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19.威力偵察


 女神の死面デスマスクが、口を大きく開く。

 額には、両手斧が刺さっている。


 ギィィイイイイ!


 発する音は、声ではない。そこに意味はない。いかなる感情もない。

 ただ、耳障りなだけの、音。

 それが、神蟲の鳴き声だ。

 逃げながら、花嫁が耳をふさぐ。

 王子が花嫁の後ろを走りながら背後を確認し、ズレた丸眼鏡の位置を直す。


「でもなんで! なんで神蟲が?!」

「わからない。しかし、ドワーフの迷宮が三百年前に封印されたのならば、異界門が開いて最後の大攻勢があった時だ」

「三百年もの間、生きてたの、アレ?」

「三百年かけて、殺せなかったのだ。あの額に刺さっている斧は、ドワーフの魔装具だ」


 額に突き刺さり、傷口から、じわじわと命の源である神気と魔素を放出させ続けた。

 三百年、放出させ、封印の間は神気と魔素で充満した。

 それでも、神蟲は生きていた。


「生きてはいるが、ずいぶん弱っているようだ」

「アレで? アレで弱ってるの?」

「特に足だな。思うようには動けぬようだ」

「三百年、同じ姿勢だったものね。足が痺れてるのかも」

「だといいが」


 軽口が叩けるのも、神蟲との距離が開いているせいだ。

 王子と花嫁は、あらかじめ決めておいた場所まで後退する。

 通路が狭くなっていて、最小の結界で最大強度の防御が期待できる場所だ。

 花嫁が、ウッドゴーレムが手にした棒から、三枚の符を外す。


「七十号は、左右の床、チョークで印をつけた場所に符を設置して! 三十三号はボクを肩車!」


 花嫁が符を手に、しゃがんだウッドゴーレムの背中に登る。

 ウッドゴーレムが立ち上がると、花嫁は通路の天井に符を張ろうと手を伸ばす。

 王子が、ハンマーを床に置き、荷物から筆と紙を取り出して、文をしたためる。


「八十二号、この手紙を持ってこっちの通路をまっすぐ進め。手紙をア=ギ、ハナ、タマ、三人のうちの誰かに渡すんだ。速さは速歩! さあ、進め!」


 王子の手紙を受け取ったウッドゴーレムが、ドスドスと体を左右に揺らして早足で歩く。両手を大きく広げているのは、揺れに合わせてバランスを取るためだ。

 ウッドゴーレムは、ゴーレムの中でも簡易型で、身体制御はごく単純な術式で構成されている。すり足に近い形で歩くのはいいが、走らせるとすぐ転ぶ。手を広げての速歩が限界だ。


