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20.神蟲との戦い

 最初に仕掛けたのは、王子だ。

 神蟲が通路の角を曲がって姿を見せるや、距離を詰める。


 ギイィィィイイイイ!


 神蟲が声をあげ、口を開く。舌が伸びる。

 王子が槌をふるい、これを弾く。

 さらに踏み込み、神蟲の足を槌で横殴りにする。

 ズン、と鈍い手応え。

 くるり、と体ごと槌を回し、後ろに下がる。

 王子の体があった場所に神蟲の足が振り下ろされる。足の先端が床を貫く。


 ――よし。私は《豪腕槌》を自分の手足のごとく使えている。


 王子は、ほっと安堵した。

 この三百年、オーガ族で完全召喚で魔装具を使った者はいない。

 王子の父である現国王も、祖父も、魔装具は式典でのみ、まとってきた。

 それでも、代々イメージが口伝で、そして呼吸法と所作が套路とうろの形で伝わっていた。王子も、武器を持てない幼児の頃から日常的に套路を学び、繰り返してきた。

 無手むての套路が、本当に魔装具の鍛錬になるのか。子供心にも疑問であったことを、王子は覚えている。

 それは、実際に使ってみてはっきりわかった。


 ――槌が木の枝のように軽い。舌の攻撃を受けた時に体にかかる衝撃も、まるで違う。最初の時は全力で踏ん張っても、後ろに弾き飛ばされそうだったのに、上半身だけで耐えることができた。完全召喚で得られる神の力とは、これほどのものなのか。


 それだけではない。

 三本目の白い角を通して、魔装具からの情報が頭の中に入ってくる。


 ――右二番、左四番の足が互い違いに動く、そうやって体を振りながら、舌の一撃がくる。体をひねる動きと合わせて舌をムチのようにしならせ、槌で防がれたとしても、私の体に巻き付けようというのか。


 魔装具は、どうやってか周囲の動きを探り、装着した王子に伝えてきている。

 こちらからは巨体の死角になって見えない神蟲の反対側の足の動きも、魔装具によって把握できる。

 王子は、神蟲の狙いを利用することにした。

 槌を右手から左手に持ち替える。左腕には籠手がついていないが、肉体強化は左腕にも効果を発揮している。全力で殴ることはできないが、槌で受け止めることは可能だ。


 ギイィイイ!


 神蟲の口が開き、舌が伸び、体がひねられる。

 しなりながら、舌が王子に伸びた。王子はこれを左手の槌で弾く。

 ぐるん、舌が王子の右腕の籠手に巻き付く。


 ――いかずちよ!


 王子が念じると、右腕の籠手が輝いた。


 バチンッ!


「くっ?!」


 まばゆい光に、王子が眼鏡の奥の目を細める。


 ギイイイイイッツツ!!


 神蟲が迷宮の壁を震わせるほどの大音量を響かせた。

 ずるっ、と。籠手に巻き付いていた舌が滑り、床に落ちる。

 舌は黒く炭化している。籠手が放った雷で焼けたのだ。

 先端から半分くらいの箇所が千切れ、床に落ちた。

 ずるずると、根元の側が神蟲の口に引っ込む。


 ――賭けではあったが、なんとか勝ったな。


 結果として、神蟲を罠にはめた形になったが、王子は背に汗をかいていた。

 もし、籠手の雷が神蟲の舌に打撃を与えられなかったら、王子は巻き付かれた舌に振り回されて壁や床に叩きつけられていたはずだ。

 王子の肉体は神の加護で強化されているが、それは魂を削る代償があってのこと。無限に神の加護を引き出せるわけでは、決してない。

 それでも、王子が戦いの始まりと同時に己の力量と神蟲の力量をはかりにかける真似をしたのは、まだダメージを受けていない今ならば、無理をしても取り返しがつくという判断がひとつ。

