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23.新たなる目標、新たなる問題

 一ヶ月が過ぎた。

 ここはオーガ族の領地、白角国は骸骨城。

 かつて大勢のつわものを鍛え上げた練兵場は、今は一面の草木に覆われている。

 その中に、ぽつんと小さな畑がある。

 まだ朝の早い時間。野良着を着て麦わら帽子をかぶった王子が、畑の畦にしゃがみこんで雑草を抜いていた。このところ、庭の手入れを人任せにして放置気味だったので、いたるところに雑草が茂っていた。これを王子は強い指の力でブチブチと引き抜く。

 根気のいる仕事だが、王子は黙々と雑草を抜く。オーガの持つ、無限に近い耐久力と辛抱強い気質は、農作業に向いている。単調な仕事が苦にならない。


 ぬき足、さし足、忍び足。


 農作業に没頭する王子に後ろからそーっと近づく人影があった。

 真後ろにきた人影が、王子の目を掌で隠す。


「だーれだ?」


 王子は慌てず騒がず、答えた。


「私の妻だ」

「……」


 王子を目隠しした花嫁の顔が、かーっ、と赤くなる。


「どうした?」

「どうしたって……どうしたって、もう! ゴラン様ってば、もう!」


 花嫁は目隠しをやめると、王子の背中を、ポスポスと連続パンチ。

 筋肉が盛り上がった王子の背中は小揺るぎもしないのだが。

 しばらくパンチを続けた後、花嫁は後ろから王子に抱きついた。


「ただいま、ゴラン様」

「お帰り、アッシュ」


 ふたりきりの時には、花嫁の本当の名前を使う。

 ふたりの約束である。


「どうだった?」

「空振りだった。ハガネ丸さんの記憶、ずいぶん穴だらけみたい」

「そうか」


 花嫁が頬を寄せている王子の背中の筋肉に、わずかなこわばりがあった。

 表情はあまり変わらない王子だが、筋肉はけっこう素直に感情を表す。


 ――ちょっと落胆してる。それと、少し焦ってる。


 花嫁は、神蟲との戦いを終え、この骸骨城に帰還した時のことを思い出す。

 マーフィー監察官から、今回の事件の背後関係と、後処理について聞いた時のことだ。


====


 王子と神蟲の戦いは、公表されないことが決まった。

 三百年の泰平にある帝国で、神蟲が出たことが明らかになった場合の社会の動揺を防ぐため、というのが表向きの理由。

 だが、本当の理由は、今の帝国は異界門からの大攻勢に対する挙国一致型の動員制度しか持ち合わせていない、という制度上の不備である。

 帝国は軍事国家だ。建国以来、幾度となく神蟲との戦いで滅亡の淵をのぞいている。三百年前に異界門が閉じた後も、異界門が開けば、神蟲が出現すれば、帝国は即座に総動員をかけられるように法律を始めとする、制度の充実を目指してきた。

 異界門が閉じた後の最初の十年、二十年は、切迫した危機感の中で制度改革が行われた。前回の失敗や反省は記憶に新しく、次回へつなげようという意気込みに満ちていた。現在にも続く総動員の仕組みは、この時期に作られている。しかし、一世代、二世代と過ぎれば緊張感は消え、制度の形骸化が進む。一世紀、二世紀が経過する頃には、もはや神蟲との戦いに現実味を見いだすことも難しくなる。

 そして、三世紀が過ぎた。


「異界門と神蟲を最大の脅威とする現在の諸制度はやめたい、という連中が今回の陰謀の中心メンバーです」


 マーフィー監察官は王子と花嫁にそう説明した。

 マーフィーが明かしたのは、今回の件の裏で動いていたごく一部の思惑で、実際にはかなりゴチャゴチャとしていたらしい。

 オーガ族など自治国が持つ、戦略兵器としての魔装具を帝国政府が取り上げ、中央で管理すべきだと考える軍の改革派。

 異界門と神蟲との戦争を前提にした、現在の帝国と自治国の関係を変え、各種族の独立性を高めようという帝国内の分離派。

 分離派の都市エルフ族であるスギヤマを中心に、こうした連中を集めてあれこれ計画をひねくり回したところ、思惑多すぎ、参加プレイヤー多すぎで、陰謀の全体像を把握できる者がいなくなって、ドワーフの迷宮地下の封印を解除する、今回の事件につながったのだという。


「お恥ずかしながら、ウチの司法大臣も、スギヤマと組んで陰謀を進める側でした。オーガ族としては、本来なら血の復讐を求められるのが当然でしょうが、お許しをいただければ、いずれきちんと借りを清算いたします」


