和気藹々ともしてられない
翌日、僕はケイタイの目覚ましのバイブで目を覚ました。時刻は、午後一時。カーテンから漏れる日差しが眩しい。気温もだいぶ上がっており、シャツに薄っすら汗が滲んでいるのが分かる。
僕は重い体をひきずってベッドから這い出し、リビングに向かった。
オヤジはいない。
見ると、テーブルの上に一枚メモ用紙が置かれていて、汚い字で『パチンコに行ってくる』とだけ書かれていた。オヤジは、仕事のない日はいつも、朝はパチンコ、夜は麻雀と、一日中ギャンブルに明け暮れている。たかがギャンブルと侮るなかれ、彼のツキの良し悪しが、その日の我々の晩御飯の豪華さと比例していると言っても過言ではないのだ。
ただ、僕にオヤジのギャンブルを止める権利はないし、それに、彼のギャンブルのおかげで収入の半分が浮いていているのもまた事実。それなら、今日も彼にはしっかり稼いでいただこう。
「腹減った……ラーメンでも食べよう」
僕は独りごちた。物置きから非常食用のインスタント・ラーメンを持ってきて、それにお湯を注いだ。
三分経ち、熱いラーメンを啜っていると、ケイタイがバイブした。
メールがきている。メッセージは……
『リョウおはよー☆ なんで昨日黙って帰っちゃったの? 寂しかったよぅ! プンプン(`0´) でさー 今日暇? アタシ暇なんだけど よかったらデートしない? 返信待ってるねー♪』
だって。
昨日の姐さんだ。
学校を休んでしまった僕にしてみれば、この誘いを断る道理はどこにもない。
僕はすぐさまOKの返事を返した。
――昼飯を終わらせたら行くよ♪ てね。
*
僕はマンションを出ると、吉祥寺の方にCBを駆り立てた。
彼女のマンションに着くと、姐さんはすでにオシャレを済まして外で待っていた。今日は脚の見えないジーンズを穿いていて僕的には少しがっかりしたけど、丈の短い黒のTシャツが、彼女のナイスなボディー・ラインを際立たせていた。
「おそいぞ、亮」
姐さんは胸を張り、ワザと拗ねた顔で言った。胸元がセクシー。
「ゴメンゴメン、寝坊しちゃった」
僕はフルフェースを取り、微笑みかけた。
「で、どこ行くか決めた?」
と姐さん。
「決めてないけど、とりあえず映画見に行こうか」
「いいね」
姐さんは賛成した。
かくして、僕達は近くの映画館に行き最近公開されたばかりのハリウッド映画を見た後、レストラン、カラオケ、洋服屋と足を運んだ。もちろん出費は全部僕持ち、全部合せると五万ちょっと、かなり痛い。けれど、これからのお楽しみを考えれば、なんのこれしき!
気が付けば、時間は夕方の六時。オヤジではないが、そろそろメインディッシュの準備の時間だ。
「そろそろ帰ろうか?」
僕は彼女に言った。
「そうだね。今日もウチ寄ってく?」
「え、いいの?」
「どうせそのつもりだったくせに」
「ははは、バレてたか」
僕は頭を書き、CBに跨った。姐さんも後ろに乗る。
僕は肩越しに彼女を見て、訊いた。
「姐さん、名前なんていうの?」
「アタシ? アタシは”ユイ”よ、由衣」
「へー、カワイイ名前だね、由衣」
僕は言いながら、ふと考えた。
由衣……亜衣に似てるな。
吉祥寺のマンションに戻った僕達は、由衣の部屋に向かった。
部屋の前で、由衣は鍵を挿し、首をひねった。
「どうしたの?」
僕が訊くと、
「鍵が開いてる」
と彼女は答えた。
「掛け忘れ?」
「違う。ちゃんと出るとき確認したもん」
「………」
僕は少しの間考え込み、彼女に「ちょっと換わって」と言って入れ替わった。
「何するの?」
「シッ、静かに」
僕は言って、インターホンを押した。チャイムが内部に響く。すると、中の何かが、ごそごそと物音を立てた。誰か居るんだ。由衣を背後に隠し、僕は扉に聞き耳を立てた。何者かが玄関に近づいて来る気配を感じた。僕の頬を汗が伝う。