 そしてもうひとつは、きわめて個人的な理由だった。


 ――舌の攻撃は間合いが長い。エミリアが狙われることもある。


 もし花嫁が狙われれば、自分の体がどう動くか、王子には確信があった。

 たとえその結果がどうであれ、花嫁を守ろうとする。

 そして自分がそういう人間であることは、今さら変えられない。

 ならば、そうなる前に手を打っておく。

 憂いを抱きながら戦うよりは、リスクがあっても憂いを取り除いてから戦う。

 これが王子の戦い方だった。

 もちろん、これは実戦で身についた習性ではない。王子には実戦経験がそもそもない。

 庭いじりから学んだのである。


 ――寒い季節。苗に霜がおりるかどうか悩みつつ日々を過ごすよりは、あらかじめ藁で菜園を囲っておけばよいのだ。


 庭を荒らす害虫と戦うのと同じ心境で、王子は世界を荒らす神蟲と戦う。

 害虫、そして神蟲と戦って勝つことが目的ではない。

 庭を、そして世界を荒らされないことが目的なのだ。


「下がる! 結界の準備を頼む!」

「了解! タイミングを教えて!」


 神蟲の動きが大きく、速くなった。

 王子に迫り、足を振りかざし、振り下ろす。

 足の爪に、赤いオーラが宿っている。王子が攻撃をよけると爪は床や壁にあたり、グズグズに溶かした。異臭が周囲に漂う。

 舌という便利な攻撃手段を封じられた神蟲が、いよいよ本気でかかってくる。

 これ以上、王子ひとりで戦うのは限界があった。


「三つ数える! 三、二、一……」


 王子は迫る神蟲の足を槌の一撃ではらいとばしてから、後ろに向かって飛ぶ。

 通路の一番狭い場所をくぐりぬけ、着地。

 くるりと背中を向け、走る。

 神蟲が追ってくる。

 王子の背中に、禍々しく赤く光る爪が迫る。


「ゼロ!」

「結界、発動!」


 青い三角形の光が、通路の一番狭い場所に出現した。

 王子を追う神蟲が、その三角形の光の中に突入する。

 青い光が、網のように神蟲を包み込む。

 神蟲の動きが目に見えて遅くなる。


「結界発動、成功。モード、粘着型。ボクが、お前の動きを、制する!」


 赤い爪の動きが鈍くなり、王子ではなく、床を貫く。

 王子が足を止め、振り返りつつ横殴りの一撃を神蟲の足にぶつける。

 神蟲の爪が割れ、赤いオーラが消える。


「左を集中して狙う!」

「わかった!」


 王子が、神蟲の左側に回り込む。

 神蟲が、王子に合わせて左に向きを変えようとする。

 神蟲の体を包む結界が輝き、がくん、と神蟲の体が傾いた。


「勝手はさせないよ!」


 前の足と、後ろの足。体の右側と左側。

 床との接地面。関節にかかる負荷。

 結界による粘着力を部分部分で変え、相手のバランスを崩す。

 言うは易いが、それは常に術式を小刻みに変えつつ結界を維持するということだ。

 その感覚を魔術師以外に説明するのは難しいが、両手にペンを持ち、右手と左手で同時に別々の文章を書いている、といえば近いだろうか。花嫁の頭の中は駆け巡る術式でいっぱいになっている。

 花嫁のサポートで神蟲の動きが崩れた隙を狙い、王子が一気に踏み込む。

 神蟲の足を攻撃する、ということは神蟲の足が届く、ということである。

 槌で一撃を与え、攻撃を避け、また一撃を与える。

 一本、また一本。

 神蟲の足が槌によって外骨格を割られ、爪を破壊されていく。

 王子の動きは、まるで舞いを踊るように、幻想的だった。そう見えるのは、肉体強化により、巨大な槌をまるで棒きれのように軽々と振り回しているせいだ。慣性で泳ぐはずの肉体が大地を踏みしめ、全力で槌を振り下ろしてもすぐにそれを引き戻すことができる。

 人の身では、ありえない動き。

 神の武具と一体化していてこそ、可能となる動き。

 これは戦いであると同時に、神に捧げる舞い、神楽でもあった。

 王子の体の内から、魔装具の元となった雷神の思いがよみがえる。

 無念と、そして慚愧。


 ――もっと戦えたはずだった。もっとうまく。もっと長く。


 世界を守るため、雷神は神蟲と戦った。

 雷神が戦った神蟲は、今王子が戦っている神蟲とは大きさも強さもまるで違う。

 全長は一帝里(≒四キロメートル)を超え、その背は、山よりも高い。

 まとう瘴気だけで竜を腐らせ、金切り声だけで魔人を狂わせる。

 そのような巨大で圧倒的な神蟲が、天空に開いた異界門から、空が黒くなるほどの数、出現したのだ。

 この世界の神々は、押っ取り刀で駆けつけ、神蟲と戦い――次々と滅ぼされていった。

 滅びゆく世界の中で、雷神は奮闘した。

 王子が握る槌は、天空の異界門を砕いた雷神の武具が原型となっている。


 ――微睡みに似た安寧の中で、我らは備えを怠った。そのツケを、我が子らが払うこととなった。


 三度目の神蟲の大攻勢をしのいだところで、雷神に限界がきた。

 世界を包む神気と魔素が希薄になりすぎ、神の肉体を維持できなくなったのだ。

 雷神は肉体を捨てて精神体となり、エルフにその肉体を委ねた。結界の中、肉体を停滞状態で維持し、神蟲が訪れた時にのみ、登場者の精神を宿らせて“虚神兵”として戦うのだ。

