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21.真実の愛

 花嫁は倒れた王子を強く揺すった。


「ゴラン様! ゴラン様ってば!」


 王子の肉体に目立った外傷はない。

 けれど、花嫁がどれだけ呼びかけても、王子は意識を取り戻さなかった。

 ゴラン王子の上に、ぼんやりと靄のようなものが浮かび、そこから男の声が聞こえた。


『まずい。魂が危険なほどに削られている。初めての完全召喚で、加減がわからなかったのだろう』

「ごたくはいいから、出てきてよ! マーフィー監察官でしょ! ゴラン様を助けて!」


 帝国司法局のマーフィー監察官は霊族だ。

 霊族は場所や人に取り憑くことができる。

 マーフィーは王子に、おそらくは王子と合意した上で、取り憑いていたのだ。

 王子が大臣クラスの承認が必要な魔装具の完全召喚の許可をもらっていた理由もこれでわかる。マーフィーを通して、帝都にいる大臣の許可を得たのだ。

 しかし、今は謎解きをしている場合ではない。

 王子の肉体が、どんどん冷たくなっていく。


『それは無理だ』

「なんで!」

『声は出せるが、私の本体は帝都にある』

「憑依転移できるでしょ!」

『私が憑いているのは王子だ。転移するとなると、そのために必要な魔素は王子の生命力を消費する。王子にトドメをさすことになる』

「わー、もう、使えないっ!」


 花嫁は頭を抱えた。


『王子の状態は、魔装具に魂を削られたことが原因だ』

「どういうこと?」

『魂には自己修復能力がある。王子の魂はダメージを受けたことで、外界と切り離され、己を癒しているのだ。その間、肉体は仮死状態になる。魔装具の使い手にはよくあることだ』

「じゃあ、待っていれば目覚めるんだ」

『それが、だめなんだ。今回は魂の消耗が深すぎる。このまま放置していては、王子の肉体が先に死を迎えてしまう』

「どうすればいいの?」

『手はふたつ。ひとつは肉体を外部から動かして維持する。もうひとつは、魂の修復を手助けして早く目覚めさせる』

「具体的には?」

『どちらも治癒魔法だ。肉体を賦活する治癒魔法か、精神を回復させる治癒魔法。どちらでも効果が……』


 マーフィーの声が小さくなり、かすれて聞き取りにくくなる。


「マーフィーさん? 声が聞こえなくなってきたよ」

『王子の生命力が低下……これ以上、私が……そちらに任せ……』


 声が途絶え、王子の上に浮かんでいた白い霊体も消えた。

 マーフィーは、王子に取り憑いているから、王子の生命力が低下すれば、活動できなくなる。無理にやれば、かえって王子を傷つけてしまう。

 今ここにいて、王子を救うことができるのは、花嫁だけ。

 花嫁は目を閉じた。

 大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐く。

 掌と掌を立てて、ぱん、と音をたてて叩く。


「……よし!」


 目を開ける。

 花嫁は、万が一に備えて、やがてここに来るであろう執事と妹姫たちにあてた手紙をしたためる。

 神蟲を倒したことと、王子の治療には治癒魔法が効果的であることを書く。自分がやろうとしていることも。

 そして手紙をウッドゴーレムに持たして渡すように伝え、合わせて周辺の警戒を命じる。


「さて……後は、ボクに使えるかどうか、だよね」


 サキュバス族は幻覚魔法の使い手だ。これは精神に作用する魔法でもある。

 精神に作用するからこそ、相手から快感の形でエネルギーを吸収できるのだ。

 つまりそれは、自分のエネルギーを相手に与えることも可能、ということ。

 それがサキュバス族が種族として持つ固有スキル《魂共有》だ。

 しかし、自分と相手の魂を結びつけることで相手にエネルギーを分け与える《魂共有》は魔術ではない。発動に術式が存在しない。また、《魂共有》はかける側も深い眠りについて無防備になる。

 サキュバス族なら、誰でも使うことができるが、誰に対しても使えるわけではない。


「使えるのは、真実の愛を持つ相手にのみ……か」


 花嫁は唇を引き結ぶ。

 体が強張る。心が揺れる。

 精神を集中しなくては、と思うほどに、精神が千々に乱れる。


 ――怖い。


 ここで《魂共有》が発動しなかったら。

 この胸の思いが、ニセモノであると宣言されるような気がして。


 ――ボクは、ウソを、ついてる。


 王子を愛してる。それは、本当。でも、いつから?

 王子を愛してる。それは、本当。なら、それはなぜ?

 王子を愛してる。それは、本当。どうして、そう言い張れる?


