10.動き出す陰謀
白角国にいるオーガ王にも結果を伝えるため憑依魔法でマーフィーが去った後、オーガの王子とサキュバスの花嫁、そしてゴブリンの執事の三人が残された。
執事の顔色は悪い。元々、緑がかった肌ではあるが。
――まずいですな。さすがに審査そのものが却下されることは想定していませんでした。というか、期限を一ヶ月に区切っておいて、それはないでしょう? とはいえ、どうにかせねばならぬのですが、これはどうにもこうにも……。
花嫁の表情も暗い。思いのほか得点が低いことに、一瞬でも安堵してしまった自分が、裏切り者のような気がしている。
――そりゃ、ここで百点満点。さあ結婚しよう、とかいわれたら困るのはボクなんだけど……でも、こんなに得点が低いなんてひどいよ。 王子も執事さんも、すごい頑張ったのに!
王子は泰然としていた。分厚いレンズの眼鏡をかけているせいで、表情は読みにくい。
その大きな手がゆっくりと持ち上がった。執事と花嫁の視線が、王子に吸い寄せられる。
「どうだろう。外に出て食事をしないか?」
不死王の神殿に参拝する者は、不死者が中心であるから、神殿に付属の宿坊には、大きさの割に食堂のようなものがない。
かわりに入口のところに神殿管理組合が配布しているソリウム食べ歩きパンフレットが置いてあったので、これを手に、手頃な料理屋を目指すことにした。
しかし、これが難航する。
「さっきの店は、なかなかよさそうだったぞ。肉と雑穀の煮込み汁は腹持ちもいい」
「こっちのお店もいいね。焼きたてのパンに、香草がいれてあった。あそこでいいんじゃない?」
帝国すべての神が祭られたソリウムには、帝国全土から参拝客が来る。
参拝客を目当てにした店は多く、競争も厳しい。
種族によって食の好き嫌いはあれど、店側もそれは心得ている。値段が手頃なら、まずどこに入ってもハズレはないのがソリウムだ。
なので、王子も花嫁も、手近な店で腹を満たそうと提案する。
「せっかくソリウムに来たのです。ここでしか食べられないものを、食べようではありませんか!」
だが、ゴブリンの執事は妥協を許さなかった。
この六日間、保存食中心の味気ない食事ばかりであった反動であろう。
道中で幾度か試した花嫁による幻覚魔法によって知った宮廷料理の味が、執事の探究心に火を付けたともいえる。
「執事さん、元気になってよかったね」
「うむ。あいつは食べることが大好きだからな」
王子と花嫁は、執事に先導されるように後ろを並んで歩く。
査定の結果を聞いて、三人の中で一番落ち込んでいたのが執事だった。それが今はずいぶんと元気になっている。
王子が、外で食事にしようと言い出したのは、執事のためだと知って、花嫁はうれしかった。王子とて、帝国の裁定に衝撃を受けていないはずがない。それでも、何より先に家臣の心を思いやったのだ。
花嫁は歩きながら、いつもより半歩、王子と距離を近づけてみる。
――先のことは、そうなって考えることにして。今は、王子を助けよう。残り七十点、どうやれば手に入るかはわからないけど、王子はいい人だもの。結婚……はしなくても、功績ポイントがあると、爵位とかもらえたりして、これからの白角国の統治にもきっと役立つから。
歴代の白角国の国家経営が、今ひとつ成果を出していない理由のひとつにオーガ王の地位の低さ、というのがある。
白角国という国家が持つ格は高い。帝国の藩屏、異界門の最前線である。もし対外戦争となれば、一気に魔人族、龍族、不死族の『三大』の格にまで上がり、『三大』以外の諸種族はオーガ王の指揮下で戦うことが法で定められている。場合によっては、『三大』を含めた帝国全軍を率いる帝国大元帥の地位とてあり得る場所にオーガ王はいるのだ。そのため、白角国の蔵には皇帝から直接賜った対軍、対城、対神武具が揃っている。
しかし、今は平時である。それも三百年続いた平時だ。オーガ王が功績をあげる機会など存在しない。そして功績がなければ、個人としての身分は与えられない。帝国の他の諸部族にとってオーガ王というのはオーガ族の親分、以上のものではなかった。何か新しいことをやろうとしても、平民より少しマシくらいの立ち位置でスタートである。それでいて金がないのだから、何をやっても中途半端に終わるのは、宿命のようなものだった。
「そーなんですよ。歴代の王様たちも、頑張ってるんです。でも、肩書きがないと他の自治国との交渉や、各地の商人たちとの取引がうまくいかなくて。おお、これ旨いですよ。具がほとんど入ってないスープなんですが、味が深い」