 だが、しだいに“虚神兵”すら動かすことが難しくなってくる。不足する神気と魔素を、登場者の魂を燃焼させても、稼働時間は短くなる一方だった。

 “虚神兵”は解体され、神としての肉体と権能けんのうを分割し、そのひとつがやがて王子が握るこの槌となった。

 完全召喚で王子と一体化していても、もはや自我すら希薄となった雷神の中にある、最後の思いは、尽きせぬ闘志。


 世界を守るために戦うという、闘志だ。


 ――雷神よ。神の武具に宿りし神性よ。ご安心なされよ。我らまだ、ここにあり。ここで生きて、ここで戦っております。あなたが諦めずに戦ってくれたからこそ、弱き我らはまだ、ここにあるのです。


 王子が心の中で言葉をかけると、雷神の思いがすっ、と消えていく。

 王子は神蟲に向き直った。

 神蟲を包む結界が青から黄色に変わる。


「王子! 時間が!」

「ああ」


 王子に左側の足を幾本も折られ、神蟲の動きはぎこちない。

 今ならば、逃げることも可能だ。

 しかし、王子にその気はない。

 神蟲の、砕かれた外骨格の隙間からこぼれる、毒汁を見たからだ。


「瘴気か――それが、ドワーフたちがこの地を封印した理由か」


 雷神の記憶が一時的に蘇ったことで、目の前の神蟲が三百年前に何をしたのかが王子にはわかった。

 三体か四体の神蟲が、地下からドワーフの都市に攻め込んだ。神蟲はすべてを腐らせる瘴気を撒き散らし、迷宮内を満たした。

 ドワーフたちは、魔装具を使って戦った。しかし、戦いの間に瘴気は迷宮内を満たしていた。ドワーフたちは外に瘴気があふれ出さないよう、迷宮の入口を封印し、自分たちは石化して瘴気が消えるまで眠ることを選んだ。


