17.前夜
次の日。
一行は、石像を発見したドワーフの都市を目指して南下した。
花嫁が、思い悩みながら歩いていることに気付いたのは、王子だった。
昼食を兼ねた大休止で、王子は膝を抱えてぼんやりとしている花嫁に近づいた。
黙ったまま、花嫁の隣に腰をおろす。
「……」
王子がポケットから栗を出して渡す。
「ありがと」
花嫁は両手で受け取り、ちまちまとかじる。
「……」
「……」
栗のかけらが喉につまって、花嫁がけほけほ咳をした。
王子が、自分が飲んでいた水筒を花嫁に渡す。
花嫁は水を飲んで、王子に返す。
王子が口をつけたところで、ぽそっと言う。
「間接キスだね」
ぶぼっ。
むせた王子の唇の端についた水滴を、花嫁は指で拭い、自分の唇につけた。
くすっと笑う。少し気分が軽くなった。
「ありがとう、ゴラン様」
「言いたくないなら、聞かずにいるが」
「ううん。正直、ちょっといっぱいいっぱいだったから、聞いてほしい」
「わかった」
花嫁は、しばらく考えて頭の中を整理してから、言った。
「複数の思惑が、混ざってきているんだ」
「……」
「だから、最善手が見えない。どれを選んでも、まずい展開になるリスクがあるんだ」
スギヤマの命令通りにして、ハナ姫を危険にさらすのは論外だ。
しかし、スギヤマの命令を無視すれば、それですむだろうか。
花嫁は、自分がスギヤマにとって『使えれば儲けもの』くらいのコマだと考えている。
スギヤマは、他に手を用意している。もし、花嫁が使えないとみれば、スギヤマはそちらを使うだろう。それがどんな結果をもたらすか、予測できない。
――何より、スギヤマと組んでいるヤツの目的が見えない。
スギヤマの目的は、オーガ族への復讐だ。
二十年前に大切な姉を奪ったオーガ族に復讐し、もしかすると、姉を取り戻すくらいまで考えているかもしれない。
目的がはっきりしている相手は、敵であっても信用できる。
――今は、見えてないヤツの方がイヤだな。
目的の見えない相手の行動は、読めない。
そいつが、スギヤマと違ってオーガ族には悪意がなくても、だ。
花嫁にとっては、スギヤマより、よほど恐ろしい。
「でも、ボクが自分で抱えた悩みだものね。ボクがなんとかするよ」
「そうか」
王子は、花嫁が悩んでいることは察しても、何について悩んでいるのかは理解していない。
この時点においても、王子はスギヤマの言葉を信じ、援助してくれるエルフの叔父に対して心から感謝している。
王子は、基本的に相手の言葉の裏を探ったり、疑うことをしない。あからさまに矛盾や嘘が入れば気が付くが、そうでなければ、言葉を素直に受け取る。
王子は、自分が他者の言葉を疑って生きるようになれば、自分の心をコントロールできなくなる、と考えている。疑心暗鬼となって修羅のように暴れ、屍山血河を成すに違いないと。
これは、王子に限らず、オーガ族全体に言える。
感情が豊かである分、それがひとたび負の方向へ決壊すれば、暴力と死を撒き散らすのがオーガだ。
戦、それも神蟲のような交渉できない相手との殲滅戦こそが、オーガ族の力を存分にふるえる場だ。千年前の皇帝が異界門をにらんだ北の守りにオーガ族を置いたのも、そうした理由がある。
「がんばれ」
王子は、花嫁をただ励ますだけ。
「うん、がんばる」
花嫁も、王子の言葉にうなずきを返すだけ。
花嫁が手を出すと、王子は大きな掌で優しく握った。
――サキュバス族には、本当の愛で結ばれた人となら、こうやって手をつなぐだけでも、生命力が流れ込んでくる、っていう伝説があるけど……
残念だが、そのようなものは、感じられなかった。
――ボク、まだ王子に嘘ついたままだものね。それで本当の愛とかは、ムシがよすぎるし。でも、元気と勇気はもらえたよ、王子。
花嫁は立ち上がり、こちらの様子をうかがっていた――あくまで本人の主観で、実際にはガン見していた――ハナ姫のところへ行った。