 ――王子に、ウソを、ついたままなのに。


 自分の中にあるこれが真実の愛だというのなら、なぜこんなに不安なのか。

 王子を本当に愛しているのなら、なぜこんなに自信が持てないのか。


『あんたは難しく考えすぎなのよ』


 姉の声が聞こえた気がした。

 花嫁役を押しつけて、トンズラこいた姉の声。この台詞はいつ聞いたものだったろう。


 ――思い出した。そうだ、婚約者のいる男の人にお姉ちゃんがちょっかいだしてドロドロになったあげく、婚約者の女の人が刃物もってきて、お姉ちゃんじゃなくて男の人が刺された時だ。


 あの時の姉の行動はサキュバス基準でもひどかった。

 婚約者が腰だめに刃物もって突進してきた時、姉は「危ない! 避けて!」と叫んで、男を突き飛ばし、盾としたのだ。


 ――ムチャクチャで、ワガママなお姉ちゃん。でも、そういえば……


 花嫁は自分の手を見た。

 この手を握る、姉の手の感触を思い出す。

 あれは、まだ子供の頃。熱を出して寝込んでいた花嫁の手を、姉が握ってくれた。

 すごく心が楽になり、翌日には元気になっていた。

 あの時、姉が使ったのが《魂共有》だった。

 姉に礼を言うと、お礼はゲンブツと言われ、見舞いでもらったお菓子を奪われた。滅多に食べられない、砂糖菓子だったのに。

 ついでに、家庭教師が姉に出した宿題もやらされた。大変だった。


 ――《魂共有》に必要なのは、真実の愛……のはず、なのに。


 姉が、姉なりのやり方で花嫁を愛してくれているのはわかる。

 しかし、アレが真実の愛でいいのか、という気はすごくある。

 騒ぎを起こしては、後始末を家族に押しつけるのが、真実の愛とはとても思えない。

 思えないのだが……なぜか姉には使える。


 ――なんだか、腹が立ってきた。


 王子のことを心から好きで、絶対に愛してる自分は、こんなに不安なのに。


 ――そーだよ。考えてみれば、真実の愛かどうか決めるのって、誰? サキュバス族の神様? 今でも一週間にひとりは童貞いけにえ捧げないとヘソ曲げるような神様が、真実の愛とそうでないのを決めるなんて、おかしいよ。


「よーし!」


 花嫁はベルトを外し、ズボンを脱ぐ。すらっとした素足があらわになる。

 幻覚がとけていても、足には自信がある。

 荷物の中に入れておいた、黒タイツを取り出し、はく。その上にホットパンツ。

 眠っている王子の隣に座る。

 王子の頭を持ち上げ、太ももの上に置いて膝枕。

 王子の眼鏡を外す。額の三本の角を順番に撫でる。

 そして、サキュバス族の魔術の詠唱を口にする。

 最初に出会ったその日。王子の破れた礼服を繕う時に唱えた言葉だ。


『愛しき人よ、どうか私の嘘を許しておくれ。

 愛ゆえに私がつく嘘に、どうか騙されておくれ。

 愛しき人よ、偽りは今、真実となる……』


 花嫁は、ここで詠唱を一度、止めた。

 答えは、結局、ここにある。

 花嫁は王子にウソをついてきた。

 しかし、愛にまでウソをついたことは一度もない。

 愛してないのに、愛してると言ったことはない。

 愛してるのに、愛してないなんて言ったこともない。

 ウソがバレたら、王子には嫌われるかもしれない。

 王子と一緒にいられなくなるかもしれない。

 でも、そうなっても。この愛が、報われなくても。

 たとえ、愛する人に拒絶されても。

 今、この時に。花嫁が王子を愛していることに。ウソなんか、ないのだ。

 ウソつきでも、ヘンタイでもいい。

 誰かを愛しいと思うことは、自由だ。


 ――まあ、お姉ちゃんみたいにストーカーの愛を受けまくってる人は、そんな自由、イヤだろうけど。


 花嫁は微笑み、最後の一句を口にする。

 本来ならば『深夜十二時の、鐘の音が響くその時まで』だが、表現を変更し、自分の覚悟を示す句にして。


『……我が命が尽きる、その時まで』


 そうして花嫁は、王子に口づけした。

 触れ合った唇から、花嫁の意識が王子の中に入っていく。

 暗い、くらい、くらいところへ落ちていく。

 真っ暗な精神世界の底に、王子が座ったまま、眠っていた。

 あぐらをかき、魔装具をまとい、立てた槌を抱えるようにして、眠っていた。


「ゴラン様!」


 花嫁が近づこうとすると、槌が稲光を放った。

 王子に向かって伸ばした指先が痺れ、花嫁はあわてて手を引っ込める。


「な、何?」


 魔装具が、王子を守っているのか。


「ねえ! ボクはその人を助けたいんだ! 近づいてもいいでしょ?」


 呼びかけてから、一歩、近づく。

 バチバチッ!