「まさかお父さんじゃないよね?」
僕は小声で彼女に質した。由衣は首を横に振る。
中の音は、扉のすぐ手前で止まった。おそらく相手も今の僕と同じことをしているに違いない。僕は息を殺して扉の構造を観察した。扉は防犯用の内開き式。
ならば――。
僕は静かにノブを握り、ゆっくりと押し、そして掛け声と共に勢いよくドアを蹴り飛ばした。
「おりゃあ!!」
扉は蹴りの勢いそのままに激しく開いた。と同時に、何かにぶち当たる鈍い手ごたえを感じ、男の「ぐえ!」といううめき声が聞こえた。
扉が全開し、内部が明らかになると、玄関に倒れて気絶している黒スーツ黒手袋の男が見えた。
中は荒らされている。由衣はショックで青ざめた顔をしていた。
僕らは倒れている男を跨いで土足のまま室内に入った。入ってすぐのリビングには、洋服や雑誌が散乱している。
「どうなってるんだ……」
僕は唸った。
と――僕が考える間もなく、背後から何かが迫る気配を感じた。
もう一人居たのだ。
「危ない!」
「キャア!」
僕は反射的に由衣の肩を突き飛ばし、自分も身をよじってその場を逃れた。しかし、鋭い刃物が、僕の左腕の皮を削いだ。
「ぐぅ!」
僕は焼け付くような痛みを堪えながらも、その場に踏みとどまった。
相手を見ると、玄関で倒れている男と同じような格好をした、大柄の男だった。男が構えているのは、刃渡り四十センチの匕首。ただの空巣ではないと、僕は直感した。
「あんた誰だ?」
僕は中学まで習っていた空手の構えを取り、相手に質した。
男は無言のまま匕首を構えて突進してきた。
男は匕首を上段に構え、振り下ろそうとした。けど、匕首はそんな使い方をするもんじゃないよ。
僕は余裕でその攻撃をかわし、がら空きになった相手のボディーに正拳突きを叩き込んだ。
拳はまごうことなく男の鳩尾を強打した。
「うぐぁ!」
しかし、悲鳴をあげたのはこちらだった。殴った右の拳を見ると、中指があらぬ方向に曲がっている。骨をやられた。おそらく、僕は男の腹に仕込まれている厚い鉄板を叩いてしまったのだ。あの隙だらけの攻撃は、こちらにボディーを打ち込ますためのフェイクだったのか。
痛む拳に気をとられていた僕は、あっさり男に喉輪をかけられ、フローリングに倒されてマウント・ポジションをとられた。
僕は必死に喉輪を解こうとしたが、左腕だけではどうしようもない。
男は左手で僕を押さえ込み、右手で匕首を天井にかざした。
ダメだ……殺られる!
僕は絶望を感じながら目を瞑った。
刹那、何か――バチィ! という激しい電気のような音がしたと思ったら、僕の首に掛かっていた男の呪縛が解かれた。目をあけると、男が僕の隣に倒れていて、代わりに、手にスタンガンを持っている由衣が立っていた。
「大丈夫、亮?」
由衣は言って立ちあがろうとする僕に手を貸してくれた。
「おしっこチビりそうだった……しかしすごい威力だね、ソレ」
僕は倒れた大男を見下ろし、言った。
「六十万ボルトよ」
由衣はクールに言ってスタンガンをジーンズのベルトに挟んだ。今の彼女に動揺の色はまったくなく、むしろ僕より冷静だった。
「煙草吸っていい?」
僕が言ってマイルドセブンを咥えると、今度は由衣がライターを差し出してくれた。
「これから、アタシどうすればいい?」
由衣は自分もセーラムに火をつけ、散らかりきった部屋の中を見渡して溜息混じりに言った。
僕も周りを見渡した。玄関に倒れていた男が起き上がろうとしていたので、僕は近づいて彼の顎に左の正拳突きを叩き込み、再び気絶させた。
由衣の方を見て言う。
「とりあえず、ロープとかある?」