなくていいよ。でも、抱きしめて」
「わかった」
王子の腕に抱かれると、花嫁の中から焦りや嫉妬が消える。
正確に言うと、焦りや嫉妬はそのままだが、幸せなのでどうでもよくなる。
王子も、花嫁のこうしたワガママを好ましく思い、つきあってくれる。
「そういえば、ハガネ丸殿から、誘われてな」
「ふぇっ?」
不意打ちだったので、ヘンな声が出た。
「三百年前の戦では、ハガネ丸殿は棟梁としてドワーフの部隊を率いて白角国に来たこともあるそうだ」
「ふーん。棟梁っていうのは、ドワーフの王族のことだっけ?」
「王族というか、指導者だな。ドワーフ王にあたるのが大棟梁。ハガネ丸殿は、時のドワーフ王の甥で、前線指揮官だったそうだ」
「三百年の時が過ぎ、平和になってその部隊もなくなったが、伝統ある名前だけでも復活させたいそうだ。その副官にならないか、ということらしい」
「なんていう名前なの?」
「神聖隊、というらしい」
花嫁は、何かイヤな予感がした。
ハガネ丸に視線を向ける。
またウィンクを返された。
「なら、ボクもハガネ丸さんに聞いてみるね」
問い質さねばならない、と花嫁は決意する。
もしハガネ丸が花嫁にとって恋のライバルになるのだとしたら。
まずは敵情視察と、宣戦布告からである。