「もうちょい……もうちょっと……わわっ?」


 花嫁の悲鳴に、ウッドゴーレムを見送っていた王子が振り返る。

 ウッドゴーレムの肩の上によじ登って背伸びをしていた花嫁が、バランスを崩して落ちそうになったのだ。


「わっ、わっ、わっ、わーっ!」


 仰向けに倒れた花嫁を、駆け寄った王子が抱きとめる。


「大丈夫か?」

「うん、ありがと……そうだ、ゴラン様。ボクを肩車して」


 ウッドゴーレムよりも王子の方が背が高く、肩幅も広い。


「わかった」


 しゃがんで頭を下げた王子に、後ろ向きで花嫁がお尻をつける。

 花嫁の太ももに顔を挟まれた王子が、腰を上げる。


「うわ、安定感がぜんぜん違う。王子の体重って、どのくらい?」

「祖父の礼服を仕立て直す時に、体重を計測した時には――」

「え? マジ? ボクの三倍以上あるよ。あ、肩の上に立つね」

「気をつけて」

「うん、よっ」


 背が高い王子の上に立つと、楽に天井へ手が届く。

 天井に符を貼り付ける。これで床の二枚と合わせて、三角形の結界となる。

 結界を発動させようとして、花嫁の指が止まる。


 ――本当はさらにもうひとつ逆三角形を作って六芒星にすると結界の強度がすごく高くなるんだけど、ボクじゃ制御できない。ボクの専門は幻覚魔法だもの。


 波と波を工夫してぶつけると、波が強くなったり、打ち消し合って消えたりする。

 二枚の三角形の結界を重ねることで結界の強度を上げるには、そうした波同士をすり合わせるような、微妙な制御をする術式が必要になる。


 ――結界一枚で強くするには、とにかく魔素を大量に投入して起動すればいいけど、そんな魔素は……あ、あった。


 花嫁は、今は首からぶら下げている赤の宝玉を胸元から取り出した。

 幻覚魔法で変身するのに使っている宝玉からなら、大量の魔素を引き出すことができる。赤の宝玉は、サキュバス族が管理している地脈につながっている。一滴ずつ水が出る蛇口の下に置かれたバケツようなものだ。一度に消費できる魔素に限りはあるが、一日待てば、再び宝玉の中に魔素が満ちる。使い切りの魔石とはそこが違う。


 ――変身の維持に使ってるから、変身がとけちゃうけど、いいよね。前にも王子には、変身とけた姿を見られてるし。着てる服だって、ドレスと違ってはだけないものだし。


 花嫁は赤の宝玉を掌にいれて天井の符に触れる。

 ありったけの魔素を引き出して、結界を発動。

 同時に、幻覚の魔法が切れる。花嫁のおっぱいやお尻が小さくなり、肋骨や骨盤などの骨格、筋肉の付き方などが変化する。

 ぐらっ。

 迂闊な話であるが、体つきが変化すれば、当然、バランスも変わる。


 ――わわっ、重心が後ろにっ?! おっぱいってすごく重いの忘れてた! 比重は軽いのに! あと、王子の比重、絶対に水より大きいよね!


 軽いパニックになってどうでもいいことまで脳内を駆け巡る。


「わーっ?!」


 ぼすん。

 落ちた花嫁を、王子が抱き止める。


「わっ?! わっ、わっ!」

「?」


 旅装束の花嫁はシャツとズボンだ。露出は低いが体のラインは出ているから、変身がとけたことは、見た目にも、触った感じにも明らかだ。

 王子が怪訝そうな顔をする。


「~~~~~っ!!」


 花嫁の顔が真っ赤になる。

 恥ずかしい。

 元の体に戻っただけなのに、とても恥ずかしい。

 なのに、もっともっとと求める内心の声がある。

 抱きしめてほしい。

 キスしてほしい。

 どっちもしてくれないなら、いっそ自分から――


 ギィィイイィィィィ。


 遠くから、通路をこだまして神蟲の声が聞こえた。

 花嫁は、はっ、として冷静さを取り戻す。


「下ろして! 下ろして!」

「あ、ああ」


 床に足をつけ、王子に背中をむける。

 胸元に拳をあて、息を整える。

 花嫁の頭の中で、いろいろな思いがぐるぐると渦を巻き始めたが、あえて飲み込む。

 最優先は、神蟲への対処だ。


「ここで足止めする? それとももっと下がる?」

「ここで止める」


 王子は静かに答えた。

 額の三本目の白い角に指をあてる。


「結界を、粘着型にできるだろうか?」

「できるよ。ボクの魔素が空っぽになるまでは、維持できる。でも、今の反射型に比べると、時間はどうしても短くなるよ?」

「どのくらい?」

「ちょっと待って……」


 花嫁は腰に紐でぶら下げた円盤型の計算尺を取り出してクルクルと回す。

 出てきた数字を王子に伝えると、王子はうなずいた。


「それでいい。それ以上に戦いが長引くようなら、どちらにせよ、勝ち目はない。撤退しよう」

「うん」


 魔術結界には、幾つかの基本的なパターンがある。

 神蟲が数百年を閉じ込められていたのが、封印型。完全に動きを止める。あまりに強大な力を持ち、滅ぼせない神や魔を閉じ込め、歳月によって弱体化させることが狙いだ。封印の維持には、封じた相手の神力か魔素を吸い出してコストとして消費する。

 このタイプの結界は、作るのに膨大な魔素と複雑な術式が必要で、大勢の術者が合唱してひとつの呪文を唱える。先のホールで、神蟲を封印していた術式だと、花嫁の見たところ、魔術学校の卒業資格である第四階梯以上の魔術士官が最低でも百人、丸一昼夜をかけて合唱する必要がある。


