11.骸骨城への帰還
ソリウムから白角国への帰途は、時間を考えて行きと同じルートを、寄り道なしで進むことになった。
荷物も最小限に留めたが、どうしても運ばなければいけないものがあった。
それが石化したドワーフだった。これは、ウッドゴーレムが背負う。
石化したまま運んで帰るのにはむろん、理由があった。
「いくつかの神殿に、治療が可能か、お金はどのくらいかかるか、確認しました」
「それで?」
「治療は可能ですが……私の一存では、出せない金額でした」
「そうか」
いくらか、とは執事は口にしなかった。
王子も聞かなかった。
ソリウムならば、現金がなくても為替で取引ができる。神殿管理組合に毎年の支払いをしている関係上、口座を持っているからだ。しかし、執事はあえて今回、その選択は避けることとした。
後で、ドワーフの迷宮の中を歩きながら、執事は花嫁にこっそりと金額を教えた。
「……高いね」
「高いです」
「でも、高すぎるかというと……微妙だね」
「全部、私の名前で進めていてよかったです。王子の名前を出していたら、さすがに金がないからいいです、とは言えませんので」
「国を背負うと、大変だよね。身分って、お金かかるよね」
「はい。贅沢をするつもりがなくても、礼式に則るだけで金が出ていきます。代々の家宰を務める身としては、削りたいのに削るところがない、というところでして……」
帝国において身分が高い人間は、たしかに贅沢な暮らしをしている。
しかし、その贅沢が本人が望む贅沢かといえば、大いに疑問が残る。
古来からの礼式に則った生活というのは、千年が過ぎた今は「そこにお金をかけてもなぁ」ということが多い。
花嫁が白角国まで乗ってきた竜車もそのひとつだ。バネなどが発達する前の時代の車なので、サスペンションのようなものがない。だから乗り心地はきわめて悪い。
では、竜車に乗っていた昔の貴人たちのお尻は、全員が現代に比べて分厚かったのかというと、さにあらず。
「書物で調べたんだけど、昔は《浮遊円盤》の魔法を使って、竜車の床を持ち上げてたんだって」
「《浮遊円盤》? 聞いたことのない魔法ですね」
「そりゃそうだよ。《円盤》シリーズは昔の、今は使われていない魔法だもの。円盤に呪文を書いて、回転させると呪文を自動で唱えるような仕組みになっているの。一回転すると、術者が一回呪文を唱えたのと同じ魔法がかかる」
「やあ、それは便利ですね……あれ? それって魔素の消費、多くなりません?」
「多いどころか。むっちゃくちゃ無駄。魔法って、かける時に魔素を消費するから、現代の魔法は、できるだけ一回の呪文を長持ちさせるように発展してきている。でも《円盤》シリーズは、おかまいなしにバンバン、一回転ごとに魔素を消費する。そりゃ、どんな魔法でも使い放題だよ」
「術者がたちまち魔素が枯渇してぶっ倒れますよ……いや、術者がいないのでしたか」
「いないよ。竜車で移動しながら、そこらにある自然の魔素を食いつぶしていくの。環境破壊なんてものじゃないよね」
「今は使われないのも道理ですね」
「昔は、世界に魔素が充満していたから、《円盤》を使っても問題なかったの。でも、今は違う。魔素は循環させるもので、うまく循環させないと魔法が使えなくなっちゃう。そういう風に、今と昔ではいろいろ違ってきているのに、帝国の礼式の多くは、昔のまんまなんだ」
執事と花嫁が会話をする前方を、黙々と歩いていた王子が、ぽつり、と言った。
「我らが国も昔のまま、なのだ」
それを聞いて執事が顔をうつむかせる。
王子は後ろを振り返った。
「いや、私はその昔のままの白角国を愛している。我らオーガは、簡単に過去を捨てられる器用な種族ではないからな。しかし、昔のままの国を愛してはいるが、このままでは長くは保つまい。だからこそ、次の王として、新しい道を探したい」
そして照れた様子で鼻をこする。