「ア=ギさん、食べるかしゃべるか、どっちかだけにしようよ」
「すみません、手が止まりませんで」
「……」
「ゴラン様は、一言くらいしゃべろうよ。黙々と食べてると、ちょっと怖いよ」
「王子は美味しいものを食べると、いつもよりさらに無口になります」
「……」
「まあ、美味しくはあるよね。あ、これ干した貝でダシをとったスープだ」
「貝ですか。白角国の湖には、貝はあまりいないんですよね。いや、いるけど、アレは確か寄生虫がついてて怖い」
「あー。寄生虫怖いよね。だから帝都のおっきな貴族とか料亭とかは、死霊使いの衛生魔法士が入るようになってるよ」
「死霊使いが?」
「うん。食材を《直死の魔眼》の魔法かけてにらむと、寄生虫とかカビとか、死滅するから。小動物すら殺せない見習いレベルの死霊使いでも、寄生虫なら一発で処分できる。熱を通さなくてもいいから、料理人の中には、自分で覚えてナマに近い食材を使った料理を出すお店もあるよ」
「すごいですね」
「でもこないだ、毒キノコで死人だして捕まったお店があるよ。寄生虫と違って、毒は死霊魔法じゃどうにもならないから。あれは錬金術の領分」
「錬金術は、昔から料理との関係が深いですね」
「もっと昔は、軍隊で爆弾とか毒ガスとか作ってたみたいだけど、ずーっと平和が続いているものね。新しい仕事探さないと。でも、錬金術はいいよ。水道局とか、インフラ関係の仕事が多いから。幻覚系はねー。本気で、何もないからー」
「帝都の劇場で、幻覚が演出に使われることがあると聞きました」
「うん。時々流行るんだ。一瞬だけ。すぐ飽きられちゃう。なんか、アプローチを間違ってる気がするんだよねー」
「……」
「王子は本当に、美味しいものを食べるとこうなっちゃうんだね」
「何事も、一意専心だそうです。こっちが言ってることは聞いてるので、後で話してみてください」
「ふーん」
「……」
執事が中座している間に、花嫁は試してみることにした。
「旅の間は野宿もするから、丈夫な服を着てたけど、ちゃんと可愛い服も持ってきてるんだよ?」
「……」
「タイツとか、破れたらもったいないものね」
「……!」
スープをすくう匙が、ガチャン、と音をたてた。
花嫁はにっこりと笑った。
「せっかく町にきたんだし、おめかししようかなー」
「……」
「タイツ、はいたげようか?」
「……!」
そこへ執事が戻ってきた。
「カチャカチャ音が聞こえましたが、何か落としました?」
「ううん、なんでもないよ」
「……」
どこか嬉しそうな花嫁と、どこか疲れた様子の王子を見て、執事は何事かを思ったようだが、口にしない分別はあった。
食事をすませて、三人は不死王の神殿に戻った。
そこに、マーフィーが再び憑依魔法で戻ってきた。
「骸骨城でグラン王にお会いしてきました」
「父上はなんと?」
「その件に関して、手紙を預かっております」
《合切袋》から手紙を取り出したマーフィーが王子に渡す。
表に書かれた文字を見て、王子が嬉しそうな顔になる。
「母上の字だ」
少し離れた場所で、花嫁が執事に聞く。
「ゴラン様の母上って、都市エルフの?」
「はい。たいへん可愛らしい方です」
「お見合いの時、ちょっとだけご挨拶したよ。きれいな方だよね」
「グラン王がいかつい分、おふたりが並ぶと際立つんですよ」
手紙を読んだ後、王子は首をひねりつつ、マーフィーに問う。
「マーフィー殿は、この手紙の内容をご存じか?」
「いえ、私は何も。私があちらに到着した時には、すでに書かれて封がされた後でしたし」
「そうか……しかし、叔父上が……なぜ?」
王子は花嫁と執事に向き直った。
「一度、白角国に戻るよう書いてある」
「大丈夫? 明日、出発して白角国までは六日……そうすると、残りは十五日だよ?」
「期限まで、半分ですな。まあ、ここにいても功績ポイントは増えるアテがないわけですが」
「母上の書状によれば、叔父上が何か功績ポイントを上げる策を用意してくださっているらしい」
「叔父さん? ゴラン様に叔父さんて――いたっけ?」
「お父上のグラン王にご兄弟はおられません。王妃様のご兄弟でしょう」
「うむ。母上の弟で――」
どうにも気がのらない、という口調で王子は言った。
「都市エルフ評議会のサコンノスケ・スギヤマ議長だ」
ゴランの背後で、マーフィーの霊体がゆらっ、と揺れた。
期限まで:二十二日
功績ポイント:三十点(大迷宮の探検十点+郵便開設十点+ドワーフ族発見十点。百点で結婚許可)
現在地:神聖都市ソリウム