「ハナちゃん、お願いがあるんだ」
そして、その夜。
昨夜と同じように、花嫁が持つ鏡が熱を持った。
『うまくいったようだな。どうやったのだ?』
スギヤマの声に、花嫁はそっけなく答えた。
「ハナちゃんを手伝うフリをして、大事な薬を水に流したんだ。《石化》の解除を失敗させると、魔術の反動で危ないから、解除そのものをさせなかった」
『なるほど、考えたな。今はどこだ?』
「西三番の大ホールまで戻って、そこからさらに西、明日にはあなたが指定した、魔装具が封印されている蔵のある場所に到着するよ」
『よし、そのまま進め』
「そして、目的地で何かの仕掛けが動いて、王子もろともボクも殺す気なんだ」
花嫁はあえて踏み込んでみせた。
ドワーフの《石化》解除を止めたことで、スギヤマは花嫁が王子に対する『裏切り者』だと考えている。
今ならば、踏み込める。
今しか、踏み込めない。
『安心しろ。お前は殺さない。お前には大事な仕事がある』
「何をさせる気?」
『ハナとタマだ。王子が封印を解除する時に、お前は自分とハナとタマを《暗闇》の呪文で包み込め。そしてふたりを連れて逃げろ』
「……何が、起きるの?」
『その時になれば、わかる』
スギヤマの声が切れた。
鏡が冷えていく。
花嫁は震える手で、鏡をハンカチで包んだ。
――スギヤマの仕掛けの限界が、見えた。
スギヤマが自分以外に、何らかの情報収集の仕掛けをしていることは、わかっていた。
わからなかったのは、それが、どこまでの情報をスギヤマに伝えているか、だった。
――位置は、掴まれてる。毎回、ボクに位置を言わせるのは、ボクが嘘をついているか否かを判断するため。
――ドワーフの《石化》が解除されていないことも、掴んでいた。
キャンプ地では、いつものように三体のウッドゴーレムが周囲を警戒していた。
花嫁が戻ると、王子がまだ起きて、スギヤマからもらった資料を読んでいた。
花嫁は、王子の隣に座った。
「いよいよ、明日だね」
「ああ。楽しみだ。何しろ伝説にうたわれる代物だからね」
ドワーフ族と共に消えた、ドワーフ族の魔装具。
戦争のない現代では使い道はないお宝だが、それが純粋に王子の冒険心をくすぐるのだろう。
「ドワーフ族の魔装具、名前はなんていうの?」
「オーガ族の記録には大斧としか記されていない。叔父上の資料でも、名前はないな。やはり名前は秘されているのだろう」
「狙われるものね。魔装具となれば、なおさらだし」
「私が《豪腕槌》で呼び出す魔装具も、真名は王族にのみ伝えられている。ドワーフ族も、同じだろう」
名前を知れば、魔術や呪いの対象にできる。
神の欠片を使った魔装具ともなれば、真名を秘すのは当然のことといえた。
王子が、ふと資料から視線をあげ、周囲を見回す。
花嫁は、王子に体をぴったりと寄せて、聞いた。
「心配? ハナちゃんとタマちゃんが?」
「いや、ア=ギが一緒だからな。心配はしていない」
「ごめんね、ろくに説明もせずに、あれこれ変なこと言っちゃって」
「事情があるのだろう? 気にせずともよい」
「ありがとう、ゴラン様」
花嫁は、膝立ちになって、王子の頬にキスをした。
王子が驚いた顔になる。
「いいよね、このくらい? 誰も見てないから」
「うむ……その、明日も早い。寝るとしよう」
「うん、おやすみなさい」
王子と背中合わせになって、花嫁は毛布で体を包む。
先のスギヤマとの会話を思い出す。
――スギヤマは、ボクと王子が、ふたりきりでいることを、掴んでいなかった。
ここにいるのは、王子と花嫁、そして三体のウッドゴーレム。
ア=ギとハナ姫、タマ姫、ドワーフの石像はここにはいない。
――明日、魔装具の蔵の封印を解いた時が勝負だ。
花嫁は内心でつぶやき、目を閉じた。
期限まで:十日
功績ポイント:三十点(大迷宮の探検十点+郵便開設十点+ドワーフ族発見十点。百点で結婚許可)
現在地:大迷宮