 あの時。

 帯電した拳を握ってマーフィーを静かに見つめる王子が、すごく怖かったことを花嫁は覚えている。

 長い沈黙の後、王子は拳を開いた。


「マーフィー殿。血の復讐、とおっしゃいましたが。今回は誰の血も流れていません。私は、流れていない血に対して復讐することはしません」


 王子はそう言ってマーフィーの上司の司法大臣を許した。

 花嫁としては、納得しがたいところがあった。

 あの時、流れる危険があったのは、王子のいのちだった。

 あの陰謀は、王子が封印されていた神蟲に負けることが前提だったのだから。

 マーフィーが、王子に取り憑く契約を解除して消えた後、花嫁は唇を尖らせた。


「ゴラン様、優しすぎだよ」

「そうか?」

「あいつら、ゴラン様を罠にはめて殺す気だったんだよ! 許してやる必要なんかないよ!」

「そうではない。叔父上を含めて、彼らが望んでいたのは私の敗北だけだ。私が死ぬよりは、逃げて帰る方こそ、彼らの目的にかなったろう。私が彼我の力量差を見誤る愚か者であった場合のみ、私は死ぬことになった」


 王子が逃げずに戦うことを決断でき、勝てたのは花嫁の存在と、そして何より魔装具の完全召喚の承認が、マーフィー監察官を通して司法大臣から得られたことによる。

 もし、王子が魔装具の完全召喚ができなかったら、神蟲の力を見極めるために一戦した後、王子は全速力で逃げ出したはずだ。

 そうなれば、どうなっただろうか。

 魔装具をオーガ族に持たせていても、封印で弱体化した神蟲一匹すら倒せない。そんな結果が出れば、軍は大喜びで魔装具を各自治国から取り上げようと動きはじめたろうし、分離派も対異界門戦争に特化した現在の自治国制度の見直しを求めて声をあげることになったはずだ。


