3 VS魔王
そこは一面赤色だった。
地の底から這い出るような呻き声。
誰かの悲痛に満ちた悲鳴が聞こえる。
立っているのは俺の後ろに残り1/4となった人間の軍隊である。
最後に残った神器・魔眼を屈指して今までどうにか生き残った。総大将から借り受けていた装備品は今まで装備していた神器たちとは比べるまでもなく弱く脆かった。魔眼に敵兵の個体値が事細やかに映る。まるでRPGのステータス画面のようだ。一人一人はさして強くはない。魔力の濃い魔大陸の兵士の為、魔法に対する抵抗値は人間に比べて圧倒的に高いが、筋力や速力で大きな違いがあるわけではない。
俺に突撃してきた魔族の攻撃を読んで、横にかわす。
しかし魔眼の死角から盾を装備した兵に体当たりを仕掛けられる。剣を盾にしたが押し切られてしまう。
力負けするなんて今まで一度もなかったのに・・・。
これまでは神力のグローブの効果により身体能力を圧倒的に底上げしていた。こんな雑魚兵剣のひと振りで瞬殺できるのに。
今の俺は一般人並の筋力しか持っていない。魔眼の効果で肉体に若干の補正が入り、他の者よりも立ち回りが上手くいく程度である。魔眼は相手のステータスを読み取り、数秒先の未来まで見通す事ができる。未来眼としての昨日は異常に疲労感を伴う。故にさほど使えない、使い勝手の悪い能力ではあったが今回は既に命を何度も救われている。
〈盾で押し込んできた魔族が片手に握りこんだ片手剣を突き出してくる〉
魔眼が示す未来線に則り、相手の体の通過線上に自分の剣先を乗せる。
―――グジャリ。
魔族兵が驚く間にもう一突き。
筋肉質な体から力が抜け落ちていくのを感じる。もう立ち上がることは不可能だろう。
周囲を見渡すが先程までいた人間の兵は散り散りに逃げ惑っていた。完全に戦線は崩壊した。最初の突撃で第一陣を突破され、油断に油断を重ねていた人間軍は脆弱であった。先程まで会議を行っていた将軍たちは我先にと逃げていった。
ただ一人総大将であるグラディウスのみが最後まで戦い死んだ。
軍隊は総大将が打ち取られ瓦解。
本来なら崩れた瞬間に助けに来てくれる勇者は何故かやってこない。人々が声を上げ、助けを求め、そのまま死んでいった。
勇者にとってそれはどうでもよかった。勝手に頼り、縋る、そんなものは助ける価値なんて存在しない。寄りかかられるだけの存在ではない。
勇者の使命は味方を守ることなんかじゃない。―――魔王を討つことそれだけだ。神器が奪われようと関係ない。俺は勇者なんだから!
視線を前に向けた瞬間、ゾクリとした。
言いようもない恐怖感が俺を襲った。感覚としては二年前俺が死んだ時に感じた死に近づく感覚である。否応もなく体が震える。
意図的にではない、反射的に魔眼を発動させる。
〈―――3秒後の俺が死んでいた。〉
100mは離れていようところから一筋に伸びた闇色のレーザーが俺の脳を直撃していた。咄嗟に体を捻るが未来線も俺の動きに合わせて追いかけてくる。
…くっ、よけられない。
――あと2秒。
手に持った盾を顔前に構えるが、あっさりと突き抜ける未来が見える。しかしそれでいい。魔眼が俺の生き残る道を示してくれる。そのまま盾を地面に突き立て、更に一歩下がり剣も地面に突き刺す。
―――1秒。
足元に転がる誰のかわからない金属の兜をかぶり剣の後ろに構え、かがみ込む。
それと同時に閃光が走る。
天地を揺るがすような轟音。地面ごと吹き飛びそうになるが必死に剣にしがみつく。爆風に打ち付けられながら耐える。とうとう盾が耐え切れずに地面から抜けこちらに飛んできた。ガギンと剣にぶつかる。
闇色のレーザーは剣にぶつかり、支えている俺に直接衝撃が伝わる。まるでトラックがぶつかったような衝撃を感じ、剣が悲鳴をあげる。
「ッッゥウもってくれぇえええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
俺の悲痛な叫びは聞き届けられなかったように剣は中心から折れ、レーザーは俺の頭部にぶち当たる。兜に当たり衝撃が頭に抜ける。その勢いが俺の体を後方へと吹き飛ばした。
ゴロゴロと地面を転がり、30メートルほど先で止まった。俺は止まった瞬間周囲を確認する。後方に続いていた味方はほぼ今の攻撃で壊滅していた。残った人間は皆逃げ惑い、魔族に後ろから刺され、死に絶えていった。1万人居た人間は大半が死んでいた。
左右は敵に囲まれている。逃げるなら後方だ。レーザーのお陰で一直線に道が空いている。しかし、直線に逃げればもう一度レーザーを打たれて死亡確定である。
数瞬の思考から俺は寧ろ前方へと走り出した。俺は勇者だ。逃げるわけにはいかない。
焼け爛れた地面は未だに熱を持ち、革の靴はあっという間に伝熱してしまう。よくよく確認すればもう燃えていたのかもしれない。
魔眼に魔力を込めると100メートル先に佇む者の姿が見えてくる。
あいつが攻撃してきた主か。全力の疾走でおよそ7秒程度の距離、その間他の兵の攻撃を受けつつもあいつにたどり着き攻撃する。
今の俺に攻撃できるような武器は存在しない。ただあるのは魔眼のみだ。
どうする?