「三百年前、こいつを倒しきれなかったのは迷宮内が瘴気に満ちていたせいだ。魔装具と一体化していても、近づけばいずれ瘴気の毒でやられてしまう」


 王子は、雷神から得た神蟲の情報を花嫁に伝えるため、声に出して説明する。


「ドワーフは封印結界の間に神蟲を誘い込み、魔装具で一撃を加えてから封印した。三百年が過ぎ、瘴気がこの迷宮から消えるまで。そうなれば、こいつを倒せるからだ」

「でも、それならそうと記録か何かで――あ。もしかして、石化したドワーフさんは……」

「そうした迷宮内の状況を、外に伝えようとしたのだ。瘴気に巻かれて身動きがとれなくなり、石化薬で石化したのだろう」


 神蟲の背中が丸く膨らんでいた。ぶしゅっ、ぶしゅっ、と外骨格の隙間から毒汁がこぼれ落ち、床に散って蒸気をあげる。


「ここで放置すれば、こいつはまた瘴気をまとう。瘴気が再び迷宮を満たす前に、倒さねばならない」

「方法は?」

「額に刺さった斧の魔装具を使う。この槌で斧の柄を殴って斧を活性化させ、神蟲の頭を切り落とす」


 王子がそう言ったとたん、神蟲がギイイイィィ、と鳴き声をあげた。

 神蟲の胸の内に折り畳まれていた予備の足が伸びた。頭が持ち上がり、天井をこする。


「わっ、わっ、なんか背が高くなったよ」

「こちらの狙いを察した――のではないな。胸の穴を開き、瘴気を発散するためか」

「どうする?」


 強化された今の肉体でも、天井すれすれの位置までジャンプはできない。

 何か足場が必要だ。

 王子は神蟲の動きを観察した。

 黄色い粘着型結界が、神蟲を網のように覆っている。


「神蟲にまとわりついている粘着型結界、一時的に力の向きを逆転させることはできるか?」

「押さえ込むのではなくて、反発するように? できるけど、術式変更で稼働時間が一気に減って、赤くなっちゃうよ」

「それでいい」


 槌を手に、王子が踏み込むチャンスをうかがう。

 ざりっ。

 神蟲の頭が天井につっかえ、額に刺さった斧の柄が触れた。

 神蟲がギィ、と声をあげて頭を少し下げる。

 王子が走り出す。


「三つ数える! 三、二、一……」


 花嫁が魔術書を手に、術式を緊急組み替えする。

 花嫁の左手の指の先に、リング型の魔術文字が浮かぶ。


「ゼロ!」

「力場逆転!」


 王子が飛ぶ。

 花嫁の指から、魔術文字が黄色い結界に吸い込まれる。

 空を飛んだ王子の足が、神蟲の足にある結界を踏む。結界が輝き、王子の足を弾こうという斥力が働く。

 その力を利用し、さらに上に。

 胴体の結界を踏む。さらに上へ。

 神蟲の背中に、無数の棘が生える。近接防御。接近した敵を串刺しにする隠し武器だ。

 しかし、棘の先に王子の姿はない。王子の姿はさらに上。反発力を利用して高く舞い上がり、天井に足をつけていた。


「やっちゃえ、王子!」


 体内の魔素と、集中力を使い果たした花嫁が、床に膝をつきながら拳を突き上げる。

 神蟲の体を包む結界が、赤に、黒に、そして消える。


「おおおおおっ!!」


 天井を蹴り、王子が加速する。落下先にあるのは、神蟲の頭。そしてそこに刺さる神の斧。

 両手で握った神の槌が、神蟲の額に刺さる斧の柄を叩く。


「雷よっ!」


 王子の右腕を包む籠手が白い光を放つ。

 稲光が、籠手から槌へ、そして斧へと伝わる。

 斧に埋め込まれた宝石が、稲光を吸収して輝く。


 ギイイイイイイイッッッ!!!


 神蟲の頭部、女神の死面デスマスクが金切り声をあげた。

 女神の額が割れる。頬が砕ける。死面の下にある骸骨が露わになる。


 ギイィ、ギィ、ギギギギギギィィィィイ!!


 バタバタと足をばたつかせ、神蟲が激しく身をよじらせる。

 致命傷。だが、まだ死んでいない。

 王子が槌をふりかぶり、今度は神蟲のむき出しになった頭蓋骨に渾身の一撃。

 神蟲の頭蓋骨が、砕けた。

 頭蓋骨の中に見えるのは、呪核。神蟲の生命の源だ。

 赤黒い呪核は、どくどくと脈打っている。


「ここはお前の世界ではない! 去れ!」


 王子が槌を構え、突き入れた。

 断末魔の悲鳴をあげ、神蟲が倒れる。

 胴体が割れる。足がもげる。外骨格がひび割れ、砂になって床に広がる。

 そして同時に。

 役目は果たしたといわんばかりに、王子が握る、神の槌が光の粒子となって散っていく。

 王子の右腕を包む籠手も、消えていく。

 上半身裸になった王子は、そのまま、床に倒れた。

 もうもうと巻き上がった砂煙の中に、倒れた王子の姿が消える。


「ゴラン様っ!」


 床に膝をついていた花嫁が、ふらつきながら立ち上がる。


「ゴラン様っ!」


 煙の中に足を踏み入れる。

 咳き込みながら、愛する王子を探す。


『ここだ! 王子はここにいるぞ!』


 声が聞こえた。

 先に、封印の間で聞こえたのと同じ声。さすがに花嫁も、二度目となれば、声の主が誰かはわかった。

 だが、今はそれについてとやかく言っている場合ではない。

 手探りで、声の方に向かう。

 砂の山に半ば埋もれるようにして、王子が倒れていた。

 意識はない。


「ゴラン様っ! うわっ、重っ!」


 花嫁は王子に駆け寄り、腕を引っ張るが、びくともしない。

 ウッドゴーレムを呼び、協力して王子を運び出す。

 王子の体は、あれほどの戦いの後だというのに、ぞっとするほどに冷たかった。


「ゴラン様! 目をあけて! ゴラン様!」


 花嫁の叫びが、迷宮の天井にむなしく響いた。


期限まで:九日

功績ポイント:三十点(大迷宮の探検十点+郵便開設十点+ドワーフ族発見十点。百点で結婚許可)

現在地:大迷宮

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