「私にできることは限られている。だからア=ギにも、エミリアにも力と知恵を貸してほしい」
「もちろんでございます、我が主。我が非才の身に能う限り」
「ボクも――ボクも、ゴラン様を助けるよ。ゴラン様が、ボクを求めてくれる限り」
「ありがとう」
王子が礼を言う。
花嫁は頭を下げて表情を隠し、唇をかむ。
――本当だよ。今のは本当なんだよ。ボクは嘘つきで、王子を騙してる。でも、今の言葉は本当に本当。王子が求めてくれる限り、ボクは王子を助けるから。でも……
花嫁ははぁ、と小さく息をついた。
――ボクの嘘がバレた時。王子はボクのこと、求めてくれないだろうな。
ドワーフの大迷宮は暗く、王子も執事も、花嫁の表情までは気付かなかった。
気付いたのは、ウッドゴーレムの一体、三十三号である。
花嫁の近くまで寄ってきて、顔をきゅるっ、きゅるっ、と動かす。
「え? ボクの荷物運んでくれるって? いいよいいよ」
花嫁が断るが、ウッドゴーレムは自分の背中を向けて、のせろのせろとアピールする。
「いやでも――うわっ」
花嫁の目の前に、ウッドゴーレムが背負うドワーフの尻がアップで迫る。
リアルな、というより生きていたドワーフが石化したものだから、リアルそのものの尻である。
――けっ、毛深いっ! ていうか、ふさふさ! ドワーフって、尻にまでもじゃもじゃ生えるの? 知りたくなかった生物学的事実だなー。
ウッドゴーレムの誘いを丁重に断った後、花嫁は執事に確認した。
「このドワーフさん、ずっとこのままなの?」
「石化解除の方法はソリウムで聞いてきました。時間はかかりますが、白角国でも同じことはできます」
執事の言葉に王子がうなずく。
「助けられるものならば、助けたいからな。それに、消えたドワーフについての手がかりが得られるかもしれん」
「ドワーフが消えたのっておよそ三百年前だよね」
「異界門からの最後の大攻勢があった時期だ。白角国が追い詰められ、骸骨城に籠城してあわや、という時にドワーフ王の援軍があって助かったというのが、ドワーフが記録される最後の出来事だな」
「オーガとドワーフ、仲は良かったんだ」
「いや、悪かった。どちらも帝国内の武闘派で、普段はどっちが強いを争っていたとか。しかし、戦場ではお互いに頼りになる戦友として肩を並べ、背中を合わせて戦った」
「このドワーフさんも、強そうだものね」
「……この筋肉の量からくるパワーと瞬発力はあなどれないな。それに、背が低いのも、戦い方によっては有利につながる。懐に飛び込まれたら――いや、蹴りをいれて――しかし、それを狙ってスネ払いをかけられたら――」
ぶつぶつと王子が呟きはじめた。頭の中で、このドワーフと戦うシミュレーションを組み立てているようだ。
「王子ってば、どうしたのかな。種族間のライバル心って、今も残ってるのかな?」
「さて、どうでしょうね」
執事が苦笑した。
執事は、王子は自分では気付いていないが、花嫁がドワーフを強そうだと誉めたので、対抗心がむくむくと湧き上がったのだろうと考えていた。
普段は我を強く出さない王子だが、まだ若い。花嫁の前では格好をつけたいのだ。
――いっそ、もっと仲良くなって子作りしてくれれば、私の仕事も楽になるのですが。今回の申請には間に合わなくても、特例とやらで結婚が認められるわけですし。
そこまで考えて、ふと執事は気付く。
――はて。じゃあ、なんで帝国はウチの王子とサキュバス族の姫の異種族間婚姻の申請に文句を言ってるのでしょうね。こっちは国としての面子がありますから、受けて立ってますが、ふたりがこっそり子作りしちゃえば、イヤでも結婚は認められるのに。いくら法は法だとしても、なんとも無駄なことです。
田舎の国で暮らしていては、分からない政治的な理由があるのだろうか。
花嫁のメイドだったナーガ族の女は、何か思うところがあって独自に動いているが、彼女に聞いた方がいいかもしれない、と執事は考えた。