敵から武器を盗むか?
素手でレーザーを使うような相手と戦うのか?
魔眼で3秒先の未来を見る。そこには魔眼を駆使して敵から武器を奪っている自分がいた。
俺は迷わずに一歩敵に近づき魔眼を発動、動きを読んで武器を奪う。カトラスのような片刃の反った形の剣であった。奪ったカトラスを使って敵の頚動脈を速やかに切りつける。
動かなくなった死体の体を蹴り付け、反動を利用して前へと進む。
あと30メートル。幾らかの矢や魔法が飛んでくる。致命傷以外の攻撃を避け、突き進む。あと少し、あと少しだ・・・。
―――たどり着いた。勇者の目の前に立ちはだかるは、とても戦場とは思えない程綺麗な漆黒のドレスに身を包んだ女性。切れ長の瞳をしっかりと開き、こちらを値踏みするように見つめてくる。左の手に持つ扇子を開くと口元に持っていく。
「―――――汝が勇者か?」
「お前が―――魔王か?」
雌雄を決する時がとうとう来てしまった。
見つめ合う両者。周囲の魔族は空気を読んだかのように攻撃をやめた。
いや、臨戦態勢は解いていない。今すぐにでも俺を殺せるように魔法を準備している。左手に見える大型の魔族は先日倒した魔将の一人によく似た容姿をしている。山羊のような角を持ち巨大な槍を突きつけ、まるで親の敵を目にしたかのように睨みつけてくる。先日倒した魔将は大きな体躯とは裏腹に俺のスピードと同等の速さで攻撃してきてとても厄介であった。しかし自身と同じ速さの敵などいなかったのだろう。魔眼を併用した俺の敵ではなかった。
「・・・デュバル。ここは我に任せよ」
魔王が大型の魔族に声をかける。すると大人しく一歩下がり、槍を垂直に立てた。臨戦態勢は解いておらず、すぐにでも攻撃に移れそうな体制だが…。
「さ・・・てと、先ほどの攻撃を耐えるとはさすが勇者じゃ。我の親愛なる同士諸君を無遠慮に殺戮して回ってくれたそうじゃな。デュバルは勇者が先日落とした東の砦の守護者デュークの弟じゃよ。怒ってしまうのも許してやってくれ」
戦場だというのにお喋りな奴だ。俺はそれを隙だと考え、カトラスを下段に構え魔眼を発動させる。一歩踏み出そうとするが、体が硬直してしまった。魔眼が示す未来に魔王に一撃与えられるものは一つとして存在しなかった。それ以上に目を引いたのが魔王の腰にぶら下がった剣だ。
…あの柄。見覚えがある。見覚えどころではない。つい昨日まで俺が振っていた剣じゃないか!