「そういえば……マーフィーさんはともかく、デスポエム司法大臣って、陰謀側だよね」

「母上がマーフィー殿を通して政治工作をしてくださったのだ。あなたの実家側からも、これを支援する動きがあったと聞く」

「そうだったんだ。マーフィーさんをゴラン様に取り憑かせたのも、トモエ様?」

「うん。母上は、叔父上の狙いを、掴んでいたんだろうな」

「どうなるんだろう」


 花嫁はスギヤマが大嫌いだ。

 大嫌いだが、どうしても思い出す。

 スギヤマが、王妃の焼いたパイを食べていたことを。

 同時にスギヤマが力ある魔術師で、権力者であることも花嫁にとっては気がかりだ。

 スギヤマが今回の件で王子を逆恨みすれば、より多くの災いをなす危険があった。


「心配はいらない。しつけは母上の得意とするところだ」

「スギヤマは、子供じゃなくて都市エルフ評議会議長だよ?」

「年齢や社会的立場は関係ない。母上なら、大丈夫」

「ゴラン様は、その……スギヤマを恨んでないの?」

「怒っている」

「あ、やっぱり」

「しかし、恨んではいない。叔父上は愚かなことをして、その報いを受ける。叔父上の罪はそれで終わりだ」

「むー、ゴラン様が納得できてるなら、ボクは……」

「納得できぬこともある」

「え?」


 これまで聞いたことのない暗い声で王子は言った。

 再び拳が握られ、白い稲光が走る。


「あなたをはずかしめたことだ。あなたを脅迫し、陰謀に巻き込んだ。私の愛するあなたを。そのこと、決して忘れることはできぬ。恨みは残さぬが、忘れることはない」


 花嫁は両手で王子の拳に触れた。ぱちっ、と雷光が走って花嫁の指先が痺れるが、構わずに王子の拳を包み込む。


「あ――すまない」

「ううん。ボクのために怒ってくれて、ありがとうゴラン様」

「いや……違うのだ、これは……私が怒っているのは……」


 王子は口ごもる。

 花嫁の正体を知り、脅してスパイとして扱ったスギヤマに対しての怒りはむろんある。だが、王子の本当の怒りは、そのことを知らず、無力であった自分へ向けられている。

 花嫁がスパイにされて、悩んでいた時に、何もできなかった自分への怒りだ。

 そして、過去が変えられない以上、その怒りを収めることもできないでいる。


「わかってる。でも、その怒りがボクにはうれしい。ゴラン様がボクのことを大事に思ってくれるってことだから」

「ありがとう、アッシュ」

「うん。あ……そうだ、ゴラン様。ボクのことは今まで通りにエミリアって呼んでよ」

「いいのか?」

「うん。本当の名前は、ふたりっきりの時だけにしようよ。ね?」

「わかった」


====


 王子が花嫁の正体を父王と王妃に話し、紆余曲折あって時間の猶予をもらったのは、その直後だ。


「四年以内に孫を抱かせてね、ってトモエ様から言われた時にはびっくりしたよ」

「もう少し、時間の余裕が欲しかったのだが」

「おふたりにしてみれば、当然のことだよ。それに――ボクはちょっと楽しみだし」

「私も、我が子の誕生は楽しみだ」

「ボクは、その前のコトも楽しみだよ」


 王子の背中に頬をよせてつぶやく花嫁の言葉に、王子は首をひねる。

 しばらくして王子の背中の筋肉が、今までと違うこわばりを持ち、花嫁はクスクスと笑った。どっどっどっ。王子の胸の奥の力強い心臓の鼓動も、心持ち早くなっている。

 本当は花嫁の心臓の音も早くなっていて、花嫁の顔も真っ赤になっているのだが。


「だから、頑張ろうね」

「うむ……しかし、なかなか思うようにはいかないな」


 今のふたりの目的は、何よりもまず――金を稼ぐことだ。

 最終目的は、もちろん、花嫁が王子の子供を産める体になることだ。

 そのために、花嫁が高位の《変容》魔術を使えるようになる。

 または、サキュバスの種族神に《変容》魔術に相当する奇跡を願う。

 このふたつが、今のところ現実的なゴールだ。

 どちらも、膨大な魔素と金が必要である。


「やっぱり、交易や開発だと間に合わない?」

「一年、二年で大金を手に入れるとなると、投機以外は無理だ」

「王子が勲章もらっても、やっぱり難しいの?」

「軍から恩給はもらえるようになったが、平時は半額。さらに隠居まで半分を返す習いになっていると、ア=ギがぼやいていた」

「半分返すのは、強制?」

「強制だな。書類上はこちらからお返しする形式だが、支払われる金額が最初から半分しかないそうだ」

「世知辛いなー」

「それでも、勲章があるだけで、ずいぶん相手の反応が違うとア=ギは張り切ってる。交易や開発で国を富ませることは、十年、二十年の単位で考えることだな」


 神蟲討伐の公表はしなかった司法局だが、正体不明の『魔物討伐』という名目で、王子に三十点の功績ポイントと銀十字勲章を授けた。三十点というポイントは、百人単位の敵兵がこもる城砦ひとつを落とす武勲に匹敵する。神蟲という名前は出さないが、ポイント数の多さと勲章とで魔物の正体を察しろ、と言わんばかりである。

 銀十字勲章と、帝国司法局の認定した功績ポイントを足がかりに、ゴブリン執事は帝国各地を精力的に飛び回り、白角国の開発に必要な金と人、資材を集めている。

 それが実を結ぶのは、まだ先のことだ。


「そうなるとやっぱり……ドワーフの大迷宮から、だね」

「ああ。この費用は、私とアッシュとで稼がねばならないからな」


 オーガ族とサキュバス族の王家の婚姻は、公的なものだ。公費を使う。

 だが、今はその前の段階である。

 今の花嫁は、形の上では王子の婚約者となっているが、白角国にとっては私人だ。


「次からは、私も一緒に迷宮に行こう」

「お仕事は大丈夫?」

「ハガネ丸殿を助けて、ドワーフ国を再興することは、帝国からの正式な依頼だ。補助金もたくさん出ているが……現状だと、見合う調査ができているとは言えないからな」


 滅びたドワーフ自治国を再興する足がかりを作ったこと。

 功績ポイント四十点の成果として認定されたのが、石化したドワーフを復活させ、彼と協力してドワーフの大迷宮を再び自治国へと戻す計画だった。

 この計画は、帝国議会の承認も与えられ――これは帝国貴族院議員であるスギヤマの働きかけが大きい――帝国政府から補助金も出ている。


「問題は一度にひとつずつ、片付けていこう」

「うん」

「ハガネ丸殿の言葉が正しければ、迷宮にはドワーフ族が復興のために準備した仕掛けがある。それを見つければ、少なくとも魔素に関しては心配いらなくなる」

「うん。でも、ハガネ丸さんがねー……」

「よい人だぞ」

「うん。よい人なんだけどねー……」


 花嫁が微妙な顔になっていると、遠くから大きな声が聞こえた。


「王子よー。どこにおるー? ゴラン王子ー。我が王子ー」


 遠くまでよく響く、美声だ。樽のような肉体が、この声を生んでいる。

 その声を聞いて、花嫁が真顔になった。

 そして小声でつぶやく。王子には聞こえないように。


「何だよ『我が王子』って。ゴラン様はボクのものだぞ」


 花嫁らしからぬ、ドスのきいた低い声だ。

 問題はひとつは解決した。

 しかし、新たな問題も生まれつつある。


「おお、ハガネ丸殿か。おーい。こっちだ、ハガネ丸殿!」


 その問題に気付いてなさげな王子が立ち上がり、手を振る。

 背の高い雑草の向こうから、のっしのっしと重量のあるものが近づいてくる気配。


「せっかく婚約者になれたのに……ライバル登場とかないよ……」


 サキュバス族の男の子花嫁の苦難は、まだまだ終わりそうにない。


功績ポイント:一〇〇点

 内訳

 ・大迷宮の探検 一〇点

 ・郵便開設 一〇点

 ・ドワーフ族発見 一〇点

 ・魔物討伐 三〇点(帝国議会から銀十字勲章を授与)

 ・ドワーフ自治国再興計画 四〇点

婚姻申請:承認

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