 ――今の帝国軍、平時が長いから、予備役まで総動員しても、第四階梯以上が百人いるかいないか……途中で誰かぶっ倒れた時の交代要員とか、とても集められそうにないよ。


 三枚の符を使って花嫁が今構築している結界が、減衰型。通常は結界は最小限で、そこに外部から力が加われば、その力の大きさに応じて結界の強度が増し、力を減衰させる。これだと、最小限の維持コストで、攻撃を防ぐことができる。術式さえきちんとしていれば、弓矢などによる不意打ちに対しても自動的に結界が反応して防げるので、戦闘などで一般的なパターンだ。


 ――とはいえ、これ『ゆっくり』『結界に対して浅い角度で』近づいてくる物体には、反応しないんだよね。暗殺者はソードダンスといって、毒を塗った短剣を、舞うようにゆっくりと動かして結界をすり抜ける技を持ってる手練れがいるとか……それに、結界の強度をはるかに上回る攻撃に対しては、減衰がほとんどきかないし。


 そして、王子が指示した粘着型結界。

 これは対象に結界をまとわりつかせ、その動きを阻害するタイプだ。相手の動きをゆっくりにすることで、攻撃を回避しやすくするために使う。


 ――神蟲がどんな攻撃をしてくるか、わかんないものね。呪いみたいなものでかすっただけでも動けなくなる、なんて危険は冒せないもの。それに、かなわない時に逃げるのにも役立つし。


 王子にも花嫁にも、ここで死ぬ気はさらさらない。

 神蟲は世界の敵だ。

 世界の敵と戦うのは、この世界に生きる全員の仕事である。それは個人に押しつけてよいものではない。


「可能ならば、危険を避けるために、あなたに先に帰ってもらいたい」


 王子が、眼鏡をはずして花嫁に渡す。

 花嫁は眼鏡を手に、ぷぅっ、と頬をふくらませた。


「そんなことされたら、ボク、泣くよ?」

「それは困る」

「でも、可能ならって……やっぱり、不可能なの?」

「不可能だ。私ひとりでは、足止めにすらならない」


 背負っていたハンマーを床に置き、王子は掌を見る。


「神蟲の舌の一撃を受けた時、圧倒的な力の差を感じた。神蟲にとって、あれは指を弾いてデコピンをするような攻撃だろう。だが、それですら私は渾身の力をこめて弾き返すのが精一杯だった。まともな攻撃を受けきる自信はない」