「―――――ッ!おい!」
「ん?おー、これか?こいつか?これはのぅ手に入れるのが苦労したんじゃよ。支配者気取りの神によって作られし忌々しき神器。神代の技術によって作られし秘宝。随分と我の仲間の血と魂を吸ってしまっているがのう。まぁ、飼い慣らすのも時間の問題じゃろ」
スラリと剣を抜き取ると陽光に照らし、神器・神クラスの剣Aが挙げられる。名を「暁」と付けた。うっとりと見つめ撫で付けると魔王は俺へと軽く刃を振り抜く。俺は魔眼を発動することさえできずに頬を一閃された。
―――タラリと落ちる血。
俺の後方で岩が崩れる音がする。斬撃が後方の岩石地帯まで飛び、切り崩したということか?俺だって神器持っていたときはその程度…。
実力が違いすぎる。いや、そもそも魔王が神器を何故持っている…?
「なんでお前が持っているんだっていう顔をしておるのぅ。フフ私が何年魔王をしておるのか知らぬみたいよのぉ。歴代の勇者は皆、神から与えられた神器に頼ったものが殆どであった。つまりは神器さえ取り上げてしまえば唯の魔力の多い人間でしかない。更に魔力があっても魔法を覚えられない者も多い為、打つ手がなくなるのじゃ。毎度毎度同じ手に勇者は引っかかってくれるからのう。」
フフと笑いながら俺に近づいてくる魔王。俺は常に魔眼で未来視しているが、どう頑張っても倒せる気がしない。それどころか今すぐに殺されてしまいそうな気すらする。ゴクリと息を飲む。
「―――しかし、此度の勇者はいつもとは例外じゃったようじゃの。神器を二つも有しておるとは妾も予想外じゃ。こちらも戴いていくぞぃ」
俺の目の前に魔王が立つ。目が離せない。
呼吸ができない。
体が固まってしまったみたいだ。
魔王はぺろりと舌を這わせると、長く伸びた爪を俺の右目に向ける。
カリっ…。
最初はそれぐらい軽い音だった。
ぎゃぎゅあうじゅぶえあゅでゃぢゅぶcくぉ4q43いうhthんくぃぃいいいいいいいいいいいい
―――――――――抉られていく抉られていく抉られていく。
魔眼の入っていた右の眼の部分から更に脳内へと魔王の爪が侵食してくる。俺は身動きがとれず、「あ、あぅ、ぅぅぅうあ」と声が自然と溢れる。口からは泡が溢れてくる。体は痙攣が止まらない。
「うーん。前回やったのが50年前だからのぉー。前回はあったんじゃが。どこじゃろな?お?お?おったおった!これじゃ、う…あとちょいで取れる…。う~~~っはっ!!」
ようやく解放された俺は力の抜けたように地面に突っ伏す。
右目は視界を失い、光を亡くした。左目は痛みから涙が溢れ止まらない。脳内さえもいじられたようだ。溶けるように脳内が熱を持っている気がする。
「ほーれ見てみろ。この蟲が見えるか?おいつはお主の頭の中に埋め込まれておったのじゃ、生前の記憶を抑圧し、理想的な勇者へと仕立て上げるための蟲じゃよ。思考操作されておるのじゃな。これが入っている限り神の命令を断ることは一生できん。我に感謝じゃのう」
もう魔王が何を話しているのか分からなくなってきた。時折聞こえる台詞があるが、もう死ぬ俺には関係ないか…。
「魔王様、勇者は既に瀕死の様子でございます」
「お?ほんまじゃな!やばいやばい!とりあえず永らえさせて、どこかに捨てておけ、思考誘導されておらず、神器すら持っていない勇者なんぞ怖くもなんともないわ。まぁ、一応いつも通りこやつの大切なモノをもらっておくとするかの」
「は、仰せのままに」
痛みが和らいできた。このまま俺は死ぬのか?最後に魔王が何か言ってたな。思考誘導?なんだそれ?俺は常に自分の意志で行動してきたつもりだ。
世界を救う為に、魔王を討伐しなくちゃいけないんd・・・あれ?なんで俺はそんな面倒なことをしようとしていたんだ?
あんなにも人のことが信用できないと言っていたのにセバスや将軍たちは信用していなかったのか?イヤ、信用していただろ。口で言ったことと反している。なんであんな奴ら信用していたんだ?
もう裏切られたくないと言いながら裏切られてるじゃないか。
魔王が襲撃してきた時も我さきにと逃げ出したのはあいつらではないか。
神器が奪われたのはあいつのせいじゃないか。
もう、もう、何も信じられない。
暗い暗い暗い世界に落ちていく。冷たい川の水底に沈んでゆく。