 稲光が花嫁に向かって伸びる。


「わっ、わっ、わっ」


 避けようにも、雷を避けることなどできはしない。

 花嫁の体に稲光がまとわりつき、チリチリと痛みが走る。


「痛い、痛い、痛……? あんまり痛くないや」


 ここは王子の精神世界。花嫁も、眠っている王子も、現実の存在ではない。

 そうと気付けば、恐れることはない。幻覚はサキュバス族のお家芸、いや、種族芸だ。

 花嫁は意を決して王子に近づく。

 諦めたのか、槌からの稲光が消える。


「ゴラン様、目を開けて。ボクを見て」


 王子の頬に触れると、王子のまぶたが開いた。

 花嫁を見る王子の目が、いぶかしそうに細められる。


「ん……そなたは……?」

「むっ。いくら近眼だからって、こんな間近でボクの顔がわかんないとかないよ」

「……そうか。こやつの妻か」

「いや、妻じゃないけど……へ? あなた、誰?」

「わしは……そうだな、トールとでも名乗っておこうか」

「ちょっと、それゴラン様の体……じゃないけど、写し身なんだよ。勝手に使わないでよ」

「好きで使ってはおらん。こやつの魂が消耗していて眠っておるから代理だ。こやつ、二十才近くにもなってまだ初陣もすませておらん。いくら素質に富んでいようが、そんなやつに魔装具を使わせるとは、当代の連中は何をやっとるのか」


 王子の口から、老成した声が出る。

 元から厳つい顔立ちなので、渋めの声が似合う。


「しょうがないでしょ。平和が長かったんだから」

「だからといって、魔装具を完全召喚しての神蟲との戦いなど、未来のある子供にやらせることではあるまい。実戦経験豊富な親の仕事だ」

「んー、どうだろう。父王様も、亡くなられた先代おじい様も、実戦経験ないよ?」

「何だと?」

「異界門が閉じて、三百年。ずっと平和が続いたからね」

「……そうか」


 王子の目から、ポロポロと涙がこぼれる。

 花嫁はあわてた。愛する人の顔で泣かれると、中身が違っていても、うろたえてしまう。


「大丈夫? どこか痛い? ボク変なこと言った?」

「違う。うれしいのだ。三百年も平和が続いたことが。我らが魂を燃焼させて戦い続けたのは、無駄ではなかったのだな」

「もしかして、あなた幽霊? オーガ族のご先祖さま?」

「そんなものだ。オーガ以外も混ざっているがな。我らは操り人として虚神兵、魔装具と共に戦った者どもの成れの果てだ。魂の絞り滓が積み重なって、人もどきになっておる」


 王子が抱えた槌が、ぱちっ、と小さな稲光を放つ。

 しゃべっている王子の方ではなく、こちらに人格が宿っていることを示すように。


「ゴラン様もそうなっちゃうの?」

「こやつは大丈夫だ。これまで良き人生を歩んできたのだろうな。魂が豊かで健やかだ。すぐに回復しよう。我らとはずいぶん違うと思っていたが、そうか……平和な世界で生きると、人はかくも豊かになれるのか」

「国は貧乏だけどね」


 花嫁の冗談に、ふたりは小さく笑う。

 花嫁は真面目な顔に戻り、王子と目線を合わせる。


「ね、王子を目覚めさせてくれる? ボク、王子の魂に力を分け与えたいの」

「いいだろう。少し待て……おい、起きろ。平和な時代を生きる我らが末裔、我らが希望の子よ。眠っている場合ではない、お前の嫁が呼んでおるぞ」


 王子が目を閉じ、そして開く。


「……エミリア?」

「うん。違うけど、うん」

「ここは……私は……そうだ! 神蟲はどうなった?」

「倒したよ。砂になった。王子も無事だけど、魂を削りすぎて仮死状態で眠ってるから、ボクのエネルギーを分け与えにきたの」

「そうか。ありがとう」

「どういたしまして。ちょっと待ってね」


 花嫁は王子の額を手ではさみ、白い角に唇を寄せた。

 ちゅっ。

 優しい口づけ。


「おお、これは……」


 王子が瞠目した。

 白い角から、温かな生命力が流れ込んでくる。

 花嫁の生命力は、魔装具をまとっての戦いで疲弊した王子の魂に、慈雨のごとく染みこんでいく。


「これで大丈夫。後は現実世界で仮死状態から目覚めれば、オッケーだよ」

「重ね重ね、感謝する」

「うん。ボクもこれで憂いなく告白できるよ。ゴラン様……ドル・ゴラン・ドットーリオ・バレス・アグラ・オーガリオス王子。ボクは、あなたに言わなければならないことがあります」


 花嫁は王子の前に座り、正式な名で呼びかける。

 花嫁の覚悟に気付いたのだろう。王子も居ずまいを正す。


「ボクの名前はエミリアではありません。エミリアはボクの姉です。あなたに嫁ぐはずだった姉が家を逃げ出したので、ボクが姉の代わりにやって来ました」


 王子は黙って聞いている。

 きゅっ、と花嫁は拳を握る。


「ボクの本当の名前は、アッシュ・ド・イリスタ・クスト・メーラ・オル・サキュバシリオ。エミリアの……弟です」


期限まで:九日

功績ポイント:三十点(大迷宮の探検十点+郵便開設十点+ドワーフ族発見十点。百点で結婚許可)+神蟲討伐(??点)

現在地:大迷宮

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