「そんなに……」

「父が私と鍛錬する時に、よく言っていた。戦いとは常に単純で、強い側が勝つ、と」

「本当に単純だね。で、なんで服を脱いでるの? いや、ボクにはご褒美だけど」


 王子は上着とシャツを脱ぐと、花嫁に手渡した。

 花嫁はかわりに眼鏡を返す。

 上半身が裸になると、王子の筋肉が露わになる。

 石像になったドワーフの裸身と比べると厚みは劣る。

 むしろ、背が高い分、細い印象さえ与える。

 しかし、先に聞いた体重を考え合わせると、理由がわかる。

 筋肉が密で、重いのだ。王子を水の中に放り込めば、石のように沈むだろう。泳ぐどころか、浮かぶだけでも必死に手足を動かさねばなるまい。

 オーガ族は鬼族だ。

 巨人族がパワー型だとすれば、鬼族はスピード型だ。最小限の容積に、最大限の筋肉を圧縮して詰め込んで生み出されたのが鬼族である。

 何のために? 決まっている。

 この世界のあらゆる種族は、神蟲と戦うために適応し、進化したのだ。


「完全召喚で《豪腕槌》を使う」

「魔装具を完全召喚? ダメだよ、許可がないと《禁忌》に脳を食われちゃうよ!」

「許可なら、もらってある」

「へ? いつ? 誰に?」

「すまない。この件については話すことが許されていない。許可が出たら話す」

「それなら……でも……本当に?」


 先に骸骨城で王子が見せたのは、式典などで使うための擬召喚だ。

 魔装具本体の影をまとったようなもので、あの状態では力を完全に解放できない。

 完全召喚は、魔装具と着用者を一体化する。

 着用者は、魔装具の元となった神の力をふるうことができる。これが外敵ではなく、国内の敵に向けられれば、その惨禍はすさまじいものになる。

 そこで、召喚の術式には《禁忌》が安全装置として組み込まれており、帝国の許可なく完全召喚しようとすれば、召喚者の脳が破壊される。

 許可が出せるのは、皇帝、皇族の一部、そして帝国の大臣クラスだけだ。いったいいつ、そんな大物と出会い、許可をもらったのか。

 ずっと王子と一緒にいた花嫁が疑問に思うのも無理はない。


「本当だ」

「わかった。ゴラン様を信じるよ」


 完全召喚であれば、王子がまとうのは影ではなく本体。

 服を着ていれば、ズタズタにされて吹き飛ばされる。脱いだのはそのためだ。

 上半身裸の王子が、額の中央、白い角に触れる。

 完全召喚に呪文や身振りは必要ない。

 術式は、王族の血の中に刻まれている。


「行くぞ、《豪腕槌》」


 王子を中心に、つむじ風が吹き荒れる。

 王子の腕が、籠手で覆われる。

 王子の手が、巨大な槌を握る。

 今は滅びた雷神の肉体の一部を元に作られた魔装具が、王子を依代に古の神の力を復活させる。


 ギィィイイイイイ。


 神蟲の鳴き声が、近くなる。


「七十号、三十三号、エミリアを守れ。その身をもって盾としろ」


 王子がウッドゴーレムに命じる。

 ダメージが結界で減衰されない以上、花嫁に当たれば致命傷になる。


「ゴラン様、時間制限があるから、粘着型結界には色をつけるよ。最初は青、次に黄色、赤になったら、もうもたないから」

「わかった。赤になれば撤退する。荷物は全部ここに捨てていいから、身ひとつで、あっちの通路を進むんだ。ア=ギたちと合流できる」

「うん。ハナちゃん、タマちゃんと一緒に逃げないとね……でも、戦わないでこのまま逃げる方が安全だよ?」

「それでは、相手の強さがわからない。どれだけの戦力を用意すれば勝てるかわからないままでは、ここを出た後で帝国軍を動かせない。兵力を集める根拠がない」

「あー……兵力の動員にはお金、かかるもんね」

「私がここで戦うのは、可能ならば神蟲を倒すためだが……不可能だとしても、私の魔装具だけでは勝てないことを証明するためでもある」

「威力偵察、っていうんだっけ?」


 威力偵察とは、軍事用語だ。

 偵察部隊が相手と戦うことで、相手の強さを見定める。

 相手の強さがわかれば、戦い方が決まる。

 戦力が足りなければ、増やせばいいのである。帝国にはそれだけの資源がある。

 問題は、その資源を使うのには金がかかり、金を使うには議会や役人を納得させる根拠が必要だということだ。


「戦いでは強い側が勝つ。父の言葉だ。だからこそ、正しく相手の強さを見極めることが重要だ。私がこれからやるのは、そういうことだ」

「わかった。安心したよ、そういうことなら、ゴラン様は死ねないものね」

「ん?」

「だって、ゴラン様が死んだら、誰が相手の強さを伝えるのさ。ボクだけ生き残っても、正しく伝えることはできないもの」

「……」


 憂いの晴れた花嫁はうれしそうに、ぺちぺちと王子の腹筋をたたいた。

 王子がくすぐったそうな顔になる。


 ギギイイイイイイイ。


 神蟲の声がさらに近づいてきた。がさがさと足を動かす音も聞こえてくる。

 ふたりは通路の奥を見て、そしてお互いを見る。

 何かを伝えるなら、今だけだ。

 言葉にする余裕があるのは、今しかない。


「がんばって、ゴラン様」

「ああ、えーと……愛してる。あなたは必ず私が守る」

「うん。ボクも愛してる。ボクがあなたを必ず守るから」


 王子と花嫁は見つめ合い、王子がしゃがみ、花嫁が背伸びをして口づけをした。

 そして、同時に通路に向き直る。

 王子の籠手で覆われた右手には、神の槌。

 花嫁の右手には魔術書。

 戦いが、始まる。


期限まで:九日

功績ポイント:三十点(大迷宮の探検十点+郵便開設十点+ドワーフ族発見十点。百点で結婚許可)

現在地:大迷宮

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