復路は、往路より一日短い、五日間で白角国に到着した。
若く健脚で少人数という組み合わせとはいえ、ドワーフの迷宮を使って中央山脈の下をほぼ直線で貫いて二百帝里(約二〇〇キロメートル)を踏破できたのだ。
今後さらに延長させ、あるいは別の自治国と結べば、白角国の経済に寄与することは間違いなかった。
「こうしてみると、三百年前までのオーガとドワーフは、唇歯の関係だったんだね」
骸骨城の城下町を歩きながら、花嫁が言う。ゴブリンの執事は一足先に城に入って王子の帰還を告げ、出迎えの準備をしている。
王子と花嫁は並んで歩き、オーガ族、獣人族の民に手を振る。
人々は、ウッドゴーレムが背負う石になったドワーフを見て驚いた様子だった。
子供たちが近寄ってきてドワーフの尻の穴に棒を刺そうとして、王子に叱られている。
「しん……し?」
「唇と、歯、だよ。そのくらい近い関係ってこと」
花嫁は自分の唇を指でさし、続いて口をあけて白い歯をみせた。
「しんし……確かに。これだけ近ければ、日々の暮らしも、経済も、白角国とドワーフの国は、お互いに補い合っていたはずだ。その片方がなくなって、白角国だけになった」
「今の白角国がうまくいってないの。色んなものが昔のままだから、っていうだけでなくて、隣にドワーフがいた昔と今とで、違いすぎるからじゃないかな」
「白角国だけで、国をよくしようとしてもうまくいかないということか……」
やがて二人は、骸骨城の城門前にきた。
ドン、ドン、ドン。
城門の上にある銅鑼が鳴らされ、城門が開く。
花嫁は、王子の後ろに下がろうとした。
「エミリア。私の隣へ」
王子が花嫁に手を出した。
花嫁は驚いて王子の顔を見て、そしてためらいがちに王子の手を見る。
「いいの? 今のボク、形式としては『外国のお友達の訪問』でしょ? 種族間婚姻の申請が受理されていないから」
「そのようなことは、気にしなくていい。誰がなんと言おうが、あなたは私の未来の妻だ」
「――っ!」
花嫁の瞳が、揺れた。
震える手を伸ばし、王子の手を取り、握る。
城門の扉が開くと、そこに王子の家族が並んでいた。
父親であるオーガ王、グラン。
母親であるエルフのトモエ王妃。
そして妹がふたり。エルフの血が濃く、トモエ王妃と並ぶと三姉妹のようだ。
さらに――
四人から少し離れて、この中で一番きらびやかな服を着た、エルフの男。帝国貴族院議員であることを示す帯飾りをつけている。
「やあやあやあ。よく帰ってきた、我が甥よ」
美しいエルフの男が、腕を広げ、声をあげて近づいてきた。
グラン王は無表情、トモエ王妃はニコニコしている。
妹ふたりは、半目になって「こいつ、嫌い」「あとで、殺す」という顔でエルフの男の背中をにらんでいる。
「叔父上、お久しぶりです」
「うむ。こたびの一件、帝都で聞いてな。司法局も無粋なことをする」
「彼らは法に従っているだけです。それこそが司法局の帝国への忠誠の証でしょう」
「ふむ、そういう見方もあるか。なればこそ、私が力になれるだろう」
「力に?」
「ああ、功績ポイントを得る良い手がある。私に任せろ」
「ありがとうございます、叔父上」
王子は深々と頭を下げた。
花嫁も同じように礼をする。
ぞわっ。
サキュバス族の視線察知で、花嫁の背に怖気が走る。
花嫁は顔だけをそっと上げた。
ひどく冷たい、いや、一転して熱いほどの憎しみのこもった目を、エルフの男は王子に向けていた。そして、その目が花嫁に向けられる。
花嫁を見るエルフの男の瞳の奥に、歪んだ喜悦の色が浮かぶ。
その瞬間、花嫁は悟った。
――この人は、知っている。
なぜ、とか、どうして、というのとは無関係に、花嫁は確信を抱いた。
――この人は、ボクの正体を。ボクの嘘を、知っている。
期限まで:十六日
功績ポイント:三十点(大迷宮の探検十点+郵便開設十点+ドワーフ族発見十点。百点で結婚許可)
現在地:白角国 骸骨城